第2話 小文化祭
薄暗い、というより真っ暗に近い屋内。ついつい、手詰まりな現状になぞらえて憂鬱な気分に陥りそうになっちゃう。
いけない、今はそんなこと考えている時間じゃない。大切な仲間の大事な晴れ舞台なのだ。
ワーム対策はお兄ちゃんが考えてくれている。あたしは技術的なことはわからないから、お兄ちゃんから自由な発想での意見を求められた時に考えればいい。
俯けていた顔を上げ、拳を握る。
それとまったく同じタイミングだった。
開演を告げるブザーが鳴り響き、幕が開く。演劇部の小文化祭公演だ。
スポットライトが赤い花を照らし出す。
花の正体は、藍先輩。赤いイブニングドレスが目に鮮やかだ。
華奢な体型、柔らかくも張りのある、聞き心地の良い声。
知っているはずのあたしたちでさえ、性別を疑いたくなる。
喉仏や手をじっくりと観察されれば、ごまかしきれない可能性もあるだろう。
だが、いま舞台上で展開されているのは中世ヨーロッパの物語なのだ。藍先輩の首にはストールが巻かれ、両手には白手袋。不自然さを感じさせることなく、小道具でうまくカバーされている。
観客との距離がやや近すぎるこの舞台において、演劇部員やクラスメイトといった関係者を除き、藍先輩の性別を見抜く人はいないんじゃないかな。
ちなみに、今回は藍先輩、キャスト名として
校外の公式な大会では認められることではないが、これは校内限定の小文化祭。芸名を名乗っても何ら問題はない。
演劇は役者の個性を光らせつつ、滞りなく進行してゆく。
今回、我が演劇部が公演している場所は武道場なのだ。
そう、この朝北学園には三階建ての立派な武道場が存在する。
一階は柔道場、二階は剣道場となっており、部室も併設されている。しかも建物北面には弓道場が接しており、その部室まで含めると、その総面積はもはや校舎別棟の一つと言って差し支えないほどの広大さを誇る。
最上階の三階は空手部だが、近年は部員数が不足して同好会格下げが決定している。残った部員も幽霊部員と化しており、職員会議にて廃部が検討、というかほぼ決定しているらしい。
閑話休題。
そんな巨大施設の武道場だが、春の小文化祭や秋の文化祭においては、こうして文化部の発表のために使われる。
今年の春はあたしたち演劇部が、二階剣道場で公演を披露しているのだ。
舞台でしっとりと貴族女性を演じる藍先輩。それをきっちりと照らし出す照明係が哉太だ。お互い高等部一年生ながら、なかなか重要な仕事を任されている。
ところで、哉太としては音響係を希望していたのだが、この公演に限っては諸々の都合から照明に回されていた。
「藍先輩、きれい……」
幕間、思わず感想を漏らす。本当、うっとりしちゃうよ。
「ああ。あーしと真逆だからな」
「ふふ。バランスとれてるってこと? 詩奈先輩だって素敵よ」
今回、あたしは菜摘と加奈とは別行動だ。裏方仕事の時間帯がかぶらなかったのだ。そこで、詩奈先輩と観劇中なのである。
「それはそうと、劇の内容。あーしには刺さるテーマだぜ」
あ。幕が上がる。藍先輩、劇中では「アイラ」だけど、彼女のセリフからだ。
「私は信じません。一目惚れなど」
アイラが声を張る。
相手役の男性を演じる役者は、高等部二年の女子生徒。誰が見ても女とわかるけれども、それなりになりきって演技できている。
その相手役、アイラの言葉にショックを受けた演技とともにあとじさる。
「な、なぜだ」
「私の中身にどれだけの価値があるか、それを私自身どれほど磨いたか。そういう部分に目を向けず、ただ外見だけで判断するなんて。そのようなお方を信用など、できるものですか」
暗がりの中、詩奈先輩の顔が引きつる様子がなんとなくわかった。
手を握ってあげたら、目が合った。にっこり。
