短篇
窓からの情景
私は大学進学と同時に一人暮らしを始めた・・・初めての一人暮らしは解らないことも多くあり大変だった
週末は小学校時代からの親友と遊びに出かける。親友である彼女・・・Aも同じ大学ではないが一緒の地域で一人暮らしをし始めた
5月になる前・・・ちょうどGWに入る直前にAから突然相談された
「なあY・・・幽霊って信じるか?」Aは疲れたように言う
Aは私と違い小柄。服装もパンク系で髪も深い赤に染めている。性格も男勝りだ・・・そんなAから幽霊なんて信じられなかった
「私は見たことがないから・・・どうしたの突然?」
「信じられないかもしれないけど自分の部屋で見た・・・男の幽霊」
「えっ・・・本当なの」
「黙っていたけど一人暮らし始めた時から金縛りに会うんだ」Aは頬杖をする「そして、この前金縛りで起きたら男が私を睨んでた・・・バイトが終わって疲れて寝てたのに」
「大丈夫なの?」
「男にうざい、消えろ!って言ったら凄く怒った顔をして消えた」
「凄いね・・・A・・・」
「たださ・・・良かったらでいいんだけど・・・家に泊まってくれない・・・本当に幽霊なのか・・・それか私の心労からくる悪夢か・・・見極めたいんだ」
私はAが進学する際に家族と一騒動があったことを知っていた。彼女が心を痛めていたことも。そして私は幽霊などを信じていなかった
「いいよ、もうすぐ大学が休みだし」
私は親友を助ければと思いAの家に行った
Aの家は築何十年の古いアパートだった。トイレ、キッチン、風呂は共同・・・部屋は八畳の和室。家賃も破格らしい・・・信じられなかった
「私はやりたいことのために実家を出たから」Aは住む家は休めればいいとも言った
そしてたわいもない話をして、私達は就寝した
夜中、私は突然息苦しくなり目が覚めた・・・酷く咽せた
「大丈夫か・・・Y・・・あっ」横で寝ていたAが私を心配し起き・・・見た
「咳が出ただけ・・・嘘・・・」私は息を呑む
和服を着た男性が窓の外を寂しそうなに見ていた・・・一瞬泥棒かと思ったが微かに透けていた・・・この世の者じゃない
いつの間にか朝だった。夢かと思ったがAが起きると現実だと解った・・・話し合い同じ人物を見たことが解ったからだ
「しばらく私の家に泊まって様子を見ない?ゆっくり休めないと体壊すし・・・」私が提案するとAは有難うと頭を下げた
それから5日経った
Aは食欲が無いのか私が料理を作ってもあまり食べなかった・・・もしかしたら霊の影響なのかと不安になる
私は神社やお寺に相談しようと考え、電話番号や有名な所を探すために大学の図書館へ行った
大学では一般開放のイベントが行われていた・・・教授の講演会、軽音部や吹奏楽などのコンサート、他に文化系サークルの発表、そしてフリーマーケットが行われていた
私はフリーマーケットに足を運んだ・・・理由はと聞かれたら答えられない。不思議と足が向かった
フリーマーケットは人が賑わっていた。様々な物が売られていた・・・そんな中フリーマーケットのブースの端で異質な物を売っている人がいた
『占卜致します』
小さい机の上に立たせた年代を感じる看板にはそう書かれていた。机には白い布が敷かれており『御心料』と書かれた箱も置いてある
一見女性に見える小柄な少年が机の前に座ってロールケーキを丸ごと食べていた。黒い癖のある長い髪は後ろで結ばれ、黒い服にブラックジーンズ・・・色々なチェーンが腰からぶら下げていた
「すいません」私はその店に引きつけられた「占いって・・・」
少年はロールケーキを食べるのを止め、左手で口元を隠し右手で私が話すのを止めた
口の中の物を飲み込むと飲み物を一口飲む
「失礼しました」少年の口から何とも言えない通った声が出た「どの様な御用件でしょうか?」
「えーと、占いって」
「どのような御用件でも占います」
「幾らですか?」
「お代はお心分・・・お気持ちで結構です。ですのでお金以外でも結構で御座います」
なんか見た目と喋り方が違う
「じゃ・・・自分の事を占って戴けますか?」
少年は解りましたと手慣れた手つきでタロットを始めた
