ヤンデレ・インフィニティ

腹筋崩壊参謀

前編

 昔々、ある所に双子の兄妹がいました。

 2人は同じ高校に籍を置き、同じ道を通って学校へ向かい、そして帰り道も2人で一緒に同じ歩幅で進んでいきました。


「お兄ちゃん♪」


 まるで恋人のようにべったりと寄り添う妹の頭を優しく撫でる兄。双子としてこの世に生を受けた2人ですが、二卵性の双生児と言う事もあり顔つきや髪の質も違うので、ますます彼氏と彼女のようにしか見えませんでした。

 この時も、いつものように妹は兄の手を離す事無く家までずっと歩いて行きました。


 兄妹には、両親がいませんでした。2人が幼稚園の頃に起きたあの事故が、その後の双子の関係を作り上げたのでしょう。大金持ちの親戚からの資金援助もありましたが、顔も覚えていない頃に両親を失った妹にとって、兄は大事な、たった一人の自分の血と同じものが流れている存在でした。

 兄といる時の妹は、まるで大好きな芸能人に会った時のような笑顔で満ち溢れていました。そんな彼女を見ていると、兄も今日の疲れを忘れてしまい、幸せな気分になっているのがその顔からもにじみ出ていました。



 そう、2人はいつまでも、永遠にずっと『一緒』だと、妹は信じていたのです。

 しかし、その幻想はある日突然崩れ落ちました。


「ねえ、お兄ちゃん……」


 今日の帰り道は、いつもと違いました。普段は腕に体を摺り寄せてくるほど体に密着して来る妹が、まるで壁を作ったかのように何も喋らず、顔を下に向けたままだったのです。当然手も握らず、無口のまま。そんな2人に、気まずい空気が流れていました。

 そして、家に帰ってきた兄がその理由を尋ねた時、妹の重い口が開きました。


「……あの女の人……だあれ?」


 その言葉に、一瞬兄は拍子抜けしていました。少々自分の関わる事柄について相談するうちに身内話が弾んでいた所を、偶然にも気づかないまま妹に見られてしまっていたようです。大丈夫、自分はいつでも妹の味方だ。そう言って優しく兄は妹の頭を撫でました。

 しかし、その時彼は薄らと気付いていました。にっこり笑い返した妹の眼に、いつもの健気さが無くなっている事を。そして、それを補うかのように氷のような冷たさがにじみ出ている事を。



 次の日、兄の教室は騒然とした雰囲気になっていました。何があったのか気になった彼ですが、その真相は彼女の担任の先生から聞く事が出来ました。どうやら昨日彼と一緒に話していた女子高生を何か重大な事故か病気が襲ったらしく、長期的に学校を休むという連絡があったようです。あまりにも突然のため、学校側も少々ドタバタがあった模様で、先生の顔からも慌てている様子がすぐに分かりました。

 心配が止まない中、友人と別れて兄は帰路につきました。今日は事前に妹から先に帰っているという連絡が来たので、1人で道を歩いていきます。ところが、気持ちがふと遠くへ飛んだ瞬間、彼の右側に柔らかい衝撃が走りました。目線を右下に下げると――。


「お兄ちゃん♪」


 ――制服姿の妹が、兄の腕にいつものようにしがみ付いていました。


 先に帰っているのではないかと尋ねた彼に、心配だからやってきてしまったと妹は可愛げに答えました。やはり自分を親代わりとして見ている所はあるのかもしれない、と思った彼はそのまま妹と一緒に普段の帰り道とは違った道を進み始めました。その通りを少し行くと、大きなスーパーマーケットがあります。料理が得意な妹は、時たま兄より先に帰ってとても美味しい料理を作って待っているのです。いつもは内緒ですが、今回は何を作るか兄も把握する事が出来ました。


「これで美味しいカレーライスを作るんだ♪」


 そして、大きい荷物を抱えたまま、妹は先に帰ると言いだしました。ビニール袋に詰まった野菜を見る限り、これはとても重そうな感じ。兄も心配して手伝おうかと尋ねましたが、それを言う前に妹の姿は遠くへと消えて行ってしまいました。思い立ったらすぐに行動してしまう、猪突猛進な所がある妹…と、にこやかに眺める所ですが、何か兄は違和感を覚えていました。妹の姿は建物の角へと向かっていっていました。しかし、その道だと遠回りになってしまうはず、どうしてそちらへむかうのか、一瞬兄は疑問に思いました。しかしそれは――。


