第4話『シュウ・ヴォクン・オミ』(4/6)
風合わせの舞台に選ばれたのは、新市場の広場である。 といっても、今後の開発に備えて確保されているだけの空き地に過ぎない。 その空間の片側に風の民はゲルを置き、土の民は対面に柱を立て日除けの幕を垂らしそれぞれの陣としていた。
垂れ幕をめくって外に出ると、村人たちは広場を囲い込むように集まって見物に来ていた。 市場の人口に比すればさほどの数ではない。 逃げ出そうとした者は殺されたらしいが、かといって誰もが戦いを見に来ようと思ったわけではない。
仕方がない。 見ているだけでも勇気は要るのだ。 自分たちの死が改めて定まる瞬間になるしれないと思えば、耐え難い者がいるのは何もおかしなことではない。
この場に留まっているのはいずれも勇気のある者たちだ、とシュウは思った。 しかし、その勇気が早々にしぼみ始めているのも分かった。 現れたシュウの出で立ちを見てしまったためだ。
シュウが身につけた戦装束は普段より二回りほど大きなサイズの鉄鎧だ。 ハコンにならばぴったりとはまるがシュウにはぶかぶかのそれを着込む為、内側に羊毛を詰め込んだ衣を纏っている。
厚手の羊毛は腰から上をくまなく覆っており、手の先までもが球の形になっている。 武器を持つことすら出来ない重装備である。
鎧を装着した肉の塊。 そう形容すべき風体を目撃すれば、見物人の心に残っていたわずかな希望が砕かれるのも当然の話。 命惜しさに狂ったと思われるくらいでちょうど良かった。
カイナの作った“うまのぼり”を見た時、風合わせの儀を乗り切る策がひらめいた。 この間抜けな格好も布石のひとつだ。 呆れられ、失望されてちょうどいい。
(問題は、これがウルザに通用するかどうか)
「何のつもりだ?」
既にゲルから出て、馬上で腕を組んでいたウルザが声を発した。 黒い馬の鼻息が荒い。 憮然とした威圧的な声音は、疑いなくシュウの装いに不快感を抱いている。 しめたものだ。
「そう簡単に殺されたくはないんでね。 ま、これも俺なりの戦い方ってワケよ」
「得物は」
質問には答えず、ブーカインの傍らに並んだ。
ブーカインの鞍にはカイナに作らせた新型の“うまのぼり”が取り付けられている。 革ひもはより太く編み込まれ丈夫になり、足先を入れる輪っかは足裏全体を支えられるよう鉄板を追加させてある。 たかだか三日でよくも応えてくれたものだ。
シュウは“うまのぼり”に足を差し込み、体重をかけた。
堂に入った仕草で馬に乗り込んだシュウを見てウルザは眼をちょっとしばたたかせたが、踏み台のお陰だと気がついたらしく、すぐに興味を失ったように視線を移した。 問題ない。 勘は鋭いが、風の民にこいつの真価を見抜けはしない。
「得物なんて、見りゃあ分かるだろ。 俺はこれでいく」
「貴様」
ウルザが眉をひそめ、睨みつけてきた。
凄惨な敗北を思い出し、吐き気がこみ上げてくる。
大丈夫だ。 もう戦いは始まっている。 俺が先手を打てている。
自分に言い聞かせながらシュウは胸を張り、応えた。
「これでいくんだよ、これで。 分かるだろぉ?」
含みを想像させるような声音を選ぶと、ウルザの怒りがまたしても高まるのが分かった。
部下たっての提案に免じて、一度倒した相手の再挑戦を受け入れる。 内心で送還の儀を欲していないとしても、誇り高くつまらない戦いを嫌うウルザにとってこの再戦は苦々しいもののはずだ。
しかも対戦相手であるシュウは豚のように丸い臆病者の装いに身を固め、補助具を使わなくては馬に乗ることさえままならない。 あげくの果てには丸腰である。 武器も持たずに自分の前に立つ相手など、眼力ひとつで殺す自信さえ持っているのがウルザという女だ。
ウルザを挑発し、こちらのペースに引き込むことが、今なら出来る。
ならばやる。 恐怖の中に飛び込むことでしか、ウルザには勝てない。
奴を怒らせるには、俺が無様であることが手っ取り早い。
「安心しろよ。 俺の手はこんなだから、お前のことも殺さずに済むぞ。
ハコンちゃんみたいに死ぬんじゃかわいそうだもんなぁ~」
「クズが……!」
ハコンはお前の為に死んだのだぞ。 そんな意味が込められた、抉り込むような声。 ウルザのたてがみが怒りで逆立った、ように見えた。
自分の中にある恐怖が見せた錯覚だが、ひとつの合図だ。
シュウはこっそりと右足も“うまのぼり”に置き、両足の心地を確かめる。