「いかがですか?」少年が占いの結果をメモ帳に書きながら話した「当たるも八卦外れるのも八卦ですが」
・・・すごく当たっていた・・・初めて本格的な占いをしてもらったが感心するばかりだった
「あの失礼ですが・・・貴方は?」
「私ですか・・・占いを行うただの大学生ですよ」
「・・・もしかして先輩ですか?」
「大学3年ですが」少年・・・いや先輩は笑って言った・・・てっきり年下だと思っていた
「私は一年のYって言います」
「畏まらないでください」また笑う
「あっ、有難う御座いました。これ気持ちです」私は五百円を払う「先輩とは知らず失礼しました」
何故か私は慌てた。私は急いで去ろうとした。
「すいません!!」先輩が突然私を呼び止めた
「えっえっ、私ですか」私は立ち止まり先輩を見た「何かしました」
「いいんですか?料金箱には一回幾らとは書いてありませんが」
「あの、どういう意味ですか?」
「お友達の事はいいんですか?」先輩は左目を見開く
「えっ・・・・・・どうして」私は背筋が凍った。どうして解ったのだろう
「先程言いましたよ。どのような御用件でもと。例えこの世ならざる事でも・・・ね」
それが私と会長・・・先輩が初めて出逢った時
***
「このチビが・・・この女男が・・・」Aが先輩と会って第一声がこれだった
先輩は160センチほど・・・私はそれより15センチ高い。でもAは先輩より5センチぐらい低い
「A、失礼だよ・・・年上なんだから」
私達は先輩と大学の学食であった
あの初対面の時に先輩は自分で良ければ力になりますよ、と言った。また自分でも無理ならば信頼できる方を紹介します、とも言った
「あの・・・その時は・・・幾ら・・・」私は不安な事を聞く。よく莫大な費用を取ると聞いたからだ
「今と同じ様にお心分でいいですよ」先輩は笑った
そして先輩は私に連絡先を書いた紙をくれた
その夜に私はAに先輩の話をした
「怪しくないかそいつ・・・まあ一円ならいいか」Aのお心分は一円・・・それなら会ってみると了承した
・・・すこし私からもお心分を出そう・・・
そして先輩から渡された連絡先に電話し、後日会うことになった
「どうぞ、空いている席に」先輩はペペロンチーノを食べていた「あなたが困っている方ですね」
Aは私が作ったお弁当を開けながら頷く。私もお弁当を開け昼食を食べ始めた
「私は××と申します」先輩は食べる手を止める「早速ですが食べながら聞いてください」
先輩はいきなり幽霊や心霊現象を否定し始めた・・・金縛りは医学的にとか心理学的に幽霊とは等・・・途中Aが反論しようとしたが手で制止する
「おいチビ・・・私がおかしいと言いたいのか・・・」Aは怒り気味に言う「Yも同じ奴を見たんだぞ」
「心理学である程度説明できます・・・が私が言ったのはあくまで心霊等は95%以上が心理的や様々な原因で説明できるということ」先輩はAの目線に気が付く「食べますか?」
「いいのか!!」Aは先輩からペペロンチーノをもらう・・・そして豪快に食べ始めた
「・・・貴方が食べているお弁当・・・一口宜しいですか?」Aは先輩を睨み・・・頷く。まるで何かを訴えるように「これはYさんが作ったのですか?」
私が頷くと先輩は上品に一口食べた・・・その間もAは睨む
「彩りも良く、野菜と肉のバランスが考えられていますね・・・料理は得意と見える」
先輩に誉められ少し嬉しかった・・・味が心配だけど
「ただ味付けが・・・」先輩は申し訳なさそうに話す・・・Aがおいっ、と怒鳴る
「やっぱり薄いですか」私は心配されたことを言われた
「・・・薄い?」先輩はこめかみをトントン指で叩く・・・考えごとをしているようだ「Aさんと言ったね・・・君の優しさが仇になったね」
Aはハア?と先輩を睨む
「Yさん・・・レバーや牡蠣、チーズ等を最近食べていませんね?」
私は先輩の意図する意味が分からなかったが頷く。私はレバーは嫌いだし受験から今まで牡蠣やチーズは食べた覚えがない・・・
「先日、君は友人の食欲が無いと言ったが違う・・・あるが食べなかった・・・君が原因で」
「おい、お前失礼だろ!!年上だからって」Aが先輩に詰め寄る