「ありがとう。ふふ、お兄ちゃんに褒められちゃった♪」


 ――妹の作った美味しいカレーライスによって吹き飛んでいました。遠回りの道のはずなのに先に帰って来ていた彼女、妙に多いカレーの量。色々と疑問はありますが、食欲には勝てなかったようです。兄の笑顔は、いつでも妹を幸せにしてくれるようです。


 そう、兄さえいればいつでも彼女は幸せになる。兄以外の人がいると、自分は幸せになれない。

 夜、星空を眺めながら妹は言葉を口にし続けていました。祈るように、思いを込めるように、何度も何度もずっと。そして、眼を開けた時、妹の顔は月にも負けないほど明るくなっていました。


「これで、永遠にお兄ちゃんといられるんだ……ふふふ♪」


 当人はぐっすりと隣の部屋で寝ています。まだこれは、妹「だけ」の秘密。

 しかし、彼女は少しだけワクワクしていました。これが実現すれば、愛する兄を邪魔する者は無くなる、と。


====================


 翌日の学校。まだあの女の子は学校に復帰していませんでした。連絡も取れない状況と言う事で、友人たちからは何か重い病気にかかったのではないかと心配されていました。ただ、それ以上に気になるのが彼女に加えて三名も突然欠席した生徒がいる事でした。伝染病なのかもしれないとまで言われています。一体どういう事でしょうか。


 その一方で、別の所でも妙な事態が起きていました。

 兄の耳には入っていなかったのですが、図書館の本が突然10冊以上消えたり、バスケ部のボールが行方不明になったりと、学校の各地で様々なものが突然消え始めていたのです。次第にそれは、兄の使っているペンにも及び始めていました。

 しかし、そちらには誰も疑問は湧きませんでした。消えたバスケットボールも補充され、図書館は早く消失した本を返却して欲しいという張り紙を貼り、そして兄は代わりのペンを買う――様々な形で、消え去ったものは補われて行きました。


 ですが、兄から少しづつ心の余裕が無くなり始めていました。妹の笑顔を見ても、心の中で腑に落ちない何かが生まれ始めていたのです。というより、妹の「笑顔」を見る回数が、あまりにも多くなり始めていたようです。道端で妹に会い、そしてそこを曲がって少し歩いた先にも妹がいたり、スーパーマーケットにいっても、学校の食堂に行っても、友人と出かける時も、何故か行く先々で妹の姿があるのです。


「あ、お兄ちゃーん♪」


「お兄ちゃんだー♪」


「うふふ、お兄ちゃーん♪」


 ほがらかで優しい笑顔も、何度も受けるにつれて彼は元気を貰えなくなっていました。どこへ行ってもそこにあるのは妹の顔。まるで監視されてるかの如く、逆に少しづつ恐怖すら感じるようになってしまいました。



 そしてある日。

先生までも長期休業になり、代理の先生が担当した兄の教室。クラスメイトの数も四分の三に減ってしまっていました。妹は大丈夫なのだろうか、今日も早く帰ると言った彼女に早く会って聞いてみたいと兄は思いました。

 いつもの帰り道、彼の右隣からいつものように声が聞こえました。


「お兄ちゃん♪」


 そのまま右腕に体を摺り寄せ、妹は明るく彼と一緒に歩きます。どうしても不安で笑顔を作れない兄とは対照的に、いつもの明るさを保つ妹。その朗らかさに少しだけ緊張が解けたその時、今度は左側に何か柔らかく暖かいものが触れたように兄は感じました。

 その直後でした。有り得ない方向から、この声が聞こえたのは。


「「お兄ちゃん♪」」


 これは錯覚だ。疲れているんだ――彼はそう自分に言い聞かせました。

 そうでもしないとこの状況なんて説明できないからです。右にも左にも、妹がいるなんて。


 そう思って瞼を一瞬閉じて開いた瞬間――。


「「「「お兄ちゃーん♪」」」」


 ――錯覚でも何でもありません。

 兄の目の前には、1人しかいないはずの妹が4人もいたのです。


 兄は走り続けました。妹の手を振り切って、何も考えずに逃げ出しました。自分の頭で理解できる範疇を超えた、この異常事態から逃れるように。しかし、後ろから妹たちが追いかけてこない訳を、必死に走る彼は気付いてしまいました。


