誰にも見せなかったもの

言無人夢

1

 久しぶりに帰郷した。盆には毎年帰ってはいたが、まとまった休みが取れてゆっくり出来たのはかなり久しい。先ほど数えてみたら学生の時分以来だった。

 街も変わる。私自身は親の都合で中学高校と都会の方に出ていたから、母の生家の残るこの街で本当に住んでいたといえるのは恐らく小学校を上がるまでだろう。実際に歩いて回り、ここには何があった、ここの道路はいつ出来たと記憶を掘り返してみるも、身体の大きささえ変わる年月を跨ぐ過去のこと。そもそもこんなに小さな街だったろうかと、唖然とする。そして結局、懐かしむより先に気味の悪さがそこかしこに滲み出てきて、それはそれで趣があると言えなくもないが、この街が私の故郷というより私に捨てられた場所のような気がしてきて、出歩くのも億劫になってしまう。

 同窓の者とは年賀状の一つもやりとりしていなかった。連絡を取る伝もないことはない。どうせ皆そこらに住んでいるのだ。訪ねていくなり、恩師を求めるふりなりすれば良いのだろうけれど。これもまた億劫で仕方ない。彼らも私が捨て置き、ずんずん先に進んで来てしまった残滓のように思われる。実際、そう。本当に年賀状の一つも出さなかった今更なのだ。

 となればろくな足もない片田舎のこと。すぐに飽きが来る。どうしてこんなに休みを取ってしまったかと後悔し、今すぐにでも東京に戻ろうかとも、別の地に旅行でも始めようかとも思う。

 されど結局は親戚の目や、ここでも彼らへの負い目のようなものが出て、昼間から地酒などを買い求め開けてみたりなどする。

 物思いにふけってみると、段々この街に生まれ育ったという私の歴史そのものが曖昧なものへと変貌する。歴史はその連続をもってして歴史となりうる。この街を出る日に父母とともに乗り込んだあの新幹線で、私はこの街で育った歴史と断絶したのだ。ならばそう。ここに今あるこの街は、私の故郷などでなく限りなく似た別物なのであろう。

 そんなことを考えてみれば過去のみと言わず、何もかもが曖昧だったような気さえしてくる。例えば、学生である間。すなわち私の人生の半分以上を共に過ごしたはずの両親の顔さえ、どうだと問われても確たる像を結ばない。実物のひとつも見ればこれは母でこれは父だと、たちどころに分別もつくだろう。しかし何の足がかりもない宙に浮いたような思考で思い出そうと試みてみると、ぼんやりとした輪郭が暗がりに仄かに浮かぶに過ぎず、それは気味の悪いことに、一様に笑っている。何かと思ってみれば、居間に飾ってあって目に焼き付いた家族写真の顔なのだ。この顔は笑う以外に能を持たず、生き生きとした歪みや、年月の重みを皺に刻むことさえない平面なインク痕。これはもうはっきりと言い切って良いような気がする。私は両親の顔が思い出せない。

 そういえば私自身の顔もよくわからない。毎朝鏡に顔を会わせるを習慣としているが、私の顔がそうそう目立つ特徴を持つものでない上に、近視のため眼鏡を愛用している。これがくせもので、眼鏡というやつは私の印象をガラリと変え、まるで別人にしてしまう。それでいて外すと伸ばしきった自身の手さえぼやけるので、眼鏡をかけていない自分というものにはしばらくお目にかかっていない。周知のとおりであるが、鏡に映る自分というものと、写真に残った自分というものはまったく別だ。同じように瞬きをし、右手を上げれば左手を上げるあれに、私はこれが私だという認識を刻み込まれる。しかし人様に撮っていただいた記念写真などを見るとまったく見知らない、如何にも笑い慣れてなさ気な、道化じみた羞恥に耐えるようなやりきれない作り顔がある。眼鏡を着けてこれである。外せばまた別の何かがそこにいるのだろう。こんなやつ知らない。勝手にしやがれという気にもなってくる。

 はたと思いつく。

 断絶した過去の私の顔とは、今の私の目に如何に映るものであろうか。あるいはまたはっきりとこれは私でないと思われるものなのか。

 気になってみればそわそわと落ち着かなくなり、食事にもろくに手のつかない有り様。身を寄せた親族の者にまで心配されるに至り、ならば実際に過去の私に対面してしまえば良いではないかと決意する。

