第二場 脚本の作り方

 県大会で城東学院と競う。それが私の目標になった。いや、違うな。初めに戻ったんだ。高校の県大会の舞台に立つ。それは、中学の県大会が終わった時点で既に目標だったんだ。


 ――ようやくスタート地点に立てた。


 ミーティングのために席についている顔を見渡す。古賀先生、美香、葵、私、悠基。たったこれだけの人数だけど、演劇ができる。そう思っただけで、鼻の奥がツンとして、私は慌てて伸びをする振りをしながら上を向いた。


「じゃあ始めるか。――部長」

「はい」


 私は伸ばした両手を下ろして姿勢を正す。こんな小さな部活で部長もなにもあったもんじゃないけれど、一応、私が部長で、葵が副部長ってことになっている。でもそんな肩書が必要になるのは生徒会に予算申請をしたり文化祭の申請をしたり、あとは大会や発表会みたいな対外的な活動のときだけだ。今だって、古賀先生が私に司会を任せたのも、形式ばった意味なんかなくて、ただ単に自分が仕切るのが面倒なだけに決まっている。


 そうはいっても、この大会は気合を入れて向き合わなくてはならない。春季発表会は過去の清算の意味合いが強かったから、この大会が純粋な新生演劇部としての初舞台のようなものだ。


「まずは、なにはともあれ、脚本だと思うんだけど」


 私の言葉にみんなが頷く。


「悠基が入ってくれたけど、それでも四人しかいないんだよね。既成の脚本から探すとなるとまた難しいんじゃないかと……」

「途中だけど、ごめん」


 葵が手を挙げて私の言葉を遮った。


「葵、どうしたの?」

「私、春季発表会が終わってからずっと考えていたんだけど、キャストは遠慮しようかと思って」

「えーなんで?」美香が葵の腕に抱きつく。「人前に出るの苦手じゃないでしょ?」

「うーん。それは確かに嫌いじゃないし、むしろ目の前でダイレクトに反応を感じられるのはかなり魅力的なんだけどさ」

「それならなんで?」わたしだって納得いかない。「葵が抜けたらまた三人になっちゃうじゃん。そんなの制限が多すぎるよ」


「……演出をやりたいの」

「演出?」思わず聞き返してしまう。

「チョイ役だったら、むしろ舞台に立ちたいんだけど、劇そのものをよくするためには、やっぱり全体を見る人がいなくちゃ駄目だと思うんだ」


 たしかに少人数だと全員が舞台に立っているから、見ている人がいなくなる。順番に見たとしても劇全体のバランスはつかみにくい。それは春季発表会でも苦労した点のひとつだ。


「あと、足引っ張っちゃうと思うんだよね。梢や美香は文句なしに上手いし、悠基は男子ってことで芝居が引き締まるし。私みたいな初心者の女子は浮いちゃうと思うんだ」

「そんなことないよぉ!」


 美香が葵の腕をぶんぶん振り回す。

「痛いって」葵は笑いながら美香の手から逃れると、「ひがんでいるわけじゃないの」と付け加えた。


「客観的に見て、その方がいいと思うから言っているの。キャストの人数が多ければいいてもんじゃないでしょ?――ね、先生?」


「え? 俺?」


 古賀先生、完全に傍観者を決め込んでいたな。


「……葵ちゃんは、演出をやりたいわけ?」

「それもあります。文化祭で演出をやってみてものすごく楽しかったから。私が思い描いた情景がみんなによって現実のものになっていくのがすごいな、って」

「じゃあ、仕方なく演出をやるって言っているわけじゃないんだな?」


 古賀先生は真剣な顔で葵に問いかける。葵も目元に力が入った表情をしている。


「はい。キャストをやりたくないのではなくて、演出をやりたいんです。文化祭の時みたいに、生徒会で練習時間がとれないからっていう消極的な理由じゃないんです。それと――」


 葵が似合わずモジモジする。


「それと?」


 古賀先生がうながすと、葵はゴクリと唾を飲み込んで口を開いた。


「勝ちたいから。部員が少ないなりにベストの構成で大会に臨みたいからです」


 勝ちたいから――。


 葵にとっては大会の勝ち負けは大した意味はないはずだ。私が瑞希と県大会での再会を約束していたことや、美香がカリンの宣戦布告を受けたことは、葵には関係ない。これらは私たち個人の問題のはずだ。


「……僕も」


 小さな声で悠基が話し出す。


「僕も勝ちたいです。演劇なんか一度もやったことないのに、こんなこと言うのもおかしいですけど、それでも県大会に行きたいんです」


 私たちがぽかんと見つめていると、なにを思ったか、悠基は立ち上がると声を張り上げて演説を始めた。


「僕、こんなに人と話したことなくて、演劇部に顔出してみたのだって、姉に言われたから、一応美香先輩に挨拶はしておかなきゃって思っただけで。でも、先輩たちがすごくいい人たちで。――僕、ここにいていいんだって思えたんです。今まではいてもいなくても変わらないような僕だったけど、ここに来て、必要とされているんだって感じられたんです。だから、少しでも多く先輩たちと演劇をやりたいんです。地区大会で負けてしまえば一回しか公演できないけれど、県大会に行けば二回できるんですよね? だから、県大会、行きたいです」


 悠基は一気にしゃべったせいで、息を切らしている。


「……なるほどなぁ」古賀先生が感心したように細かく何度も頷く。

「確かに勝ち進めばそれだけ公演回数は増えるわけだ。ただの勝ち負けじゃないんだな。公演の場を勝ち取る大会でもあるわけだ。その考え方は気付かなかったな」


 葵も立ち上がって話し始めた。


「私は、ただ梢や美香に便乗させてもらいたいの。正直、私はそこまで演劇に夢中にはなれないから。もちろん演劇は好きだよ。でも、梢や美香ほどじゃない。私も『これにかけたい!』っていうほどのものがほしい。だけど、まだ見つからないから」


