第121話 その男、茂木剣
「どうすりゃいいんだ!」
「とにかくこの病院から抜け出さんと! 戦うにしても、こんな狭いところじゃ戦えへんよ!」
「戦う!? 百目鬼さんそれ本気で言ってる!?」
後ろから障害物をなぎ倒しながら進んでくるコキュートスのプレッシャーに、二人は足を止めている暇なんてなかった。
二人は階段を駆け下り、急いで出口へと走る。
途中見つけた出口はことごとく鍵がかかっており、二人はエントランスを抜けた中央出口まで追い込まれていた。
しかし到着した中央出口も他と同じように、自動ドアが固く閉ざされている。
後ろからガッシャガッシャと音を響かせながら、巨大な骸が追ってきているのがわかる。
「なんであかへんの!」
真凛はダンダンと自動扉を叩くが、まるで石壁のようにビクともしない。
「百目鬼さん、どいてくれ!」
茂木は近くにあった重量のある椅子を担ぎ、自動ドアへ思いっきり投げつける。
だが、自動ドアはたやすく椅子をはじき返してしまう。
「嘘やろ、ヒビどころか傷一つ入ってへん……」
「畜生!」
茂木は二度、三度と椅子を担いで体当たりするが、自動ドアには歪み一つおこらない。
真凛が近くの窓を開けようと試みるが、鍵を外したのにも関わらず開かないのだ。
「窓もあかへん!」
「閉じ込められたってのか!?」
二人に骸の怪物が近づいてくる。
「私ハ願ッタダケ……私ハ悪クナイ……悪クナイ悪クナイ!!」
発狂した骸は巨大な腕を振り回すと、エントランスに並んでいた待合用の椅子が横薙ぎに吹っ飛ばされ、茂木の頬をかすめていく。
空洞になった頭蓋に青白い炎を灯し、呪いでもばらまいているのではないかと思うおぞましい眼光で二人を睨みつけ、徐々に近づいてくる。
「うああああっ!! もうダメだ殺される!」
茂木は頭を抱え、その場でしゃがみこみ小さくなって震える。
「あかんで茂木君、こんなところで止まっ……、キャァッ!!」
コキュートスの振るった長い腕が当たり、真凛は丸太で殴られたかのように吹き飛ばされ、壁に激突し、力なく腰を下ろす。
強く背中を打ちつけ、肺から空気が逆流し激しくむせる。
目の前には不気味な頭蓋が揺れている。即座に立ち上がって逃げなければ、そう思ったが彼女の背に強い痛みが走り、動くことができない。
「あぁ……あぁ百目鬼さん……」
「逃げて……茂木君……」
「あ……あぁぁ……うあああああっ!!」
茂木は壁に打ちのめされた真凛を放って、全力で逃げ出したのだ。
他者から見れば卑怯者と罵られる行為であろう。だが、何の力も持たない高校生が巨大な怪物と対峙した時、死の危険が間近に迫っているとわかっていて逃げ出すことを卑怯者と呼べるだろうか。
明確に死ぬとわかっている場所に助けに行く行為は、それができる力があるからこそ勇気と呼べる。
しかし、何の力もない人間が助けに入って共倒れするのはただの蛮勇である。
茂木剣という少年は己の力を誰よりも理解している。
人という生き物は、自身より巨大な生物には基本的には勝てない。
相手の構造、弱点を知り、己自身の運動性能が高ければチャンスはあるかもしれないが、無論彼にそんな秘められたポテンシャルは存在しない。
「畜生、畜生、畜生! 俺はな、梶みたいにわけわかんねぇ魔法なんか使えねぇんだ! 一般ピーポーなんだよ。それがなんでこんな目に!」
眼鏡の下に涙を溜めながら、茂木はベソをかきながら走る。
彼の知っているマンガやアニメのヒーローはこんなとき恐れずして立ち向かい、ヒロインの少女を助けるだろう。だが、それは主人公に特殊な能力が備わっているからこそ出来る芸当であり、RPGなら村人Aにすらなれないだろうと自覚している少年は、ただただ逃げ回るしかない。
昔、彼は山で巨大なクマと遭遇したことがある。その時も似たような恐怖を味わった。
冬眠あけで機嫌の悪い熊は、彼を捕食の対象として捉えると、二メートルにもなる巨躯を持ち上げ彼に爪を振るった。
その時祖父が身を呈して守ってくれたのだ。それ以降祖父は足が悪くなった。
だが、杖を手放せなくなっても祖父は今でもそのことを武勇伝のように語るのだ。
彼は祖父に聞いた「なぜ危険な目にあっても、助けてくれたの?」と、すると祖父はすき間だらけの歯を見せて、こう言った。