「君はこのお弁当の味が薄いと言った・・・違う・・・実際には濃いんだ・・・味覚に障害が出ている」
「お前・・・何を・・・」
「恐らく亜鉛不足による症状だと思います・・・亜鉛は摂取し難いものですから・・・心配でしたら医者に見てもらった方が良い・・・Aさんは薄味が好みで食べなかったとも考えられますが・・・時には礼を欠いても話すべきですよ、Aさん」
私とAは開いた口が閉まらなかった
「さて話が反れました。まあこのように一般の心霊現象は説明が付く・・・Yさんが霊が原因でAさんの食欲が無いと思ったが実際は違ったように・・・」先輩は飲み物を飲み一息付く「が貴方のは違う・・・微かに気配が見える」
「・・・あの・・・なんで見えるなら・・・」私は戸惑いながら話す
「前置きをした理由ですね・・・Aさんが私に不信を抱いているからです」先輩は笑う「こういう商売がら不信を持たれるのは解りますが・・・私を信じていただきたいから話すのです」
しばらくの沈黙・・・ただA が食べる音がするだけ
「本題です」先輩は微笑みながらAを見る「私でよければ力になります、どうしますか?」
「・・・宜しくお願いします・・・」Aが初めて先輩に敬語で話し、頭を下げた
先輩は予定を相談し、今週末にAの家に行くことになる
「あの私も行って良いですか?」私は事の顛末を知りたいし・・・先輩に興味が出始めた
「・・・ええ、危険はありませんのでいいですが・・・物好きですね」先輩は何かを思いつく「貴方も疲れている様ですし、精が出るものを食べさせましょうか」
「ええっそんな・・・」
「いいのか!!」
「何かを作りますので・・・そろそろ講義が始まりますね。詳しい段取りはその時に」先輩はそう言うと席を立ち、手を振りながら去っていった
「作るって・・・男の料理か」Aは呟く「・・・ゴメン・・・A、黙ってて。あいつが言った通り料理の味が濃くて。お邪魔になって・・・料理まで作ってくれたから・・・」
「いいよ、気にしなくて。私が悪いんだから・・・実は気になってたの・・・あれ変だな、まだ塩が足りないのかなって・・・・・・でも凄いよね・・・先輩」
「・・・本当にな・・・でも爺臭い・・・見かけは女っぽいガキなのに」
そして先輩とAの家に行く日になった
待ち合わせは大学・・・そして段取りの説明をする為に私の家に向かう
家に男性を入れる・・・先輩の不信感は微塵もないので抵抗もなく入れる
先輩は大きなボストンバックとスーパーの袋を持って来ていた
「Yさん、これは亜鉛が含まれているサプリメントです。宜しかったらどうぞ」先輩は小さな瓶を私にくれた「さて料理を作りますのでキッチンをお借りしても良いですか?」
私は頷くと先輩は手際よく料理を作り出す
「なあ、何を作るんだ?」Aが先輩に聞く
「簡単なものです」先輩は笑いながら魚を綺麗に捌いた
「何これ・・・」私は驚く
「うまそ・・・戴きます!!」Aは手を合わせると凄い勢いで食べ始めた
先輩が作った料理・・・メバルのアクアパッツァ、野菜のフリッタータ、牡蠣のマルゲリータ風・・・らしい
「・・・美味しい・・・」私は感想をいう・・・味を薄いと感じる私でもさっぱりとした味で物足りなさを感じない
「旨い!!久しぶりに豪華な食事だ!!」
先輩はベランダに座り煙草を吸う・・・煙草を吸うのは意外だった
「あの・・・中で吸ってもいいですよ」私の父も煙草を吸っていたのであまり気にしなかった
「私も吸っているから気にするな」Aが問題発言をする
「ここで大丈夫です」先輩は部屋に煙が入らないよう風向きを考えて吸っていた「Aさん・・・煙草は止めなさい」
「あの先輩は食べないんですか?」
「気にしなくて良いですよ・・・それに美味しそうに食べていただければ満足です」先輩はそう言うと笑う「そう言えば見た者を詳しく聞いてませんね」
「男の幽霊・・・丸い眼鏡の着物を着た・・・・・・」Aは食べる箸を止めない
「古い白黒写真で見るような・・・書生風の若い男性でした」
「その男性は・・・何をしていましたか?」
「私を睨んだり外を見たり」
「・・・私が見た時は寂しそうに外を見てました・・・」私はあの時の男性の顔を見る
