浮き草は明け方に泣く

 はたと夢から覚めた。

 首元で丸く寄り添う猫の毛触りを感じながら、つい先ほどまで見ていたらしい夢を反芻した。そのうち、はらはらと音もなく涙が流れ「ひっ」という引きつった息遣いが夜明け前のほんのり青白い部屋に響く。

 夢の内容なんてとるに足らない。どうしてそんな夢を見たか心当たりもない。登場人物は顔を知っている程度の人たちに過ぎず、まして何かひどいことをされた訳ではない。夢の内容は、一緒に食事をしていて、私が勝手にヒステリーを起こして泣いていたという内容のない、およそばかばかしいものだ。現実に起こるわけがないほどリアリティに欠ける。

 それだのに、涙が止まらない。寝転んだまま泣くものだから鼻の奥が詰まって息苦しい。起き上がろうにもベッタリと寄り添う甘えん坊の飼い猫が重くて一苦労だ。

 やっとの思いで体を起こして鼻をかんだが、片方が詰まって出てこない。耳から空気が抜けるだけで気持ち悪かった。真冬の空気で、布団から出ると身震いし、慌ててまた毛布をかぶった。

 猫があくびをして毛繕いを始めた背を撫でながら、今度はその涙を流れるままにしてぼんやりした。

 ふと、こう思ったのだ。私がこうして理由もなく泣くときは、もしかしたら『あの人』が泣きたいときなのかもしれない、と。

 別れた夫は、本当は弱くて淋しがりやのくせに、意地っ張りで強がりだ。そんな彼が泣きたくても泣けないとき、もしくは本当に布団にくるまって声を押し殺して泣いているときに私も泣くような気がした。

 それほど、私にとって『あの人』は特別なのだ。別の男と再婚して遠くの場所に引っ越した今となっても。


 浮き草のような人だった。彼は居酒屋を経営していて、明日の保障や堅実な暮らしがまったくできない性格だった。

 私は昼間にフルタイムで働き、彼は夜に働いていた。私がまだ夢の中にいる明け方に帰ってきて、私が仕事から戻る頃に出勤するのだ。ほとんどすれ違いの生活だ。それでも明け方の数時間は一緒にいられた。

 さっき夢から醒めたときのような青白い部屋で物音に目を覚ます。彼は玄関から服を脱ぎ散らかしながら寝室にやってきて、いそいそと私の寝ているベッドにもぐりこみ温もりを分かち合う。

 どちらからともなくぎゅっと抱擁しあい、体温が溶け合ったところで安堵のため息を漏らす。あのときの彼の伸びかけたヒゲのじょりじょりとした感触が思い出された。


「痛いよ」


 わざと嫌がる私に、彼が笑いながら頬をこすりつけてきたものだった。そして今日は誰が飲みに来たとか、こんな客がいたとか他愛もない話をしてから、目覚まし時計が鳴るまでつかの間の一緒の時間を愛でる。

 彼との暮らしの中で、今も愛おしく恋しいのはその明け方の数時間だけ。あとは辛く、泣いた記憶しかない。離婚したときだって「こうなると思った」と何度周囲から言われたことか。

 なのに何故だろう。あの数時間がいつまでたっても胸を刺す。

 彼は今、ひとりで誰もいないアパートに帰り、ひんやりとした布団にもぐりこんで丸くなるのだろう。そんな姿を思い浮かべるだけで、目元がじんわりと熱くなる。


 私が再婚を決めたと話したとき、彼は泣いた。ひとり暮らすアパートにやたら響く声で「俺はお前に甘えてたんだよな」と今更の言葉を漏らして泣いた。

 私は彼を抱きしめ泣くことしかできなかった。私は逃げたからだ。彼と苦労を共にする重圧から、逃げたのだ。その罪を今、償っていると思う。

 新しい夫は生活の面でも人格的にも安定はしている。だが、それだけだ。あの人のように抱きしめたり、「愛している」と言葉なく伝えることがとてつもなく下手で、ときどき私は恐ろしいほどの孤独にとらわれる。

