第209話 理想の彼氏 エピローグ

 ボウルの中に入った卵白を勢いよく泡立てていくフレイア。

 その隣でチョコを溶かすソフィー。

 二人の顔は既にチョコとメレンゲにまみれており、一見すると楽しいお菓子作りに見えるが調理台は惨劇があったかのように泡や溶けたチョコによって汚く汚されている。


「フレイアさん、何かお菓子を作るらしいですけど、それはやっぱり恋夜祭のものですか?」

「ちょっと何言ってるかわかんない」

「言ってることはわかるでしょ!」


 恋夜祭とは、意中の男性にケーキなどの甘い食べ物を渡し、好意を伝えるイベントでヴァレンタインデーのようなものだった。

 そのイベントで渡したプレゼントを食べてもらえると、そのカップルは末永く幸せになるというよくあるタイプの乙女系イベントである。

 その為、この時期になるとキッチンに立つ乙女が増え、甘い匂いを家中に漂わせることが多い。

 が、ソフィーとフレイアの料理慣れしてないコンビの調理場にはそんな甘い匂いなど一切せず、焼け焦げた酷い臭いが充満している。


「おい、なんか臭いんだけど、大丈夫――」

「入ってくんじゃないわよ!」


 臭いに顔をしかめつつ、キッチンの中に入ろうとした王に向かって包丁が飛ぶ。

 壁にビーンと突き刺さった包丁を見て、現場のピリつき具合がわかる。

 何も悪くない少年は腰を抜かしながらも、これ近づいたらアカン奴やと察して逃げ帰って行った。


「いいんですかフレイアさん? プレゼントを渡す相手にそんなことをして」

「ちょっと何言ってるかわかんない。これアタシが食べる用だから。全部アタシ用だから」

「そんなに食べると豚になりますよ? 何作ってるんですかそれ?」

「パイよパイ。アップルパイ……ってかあんたこそ何よ、ちょっと前までわたしは食べる専門ですって豪語してたところじゃない」

「そ、それは心境の変化と言いますか、ようやくレースに参加するふんぎりがついたと言いますか……」

「まぁ、あんたには負ける気しないけど」


 フレイアはソフィーの前に置かれたヘドロの塊みたいなチョコを見て小さく笑う。


「人の事言えるんですか。さっきオーブン爆発してましたよ」

「ぐっ……うるさいわね。ちょっと火加減間違っただけでしょ」

「その火力は正義だみたいな発想やめません? 中華じゃないんですよ」

「ヘドロに言われたくないわよ!」

「ヘドロじゃないです! 顔です!」

「どんだけ憎しみこもってたら、こんなダークマターみたいなのができあがるのよ!」

「酷い! 大体あなたもクロエさんに頼りっきりで、わたしと同レベルじゃないですか! 何回パイ爆発させてるんですか!」


 そんな二人を尻目に銀河はお手製パンナコッタにストロベリーソースをかけ、ミントの葉を上にのせて小さくほほ笑む。


「ウフフフ、特製パンナコッタができあがりました。あ、あとはハートを描いて……」

「よくできてるじゃない」

「ふわっ!?」


 いきなり後ろから声をかけられ、肩をビクつかせる銀河。しかし褒められて嬉しかったのか照れ笑いを浮かべる。


「そ、そうですか? ありがとうございま――」


 お礼を言おうとして、自身の作ったパンナコッタの皿がなくなっていることに気づく。


「あ、あれ?」

「やだ、超美味しい」

「悔しいですけど、お店屋さんレベルですね」


 フレイアとソフィーが普通に食っていた。


「ふわあああっ! そ、それはお館様の為に……」

「美味しかったけど……75点ね」

「そうですか? わたしは70点くらいです」


 あれだけ美味い美味いと言いつつ、辛口レビューをされて更にがっくりと肩を落とす銀河。

 100%二人の負け惜しみなのだが、銀河がそれに気づく様子はない。

 そんな三つ巴を更に混沌とさせたいのか、レイランやエーリカ、食い専のオリオンたちまでもがキッチンに入ってきて調理を始めたのだった。


