第八場 スポットライトに照らされて
緞帳が降りると、拍手が聞こえる。人数が少ないように思えるのは、劇の出来のせいではなくて、朝一で人が少ないのだと思うことにする。
ともかく、ミスもなく無事終わった。本番でミスがひとつもないなんて奇跡だ。どれだけ稽古を繰り返しても、本番で台詞が飛ぶことは少なくない。今回、悠基の頭の中から台詞がすっぽり抜け落ちることだって想定していた。それでもどんな場面でも私と美香ならアドリブで乗り切られる自信があったけど。だけど、そんな心配はまったく必要なかった。悠基は登場から既に落ち着いていた。本番直前のあのガッチガチの緊張はなんだったのかと言いたくなるくらいに。
「バラシ、急げよ」
調光室から降りてきた古賀先生が抑えた声で急かす。
「はいっ!」
私たちも声帯をあまり震わせない返事をする。
次の学校との入れ替え時間は二十分。前の学校が十分でバラシて、次の学校が十分でセッティングするのだ。
私たちはセットがほとんどないから、五分ほどで舞台裏に運び出した。
次の学校は女子校で、結構お金がかかっていそうなドレスみたいな衣装を着た集団が廊下で待っていた。私たちが出ていくと、「お疲れ様でした」と声をかけてくれる。私たちも「頑張ってください」とか挨拶をしながらすれ違う。
この会場で上演する学校はみんなライバルだけど、本心から頑張ってほしいと思う。自分でも不思議なんだけど、失敗すればいいのに、とかは露ほども思わない。もちろん勝ちたいのはやまやまなんだけど、それよりもいい劇がたくさん生まれてほしいと思っちゃうんだな。
外に運び出すと、既に古賀先生が軽トラを出して待っていた。
「こっちはもういいから、会場へもどれ。ほかの学校の劇も絶対に観ておいたほうがいい」
私たちは遠慮なく先生の言葉に従うことにした。本当はすぐにでも今の劇のダメ出しをしてほしかったけれど、ほかの学校の劇を観ておくことが大切なのもよくわかる。自分たちの劇だと気付かないことでも、ほかの劇だと結構目につくこととかもある。こう言ったらいけないんだろうけど、つまらない劇の方が勉強になる。
どこがいけなかったのか、観ていると案外よくわかる。でも、やっている方はわからないから、そういう完成になっちゃったんだろうな、って思う。
軽トラに乗り込んだ古賀先生は、運転席の窓から少し乗り出して、声を張った。
「十一月までにブラッシュアップしなきゃならないんだから、しっかり見ておけ」
そして、私たちが返事をする間もなく走り去る。
十一月――古賀先生は県大会にいくつもりでいる。
私たちの次に上演している女子校の劇は、もう後半に差し掛かっていたようで、ストーリーがわからないまま幕が降りた。
その後の上演校については、きっちりすべて観劇した。
定時制高校も出場していて、ここはいろんな年代の人がいて、ほかの学校とはまったく雰囲気が違った。作品も創作脚本で、あえて大人が出てくる設定にしたんだな、と思った。特に演技の上手い人はいないんだけど、自分たちの劇をやっているって感じが伝わってきた。
演じるとはいえ、やっぱり高校生が違和感なく化けられるのは限度がある。大人の役をやるところもあるけれど、それってやっぱりキツイと思う。特殊メイクじゃない限り、素人メイクじゃ見かけが若すぎる。すごく頑張っている感じが気になってしまう。たとえそれが上手かったとしても、そのことに感心して、その役者にばかり目がいってしまう。
古賀先生が高校生の設定にしたのも、このあたりにあったのかもしれない。古賀先生はあんまり細かく説明しないから、こういうふうに後になってからわかることが多い。初めから言ってくれればいいのに、とも思うけど、自分で気付いた時の方が納得できるのも確かだ。過去の下郷高校演劇部が強豪といわれたことが、最近わかる気がしてきた。
全校の発表が終わると三十分の休憩になった。この間に審査員が最優秀校と優秀校を決めるらしい。客席は昨日発表が終わった学校の人とかも来ていて、ざわめきの中に緊張感が見え隠れする。
「ちょっと出ない?」
上辺の明るさと裏腹の会場の空気が重くなったのか、葵が息苦しそうに胸に手を当てて、ロビーの方を指さした。私たちは喜んで賛成する。私だって息がつまりそうだった。座りっぱなしで腰も痛いし。
ロビーはあまり人がいなかった。私たちは冷水器で順番に喉を潤し、ようやく現実世界に戻ってきた気分になった。