「・・・その時に何か変わった事は・・・」先輩は何かを思い詰めたように煙を吐く
「そう言えばYが胸を押さえながら咽せてた・・・もの凄く苦しそうだった」
「それは幽霊とは関係・・・」私が笑って否定しようとしたが先輩を見て止めた・・・真剣な顔だった
「胸を押さえるほど・・・苦しむ・・・咽せる・・・」先輩は呟くとそれ以上は何も聞かなかった
食事が終わると先輩は食器を洗い始める
「あの・・・やりますよ・・・」私は先輩は止める
「今から非現実的な事が起きます・・・大丈夫ですが食器を洗うぐらいなら覚悟を決めて心を落ち着かせて下さい」先輩はそう言うと笑った
私は先輩の言う通りにする
「何者なんだ、コイツ・・・占いといい料理といい・・・」Aは呟く
・・・本当にそうだ・・・
そして私達はAの家に向かった・・・先輩はアパートを見ると立ち止まった
「やはり・・・・・・心苦しいな」先輩は静かに呟く
「どうしました先輩・・・」
「いえ、何でもありません・・・二階の奥ですね」
「そうだけど・・・Y、喋ったのか?」Aは先輩に自分の部屋がどこかは言ってなかった
私は首を振る
「失礼致します」部屋に入ると先輩は靴を綺麗に並べてから言った
「気楽に入れよ」Aはそう言ったが先輩は礼儀正しく入る
部屋は散らかっていた・・・私の家に泊まる用意を急いでしたからか、いやそれだけじゃない・・・Aの性格が伺える
「少し整理させて頂きます」先輩は整理という掃除をある程度する
整理が終わると先輩は部屋にあった机を部屋の中央に置きボストンバックから取り出した白い布を敷く。そして先輩は窓に向かって正座する
「君達は私の後ろに座ってください」先輩は座る場所を指示する
私達は言われた通りに座る
先輩はさらにボストンバックから白米、瓶、和紙、小皿、箱を取り出す机の上に置いた。和紙の上に白米を盛り、小皿に水を注ぐ・・・箱を開けると札や筆等が入っていた
「これは酒ではなく貴船の神水で御座います・・・・・・どうぞお召し上がり下さい」先輩は私達に話していない・・・見えない誰かに話すようだ
「では始めます」先輩は振り向き私達に言う・・・
そして先輩は座りながら少し下がり三つ指を揃え頭を下げる
「あの・・・」私は思わず何をしているのか聞く
先輩は誰もいない方向・・・窓の方向に頭を下げる・・・まるで誰かに挨拶をしているように礼儀正しく・・・
「我が思いを言の葉に乗せ言霊とし貴方に申し上げます・・・突然の来訪を許していただきたい・・・私は術師△△と申します・・・貴方は・・・察するにロウガイでございますね・・・」
私とAには意味が解らなかった
***
「・・・やはりそうで御座いましたか・・・ご安心ください我々には移ることはありませんので」先輩はゆっくりと体を起こす「・・・・・・祓いたくないな・・・」
私達はただ呆然と見ているだけだった・・・何をしているのか・・・誰と話しているのか・・・そしてロウガイとは何なのか・・・意味が解らない
「おい・・・祓いたくないって」
「君達には見えていないのですね」先輩は箱から二枚札を取り出す「ただ祓うだけが方法ではない・・・と言ってもまずは初めに見えるようにしなければいけないか・・・」
先輩が印を結びながら指に札を挟み、何かを唱える
「目を閉じ・・・合掌するように札を挟みなさい」
Aは何かを言おうとしたがしぶしぶ従う
「・・・札を持っている限り見えますので離さないように・・・目を開けなさい」
私は先輩に言われるままに目を開ける・・・男が窓の縁に寄りかかるように立っていた。私が見たときよりもハッキリと。Aも見えたらしい・・・改めてハッキリ見たためかあう、あうと声が漏れる
男は一度Aと私を睨むと窓の外を見始めた
「どうやら見えたようですね・・・」先輩は笑う・・・この状況で・・・
「あ、あ、・・・」私は言葉が出ない
「安心しなさい・・・この方は君達に害を与える気はない」
「チビ、こいつは私に金縛りをかける奴だぞ」Aはやっと我に帰り言う
「君に金縛りをかけたのは確かです・・・自分の病が移らないように追い出そうとしたのです・・・この方は優しい方。そして真面目すぎる・・・自分が亡くなったと解っていても人に移るのを恐れたから・・・」