「「「「お兄ちゃん♪」」」」

「「「「お兄ちゃん♪」」」」

「「「「お兄ちゃん♪」」」」

「「「「お兄ちゃん♪」」」」……


 商店街、スーパー、家、公園、道路――街のあらゆる所に、妹がいたのです。しかも4人や5人だけではありません、彼が見るあらゆる場所に妹の姿がありました。当然その数は体中全部の指を使ってもまだ足りません。それどころか、どんどん増えているようにも見えてしまいます。

 街に逃げ場はもう無い、もう何が何だか分からない状態の兄は足元に注意が及んでいませんでした。気付いた時は、自分の体は斜面から転げ落ち、草の上を回り続けていました。幸いにも、その下にあった草原によって衝撃は食い止められました。そう、「体」の衝撃は食い止められましたが、「心」に関してはさらなる衝撃を受けてしまったようです。


「「「「「「「「うふふ、ようやく気付いたんだね♪」」」」」」」」


 もうこの街は、私でいっぱいなんだよ。


 表情を変える事が出来ず、唖然としたまま仰向けになっている兄を尻目に、その体を取り囲む妹の数はどんどん増えて行きます。10人が12人、15人、20人――一体どうしてこのような事態になったのでしょうか。現実を超越した光景に狂いそうになりながらも、兄は僅かに残った体力で妹に聞きました。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「お兄ちゃんだけには教えてあげる♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


そう言って、妹は一斉に声をユニゾンさせながら語り始めました。


 お兄ちゃんが大好き。

 世界の何よりも大好き。

 お兄ちゃんが一番。

 お兄ちゃんとずっといたい。


 それが、双子の妹の願いでした。


 両親を失ってから、兄は様々な心の支えとなり、やがて妹にとって絶対に離れる事の出来ない存在となっていました。しかし、大きくなるにつれ、その彼女の願望は不可能に近いものだと言う事が分かって来たのです。双子と言う足かせを担ってしまっている法律、彼女や兄を狙う「邪魔者」たち、そしてこういう場を作った政治家や国――何もかもが自分の邪魔となっている。このままでは、お兄ちゃんと一緒にいる事は出来ない――。




 ――そんな事を考えている時、ふと妹はある事を思い浮かびました。

 もし世界中のあらゆるものが「私」だったら、いつでもどこでもお兄ちゃんを自分のものに出来る、どこへ行っても私しかいないから、みんな同じなので寂しくないし楽しいし、それにお兄ちゃんを横取りする人もいない、と。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「だって、みんなお兄ちゃんの妹なんだもん♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


兄の頭の中はどうなっているか、妹たちは少し感づいていました。

 今、お兄ちゃんは目の前の状況に混乱している。その理由は一体どうしてこうなったのか、具体的な事を言っていないからだ、と。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「心配しないで、ちゃんと説明するからね♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


 今や兄の周りは妹だらけになっていました。何百人もの妹の声が同時に彼の耳の中に響き続けました。


 彼女の能力を生んだのは、願いをかなえると言う流れ星。赤い流れ星に願いごとをかけた時、彼女は自分に不思議な力が宿った事を感じ取りました。それは、自分と愛する兄、そして消したくないと思ったもの以外の「あらゆるもの」を、とあるキーワードを言うだけで全て「妹」に変えてしまう力。今街中にいる妹も、全員様々なものが妹になったものなのです。人間だけではなく、動物も植物も、はたまたベンチや石、さらにはボール、本まで、森羅万象が自分になっていきました。長期休業となった友人も先生も、消えた図書館の本もボールも、全部自分になっていた事も含め、妹は全て明かしました。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「みんな私になっちゃえば、いつでも会えるし、ずっと暮らせる。素晴らしい考えでしょ?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


 お兄ちゃん。


 その言葉を聞いた途端、兄は全てを理解しました。妹は世界のあらゆるものを『妹』にしようとしているのです!

 突然、兄は大声を張り上げました。今まで妹も聞いた事が無いほどの声、奇声とも悲鳴ともいえる、絶望から必死に逃げ出そうとする心の叫びでした。何百人もの妹が怯んだ隙に、彼はその場を逃げ出しました。あまりの悲鳴に妹たちが動けなかったのも幸いしたかもしれません。近くにあった古い自転車に乗り、彼はこの街から必死に去って行ったのです……。

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