にゃ。肩抱かれた。頬ずりされちゃった。うふ。
「何を言うアイラ。美しい花はそこにあるだけで大きな価値があるものだ。咲き誇る花は愛でられてこそ意味がある。この私、マークがアイラに、その意味を与えるのだ」
観客に向けて両手を広げ、堂々と主張するマーク。
この、某有名歌劇団っぽい演出。ちょっと派手すぎるって、最後まで志保先輩が渋ってたな。
でも今回に限っては、これで正解なんじゃないかな。
「ではお尋ねしますマーク。花はすぐに枯れ、散ってしまいます。しかし新しい花は後から後から咲き続けるでしょう。あなたは散った花を見限り、次の花に新たに意味を与えるべく、奔走するのではありませんこと?」
責めるような言い方ではなく、あくまで拗ねたような言い方によって相手の罪悪感を引き出す。そういや、藍先輩ってば演出さんと熱いディスカッションを繰り返していた。
そうして生まれたのが藍先輩のこの演技。すっごく勉強になる。それにしても引き出しの多い人だ。尊敬しちゃう。
「人には記憶する力がある。美しい花を目に焼き付け、未来永劫愛で続けることができるのだ」
「マーク。あなた、今何をおっしゃったか、ご自分で判っておいでですか」
「もちろんだともアイラ。私は酔ってもいなければ、物忘れの激しくなる歳でもない。自分で言ったばかりのことが判らなくなることなど、あるものか」
細く絞られるスポットライト。目を爛々と輝かせるアイラ。
「ならばあなたは判った上で仰ったのですね。散った花には価値などない、と。つまり私の中身に価値などなく、歳をとって容姿が衰えた後は、今この時点の私の姿を思い起こすことはあれど、未来の私の姿に目を向けることはない、と」
演者の頭上をスポットライトが乱舞する。
主に、マークの焦燥と混乱を表現した演出だ。
「い、い、いや! そ、そんなことは……」
「あなたと言葉を交わすのはこれで最後です。二度と話しかけないでください」
アイラの冷え切った声。迫真の演技だ。
わわ。詩奈先輩。これはお芝居だし、冷たい言葉を浴びたのはマークであって詩奈先輩じゃないんだよ。
そんなに落ち込まないで。
「よしよし」
なでなでしてあげる。うはは、懐かれちゃった。
芝居はさらに進み、アイラ以外の演者が入れ替わった。
出番の終わったマークのかわりに、彼より若くイケメンという設定の演者とふたりきりで舞台に立っている。
向かい合う彼に対し、アイラの情熱的な言葉が捧げられる。
「あなたこそ私の運命のお方! 一目惚れです!」
ベタなオチではあるけれども、たくさんの笑いと大きな拍手により絶賛された。
ここまでの藍先輩による丁寧な演技がうまく機能した結果だ。
お疲れさま。すっごくすっごく良かったよ。
「ふう。良かった。ラストのおかげでほっとした。でもやっぱ、あーしには刺さったぜ。さっきも言ったけどな」
「もう。お芝居なんだから気にしないの。……ねえ詩奈先輩。ほんとに、あたしや藍先輩に一目惚れしたの? 藍先輩はともかく、あたしなんかのどこが良かったの?」
握ったままだった詩奈先輩の手を両手で包み込みながら、なんとなく聞いてみた。
「……自己紹介のときにさ」
「え?」
自己紹介っていつのだろう。この姿で先輩と初めて出会った時って、名乗るときに膝がふるえてたような。印象としてはかなりマイナス方向に傾いているような気がするんだけどな。
「表情や声の出し方。緊張してんのに物腰は柔らかくてさ。それでいてしっかりと筋が通った、武闘家のような印象も垣間見せる。あれで惚れないとか、女じゃねえだろ」
うーんと。これ絶対、あたしじゃないよね。
「お兄ちゃんのことなの? 詩奈先輩の一目惚れの相手って」
「あ? アル兄か。ありゃ別人だぜ」
