押しかけ女房は恩返しちゅー

碧希レイン

1.出会い

「荷物を整理していて出てきたものなのですが」


 そう言って木崎きざきは少々色焼けのある絵本と、貰い物のタオルを町内会長に差し出す。


「いえいえ。いつもバザーに協力してくれてありがとう」


 好々爺然とした稲葉町いなばまちの町内会長は、商店街のマスコットキャラクターが印刷された紙袋にタオルの箱をしまう。

 そして絵本を手にし、「ああ」と目を細めた。


葉子ようこちゃんの本だね。懐かしいねぇ、私も息子や孫に読んで聞かせたよ」

「ええ……。繰り返し読んだせいでくたびれてしまっていますけど、今も幼稚園で読み聞かせに使っていると聞いたので。家に締まっておくよりどなたかに読んでもらえればと思いまして」

「この町と神社が舞台のお話だからね。きっと欲しいと思う人がいるよ」


 世間話をしたのち、町内会長は木崎薬局を後にした。丸くなりかけている背中を見送った木崎は医薬品の在庫管理に戻ろうとするが、自動扉が開き来客を告げるチャイムが鳴った。


「こんにちは!」


 元気の良い挨拶と共に店に入ってきたのは、ルビーのように赤い目をした少女だった。背中の中央あたりまで伸びた白い髪が、彼女の動きに合わせてさらさらと揺れる。

 木崎が「こんにちは」と挨拶を返すと、白髪赤目の少女はこそばゆそうにはにかみ、近隣にある稲葉高校の紺色の制服――裾に白いラインの入ったプリーツスカートを翻し、カウンターまで小走りでやって来る。


「木崎さん、その節は助けてくださってありがとうございました!」

「……えっと、何のことかな?」

「ずっと木崎さんにお礼を言いたくて毎日お願いしていたんです。今回やっと願いが叶って、こうしてお礼を言いに来る事が出来ました!」


 頬を紅潮させ興奮気味に語る少女に覚えのない木崎は、困惑したふうに苦笑する。


「誰かと間違えていないかい? すまないが、私には心当たりがないんだ」

「そ、そんな……!」


 零れんばかりに目を見開いた少女はがっくりと床にくずおれる。ぴくりとも動かなくなってしまったその姿は、悲哀さえ感じさせた。


「……木崎さんが覚えてくれていなくても良いです。何か、お礼をさせて欲しいんです。そのためにわたしはここに来たんです!」


 顔を上げた少女は縋るような必死な目で見つめてくる。その視線に木崎は思わずたじろいだ。

 けれど個人経営の薬局は木崎一人で事足りるうえ、学生に手伝えることも多くはない。


「気持ちだけで十分だよ。そもそも、君の恩人が本当に私なのかどうか」

「間違いないです! あなたなんです! お手伝いが無理なら話し相手とか暇つぶしの相手とか、何でもします! 木崎さんのお役に立ちたいんです!」


 ここまで一生懸命に語られると、自分が忘れているだけなのではないかという気がして来る。しばし逡巡した木崎は、見知らぬ少女の勢いと健気さに折れた。


「――君の名前を教えてくれるかい?」

「ネ……あ、えっと、……さくら。さくらです!」


 まごつきながら名乗ったさくらは立ち上がり、落ち着かない様子でスカートの裾を引っ張る。


「じゃあさくらさん」

「はいっ」

「木曜日の午後なら少し手が空くんだ。お茶くらいしか出してあげられないけど、それでいいならまたおいで」


 木崎の言葉を聞いたさくらはみるみる顔をほころばせ、輝かんばかりの表情になった。


「ありがとうございます!」


 勢い良く頭を下げたさくらは自動扉に駆け戻り、もう一度礼を言うと元気に手を振りながら去っていった。

 静けさが戻った店内で木崎は苦笑混じりに溜息を吐く。

 木曜日に本当にさくらが来るかわからないが、その時は店内ではばたばたしないように言わなければならない。


---+---+---+---


「こんにちはー」


 十一月にしては暖かな木曜日の午後二時。さくらは再び木崎薬局にやって来た。

 本当に来たのかと妙な感慨を抱きつつ挨拶を返した木崎は、店の壁際にあるソファを指差す。


「もう少ししたら手が空くから、ちょっと待っていてくれるかい?」

「はいっ」


 笑顔で応えたさくらは柔らかな風合いの薄緑色のソファに腰掛け、きょろきょろと店内を見回し始めた。黒目がちの顔立ちも相俟って、その様は周囲を窺う小動物を思わせる。

 視界の隅にさくらを捉えつつ、木崎は薬歴簿の確認を続けた。そこへ、杖をついた老婦人がやってきた。


「こんにちは、久保さん」

「ええ、こんにちは」


 久保さんはゆったりとした足取りでカウンターに近付いてくる。カウンターを出ようとした木崎の目の前を、ふと白い髪と稲葉高校の紺色のブレザーが横切った。


「こんにちは、久保さん?」

「こんにちは。この辺りでは見ない子ね?」

「さくらと言います!」


 側へ寄って来たさくらを見た久保さんは笑い皺の目立つ小さな目を瞬かせていたが、さくらが手を差し出すとにっこりと柔和に微笑んだ。


「ありがとうね、さくらちゃん」

「どういたしまして」


 さくらの手を借りてソファに腰掛けた久保さんは巾着から処方箋を取り出す。「お願いしますね、先生」という言葉と共にそれを受け取った木崎は、思案ののち、さくらに目を止める。


「さくらさん、すまないがお茶を煎れてもらってもいいかな?」


 久保さんの隣に座っていたさくらはぱっと表情を輝かせ、元気良く立ち上がる。

 木崎がカウンター横の急須と電気ポットとを示すとぱたぱたと小走りで近付いていった。


「元気の良い子ねぇ。木崎先生の親戚の子かしら?」

「ええ、まぁ……」

「昔木崎さんに大変お世話になったんです。なのでわたし、その恩返しをしているんです!」


 急須を逆さまに持ったまま振り返ったさくらはにこにこと楽しそうだ。久保さんに「そうなの、えらいわねぇ」と言われますます笑みを深めている。


「久保さん、最近お身体の調子はいかがですか?」

「おかげさまで最近は膝も腰もそんなに痛くならないんですよ」


 木崎が久保さんと話をし薬を用意する間、さくらはカウンター横でカチャカチャと急須や湯飲みをいじくっていた。

 けれどお茶がはいる様子は一向にない。


「さくらさん、大丈夫かい?」


 折を見て、木崎はさくらの側へ向かう。

 眉を下げた困り顔で振り返ったさくらの手元には茶葉が散乱し、そこここにお湯が零れていた。


「……すみません。こういうのは、母に任せきりで……」


 さくらは心底申し訳なさそうに項垂れる。もしかしたら深窓のご令嬢なのだろうか? という考えが木崎の脳裏を掠めた。


「おやまぁ。こっちへ持っていらっしゃい、私がお茶の煎れ方を教えてあげるわ」


 木崎とさくらのやりとりを見ていた久保さんは皺が刻まれた手をひらひらと振るう。


「本当ですか!? お願いします!」


 表情を一変させたさくらは嬉々として茶器が乗った盆を持って久保さんのもとへ向かった。


「まずはね、湯飲みにお湯を注いで温めるの。それから急須に茶葉を――」


 久保さんが説明しながらお茶を入れる様子を、さくらは真剣に見つめている。まるで祖母と孫のような二人の姿を、木崎は微笑ましく見守っていた。

 薬の用意ができ三人分のお茶がはいる頃には久保さんとさくらはすっかり仲良しになったようで、和気藹々と話に花を咲かせていた。


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