占星術との出会い・そして未来

アストラルツインと星占いの意味

 昨年12月に自伝エッセイ『午後には陽のあたる場所』を出版された、同じ生年月日である菊池桃子さんを特別意識したわけではないのですが、自分もこちらのカクヨムのエッセイ作品群に触発されて?自分自身にも書きたいことが山ほどあるだろう?「あるあるある――!」みたいなノリと勢いで(笑)。


 占星術的には(生まれた日にちが全く同じ人のことを)「アストラルツイン」と言うのですが、文字通り星の世界での双子……。私と桃子さんは出生時刻もそれほど違わないので、まさしくそうであるはずなのですが、あちらは輝かしい世紀の元トップアイドル。そしてこちらは無名も無名そもそも未だ人生的底辺を迷走中のダメダメな精神疾患持ちと、面白いようにこうも人生が違う。


 でも、そんな世俗的な成功だとか失敗?などが何の意味を持つ――要は人それぞれ、生まれた場所や両親などが異なるように、たとえ同じ日同じ時間に生まれたとしても、まったく同じ人間がそこにポンと生まれ出るわけでは決してなく。生年月日や出生時刻がほぼ同じでも、周囲の環境や育っていく過程で、その時々に本人が選び取っていく人生上の選択や経験によって、いくらでも運命というものは変化する。


 つまりは、そういうことが言えるのだ。人によって考え方が違えば、その価値観も、そして単に気の持ちようによっても、よくも悪くも……。確かに人生上のおおまかな傾向だとか、性格やものの好みなども、幾らかは共通点があったりするのでしょうが、それでもそれも微妙に違ってくるのが面白いところで。


 実は私は今まで桃子さんの出生時刻を午前8時38分頃と認識しており(単なるネット情報でしたので正しくなかったのか)でも御本人の上記エッセイにて「9時を少し回ったところ」と表記されているのを読んで、思わずあちゃー!?と。因みに、ホロスコープ出生チャートにて本人のMCつまり10室の始まる境界線(カスプ)が桃子さんは、これまで魚座だと思っていたのが、その記述が正しいとすれば、次の星座の牡羊座へと移ってしまう。


 それほど、実際の星読みで扱うホロスコープというのは細密に出来ており、ほんの数分生まれ時刻が違えば、ネイタルチャート(出生時刻と生まれた場所の緯度経度を加味して算出した「ほんまもんのホロスコープ」)における12のハウス境界は勿論のこと、その中でも最も重要なMCやアセンダントなども如実に異なってきてしまう。


 MCは天頂を意味し、そのはじまりを戴く10室は「キャリア・社会性・天職」などのエリアを司っており、文字通りその人がどういった社会的成功を収めていくのか。その人生上の頂点である天のいただきが、どんな性質でどのようなドラマを形作っていくのか――そういったことをハウスが入っているサイン(星座)や実際に入っている惑星などがあれば、それらから読み取っていくのですが。


 特に魚座と牡羊座では大きな違いが。ともに12星座(サイン)の終わりとはじまりの、ちょうど境界線でもあります。魚座は海王星が支配星ルーラーで、いかにも人々の夢や憧れを喚起し体現するアイドルそのもの、といった感じだと思っていたのが、もし本当に桃子さんのMCが牡羊座なのだとしたら。


 牡羊座は物事のはじまりを示す12星座のトップバッター。暦上でもちょうど春分点である3月20日頃で、占星術の世界においては、その春分点こそが一年のはじまりであり、その年の年運を占う際にも、その春分点ちょうどの星配置を示した「春分図」が、その一年間の性質を最もよく表しているため、それを見て考慮します。