 母の兄嫁に尋ね、引っ越しの際以来十数年預かっていただいていた我が家の私物の行方を当たる。物置蔵の一番手前の層。書籍類らしきボール箱を引き出し、五つほど開けた所で私の卒業アルバムを見つけた。

 昼下がりのことである。とりあえず散らかした分を片し、アルバムだけを持って蔵を出る。シャワーを浴びて、与えられた部屋で麦茶を片手に一息もつけば黄昏時。

 過去を膝の上に開く。

 あぁ、しかし。座っているにも関わらず眩暈に襲われたように意識が手元を離れる。そこに写る光景はそう。懐かしいのだ。幾度も夢に思い返した一字一句違わぬ私の故郷。旧友よ。母校よ。

 だからこそ。大事に撫でさすりすぎた代償のように。擦り切れたテープのようにノイズが混じる。思い返せないのに見覚えのある顔が見える。知っているのに奇妙な比率の建物が写る。

 私の記憶は何度も思い返される過程できっと歪んでしまったのだ。少しずつ。少しずつ。そしてそう。


 私は彼に出会う。


 その男児は手を閉じていた。両の掌を柔らかく合わせ。胸と腹の狭間の高さ。大事そうに何かを手の中に隠すように。柔らかく笑っていたのだ。

 何度見返してみても、彼はどの写真においても同じ姿勢だった。すなわち、両手を合わせ、ちょうど小さな生き物を捕まえてきたかのように。逃さぬように、されど潰さぬように。子供だけが見せる残酷さの混じる慎重さで。

 覚えはある。そう、確かに思い返してみれば、いつ見ても手を使おうとしない子がいた。談笑するも巫山戯合うも両の手を柔らかく閉じていた子供が。

 当然そうやって学校生活を送れるはずもない。授業中はどうしていたのだろう。教師は何も言わなかったのだろうか。そう考えてみると別の可能性に思いあたる。

 彼は身障か何かだったのだろうか。あるいは脳か心が他の子らと違っていたのかもしれない。思いついてみればそれ以外にあり得ないような感が絶えなくなる。しかし手を合わせる障害なんて聞いたことがない。教師らに彼がそのような行為を習慣とする理由について何らかの言い聞かせをもらった覚えもない。

 しかし私たちは子供だったが故か、それを不可思議なものとも思わず当たり前として受け入れていたように思える。大人になってからこのように客観視すると奇妙に見えるが、物心つくかつかぬかの年頃から当たり前に隣にいた彼を奇妙と思うだけの分別は、この時代の田舎の子らにはなかったのかもしれない。

 彼は今どうしているのだろう。誰かに尋ねてみようか。何も旧友でなくとも、母が何かしら覚えているかもしれない。私はかくも人付き合いを疎かにするが、あの人は一度付き合いのあった人間との縁をいつまでも持ち続けるたちだ。存外聞き及んでいるのかもしれない。あの、奇妙な性癖を持った子が今何処で何をしているのかを。

 本当に気にしなかったのだろうか。私たちは。

 あの両手の中身を。

 固く閉じられ、誰も見たことのない。彼だけの空間。わずかな隙間。彼だけの。彼だけの。

 いや見たのだ。

 見せてもらったのだ。ある日から。誰もが一人ずつ順番に呼び出され、あの手の中身を見せてもらったのだ。誰もが彼の手の中にあるそれを見て、誰にも語ろうとしなかった。まるで教えを聞いた信徒のように。告白を受けた娘のように。

 ある者は見ることを拒んだし、ある者は呼ばれさえしなかったのかもしれない。そのことについて語ることはあまりいい顔をされなかった。万一その儀式めいた呼び出しが教師らに知られれば何が悪いとはわからなくとも、何かしら居心地の悪いことになるだろうとはわかっていたからだ。

 そして私の番が来た。

 私が呼び出されたのはプール裏の階段。

 あの微笑みのまま、彼は。手の隙間を差し出した。

 私は彼の手元に顔を近付け。覗きこんだ。

 見上げた頭上に手の隙間があり、その向こう側から私は私の目に覗きこまれていた。私の探していた過去は何処にもなくそこにあった。

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