演劇はもともとは宗教的儀式が起源だという説もあるくらいだから、劇の内容に関係なく、どこか異空間に飛ばされている感じがする。それを五本も連続で観たのだから、魂がすり減った気すらする。
結果発表があるとのアナウンスが入り、会場に戻ろうとした時、喫煙所に古賀先生の姿を見つけた。
「古賀先生、結果発表が始まりますよ」
私が離れた場所から声をかけると、美香や葵は「え? いたの?」「気付かなかった」と口々に呟いた。悠基はじっと古賀先生を見つめている。
古賀先生は、いきなり声をかけられたのに驚いた素振りも見せない。先生は私たちがロビーにいるのを見ていたのかもしれない。
「お前らだけで聞いて来い。俺はまだ煙草吸っているから」と、指に挟んだ煙草を掲げてみせる。
「煙草なんて、また後で吸えばいいじゃないですかぁ~」
美香の誘いにも「いいから、いいから」と手を振って追い払うしぐさをする。
会場からマイクを通した話し声が聞こえ始め、私たちは古賀先生を置いて慌てて客席に戻る。
『最優秀校は「未来裁判」を上演しました
客席の後ろの方の五十人はいそうな私服の集団が歓声をあげる。
やっぱりな。昨日ダントツに上手かった学校だ。
県大会に行けるのはあと一校。優秀校に選ばれないと、ここまでだ。
私たちは壁際の通路に立ったまま舞台上の審査員を見つめる。
今日観た中では定時制の高校が一番よかったと思う。上手くはないけれど、劇のバランスがとれていた。演技は秋までにどうにかなるかもしれない。あとは今日見損なった女子高と、昨日観れなかった学校の中にどんな劇があったかによるだろう。
『優秀校は――』
再び静まり返る会場。高まる緊張。空気がピリピリと肌を射す。
……ヘックション!
派手なくしゃみが鳴り響き、一瞬の間ののち、会場が爆笑の渦に巻き込まれる。くしゃみの当事者、悠基は耳まで真っ赤になって俯いている。……緊張のあまりくしゃみが出るって、どういう特異体質よ?
一気に会場の空気が緩む。
そうだよね、もう結果は決まっているんだ。私たちはそれを聞かされるだけ。今更緊張しても結果は変わらない。
優秀賞を取れても取れなくても満足――なんて綺麗ごとは言えない。満足なんてできない。もっと、もっと、と強く求めてしまう。あの板の上を。あの光の許を。
文化祭から始まった下郷高校での演劇が思い出される。中学の時のようなしっかり組織だった立派なものではないけれど、ひとりひとりがとても重要な劇をやってきた。演劇は総合芸術で、みんなの力が合わさって出来上がることを実感した。
私がステージに立つのは、みんなの努力を表現するため。
私がステージに立てるのは、誰かがスポットライトで照らしてくれるため。
私が演劇をやっているのは、私が私であるため。
みんなの中にいられる私であるため。
『えー、では、改めまして、結果発表です』
クスクスと忍び笑いが客席に起こる。とうとう悠基はしゃがみ込んでしまった。
「ただでさえ男子が少ないのにー、どんだけ目立ちたいのぉ?」と笑いを含んだ美香を葵がやはり笑いながらたしなめる。さらに縮こまる悠基。その姿を見て、私も笑いながら顔を上げると、ロビーへ続く扉のところに古賀先生の姿を認めた。固い表情で壇上を睨むように凝視している。
『最優秀校は「ここにいるよ」を上演しました下郷高校です』
悠基がバッと勢いよく立ち上がる。美香と葵の笑顔が一瞬消えて、すぐにさらに大きな笑顔になる。私は妙に凪いだ気持ちで仲間たちを見つめていた。と、その時。
「……よっしゃー!」
恐ろしくよく通る声が会場中に響き渡った。全員が声のした方を見やる。そこにいたのは、拳を高く突き上げる我らが顧問、古賀先生。再び会場に笑いの渦が起こる。
「ああ……あそこにも目立ちたがり屋の男子が……」
葵の呟きも笑い声にかき消される。
なんとグダグダな……。思わず苦笑する。
だけど、これで県大会に行ける。
そしてなにより大切なのは、この仲間で切り開いた道だということ。この仲間と一緒に演劇をやっていく。
私はここにいる。ここにいる仲間と、応援してくれる人たちに支えられて、私はここにいる。
私は――私たちは、ここにいる。
いつもどこかで支えてくれる誰かのスポットライトに照らされて――。
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