そういうと、彼女はあたしの目を真正面から覗きこんだ。
「そうじゃなくて、自己紹介の時だ。あの日見た倍巳の表情や声の出し方は、まさに今のマスミンそのものだったからな」
なになに、どういうこと。
「ひょっとしてあたしが倍巳だったこと、気付いてたの? ……最初から」
「なわけねえだろ。例の『リア充襲撃計画』のときに出回った写真な。あれ見た段階では特に何も感じなかったんだ」
腕組みしてうんうんとうなずいて見せたかと思うと、すぐに両目を大きく見開いた。
「ところが、マスミンの実物を見た瞬間の衝撃と言ったらもう。女にも似たような奴がいるんだな、って」
「ほえー」
「名前聞いたとき、思い浮かべた人物と同姓同名だったからよ、逆に頭ん中ですぐにつながらなくってな。混乱したぜ」
本当はあの日、あたしを安心させたくて笑いかけてくれようとしていたという。しかし、わざと悪ぶった態度で要件だけ伝えるつもりだったため、途中で態度を急変させるのも不自然だと思い、あのような不愛想な初対面となってしまった、と悔しそうに述懐してくれた。
「ふふっ」
「わ、笑うなよ」
「詩奈先輩、大好き」
「お、おう……」
倍巳として高等部一年四組で自己紹介したあの日。やたら笑顔を振りまくツインテールさんがいると思った。
それが目の前の彼女、詩奈先輩だ。
実はその笑顔、倍巳にだけ向けられたものだったというのだ。
初めて聞いたよ。びっくしした。うん、もちろん嬉しい。
今後はその笑顔、藍――、敦先輩にも向けてあげてね。
「やるわね、詩奈」
「できる奴だ。名塩」
「美沙姉、洋介先輩。こんにちは」
洋介先輩も合流。美沙姉の彼氏だというのに、久々に見た。
「あーしやっぱ、誰よりもマスミンが好きだわ」
「僕はみんな好きだよ」
きゃー、この声はっ。
振り向くと、敦先輩が立っていた。彼の男の子ボイス、それこそ久々に聞いた気がする。
「でも今の一言でちょっと火がついたかも」
もうメイク落としてきたの!?
てか、男子生徒になってるし。そっか。演劇終わったから、女装も終わりなのか。ちょっと寂しい。
「いつか、詩奈の一番になれるよう自分磨きをするとしよう。潤美が相手じゃ敵わないけどね」
「うそうそ。あたし藍先輩のこと、いっぱいお手本にしないとなのに。まだまだ全然だよぉ」
「おい菜摘、加奈。こいつの自己評価の低さ、深刻なレベルだぞ」
詩奈先輩、こちらを見ながらもあたしの親友たちの名を呼んだ。
「今に始まったことではありませんよ」
「ん。こうだからこそ潤美は可愛いんだけどねっ」
菜摘と加奈も来てたのね。
「可愛いと言いながら胸に手を伸ばさないでね」
加奈の手をブロックする。えいっ、両手恋人つなぎ状態よ。
「くうっ……。この一か月、ぺったんこなままの僕をおきざりに、潤美の胸はさらに成長してるのに。胸揉みブロックのスキルが日々レベルアップしていく……っ」
「そりゃ、一日おき宣言を破ってほぼ毎日、しかも数回ずつ揉み続けてきましたからね。加奈さんはやりすぎなんです」
腕組みして嘆息を漏らしながら菜摘が言うと、加奈は唇をとがらせて反論した。
「だってえ。目の前にあるこれほどの美乳。開発せずしておっぱいマイスターを名乗れるものか。ねえ、哉太先輩」
「開発すんな。てか、おっぱいマイスターって何よ。……あ、哉太」
「おう潤美。こら、加奈。無理矢理仲間に引き込むんじゃない。あと、頼むから周囲の視線を釘付けにする発言は控えてくれ。割と真剣に」
そういう哉太にくっつくと、あたしたちは自然に解散した。その後、彼と二人で小文化祭の校内をぶらつくのだった。
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