そうしてから、前傾に構えた。 腰を上げ、馬体に寝そべるほどに胸を落とす。 色々と試しはしたが、最もしっぽの付け根への負担が小さく済む姿勢はこれだ。
バウランが愛馬を駆り、二人の中間へ進み出た。 片腕を挙げ、朗々と語る。
「天より
部族の掟に基づき、これより風合わせの儀を執り行う!」
シュウが母親から伝え聞き、記憶していたものとほぼ同じ口上で、バウランが語る。 ざわめいていた人々が、口を
泣いても笑っても、これが最後の戦いだ。
「種目は馬相撲。 異論はあるか」
「ない。 承知している」
「あいよ。 精一杯がんばるぜぇ」
ウルザの反応を見て、シュウも空回りな軽口で調子を合わせた。 打てる手は打ちすぎるほどに打つ。
「風下にはこのバウランが立つ。
代理人として同族の若者、シュウ・ヴォクン・オミを立てるが良いな」
「了承。 風上のウルザは知り置いている」
応えるとウルザは棒を構えた。 憤りで鼻息を荒くしていた黒馬ギーメルが、深く息を吸って静かになる。
大人しくなったわけではない。 鋭い眼光が、一直線にシュウを見据えている。 ウルザの闘志と己の獣性を一体化させ、後ろ脚に力を蓄えている。
みなぎっているのはギーメルの本能であると共に、ウルザの意志だ。
挑発の効果が出ている。 これなら間違いなく、ウルザは瞬殺を狙ってくる。 シュウは上唇を舐め、羊毛にくるまれた両手を握り直した。
一対一の果たし合い。 よーい、どんで始まる戦いには必勝の戦術がある。 それは敵の考えを誘導し、予め狙った初撃の型を放たせることだ。
カイナと出会ったばかりの頃、実力で上回る賊徒の長を返り討ちに出来たのも、この戦術に上手くハメることが出来たからに他ならない。
今度はその変形をやる。 ウルザが相手では確実はないが、万に一つもない勝利が千に一つくらいには上がったはずだ。
ウルザはいきなり来る。 もしも奴に迷いがあれば最初の一撃は読めなかったが、今はシュウへの苛立ちを植え付けてある。
初手は顔面を狙った突き。
即死させ、つまらない戦いを終わりにする心づもり。 賭けはそこに張る。
(さばいてくれよ、俺……!)
自分を奮い立たせるつもりで、ギーメルを睨み返した。
たとえ型が読めていても、攻撃をかわせるかどうかは正直言って運任せだ。 ウルザの棒術は強弓の矢よりも冴え渡り、ギーメルの疾駆は音を越える。
「双方、準備はよろしいか」
「いつでも良い」
淡々とした声に続き、シュウは軽くうなずいた。 声を張り上げている余裕はない。 普段当たり前にやっている、尾の動きを制御することさえおぼつかないのだ。
「おかしらぁっ!!」
叫び声が聞こえた。 グレンの声だ。 後に何人かの声が続いていて、無理をするなとグレンを引き止めていた。
眼を醒ましたグレンが、ここまで来た。 見届けようとしてくれている。 ウルザに敗れても、心までは折れていない。
グレンの叫びに呼応して、男たちがシュウの名を叫び始めた。 数は多くないが、誰もが声を張り上げている。 喉を枯らして叫ぶ者がいて、ほとんど泣いているような声を上げる者がいる。
今すぐ振り向いて笑いかけてやりたい衝動にかられたが、動くわけにはいかない。 ウルザを注視するこの眼を反らせば、きっと勝機はなくなる。
それに、今の自分に仲間を勇気づけるような振る舞いは出来そうにない。
バウランが馬首を返し、決闘場となった広場の隅へ退いていく。 視界の端で平手にした片腕を真上に掲げているのが見える。
その腕が振り下ろされた時が、ウルザの動く時。
瞬きをやめて、待った。
どれくらい待ったのか分からない。
きっと端から見れば、ほんの数瞬のことなのだろう。
シュウにとっては永遠に近い時を、バウランの片手が破る。
「……始めッ!!」
声が聞こえ始めた時、もうギーメルの前脚のももが膨らんでいた。 動き出している。 負けていない。 俺ももう、動いている。
馬の首に手を回し、身体の重心を左側に傾ける。 ウルザが消える。 近づいてくる。 馬体に沿うように身体を滑り込ませる。 側面に身体をそっくり預ければ、顔面への突きはかわせる。
間に合えば。 自分の選んだ向きが、ウルザの反対側ならば。 条件付きの、最初の賭けだ。 右利きのウルザが正面から突くのなら、シュウにとっては左側から来る可能性が高い。 算段はつけている。 だから、勝たせてくれ。
突風!