「剣坊、お前の名をつけたのはワシじゃ。ワシは男は心に一本の剣を持って生きていかんと思っておる。その刃をどこで抜くかはわからん。かくいうワシも今まで剣を抜けずに生きてきた。しかし、あの時抜くことが出来て本当に良かったと思っとる」
その時は言葉の意味がよくわからなかったが、なんとなく印象的で今でも覚えている。
祖父は最後にこう付け加えた「人間は自然と危険を回避する生き物じゃ。しかし、その怯え、恐れを勇気で克服できる生き物でもある。お前にはそんな
「無理だっての……。熊と怪物じゃ、全然違いすぎる。情報もないのに戦うのはただのバカだ……」
それ以前に戦うなんて思考がバカだ。あんな重機みたいな怪物とやりあって勝ち目があるわけがない。
骸の怪物は追って来ない。それが意味することは、即ち真凛に標的が絞られたということ。
今ならどこかに逃げ道を探すことができる。そう思った。
直後何かが壁をひっかくような耳障りな音と、骸の叫び声が聞こえてきた。
嫌な想像が頭によぎり、茂木の額に汗がにじむ。
「畜生、動け。もう逃げ出しちまったんだ。今更戻ったところで百目鬼さんは、もう……」
コキュートスは倒れ伏した真凛の体を掴み上げると、その体を徐々に凍結させていく。
「うっぐぅ……動け……へん」
パキパキと音がして、指先から凍り付いていく。生きたまま氷漬けにされる恐怖。だが背中を強打した真凛は抵抗することすらできなかった。
「茂木君……梶君を呼んで……」
彼女が意識を失いかけた瞬間だった。
突如コキュートスの頭蓋に消火器が命中し、骸はゆっくりと首を上げる。
そこには顔面蒼白の少年が、脚を震わせながら立っていた。
「何やってんだ俺」
骸の怪物と対峙し、恐ろしさから奥歯が震えてくる。何にもしてないのに既に半べその状態だ。
だが、茂木剣はその場に立っていた。
歯を食いしばり、腰を抜かしそうな恐怖に抗い、男はそこに立っていた。
「俺の名は茂木剣! ど、百目鬼さんを離せ!!」
震える唇で精一杯強がって見せる。
だが、コキュートスは茂木を一瞥するが相手にせず、真凛を凍らせていく。
「やめろって言ってんだろうが!!」
茂木は地に根付いてしまったように、動かない足を無理やり上げる。
そして、その手にモップの柄を持って全力で走る。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
コキュートスの巨体を駆けあがり、頭蓋を渾身の力で殴りつける。
すると、いとも容易くモップの柄はへし折れてしまった。
「うぉぉぁああああっ!!」
茂木は折れた柄を放り捨て、頭蓋にしがみつくと、自分の拳なんて構わず渾身の力をこめて殴る。
「うぉぉぉおおおおおおおっ!!」
怯える心を雄たけびで鼓舞し、震える唇をきつく結ぶ。
ガツンガツンと殴り続けると拳から血が滲みでていた。
岩石を拳で殴りつけるかの如く、コキュートスの頭蓋はビクともしない。
だが、茂木の捨身の行動は決して無意味ではない。
コキュートスは真凛の体を放り投げると、茂木に骨と化した巨大な腕を振るう。
「負けてたまるかぁぁぁぁぁぁっ!!」
吹き飛ばされ壁に背中を打ちつけ、血反吐を吐くが、真凛が逃げ切るまで彼は特攻をやめはなしない。
彼は己の力を冷静に理解している。相手の情報を持たずして勝利はありえない。これが彼の座右の銘であり、常日頃から情報収集を怠らないのは、弱い自分を少しでも有利に立たせる為の行為である。
無策でこんなことをすれば自分がどのような結果になるかはわかっている。その無様な様は、彼が一番忌避する行為である。
「そんなことは百も承知の上なんだよ!!」
ここで逃げたとしても誰かが彼を咎めることはないだろう。
きっと誰もがしょうがないなと言ってくれるだろう。
だが、彼はどうしても。
男なのだ。
誰もが許してくれようと、ここで逃げたら自分が自分を許さない。
血の滲む拳を叩きつけ、先ほど逃げてしまった自分を打ち砕くように戦うのだ。
「茂木君!」
「百目鬼さん、逃げるんだ! ここは俺が食い止める!」
「茂木君、上っ!!」
コキュートスの腕ばかりに気をとられていた茂木は気づかなかった。
自身の頭上に鋭利な氷の塊が形成されているなんてことを。
コキュートスが腕を振り下ろすのと同時に、茂木の体と同程度の質量を持った氷塊が降り注ぐ。
茂木は身をそらしてかわすが左半身の回避が遅れ、左手が氷塊によって圧潰される。