「そこのアンデッド、計量カップをとりなさい」

「神経質な女ネ。料理は感覚でやるものネ」

「黙りなさい。フィーリングをアテにするなんて言語道断。仕組みを理解すれば、絶対に失敗しません。このレシピを再現するには1ミリィの分量間違いも許されません」

「お前の作ったもん食べたら頭ハゲ上がりそうネ」

「アンデッド……あなたはなぜ恋夜祭でチリソースを作っているのです」

「ようは美味しいもの食べさせたらいいわけネ。それなら一番自信あるもの作る。これ合理的違うか?」

「なっ……天才か(固定概念を破壊されている)」

「いい加減なだけでしょ。簡単に論破されないでよ」

「ちょっと狭いんですから、もうちょっとスペースあけて下さい!」

「お前のヘドロ、なんか紫のガスでてるネ」

「あの、自分の用意した素材誰か持っていってませんか!?」

「ごめん、それ食べたのあたしだ」


 遅れてやってきたディーが混沌としたキッチンを見て額をおさえる。


「なぜここは戦場みたいになってるんだ。窓をあけろ、臭いが酷い」

「ディー、今来てもディーの場所ないよ」

「私はこうなる前に事前に作ってある」

「さすがディー。ところで皆、それ咲に渡すんだよね?」


 オリオンに言われ、全員がぴたりと手を止める。


「じ、自分用ネ」

「ほ、本機はその……配布用です」

「自分は王様に渡しますよ?」


 そう言って銀河はニコリと笑みをつくる。

 その瞬間周りの女性陣が、裏切ったなこの女と怒りの目で見やる。


「ま、まぁアタシも実はあいつにやろうと思ってたところでさ」

「ふ、ふん、どうせお菓子一つも貰えなくてひもじい思いをしているに違いませんから」


 全員があっと驚く手のひら返しをすると、オリオンは興味なさげにクリームを指でなめる。


「ふーん……別にいいんだけど、さっきウサちゃん軍団が美味しそうなお菓子持って咲のとこ行ったよ」


「「「…………」」」


 キッチンにいた全員がその場で顔を見合わせる。



「はい、じゃあ王君目隠しして~。誰が作ったのか当ててね」

「いや、なんかドキドキするな」


 目隠しされながらカリンとサクヤのバニー軍団が作ったクッキーを一つずつ食べさせてもらう。

 口の中まで指を突っ込まれるので二つの意味で美味しい。

 あぁ女子力高い女の子って良いな。

 カリンとサクヤを両サイドにはべらして、間抜けな顔をしながらあ~んとクッキーをぱくつく。


「美味しい?」

「うん、美味しい」

「じゃあ、これは誰が作ったものでしょうか?」

「う~ん、カリンかな?」

「正解、嬉しい~」


 嬉しいもなにも、作った人が俺に食べさせてくれるので声で丸わかりである。

 カリンにぎゅっと抱き付かれ、多分今、目隠しとったら自分でもわかるくらい気持ち悪いニヤケ面をしていると思う。

 可愛い女の子にお菓子あ~ん、しかもヴァレンタインデーみたいな日に。

 あぁ生きてて良かった。王やってて良かった。

 自身が産まれてきたことを感動していると、騒がしかったバニーたちが急に黙った。


「むっ?」

「じゃあ王様、これは誰が作ったものでしょう?」

「えっ?」


 何かこの場にいてはいけない殺意の波動に目覚めた人間の声が……。


「「「オラァァァッ!!」」」


 ビチャっと、俺の顔面ではじけ飛んだのは熱々のチリソースが入ったパイだった。

 ソファーから転がり落ちてもだえ苦しむ俺に向かって、容赦なくチリパイが投げつけられる。


「あっつ! あっつ! あっつ!!」


 俺の全身をパイまみれにした女性陣は、二度と悪いことすんじゃねーぞと言いたげに帰って行った。

 俺は目元のチリソースを拭い、一体何が起きたのかわからず目を白黒させていると何食わぬ顔をしたオリオンが俺の前にやってくる。


「オリオン……一体なにが」

「ウサちゃんにデレデレしてるから、皆怒っちゃった」


 怒ってても普通王にパイ投げとかする?