吹き飛ばされそうな衝撃の後、首筋を更に鋭利な風が通り抜ける。 疾走そのものが起こした風と攻撃による風。 顔面は、潰されていない。
かわした。 最初の一撃を乗り切った。 次の賭けに移る権利を得た。 やった。
――たわけ――
真横からの声。 冷徹な響きが、風の中ではっきりと聞こえた。
「がっ、ハッ――!?!?」
熱。 身体の側面に、閃光が
「はっ、はっ、はーっ、はーっ……!?」
息を吐き、吐いて、吐いて、吐く。 肺腑に残った空気がなくなっても、身体がひとりでに吐き続ける。
「うっ、あっ…… うああぁぁぁぁーっ!!」
バランスを崩し、地面に滑り落ちかかる。 落ちてしまえば楽になれるという考えがよぎる。 ふざけるな。 もう俺に逃げ場などない。 心を心で殴り飛ばし、渾身の力で重心を中央へと戻す。
打たれたのは、脇腹だ。 あばら骨を折られたかもしれない。
恐らくは通り抜けざまの出来事。 初撃をかわされたウルザは、一旦突き出した棒を外したと見るや逆手に操り、がら空きの脇腹に向けて第二撃を放ったのだ。
先端と根元の区別がない棒ならば、滞りのない所作で行える二段構え。 しかし、それをすれ違う速さの中で実行したというのか。
「たかが一合。 図に乗るな」
「くっ!?」
悠長に考えている場合ではない。 馬首を返したウルザが、もう目前に迫っている。 最速の突撃ではないが、それだけに次の攻撃は苛烈を極める!
「ハアァァァァッ!!」
痛みをこらえろ。 二度目の命の賭け所だ。 馬同士が頭を密着させるほどの距離に寄せたウルザが、肩の力で棒を放つ。 シュウは咄嗟に両腕を並べ、
一突き。 空を引き裂く音と共に、衝撃が襲う。 棒の打突でありながら、落石に等しい圧力。 ブーカインがのけぞり、シュウの腰が浮く。 もう少し軽量な馬であれば、観衆のど真ん中まで吹き飛ばされていたかもしれない。
貫通を防いだのは腕を覆う羊毛の中に仕込んだ鉄のお陰だ。 馬から突き落とされずに済んだのは“うまのぼり”に足を引っ掛けたからだ。 手応えでそれを悟ったウルザが口元だけで薄く笑う。
「こしゃくな奴だ」
雨のように、矢のように、それでいて岩のように、打突が飛びまくる。 一撃を受ける度に羊毛が散り弾け、骨が軋む。 腕に仕込んだ鉄の塊が露出し始める。
ウルザの声音が弾み始めたのは、手の内を読まれつつある証だ。 馬鹿にした振る舞いの裏で勝ちに来ていると、ウルザも気づいた。 だからといってシュウを好敵手とみなすことはないのだろうが。
(それでいい。 気を引き締め直せ!)
シュウは悪巧みをしている。 そこまでは気づかせておくのが、こちらの仕掛けている罠だ。 油断を誘うだけで勝てる相手ではないのは百も承知。 ならばその上を行き、相手が気を引き締めたところに本命の策をねじ込む。
「
ウルザが棒を逆手に持ち替え、強弓を引くように胸を反らして構える。 息を肺腑深くまで吸い込めば、胸が一回り膨れる。 鉄の防御もろともに命を打ち砕く、馬上では最大の一撃。
危機にして、好機。 すなわち、ここが三番目の賭け!
「来やがれ、ウルザァッ!!」
シュウは防御の構えを解き、胸を張る。 両腕を強く振ると残っていた羊毛が飛び去り、仕込み武器が露わになる。
ウルザが眼を見開いた。 隠していた武器のせいではない。
シュウが立ち上がったからだ。
馬上に跨がったままのシュウが、脚を伸ばして立ち上がったからだ!
「ふははははっ!!」
乗馬を熟知した風の民だからこそ、シュウの策に意表を突かれる。
無敵の戦士に隙を作る為の唯一の手段は、その常識を打ち破って見せること!
「ぬぅんっ!!」
動じはしたが、ウルザの攻めは止まらない。
肩を振り抜き、力任せの突きが襲い来る。
シュウは両手に強く握りを加える。 丸い柄で握りこんでいた仕込み武器が、手のひらの力で滑るように動き出す。 車輪のように、回転を始める!
「何だとッ!?」
ウルザが初めて驚きの声を上げた。 渾身の突きを、回転する鉄器が叩き落とした。 シュウの胴体を貫くはずだった棒が、矛先を逸らされて斜め下の空気を抉る。
――
握りから直角に伸びた鉄の円柱を持つこの武器は、攻防一体を旨とする。 打撃による攻めは言うに及ばず、手の中で旋回するという特質が鉄棒を無敵の盾へと変えるのだ。
風を切って回る
今、シュウの目線はウルザと同じ高さにある。
馬の体高を補ってあまりある高さをシュウに与えたのは、馬に跨がったまま直立するという芸当だ。 無論、これもシュウ自身の技術によるものではない。
両側に取り付けた“うまのぼり”を使い、そこに立っている。 ウルザは自身の脚を馬の横腹辺りで折り曲げているが、シュウは常に足先をそこに着けておくことが出来る。 要するにちょっとした工夫。 小細工という言い方も出来る。
だが、その小細工に凡人と勇者の実力差をも埋める大いなる力が宿っている。
それはこの戦いにおいてウルザには理解できないことだ。 馬と共に生き、馬と共に死ぬ風の民がシュウの戦い方を知るには、少し時代が早すぎた。
「たっぷり仕返しさせてもらう。 今度は、俺の番だッ!!」
風の民の常識を破壊し、策の真髄を看破されていない今こそ、最大の好機!
そのまま勝利を掴み取る!
シュウの意志に応えたかのように、ブーカインが脚を一歩前へと進めた。
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