第六場 開演前
地区大会当日は現地集合。
私たちの会場は下郷高校の隣の区の公会堂。隣の区といっても美香や入江の出身校の海浜第一中学校の近くだから、ちょっと身近に感じる。
ウチの劇の大道具はほとんどなくて、ベニアで作ったドアだけ。それと劇のために作った制服。自分たちの制服でもいけなくはないけれど、それだとどうしても実在の学校のイメージが強するぎるから、リサイクルショップで見つけた制服をちょっとだけリメイクした。あとはセットが壊れた時のための工具箱くらい。
これらは前日にレンタルした軽トラックに積んで下郷高校に置いてあって、今日、古賀先生が学校に寄って運転してきてくれることになっている。
会場でのリハーサルは先週三十分だけやった。ゲネプロみたいに通しでやる時間はないから、照明の確認や、きっかけ、立ち位置の確認くらいしかできなかった。
あ、あと、少し台詞は言ってみた。会場によって声の響き方が違うから、ボリュームを確認しておかなくてはならない。それでも当日観客が入ると、空席の状態より音が吸収されやすくなるから、リハより大きな声ではっきり発声しなければならない。
意外なことに悠基の声は結構通る声で、客席の一番後ろで聞いていた葵が両手で大きな丸を作って、みんなで思わず拍手をした。
地区大会から県大会に行けるのは上位二校だけ。最優秀賞と優秀賞。
土日で十四校出場するから、その中の二校になるのは簡単ではない。しかも他の学校はウチよりも人数が多いし、継続的に出場しているから勝手もわかっている。
私はまだ高校演劇の大会を動画でしか見たことがないけれど、ダンスとかも入っていて、プロの小劇場演劇みたいだった。その動画は全国大会のだったから、この会場でそんなすごい学校があるかどうかはわからないけど。
下郷高校の発表は日曜日の一校目。あと一時間で本番。
昨日は軽トラに大道具とかを積まなくちゃならなかったから、午前中の発表だけ観て、下郷高校に向かった。
どうしてそんな強豪校と地区大会で当たっちゃうかな。しかも十四校中、創作脚本は晴嵐高校と下郷高校の二校だけ。晴嵐高校の最優秀賞はかたいだろうから、狙うは優秀賞。
でも、創作脚本の二校が選ばれるってあるのかな? なんだか不利のような気がしてしまう。それに朝一番の発表っていうのも、まだ観劇するリズムになっていないんじゃないかと不安になる。トリに近い方が有利なんじゃないかな。――なんて、小さなことまで気になってしまう。
本当はちゃんとわかっているんだけど。そんなこと関係ないって。それでも気になっちゃうものは仕方がない。
公会堂の裏の搬入口に行くと、もうみんな集まっていて、軽トラから荷物を下ろしているところだった。
「おはようございます」
走り寄りながら挨拶をする。みんなが口々に「おはよう」と返してくれた。
「遅くなってすみません」
とりあえず古賀先生に向かって頭を下げる。
「大丈夫、大丈夫。まだ集合時間前だよ。こいつらが早いんだって」
「そういう古賀先生が一番乗りだったじゃないですかぁ」
「俺は渋滞すると困るから早めに出たんだよ」
荷台に乗せていたものをその場に降ろし終えると、古賀先生は「駐車場に入れてくるから」と軽トラに乗り込んだ。私と悠基で大道具のドアを持って、美香と葵で工具箱や衣装なんかを分けて抱えた。
搬入口のエレベーターの中はとっても広くて、私たちは落ち着かなくて壁際に張り付いた。ベニアと角材で作った高さ
荷物を舞台袖に運び入れ、衣装やメイク箱は楽屋に持っていく。楽屋は大部屋で、ほかの学校とも共同で使うけれど、朝一だからまだ誰も来ていない。私たちは着替えを後回しにして、舞台のセッティングに向かう。
ホールにもまだ誰もいない。舞台袖の空気はひんやり、しっとりとしている。見た目ではきれいに掃除されているのに、湿った埃とカビのツンとする匂いが微かに鼻を刺激する。
ああ、これだ。この匂い。劇場の匂い。けしていい香りなんかじゃないのに、何度も何度も息を大きく吸い込んで味わう。頭の先まで伝わった匂いは全身をピリピリと痺れさせる。
私はここにいる、と強く感じる。戻ってきたんだ、この場所に。
この公会堂の舞台に立つのは初めてだけど、それでもやっぱり帰って来たんだって感じがするから不思議だ。
セッティングと衣装の着替えを終えると、もう十分前だった。
舞台袖で最後の全集。緞帳の向こうに客席のざわめきが聞こえる。
深いため息が聞こえて、そちらを見ると、真っ白な顔をした悠基がいた。すっかり血の気が引いている。唇も紫色で細かく震えているし。その悠基の肩に手を置いて小声で励ましている美香の声も震えている。
私はどうだろう。両手を広げて手のひらをみる。ジンジンと弱い痺れがある。けど、この感覚は嫌じゃない。
ふいになにか熱いものが背筋を這い上った。思わずぶるりと体が震える。そしてその熱がじんわり全身に広がっていく。温かいものが隅々まで行き渡る。
ああ……なんて気持ちいいんだろう……。
一ベルが鳴る。開演五分前。
「……どうしよう」
悠基が震える声で呟いた。
「僕、初めてだし、失敗したらどうしよう。才能だってないし……」
――才能、か。
悠基の才能は未知数だ。まだ初舞台だし。稽古は特に良くも悪くもなかったけれど、本番で化ける人はいる。だからまだわからない。
美香は少なくとも私よりは才能があるだろう。だけど、なんといってもメンタルが心配だ。今は後輩をフォローする責任感で立っていられるんだと思う。
じゃあ、私は? この前、瑞希はああ言ってくれたけど、やっぱりそれは買い被り過ぎだと思う。私は残念ながら凡才だ。自分でよくわかっている。それでも演劇は大好きだ。大好きなのに才能に恵まれないのは悲しいけど。
「演劇の才能なんてあるわけねーよ」
古賀先生がさらりと言った言葉に、私たちはギョッとする。
このアホ顧問! 本番直前になに言っているのよ? 教師が生徒を励まさないでどうするのよ! 嘘でも「大丈夫」って言うところでしょ!
「演技するのに才能なんてないんだよ。そんな才能、誰にもない。あるとすれば、努力できるっていうのは一種の才能かもしれないな」
努力できる才能……。
「その点、お前らは全員、才能を持っていると思うぞ?」
古賀先生が、悠基の両肩に手を置く。悠基はひとつ息を吸い込むと、口を一文字に引き結んで大きく頷いた。震えが止まっている。
プッとマイクのスイッチが入る音がした。
『ただいまより、高等学校演劇発表会、地区大会二日目を開催いたします』
熱い塊が胸の奥で急速にふくらんで、息が苦しい。さっきまでの痺れが消える。頭の中が妙にすっきりする。視覚や聴覚が鋭くなるのを感じる。熱い塊は風船のようにぐんぐんふくらんで、弾ける。身体中に熱の粒子が散らばっていく。
広がる。広がっていく。私が私の体を飛び出して、どんどん広がっていく。この空間に私自身が満ちていく。
「よし! 行って来い。お前らの才能を見せつけてやれ!」
古賀先生は私たち三人の背中を軽く叩いて、急ぎ足で去っていく。先生の手が触れたあたりから自信が広がっていく。
『お待たせいたしました。これより、下郷高校「ここにいるよ」を上演いたします』
二ベルが鳴る。客電が落ち、緞帳がゆっくりと上がっていく――。
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