「そうか……」


 今度から部屋に鍵かけとこ、と思っているとオリオンが隠し持っていたチリパイを俺の顔面にベチャリと投げつけた。


「誰があたしは怒ってないって言ったんだよバーカ。咲ばっかり良いもの食べて許さないからな」


 オリオンは捨て台詞をはいて部屋から逃げて行った。

 あいつだけなんか意味をはき違えてる気がするが、後で泣かそう。


 その後、彼女達が自作したお菓子や料理などがこっそりと王室に届けられ乙女心に悩ませられながらも、しっかりと全て完食したのだった。

 しかし、ソフィーのチョコだけは細かく砕いてドンフライにやったら泡吹いて倒れたので食うのをやめた。



 死と隣り合わせの恋夜祭の翌日、俺は奇妙な夢の中へと落ちていた。

 目の前には無数の書棚と、シルクハットを被った中性的な少女が一人。

 図書館なのだろうか? 辺り一面書物の山でシルクハットの少女は積み立てられた本の上で、分厚いハードカバーの本に目を落としている。

 ゆっくりと近づいていくと、少女はパタンと本を閉じこちらを見やる。

 モノクルのレンズ越しにルビーのような赤い瞳が煌めく。

 あぁ、悪魔か聖霊かその類だな。最早雰囲気だけで人間じゃないとわかってしまった。


「やぁ王、呼び出して悪かったね」

「はぁ……?」


 呼び出すと言われてもここは夢の中だと思うのが、しかしながら夢を夢と認識できることなんてそうあるものではない。

 よってこれは眠りに落ちたのではなく、意図的に彼女にここに呼び出されたとみるべきだろう。


「僕の名は……名前なんてないんだけど、まぁブックマンとでも呼んでほしい」

「はぁ、そのブックマンがなぜ夢の中に呼び出したんだ?」

「警戒しなくていいよ、悪い話をしに来たんじゃないから。神様って知ってるよね?」

「あのふざけたドラゴンだろ?」

「アハハハ、僕の口からとてもそんなこと言えないけど、まぁ彼の部下みたいなものなんだ」

「ってことは神か」

「そんな大それた力はないけどね。僕はただ物語を読むだけのモノだから」


 そう言うとブックマンの読んでいた本が中空に浮かび、ページが開かれると、そこにはフレイア、ソフィー、銀河の姿が描かれている。


「僕は心に芽生えた絆によって力を与えるものなんだ。与えた力によって君の仲間は更に強くなり、また新たなエピソードが産まれることだろう。この三人の姫と君との間に強い絆を感じる」


 開かれた本が淡く光り輝くと、その光は俺の体の中へと吸い込まれていく。

 するとスマホから音声が響いた。


[キャラクターが新スキルを習得しました]


 なんだこれと思い、驚いて画面を確認すると、チャリオット一覧に変化がある。

 フレイア、ソフィー、銀河に[!]マークがついており、それぞれ詳細を表示させると


フレイア

[スキル:不死鳥を習得]


ソフィー

[スキル:ホーリーシールドがイージスシールドへと強化]


銀河

[スキル:超忍招来を習得]


 と表記されている。


「これは……」

「絆が与える新たなる力の解放だよ。君にはそうだね」


 ブックマンが本を開くと、また淡い光が漏れ、俺の中へと入り込む。


[スキル:チェンジを習得]


「フフッ、大サービスだ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるブックマンだが、何をされたのかさっぱりわからない。

 俺はもう一度スマホを確認すると、スキルの中にチェンジという項目が増えている。しかし説明には【剣影に姫の能力を付与する】としか書かれていない。

 なんて優しくない説明文なんだ。


「そのスキルは使って覚えるといい。じゃあ、これで僕は消えるよ。新しい物語を期待してる」

「ちょっと待って。ほんとにお前はなんなんだ!」


 ハンカチをヒラヒラさせながらバイバイと言うブックマンに、手を伸ばしながら意識は覚醒していく。


 不意に目が覚めた。

 辺りを見渡すと、恋夜祭明けのせいか複数の女の子が折り重なって寝ている。

 しがみついているオリオンをのけて、スマホの画面を確認すると、そこには先ほど見た夢と同じようにフレイアたち三人には新たなスキルが。

 そして俺にはチェンジというよくわからないスキルを習得したと表記されていた。



 理想の彼氏     了

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