 12星座(サイン)の最終章である魚座。そして同じくそのはじまりのスタート地点を示す牡羊座。両者のあいだには、まさしく「終わりとはじまり」の境界の大きな転換点が存在します。人の一生に例えれば、それは死の世界と生まれる瞬間。だから最終星座である魚座には、そういった諸々死生観をも含んだ、あの世的な世界があり、同時に牡羊座には、まさに人が生まれ出る瞬間の、すべてのものを超越した最初のパワーそのものが、そこにギュッと凝縮されています。それはまさに宇宙のはじまりを示す「ビッグ・バン」そのもの。


 生とは無から生まれるのではなく、そういった死という世界や生まれる前の世界があるから、回り回って生まれてくるものなのだといった、それは些か輪廻的な考え方かもしれませんが、如実に両者の間には、そういったひと続きの連続性があるように思います。


 同じ生年月日の桃子さんと私自身が文字通りこうも異なるのは、半ばその魚座と牡羊座ほどの、あまりに大きな隔たりが成したことなのだと、今までずっとぼんやり思ってきました。でも実際は、そうではなかった。結局は私は彼女とそれほど違わない、同じスタート地点に立っていたかもしれなかったのに。


 それほどまでに、生と死ほどに違う、この落差ギャップを大きく実感していた私自身のこの落胆こそは、本当は考え違いも甚だしく、ただ自分勝手に激しく思い込んでいただけのもので、何も自分自身を卑下することも、そしてその逆もなく、あるのは誰しも特別に選ばれた者でも選ばれなかった者でもなく、ただどう生きたか、そしてどう考えどう行動したか……という究極の自分自身の選択にしかありえないのだという結論に。


 その意味では大きく考えれば、そもそも占いなどに頼ることなど意味のないことで、私自身もあまりそれにどっぷりなのもいかがなものかと、一時期占い全般から距離を置いていた時期などもありました。でも、最終的に「そうではないんだ」と思い至り。星占いや占星術のホロスコープ自体が指し示す事柄というのは「当たる当たらない」という単純なコトがすべてではないのは勿論のこと、もっと許容範囲の広い、どんな解釈も星を見る人によって可能な、そんな変幻自由なものであるのだと……。


 じゃあ基本的な12星座などの傾向やベースとなる占星術のことわりさえ抑えておけば、おそらくどんな世界でも表現することが可能!?――といった、ひょんな閃きから、自分なりの新たな占星術の世界を生み出していこうというのを思いついて。なんと星占いと音楽とを組み合わせた「占星音楽(ほし・うた・うらない)」プロジェクトを立ち上げるべく、今現在、実際に音楽(作曲)の勉強を密かに始めてみたり、占星術自体も基本的な復習&再編から始まって、そしてそれをどうポエティックに自分の言葉に変換するか……という大それた計画をおっぱじめたばかりではあるのですが。


 それについては、また後ほど詳しく書いていきたいと思いますが、某占星ライター石井ゆかりさんの日夜書かれる「星の言葉」がおそろしくポエティックなので、ああぶっちゃけこれならマジいける、と思ったのが最初の切っ掛けだったかもしれませんが、そもそも歌も占いも海王星の管轄で、その大いに詩的にも表現できる星占いの世界と歌の言葉(作詞)とに、それほど大きな違いはないのではないか?そう思い至ったのが、そもそものはじまり。


 占いというと極端に拒否反応を示されたり、文字通り当たる当たらないの一点だけで解釈されがちですが、少なくとも西洋占星術の世界はそうではない。いや、むしろすべての占いが、そうなのではないか?……すべては表現そして、それをもたらすインスピレーションが大きくものを云う。実際、星の言葉を言い表す、その表現自体が詩的リリカルであったり反対に論理的ロジカルであったり、まさしく占星術師の方々によって様々なのですが、じゃあ自分はそれを歌(音楽)にしてしまおう!


 ――実に乱暴な話ではあるけれど(笑)思い立ってしまったものは、もう仕方ない。ということで、桃子さんと同じくMC星座が牡羊座であるパイオニア(開拓者)精神そのものの、私自身の無謀な星占い音楽への道のりは、今まさに始まったばかりなのでありました。

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