 あ。入江に言われたのと同じだ。入江が脚本を書いてくれることになったときの理由が「お前の頑張りに便乗させてもらう」だった。そのときはピンとこなかったけど、そういうことなのか。

 そうか。好きなこと、やりたいことがあるってすごいことなんだ。だったら、みんなまとめて一緒の夢を見よう。一緒に頑張ろう。


「――わかった」

「梢!」

「じゃあこうしよう。とにかく今回は勝つことを目標にする。ただ、勝つためにやるとしたら、審査員に認められる劇をやるってことだから、もしかしたら私たちがやりたい劇とは違ってくるかもしれない。それでも勝つための劇を作るってことでいい?」


 私はみんなを見渡す。みんなが大きく頷いた。


「べつにぃ、私は演劇できればなんでもいいしぃ~」

「私はそもそもやりたい劇が見つかるほど演劇を知らないし」

「僕は先輩たちとたくさん劇をやりたいです」

「決まりだな」


 古賀先生が私に声をかける。


「はい。よろしくご指導ください」


 私は古賀先生に向かってお辞儀をする。下郷高校演劇部を過去何度も県大会どころかブロック大会にまで導いた偉大な顧問に。

 みんながそれに倣う。


「よろしくお願いします!」

「なんだよ~。まいったな、こりゃ~」


 古臭い演技のように頭をかく古賀先生を見て、かすかな不安を覚えたのは私だけではないはず。



 脚本をどうするか。過去の実績からすると、作・演出を古賀先生に任せるのが一番いい。みんながそう言うと、古賀先生ははっきり首を横に振った。


「あの頃は部員が多かったから楽だったんだよ。俺が書きたいように書いても誰かしらその役のイメージに合うやつがいたから」

「じゃあ初めからアテ書きしてくださいよぅ」


 美香が気楽に注文する。


「簡単に言うなよな~。先にキャストありきで書けるほどの実力はないって」

「それなら先生が書いたものに合わせてちゃんと役作りしますから」


 私も必死にお願いする。だって、今までは古賀先生の脚本でブロック大会までいけていたんだもん。なんとしても書いてもらわなきゃ。


「そういう問題でもないって。えっと、三人? 葵ちゃんがチョイ役で出るとしても四人で六十分持たせる劇なんて書いたことないし」


 なんだかんだ言っているけど、古賀先生は本当は怖いんじゃないだろうか。また専制君主制の演劇部にしてしまって部員を追い詰めるようなことになるんじゃないかって、心配している気がする。そう気にしている時点で、もう大丈夫だと思うんだけどね。


「それなら、元強豪校の顧問として、脚本はどうしたらいいと思いますか?」


 葵が政治家に詰め寄る記者のような態度で、パントマイムでマイクを突き付ける。

 古賀先生は律儀にもその見えないマイクを受け取ると、芝居がかった口調で話し始めた。


「えー、私が思いますに、高校演劇は部全体の力がまとまらないと勝てません。一人エースがいたところで、それで勝ち進める高校野球とは違うのです」

「それは高校野球に対する冒涜ですかぁ?」美香が野次を飛ばす。

「いえ、そうではありません。そうではありませんが、演劇は総合芸術であるからして……」

「早く本題に入れー」私も両手をメガホンにして野次を飛ばしてみる。

「そうですね。では。集団創作が望ましいと思います――ってか、もうめんどくせーな、この小芝居」


 そう言いながら、古賀先生は架空のマイクを投げ捨てた。


「つまりさ、お前らでエチュードやってそれを脚本にしちゃえば? ってことだよ」


 そんな無茶な。私はきっぱり反対する。


「そのつくり方だと、ごっこ遊びの延長みたいな感じになって、個性的な役柄とかは出てきにくいですよね? ストーリーも間延びした感じになっちゃうし」

「エチュードを始めるための設定とかによるんじゃない?」と美香。

「なに? 演劇のエチュードってなに? 寸劇みたいなもの?」


 葵が質問を挟んでくる。


「そうそう。同じだよ、寸劇と」古賀先生が人差し指を揺らしながら答える。

「いつも基礎練習きそれんでやっているだろ? あれをホンに起こせばいいじゃねーか」

「あんなのが大会で通用するわけないじゃないですか!」


 私たち三人の声が重なる。わぁお、息ぴったし。こんなところで妙に嬉しくなっちゃったりする。悠基はただニコニコと眺めている。


「そこでさっきのミカリンの発言に戻るわけだな」

「私? 私さっきなに言ったっけ?」


 言った本人が忘れている。


「設定だよ、設定」


 ああ、と頷く私たち。


「その設定を俺が考える」


 おおっ。


「それぞれの役回りも指示する。こいつはすぐ怒るやつ、とかそんな感じ」


 うんうん。


「何度も同じ設定でやってみて、よかったやつを採用する。で、そのままじゃ流動的だから、文字にするわけだけど、その時に肉付けしたり台詞の言い回しを整えたりする」


 どうだ! と満面の笑みで古賀先生は私たちを見渡す。


「……」


 無言の私たちの代わりに悠基が質問した。


「えっと……その最後の工程はどなたが?」


 もちろん、古賀先生自身だろうね? と私たちは睨みを利かす。


「……いや、考えてないけど」


 考えてないんかいっ!


「また入江に頼めばいいんじゃね?」


 人任せかいっ! しかも部外者!


「なるほど」


 なるほど……って、美香ぁ~。


「なかなか面白そう」


 葵まで……。


 知らないから。もう知らないから。その作り方でまともな劇になったら奇跡だわっ!




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