第二章 盛夏編
第二章 プロローグ
クラスのアイドル。我が一の四にはそう呼ぶに相応しい少女がいる。
小柄ながらも細身で長い手足。整った目鼻立ちの小顔はまさに黄金比の見本。
ほぼ毎日のように彼女の周囲は笑顔に溢れる。その中心に咲き誇る最も可憐な花。そう、我らがアイドルの笑顔は至高の宝石そのものなのである。
そんな彼女なのだが、物憂げな表情で窓辺に立つ日もある。その日はクラス全体の雰囲気も沈む。当然だと言えよう。なくてはならない太陽のような存在なのだから。
ツーサイドアップを風が揺らすに任せ、額をくすぐる前髪に目を細める仕草は、年齢に見合わぬほどセクシー――
「あのね、岡くん」
あたしはぎりぎりで苦笑をこらえ、なんとか表情に出さないようにして遮った。
「何かな、御簾又」
冒頭のナレーションの主が、落ち着いた声で応じる。
「多分あたしのこと褒めてくれてるんだと思うし、悪気はないこともわかってるから、お礼を言うわね。……ありがとう」
「どういたしまして」
なんという鈍感力。これ一応、抗議なんだけど。気づいてよ。
「だけどね。それ、延々聞かされても反応に困るし。何より恥ずかしいのよ」
「照れ屋だなあ、御簾又は」
タレントになろうとはこれっぽっちも思ってないのに、面と向かってアイドルだの太陽だのと褒め殺される身になってほしいわよ、もう。
「はっきり言うわ。それ音読するの、これっきりにしてね」
「何を言う。演劇部におけるオリジナル脚本コンペに提出する原稿なんだぞ」
「へ?」
我ながら間抜けな声になっちゃった。
「でもそれ、あたしのことなのよね」
「当たり前だ。御簾又も演劇部員。しかも次の児童館公演で主役を務めるほどのキャスト要員だ」
「待って。オリジナル脚本コンペってことは、秋の文化祭の原稿でしょ」
「うむ、それもまた当然」
「落ち着いて。児童館公演のことだって、まだ他校との協議に向けて部長が推薦する段階であって、あたしが主演すると決まったわけじゃないのよ」
まさかとは思うけれど、岡くん誤解してるのかな。
「落ち着いているさ。いずれにせよ、君はそれほどのホープなのだ。秋の文化祭でも主役を務めることになるかもしれないだろう」
何言っちゃってるのかなこの少年は。秋の文化祭は学園内での最大行事なんだから。中等部にメインキャストが回ってくるもんですか。
「無理無理、無理よ。高等部の先輩方、みんな凄いのよ。岡くんだって知ってるでしょ」
「まあ、脚本家がキャスティングにまで口出しできるわけではないがね」
脚本家っていうより、あなた自信家よね。
ふつう脚本って会話形式に少しのト書きで構成されるもの。岡くんのそれはほとんど小説だと思う。もっとも、ナレーションから始まる形式もあるけどね。
オリジナル脚本か既存脚本か。演劇部にとってそれはたしかに重要な問題だ。
既存脚本は、ネットなどに公開されている場合もあり、その多くは権利者に連絡することで利用することができる。現在は無償のものが多いようだ。
実は、オリジナル脚本と一口に言っても、創作脚本とアレンジ脚本の二通りが存在する。創作脚本とは文字通り、脚本家による完全オリジナル作品だ。全国大会においては創作脚本を選択する学校のほうが多いらしいが、よほど好きでない限り生徒自身による執筆は負担が大きい。
一方、『ロミオとジュリエット』のような著作権保護期間が切れた作品などは、作品のアウトラインはそのままに大胆なアレンジを加えたオリジナル脚本を書き起こす場合もある。こちらは創作脚本と比べたら執筆の手間はある程度抑えることができる。
閑話休題。
オリジナル脚本コンペというのは、脚本を書ける部員が複数いた場合に部員たちで読み合って決定する、いわゆる品評会だ。こんな早い段階からそれに意欲を燃やす岡くんは凄いと思う。
でもそれはそれとして、役者による声と動作の演技こそが学生演劇の基本だと思うのよ。
「とにかく。これは脚本コンペに提出するものなのだ。部員をモデルに書いても何ら不都合はあるまい」
「あー、うん。そういうことなら応援するけど。でもせめて、完成するまで音読してほしくはないかな。それも衆人環視の教室内で」
