やがて王へ至る道

米屋太郎

第1章『古き時代より』

第1話『魔法使いの剣』(1/5)

 ――初めにその手に土を掴んだ人々は、土を耕して生きることを覚えた。

 その次に学んだのは、土地を守る為に人を殺すことであった。

カシュ・ルボヤスカ(ポーランドの歴史学者)


      ◆


 このご時世、貧乏人が金持ちになる方法はひとつしかない。

 金持ちに気に入られて取り立ててもらうことだ。

 それは泥集め人だった父がクリクに教えてくれた唯一のことであり、今のところ確かな人生訓と言えるものだった。


 父は受け継がれてきた泥掘りの奥義をクリクに教えることをしなかったが、代わりに集めた貝で商人の小間使いを雇い、算術の知識を授けさせてくれた。

 三つ以上の数を数えられれば、村人達は羨望の眼でクリクを見た。 二桁の足し算を覚えると長老は大真面目な顔をしてお前は天才だと褒めてくれた。 苦労して掛け算を覚えると、とうとう大市場に店を構える豪商から誘いがかかった。


 生まれ育った村を出て親元を離れ、都会の人々に揉まれて生きていく。 それが最初は不安だったが、すぐ平気になった。

 ゲンガン大市場で過ごす新しい日々は、都会人たちが珍重する黄金と同じ色にきらめいていたからだ。

 食い物は美味いし、女の子はかわいい。 タニシを浮かべたスープの味も、別れ際にいつか迎えに行くと約束した幼なじみのこともあっという間に忘れるほどだ。

 仕事にしても真冬の湖に足を沈める辛さはないし、時折襲ってくる水の民に大きな魚を差し出して許してもらうような困った事件はない。

 全てが新鮮で、快適。 便利な都会暮らしを満喫している間に泥集め人では到底叶わない夢も見れる。

 若きクリクは、長い人生に訪れた最初の絶頂期を感じていた。


 ――というのが、昨日までの話である。


 どんなに暮らし向きがよくなってもクリクは使い走りの商人見習いに過ぎない。 主人に行けと言われればどこへでも行かされる。 それが西でも東でもだ。

 そういうわけだから、昨日の夕方に下った命令で今日の朝には黄金色の大市場を離れることになってしまった。


 今は小鳥たちが遠慮なく空にさえずる森の中。 あちこちの出店から客引きの声がこだました広場には望んでも手が届かない。 横を見れば華やぐ女の子、前を見れば活発な女商人、後ろを見れば淑やかな商人婦人、少し前までそんな場所にいた。

 それがどうだ。 右を見ても左を見ても、そこには死んだ魚の眼をした男たちがあるだけだ。 美味そうなだけ魚の方がずっといい。

 当の俺さえもきっと死んだ眼をしているに違いない、とクリクは思った。


(ああ、帰りたい。 都会に帰りたい……)


 腰にはいつも記帳用に粘土版を提げていたものだが、今はそこに打ち欠いた安山岩をはめ込んだ手斧がある。 着ているものも動きやすい平服でなく、堅い蔦を編んだ安物の鎧だ。 これらの重みと着心地が不慣れな身にはまた歩きづらく、否応なしに足取りは重くなる。

 ため息が漏れないよう周りに気を遣いながら、クリクは足元に落ちていた視線を持ち上げた。


「ふああぁ~~~~~~~~~っ」


 むふん。

 大きな大きなあくびを、鼻息で結んだ男がいた。


 今すぐ邪魔な手斧を投げ捨て、踵を返して都会に戻りたい気持ちに駆られた。 あくびの主がそこいらの人間なら斧の裏側で殴るくらいしていたかもしれないが、それは

 何しろ、クリクはこの男の護衛という仕事の為に大好きな都会を離れさせられたのだから。


 大市場最大の豪商にして、クリクの雇い主であるオミ商会。 その三男坊を護衛し、あるところまで送り届ける。

 それが与えられた使命であるから、丁重に扱う他はない。


「ったりぃ~~…… マジかったりぃ……

 かったりぃよなぁお前らも? な? な?」


 無言で歩き続ける退屈な旅路に耐えかねたらしく、三男坊が辺りに声をかけて回った。


 三男坊――名前は忘れた。 坊ちゃんと呼んでおけば問題がないせいである――の背丈は高く、癖のある黒髪は艶やかに光を弾く。 それから背骨の延長線上には髪の色と同じ黒猫のしっぽが伸びており、クリクに生えているぶち柄のそれよりも幾分か長く、しかも良い毛並みをしていた。