 そういうとき決まって、あの明け方の数時間を思い出すのだ。


 思えば私も浮き草なのだ。いつも求めてばかりで根を下ろすには子ども過ぎて、あの人のことをとやかく言えない。

 新しい夫はラジオと照明をつけていないと寝れない性分だった。私はまったく逆で静寂の中、真っ暗でないと寝付けない。新婚生活二日目にして、私たちは別の部屋で寝ることになった。結局、私も彼と同じく、一人のベッドで寝ている毎日には変わらない。

 こんな風に明け方にさめざめと泣いていても気づかないほど、夫は遠い。それはそれで好都合でもあったけれど、やはり淋しくあった。

 こんなときこそ、ただ抱きしめあい、体温と心拍音に胸を撫で下ろしたい。そして、それをくれたのは、あの彼だけだったということが今になってこの胸を刺すのだ。

 ヒゲが薄い今の夫とはキスをしても、あのじょりじょりとした感触を感じない。ときどき、あれを思い出してはふっと泣き笑いたくなる。

 浮き草の彼は確かなものを持っていた。あの明け方の数時間。あれこそが私が心の底から欲しがるものであり、彼こそがそれをくれる人だった。

 なのに何故、今は一緒にいられないのか。

 簡単なことだ。それだけで生きていくには社会もお金も現実も甘くなかった。私はその重荷で精神を病みかけ、彼は私にのしかかり過ぎたことに気づくのが遅かったというだけなのだ。

 私は愚かだ。彼も、そしてこんな私を見抜けない夫も愚かなんだろう。


 青白い朝日にぼやける部屋を眺め、私は布団で涙をぬぐう。ひんやりしたタオルケットの繊維の感触が口元を擦り、ほんの少しだけ彼のヒゲを思い出させてくれた。

 私は新しい夫にまだ「愛している」と言ったことがない。大切な人には変わらない。なのに口をついて出てこないのだ。浮き草の彼にはうざがられるほど言っていたのに。

 だが、その理由も今になってわかる。あの暮らしが終わるのをどこかで知っていたからだ。そしてそれを認めたくなくて。繋ぎとめたくて、必死で私は「愛しているよ」と囁き続けた。彼が明け方に帰ってきて眠りにつくたびに。まだ寝ている間に仕事に行くたびに。そして、「甘えていたんだよな」と泣く彼を目一杯抱きしめながら私は囁いた。


「愛しているよ」


 彼は泣きながら答えた。


「俺は大嫌いだ」


「それでも、愛してるよ」


 愛しい嘘つきは今頃、アパートに戻った頃だろうか。

 強がりな人だ。きっと、ひとりで泣くことがあっても誰にも言わない。辛いことや困ったことがあっても、いつも私には「あんたは幸せになりなさい」しか言わない。

 そんな彼がこっそり泣くとき、私も泣いている。そう思えて仕方ないのだった。特にこんな訳もなく涙が止まらない明け方は。

 いつも二人でいた時間に涙が流れるたび、距離を越えて、彼の涙に呼応している自分がいるような気がする。

 だって、心の奥底に彼が住み着いて久しい。それを拭うことは自分の一部を剥ぎ取り壊死させることになるのだろう。彼がいたから、今の私がいて、そして夫がいる。

 私たちはもう別の道を歩いているはずだ。ときどき思いを馳せても、もう共に歩むことはない。だけど、こんなときは孤独とやるせなさに押しつぶされる。それが浮き草の彼を見捨てた私に課せられた罰なのだから。

 彼が泣くのは明け方だろう。だから私も明け方に泣くのだ。浮き草の私たちは涙のあとに、また漂い生きる。

 朝が来ない夜などないとは下手な慰めだ。私には朝が来るほうが怖いのだ。

 今の私は世間から見れば、幸せなのだろう。あくびをする飼い猫を撫でながら、ほんの少し唇をゆがめた。アパートがあり、定期収入のある優しい夫がいて、姑も人柄がいい。飲食店を営む彼には、猫は毛が抜けるから「飼いたい」という一言すら言えなかったのに、今では可愛い飼い猫もいる。

 なのに私が一番欲しいのはあのヒゲの感触と抱きしめられた体温だなんておかしい話だ。温かいけれど痛い、あの感触は二度と手に入らない。私も彼もそれを悔いながら生きていく。

 どんな道を選んでも悔いのない道はない。だがあえて言う。私は幸せなのだ、と。明け方の時間に悔いながらそれでも。

 だって、そういうものだから。

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