「病ってさっき言った・・・ロウガイですか」
「そうです」先輩は頷く「この方の風貌を見てロウガイの方が伝わり易いと思いましたので・・・労る咳と書き労咳・・・結核です」
「結核って正岡子規とか・・・」
「よくご存知で」先輩は男を見る「この方は明治ぐらいの方・・・当時結核は死病・・・発症者は村八分や隔離されたりしました・・・そして、この方は自らここに閉じ籠もった」
「どうしてそんな事が解るんだよ!!第一ここはそんなに古くない!!」Aは怒鳴る
「この方はこの部屋に憑いているわけではありません・・・この場所に憑いている・・・そして私は別のものが見えますので解る」先輩は左目を見開く
「意味が解らない!!部屋じゃなく場所に・・・」Aが怒鳴るのを先輩が止める
私にも解らない
「百聞は一見に如かず、見せた方が早い」先輩は白紙の札に何かを書き先程とは違う何かを唱える
唱える終わると先輩は立ち上がり、失礼と言って男に札を当てた
「少しこの方の気を当てます・・・大丈夫、心配しないで」先輩は笑いながら喚くAの額に札を当てる
「おい、何する・・・・・・何だよ・・・これ・・・」Aは突然涙を流す
「A・・・どうしたの?」
「この方の気・・・簡単に言えば記憶を見せました・・・」
「私にも見せて下さい・・・私だけ知らないのは嫌です」私は先輩を見る
「・・・本当に物好きだ・・・」一瞬、先輩の口調が変わるが元に戻る「・・・解りました・・・少し気分が悪くなるかも知れませんが」
先輩は私の額に札を当てた
もう桜の季節か・・・
この部屋を座敷牢として使いだし幾年すぎたのか
それを数えるのを止めて幾年すぎたのか
忌々しい労咳め
何時から病をそう憎むのを止めたのだろう
何時から忌々しい労咳を受け入れたのだろう
「あなた・・・食事です。あと写経のご依頼が」
妻が襖の前に座っているのか
そういえば愛した妻はどの様な姿だった
愛した妻はどの様な顔だった
愛した妻がどの様に変わったのか解らない
ただ解るのは己の指が細くなったことだけ
いつからこれほど指が細くなったのだろう
「あなた?」
「すまない・・・写経は何冊だ」
「二冊です」
「解った・・・下がりなさい」
仕事はたった二冊だけか
全く・・・駄目な主だ
この様な人間なぞ存在しないも同じか
妻の中には私が存在しているのだろうか
妻は私の顔を覚えているのだろうか
本当に神や仏は存在しているのだろうか
私にとって紙の襖が岩戸のようだ
私にとって一本の鍵代わりの細い棒が幾星霜生きた大木のようだ
私のいない世界を開けても妻はもういない
私がいない世界に食事がある
「・・・桜茶か・・・」
私の世界に桜が咲く
すでに散った桜が咲く
労咳よ・・・私を急かさないでおくれ
労咳よ・・・一冊を写す時間を私にくれないか
労咳よ・・・私の命は貴方の物だから安心しておくれ
座敷牢が私の世界
窓からの情景が私の世界
明日も私の世界は変わらないのか
窓からの情景から微かに聞こえる
「ホトトギス・・・か」
どうして妻がここ入る
どうして妻が私を見て泣く
まだ妻の中に私が存在してたのか
これほど私は痩せたのか
愛した妻は変わっていなかった
そうか私は死んだのか
そうか私は労咳に負けたのか
窓からの情景が私の血のようだ
いつの間にか秋なのか
私の世界は窓からの情景と座敷牢だけだ
私の世界が燃える
私の情景が真っ赤に燃える
人が燃えている
何が起きている
私の存在しない世界が燃えている
新しい世界が出来た
知らない誰かが私の世界に入る
孤独な世界を望むのか
労咳はそんなに甘くはない
去りなさい
私の世界は私だけでいい
私の世界はこの窓からの情景だけでいい
ああ・・・どうしてまた孤独を望む・・・
ああ・・・窓からの情景だけが変わりゆく
「大丈夫かい?」先輩の声で現実に戻る
「えっ・・・えっ・・・今の」私は涙が出ていた「・・・真っ赤に・・・」
「それは戦時中・・・空襲の情景だ」
先輩はあの業火も見ていたのか・・・ただ一人で苦しみ、死してなお自分の世界・・・窓からの情景を見続けたこの男の記憶を。