 人目を引く容姿、という点ではさすがに豪商の血筋を感じる。

 が、問題なのはその飾り立てである。 頭頂部に被った琥珀と瑠璃をはめ込んだ冠に始まり、肩には金の刺繍が密に入った赤の套衣、胴体に着込むのは刺し子模様の革鎧――これは顔料で青く塗られている――腰から太股を守るのは桜貝を繋ぎ合わせたかたびら、つまりは薄ピンク色。 他、身体の各所に緑青を塗った装身具が多数。 腰衣からはみ出て見える下着に至っては、西方からの舶来品である絹と来た。

 あの中でクリクの手に届きそうな値打ちのものといえば、精々皮の耳飾りくらいのものだろう。

 全部売り払えば小さな家が建つであろう宝飾品を惜しげもなく用い、ここまでダサくキメられる商人などクリクは知らない。


 高い背丈も長い尾も生まれた後から手に入るものではないのに、これでは台無しだ。 いつからか背の伸びが止まった自分のことを考えてしまい、クリクの気分はますます暗くなった。


「大体ナグハくんだりまで歩いて何になりますかってのよ。 お前らもそう思うだろ? な? あーあ、親父殿も厄介なこと言いつけてくれたよなぁ……」

「まあまあ、坊ちゃん。 そう腐ることはありませんよ」


 気持ちは分かるがお前が言うな、ますます士気が下がるだろうが。

 寸前まで出掛かった罵声をこらえながらクリクはなだめすかすように応えた。 オミ商会に取り立てられて以来、愛想笑いとご機嫌取りは呼吸するより簡単だ。


「大旦那様はいつも良い商いのことを考えておられますし、私ども下々の働き手にも目をかけてくださっています。 今度のお仕事も真面目に取り組んでまっとうすれば、きっとご褒美をくださるでしょうし」

「ふん。 親父殿が商いをね」


 三男坊は鼻を鳴らすと吐き捨てるようにそう言った。 ありきたりのご機嫌取りに返す言葉にしては妙で、続ける言葉が見つからない。


「だといいのにな、お前みたいなのにとっちゃ」


 三男坊は空を見上げて言った。 小馬鹿にしたようにも思えるが、声にはどこか悲しみが籠もっている気がした。

 何か言った方がいいのかもしれない。 口を開きかけた時、物音が聞こえた。


 茂みの奥。 硬いもの同士が触れ合う音。

 武器。 そして鎧の音色。


 ――賊だ!


「オメェらか、市場から来る奴らってのは?」


 予感は的中した。 眼前に七、八名ばかりの男たちが立ちはだかっている。 いずれも既に武器を構えた臨戦態勢を取っており、顔には示し合わせたかのように同じ表情が浮かんでいる。


 ごちそうを前にした下卑た笑顔だ。


 クリクが咄嗟に腰に提げた石斧を握り、曲がりなりに構えることが出来たのは貧しく危険の絶えなかった生い立ちのお陰だろう。 集められた護衛たちには生まれた頃から町暮らしの者もいるようで、固まったままで動けていない。

 しかし、反射的に構えたクリクもまた尾先を震わせずにはいられなかった。


 理由は賊がそれぞれ身につけた装備にある。

 クリクたちに与えられた武器は多くが打ち欠いた安山岩、最も良いものでも穂先に磨いた黒曜石を取り付けた槍がいいところだ。 防具は揃えで堅い蔦の鎧。 獣の牙を受け止めるくらいの効果はある。