「あ゛あ゛あ゛ああああっつ、ぐあああああああっ!!」
痛みは一瞬遅れて、全身へと伝達される。激しい痛みに目の奥がチカチカとする。
傷口は冷たく、しかし痛みは激しい熱を持つ。
だが、それよりも唐突に左手の神経が途絶えてしまったことに脳が混乱している。
氷塊の真下には潰された自分の手がある。
腕は鋭利な刃物に切断されたように千切れ、とめどなく赤黒い血が氷塊に流れた。
「畜生がぁぁぁぁぁっ!!」
砕けた氷塊を剣の代わりにし、骸の怪物と対峙する。
頭から流れた血が片目の視界を奪う。
コキュートスがカタカタと震える口を開くと、強烈なブリザードが襲い、茂木の足を凍てつかせる。
彼の動きを封じた直後、羽虫を叩き潰すかのように拳が振り上げられ、茂木は覚悟を決める。
「ハイドロ……キャノン!」
真凛の歯を食いしばるような低い声が聞こえた直後、突如強烈な水流がコキュートスの体を壁際まで押し流す。
見ると、そこには青く透き通る結晶石を手に持った真凛の姿があった。
「ハァ、ハァ、ハァ……舐めるなよ。ウチかて、”チャリオット”の一人や」
「アアアアアアア、アアアアアア!!」
コキュートスは怒っているのか、怨嗟のような声をあげると周囲を凍てつかせる。
急速に壁が凍り付き、天井には鋭利なつららが下がり、氷結の処刑場が出来上がる。
真凛をターゲットにしたコキュートスは、さきほどまでの緩慢な動きではなくなり、氷の上を滑りながら突撃してきたのだ。
あまりにも一瞬だった。
真凛は氷の上を滑って来るダンプカーのような怪物をかわす術がなく、壁とコキュートスの体に挟まれてしまったのだ。
ズンと重く響く音、病院全体を振動させるような強烈な体当たり。
圧倒的な質量を前に、人間の体なんて紙切れに等しい。
一瞬遅れて衝撃による冷たい風と共に、血なまぐさい臭いが茂木の鼻を衝く。
壁からは彼女の血が流れ、氷上に血だまりを作る。
「あ、あぁぁあぁぁぁぁっ」
茂木の頭が真っ白に染まる。
目の前で友人が事故にあった現場を目撃してしまったように、血の気が引き、指先が震える。
「うああああああああああっ!!!」
少年の叫びと共に、ポケットから強い光が漏れる。それは白銀の爺から受け取った駒の光だった。
自身の前に浮かびあがった、眩い黄金色に輝く駒をとり、少年は力を解放する
「
茂木の持つスマホが輝き、右手にスマホを、失った左手のかわりに噛み砕くようにして駒を咥え、画面に鍵へと変形した駒を突き刺す。
[
機械音声が響いた直後、引き裂かれた腕が再生し、彼の手には二本のバチが握られていた。
天下御免と刻印されたバチの先には火皿がついており、正確にはバチではなくキセルのようだった。
だが、そのあまりにも丸く大きい金属の火皿はドラムを叩くバチと間違えられてもおかしくはない。
茂木は割れてヒビの入った眼鏡を持ち上げ、クルリとキセルを回し、中空を叩く。
ドンっと空気が振動し、低い音が鳴り響くと、直後離れた場所にいたコキュートスの体が吹き飛ぶ。
まるで太鼓でも叩いているかのような重低音。
キセルから響き渡る音が衝撃波となり、コキュートスの体は吹き飛んだのだ。
「おぉぉっ!!」
茂木が太鼓を連続で叩くようにキセルを振るうと、ドンドンと響く重低音と共に音の衝撃波が連続で飛び、コキュートスの体を砕いていく。
壁からコキュートスの体を引きはがすと、すぐさま真凛のいた場所に駆け寄る。
すると、そこには水のバリアに守られる真凛の姿があった。
「百目鬼さん!」
「茂木君……」
なんとか一命をとりとめている。だが、わき腹から大量に出血しており、彼女の顔色は急速に色を失っていく。
時は一刻を争う状況だった。
「任せてくれ、あいつは俺がなんとかする」
「無茶したら、あかんよ……」
茂木は吹き飛ばされ、荒れ狂うコキュートスを見やり、もう一度眼鏡のつるを持ち上げる。
悪夢のように荒れ狂う骸の怪物は、頭部の青い炎を揺らし、矮小な人間を睨み付ける。
それだけで震えあがってしまいそうだ。だが、茂木剣という男は既に心の剣を抜いたのだ。
自分も重傷を負っているにも関わらず、その脚に怯えは既になし。
戦う覚悟はとうに完了。
音撃のバチは金色に淡く揺らめく。
「俺は強くはねぇが、俺の音はちょっとだけ響くぜ」
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