冬
心の脂肪
「お姉ちゃん、なんかこの頃、いつも同じ服じゃない?」
六つ下の妹、
「そんなことないわよ。この服を気に入っているだけよ」
年甲斐もなくふくれながら、自分の着ているジャケットの裾をつまんだ。口ではそう言っているが、しばらく新しい服を買っていないことは自分でもわかっている。
「そう? なんだか去年から装いが変化してないと思うんだけど」
首を傾げる冴子は服も流行のものをさりげなく取り入れているし、明るく染めた髪も綺麗だ。名前の通り、垢抜けて冴えている。
それにひきかえ私は着古したジャケットに踵のすり減ったブーツ、伸ばすに任せた髪を無造作に束ねるだけ。どうも、去年のクリスマスの大失恋以来、お洒落から遠ざかっている。
ちょっと気持ちが塞いだのを見透かしたのか、妹がため息を漏らした。
「そんなんじゃ、新しい彼氏も見つからないよ?」
ぐっと言葉につまる。クリスマスも近いこの時期、彼氏が欲しくないなんて言ったら嘘になるけれど、かといって次の人を探す気力も起きない。
三年付き合っていた彼を馬鹿みたいに信じていたのに、友達と浮気され、挙げ句の果てに「とっくに飽きてた」などと言われた女の気持ちが冴子にわかるだろうか?
彼の浮気相手は私の高校の同級生だった。背が小さくてぽっちゃり童顔の私と真逆な、スレンダーな美人タイプだ。
服の趣味も対極で、清楚できちんとした服が好きな私とは違い、華やかさが似合う女性だ。
あんな風にすらりとした細く長い足だったら、着るものも選ばなくて済むだろう。あれだけ美人なら化粧だって楽しいだろう。かねてからそう羨ましく思っていた人だった。
彼が彼女を選んだことで、元々抱いていた地味で垢抜けない自分へのコンプレックスが決定的なものになった。彼はああいうものを求めていたんだ。少なくとも、私にはないものだ。だったら、どうして私を一時でも選んだんだろう?
似合う服と好きな服は違う。おまけに、私の場合はサイズの問題もある。太っているというほどではないけれど、スリムな服を選ぶには気後れしてしまう。あの彼女は短いスカートが本当によく似合っていたけれど。
ありがたいことに季節は冬を迎えようとしている。スカートをはかない言い訳には苦労しない。できれば自分の顔まで服で隠してしまいたい気分から抜け出せないまま、一年が経とうとしていたんだ。
そんな私を、冴子が見かねて車に押し込んだ。
「気分転換しよう! 買い物に行くよ!」
「えぇ? ちょっと、冴子!」
問答無用でそのままショッピングモールに連れて行かれる。この心を打ち砕いたクリスマスを嫌と言うほど思い出させるイルミネーションがショップの軒先で輝いていた。
「お姉ちゃんは地味な色ばかり選ぶけど、こういうのも似合うと思うよ」
ふらりと入った店で、妹がピンクのマフラーを広げた。
「似合わないよ、柄じゃないもん」
「そんなことないよ。お姉ちゃんは綺麗な色より可愛い色のほうがいい。それに明るい色のほうが絶対気分も上昇するよ」
「ねぇ、やっぱり帰ろうよ。買い物で気分転換って好きじゃないよ」
そう、まるでお金で気分を買ったみたいで。ところが、いつもは素直な冴子が頑なに「駄目」と口を尖らせた。
「今日はね、お姉ちゃんの冷えきった気持ちをあたためるものを買うの!」
きょとんとしていると、彼女は「行くよ!」と張り切って握った拳を見せつけた。
ショッピングモールを一周する頃には、二人ともたくさんの買い物袋を手にしていた。
妹にすすめられて購入したものは、鮮やかな水色のマフラー、ノルディック柄の手袋、千鳥格子の帽子、あたたかい靴下、そして冬らしい青い石のはめこまれたピンキーリングとピアスだ。
車に戻ると、妹が唇をつり上げた。
「冬支度って楽しいでしょ?」
無言で頷いてしまう。真新しい品々を見ていると、これから迎える寒さだって、なんだか楽しみになってしまった。
「あたたかい物に包まれれば、気持ちもあったまるよ! でも、服に包まれて中身を磨くのを忘れちゃだめよ。お姉ちゃんは自分から動かなきゃ駄目。脂肪がつかないようにね」
「失礼ね。そんなに太ってないわよ」
思わずお腹をさすると、彼女は眉尻を下げる。
「脂肪がつくのはお腹だけじゃないよ。お姉ちゃんは、心に脂肪がついてるの」
ぎくりとして目を見開くと、冴子が『仕方ないな』と言わんばかりに笑っていた。
「失恋してから、ずっと閉じこもってたでしょ?」
誰にも心を震わせず。何にも心を動かせず。怖くて、痛みを恐れて、じっとうずくまる私を見透かされたようだった。
「自分から動かなきゃ。素敵な人がいたら、怖がってないで素直に心を寄せたらいいよ。そうでないと、心に脂肪がつくからね」
彼女は逆光の中、微笑んだ。
「さぁ、ご飯にしよう。美味しいもの食べて、元気になろう」
そう言ってアクセルを踏む冴子の横顔に、引き締まった心を見た気がした。凜とした目に、痛みすら受け入れてしまう強さが滲んでいる。私の欲しいものがそこにあった。
やがて私たちは行きつけのカフェに入り、湯気の昇るパスタを食べた。
「美味しいね」
こぼれる冴子の笑みにつられて、私もふっと笑った。
「うん。美味しいね」
クリームソースのまろやかさが、心のささくれを包んでいく。
これから雪が降り積もるけれど、今年の冬は縮み込まないでいられるんじゃないかな。スカートだってほんのちょっとの勇気を出してみれば、はけるんじゃないかな。痛みから目を背けて、信じることが怖くてうずくまっていた私に『さよなら』できるんじゃないかな。
冬の寒さは厳しいけれど、誰かと寄り添えばあたたかいはず。
いつか、街でばったり彼に会ったら微笑んで、心の脂肪をぬぐい去った私を見せつけてやろう。
あの痛みを私は忘れないだろう。けれど、それが私を強くするんだ。美しいダイヤモンドダストのように輝いてやる。
雲間から射し込む光がひんやりした空気を切り裂くのを見ながら、そんなことを思った。
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