 決して豪華な装備とは言えないが、通常であれば身を守るのに必要十分なものを持たせてくれている。


 しかし、目前の賊が握っている武器、そして身に纏う鎧兜は明らかに異質だ。

 鎧の表面、あるいは槍の穂先や斧の刃が、日の光を照り返す黄金色の光沢を宿している。

 そのように輝く装備など、この世の中には一つしか存在しない。


 すなわち金属兵器。 青銅器である。


「ひっ、ひぃっ、うわぁぁぁぁぁーッ!!」


 最初にうわずった叫び声を上げたのは、事もあろうに護衛の対象である三男坊だった。 頭ひとつ背の抜きん出た男が、武器を構えるでもなく、身につけた装身具を投げつけながら逃げていく。


「奴だ! 逃がすなよォッ!!」


 頭目と思わしき賊が斧を振りかざして駆けだした。 疑いなく三男坊の首が目当てだ。 主人に取り残された護衛たちは、賊の通り道でたどたどしくも武器を構え始める。


(馬鹿野郎!)


 そんな間の抜けた選択があるか。 心の中で怒鳴りつけ、クリクは腹を括った。

 後ろに跳ぶ。 手に握っていた石斧を投げつける。 狙いをつけるでもなく、最も近い場所にいる賊にただ投げる。 銅の手槍が跳ね上がるように舞い、はたき落とされる。 それでいい。 その隙だけで生き残れる。 生き残ってみせる。


 一瞬の猶予を得たクリクの斜め前では、護衛の一人が別の賊と対峙していた。

 咄嗟のことだろう、突きかけてくる槍を受け流そうと、身体を庇うような構え。 無駄だ。

 蔦を編んだ手甲が引き裂かれ、内側から紅いものが吹き出る。 青銅の穂先が護衛の背中から生えてきて、一人目の犠牲者が出たことを悟った。


 構っている暇はない。 クリクは敵に背を向け、全霊を込めて走り出した。

 顔のすぐ真横を肉の塊が飛んでいく。

 ついさっき強ばった表情で石槍を構えていた誰か。 の、首。

 クリクが背を向けて駆け出すほんの数瞬に、人が肉の塊になった。


 ことごとくが一撃による死。

 クリクが同じ運命を辿らなかったのは野生の勘に助けられてのことだが、青銅器を相手にまともにぶつかった結果としては驚くに値しない。

 金属という地上最強の兵器は、それほどまでに恐ろしい存在だった。


 賊の発する怒号と死の音は確実に追ってきている。 真っ先に逃げ出した三男坊の姿は視界に遠い。

 賊が所望しているのは弱虫の三男坊であろうから、ここで向きを変えれば安全に逃げられるかもしれない。


(だけど、それは出来ない……!)


 護衛対象を置いて逃げたとなれば、帰ったとしても確実に処刑される。

 大市場に戻らず故郷に帰ることも、あの賊どものような暮らしをすることも、考えたくない。


「たっ、たっ、助けてくれぇぇぇぇーっっ!! 見逃しておくれよーっ! 俺ぁまだ死にたくねぇーっ!! 他の連中はどうなってもいいから俺だけは許してくれぇぇーっ!!」


 三男坊の声。 仕えがいのない命乞いが森の中に響き渡る。


(お前なんか、金持ちじゃなかったら殺してやる)


 胸の奥で毒づきながら、走ることはやめない。

 俺は都会暮らしの為に、ひとつしかない命まで賭けるのか。

 すっかり商人が板についたもんだな。

 ちょっと自嘲的な気分になりながら、クリクは駆け続けた。


      ◆


 ――オミ商会の三男坊。

 シュウ・ヴォクン・オミ。

 あらゆる伝統が打ち壊され、革新と創世に彩られた諸王国時代の旗手。

 その名をこの頃のクリクは知らない。

 まして今日という日の惨めな敗北が、覇業の第一歩であろうなどとは――

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