先輩は再び男を見て座る
「この方は座敷の襖につっかえ棒をして座敷牢に自ら閉じ籠もった・・・愛する妻に移さないために孤独を選んだ」先輩は話しながら印を結ぶ「自分がいる座敷牢と自分が見える窓からの情景・・・それを自分の世界にした。これが部屋ではなくこの場所に憑いた理由・・・」
「おい・・・何を・・・」Aさんが札を離し先輩の肩に手をかける
「私は貴方の依頼でここにいます」先輩は印を変える「いかがしますか?祓いますか?」
「あれ・・・見たら・・・祓えるかよ・・・」
「・・・ではAさん・・・どうしますか?」
「・・・・・・ってやる」Aは一度深呼吸する「私がお前の世界に入ってやる!!」
「どうしてです?」先輩は一度印を解き、再び印を結ぶ
「私はYのお陰でここにいる・・・私は高校の時に莫迦なことばかりしていた・・・そんな時自分のやりたいことを見つけた・・・親に夢を話したらな・・・お前が居なくなるなら清々するって・・・いなくなるなら大学の費用だけ出すとさ」Aは震えていた
「A・・・もう」私がAを止めようとしたら先輩は目で止めるなと伝えた
「親にムカついたさ・・・自分がしてきた事を後悔した・・・その時Yが言ったんだ・・・今が大切だって・・・後悔するのは後からでも出来るって・・・夢が叶えられる方が大切だって・・・大学に行ける、良かったね・・・私はずっといるって」
「A・・・」
「お前は人が恋しいから窓を見るんじゃないのか!!誰か自分を知っていてほしいから窓を見るんじゃないのか!!私がここを選んだのは安いからだよ・・・お前のお陰で安く入れた・・・本当に感謝だよ・・・お礼だ・・・私の世界にYが居たようにお前の世界に私が居てやるよ!!」
男はいつまにかAを見ていた
「だそうです、K様」先輩は笑う「Aさん・・・お前呼ばわりはいけないよ。この方はK・Sという名前だ」
「先輩・・・今何を・・・」
「Aさんの言葉を言霊にしてK様に伝えただけです」
Kさんの口が動いた
「K様は好きにしろ、との事」
「ああ・・・好きにするよ・・・ただ金縛りは止めてくれ」
微かだがKさんが微笑んだ気がする・・・そしてまた口を動かす
先輩が笑う、そして周りを見る
「チビ・・・何を笑ってる」
「失礼・・・K様からのお願いが二つあるとのことで・・・私も同意ですね」
「なんだ・・・お願いって」
「一つは煙草を吸うな・・・もう一つが・・・部屋を綺麗にしてくれ・・・確かに・・・これは酷いですからね」
「チビ・・・殴るぞ」
そして私達は掃除をした・・・Aには内緒だが確かに酷い。先輩は机の上を綺麗に片付けをする
「今回のお心料ですが」
「払わないからな・・・お前・・・始めからこうするつもりだったな」
「結構ですよ。本当に優しい方で良かった・・・祓うだけが解決ではありませんから」
「あと解った・・・お前が猫を被っていること、それに腹黒いこと・・・」
先輩は笑いながら掃除を手伝った
「先輩は何者ですか?」
「ただの大学生ですよ」
あれからAに金縛りが起きなくなった・・・夜中に目が覚めると時々笑うKさんが見えるらしい
Aは慣れてくるとKさんのことを先生と呼ぶようになった・・・本名が長いことと見かけが物書き・・・先生に見えるからだ
たまに先生はAに金縛りをかける・・・部屋が凄く汚くなり我慢できなかったからだろう、とAは笑う。ある時は疲れてうたた寝をすると風邪を引かないように金縛りをかけAを起こすらしい・・・仲良くやっているようだ
Aは今も先生の世界にいる
「行ってきます」
変わった髪色の娘が私に声をかける
私の恐れは杞憂だった
私の世界はこの座敷牢と窓からの情景だけだった
ずっと労咳を恐れていた
今は娘のお陰で労咳を恐れていない
『気を付けて行ってきなさい』
「はい、気を付けます」
娘の中に私は存在する
愛した妻にも私は存在した
私の世界は座敷牢と窓からの情景・・・そして娘の見る情景
『娘との暮らしは数えよう』
私は新しい世界に笑う
終
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