そう。ここは部室ではない。休み時間中の中等部一の四の教室なのだ。
舞台に立つ前から注目を浴びたいなんて微塵も思っていない。繰り返しになるけれど、あたしタレント志望じゃないんだもの。
「ふ。そんな遠回しに口説いても御簾又には通じないぞ、岡」
ほらぁ。森くんが参戦してきた。
ちなみに、森くんは陸上部員で、岡くんとは小学一年からのつきあいだそうだ。
「何を言ってくれやがりますかね、このイケメンは」
おや。岡くん、目が泳いでる。かわいっ。
「岡くん、あたしのこと口説いてたの?」
「いや、それはないからっ」
声が裏返っちゃった。からかうのはこれくらいにしとこ。
「だよね」
「ま、彼氏持ちを口説く根性など、この俺にもないのだ。岡にできることではないな」
「そっか。あたし彼氏持ちなのか」
「ごちそうさまだぜ、まったく」
満腹になるようなのろけ話を披露した記憶、全くないんだけどなあ。
「ところでさ。あたし、小学校生活の大半が空白期間――」
という設定なんだけどね。
「――だから、ちゃんと女の子できてないでしょ」
異性に興味を持ち始める中学生男子にとって、とてもじゃないけど口説きたくなるような雰囲気を醸し出しているとは思えないんだよね。
「んなことねえよ」
わ、二人の声が揃った。
「そ、そう?」
お前が女の子じゃないと言うのなら、このクラス全員男子ということになる。
そんな内容のことを異口同音に言い募る岡くんと森くんの勢いに、あたしは目を白黒させてしまった。
「それによ。俺らとほぼ同じノリの女と言やあ、中野っつー好例がいるしな」
「呼んだぁ?」
「にゃっ!?」
もう、また背後から! 男子の目の前だというのに。
「おぉ……」
「森くん、今小声でぐっじょぶって言った。覚えておくわね」
「潤美と出会ってひと月半だけど、揉み心地いいし反応はいちいち可愛いし、もう最高だよ」
加奈のバカぁ。
「それでこそ中野。ホント、俺ら寄りのノリだよな」
森くんの言葉に、加奈の目がすっと細くなった。
「それは暗に、僕がぺったんこだと言いたいのかな」
「言ってねえし!」
「思ってるだけで」
「そ……じゃないっ! 今の誰だ。岡……、じゃなくて光永っ!?」
森くんがパニクってる。菜摘が割り込んだのね。
「妙な誘導すんな」
「ふふ。森くん、意外と紳士なんですね」
「まあ何にしても、岡くんがあたしを口説くとか、絶対にあり得ないでしょ」
「参考までに聞きたいんだが、なんでそう思うんだ」
わ。岡くん、目が真剣だぞ。参考って、創作の参考にするのかな。
「だってあたし、普通の中学生女子ならしないようなドジを見られちゃってるし」
「おいまて、それはお互い言わない方がんぐっ!?」
今度は森くんの目が真剣だ。岡くんの口を塞いでる。
その勢いに、あたしは半歩下がっちゃった。
「くわしく」
なぜみんなで唱和するの。なんなのよ。
まあ、隠すほどのことじゃないけれど。
「プールで偶然――」
岡くんが森くんの手から逃れた。
「み、御簾又。なんでもします記憶から抹消しますもう二度とオカズになんてしませんだから言わんといてくださいお願いします」
ふーん、やっぱりオカズにしてたのね。もと男としては当然だとは思う。
それはいいけれど、あたし程度のやせっぽちでそんなに興奮するものなのかな。
「そう言えば! 岡ってば、僕らより先に潤美の水着姿見てたんだったね。いやらしい」
「い、いやらしい!? 自覚はあるけれども!」
いたわ。あたし程度の体型で興奮するヘンタイさんが。
「落ち着いて岡くん。翻訳すると、加奈は『悔しい』って言ってるだけだから。でも、あたしなんかの水着姿、そんな大したことないでしょうに」
グラビアアイドルには程遠いと思うし。
「潤美さん。あなたほどのパーフェクトボディでそれを仰っても、ただの嫌味ですからね」
「えぇ!? 巨乳の菜摘に言われても……」
「レベルが高すぎてついていけない。僕やっぱり男でいいや」
微妙に沈黙をはさんだあと、森くんが咳払いした。
「試験と部活の県予選が終わるまでは無理だけど、夏までには一度、俺も御簾又とプールに行きたいなあ」
「森くん」
一回目の中一の時って、そういえば友だち少なかったな。今はそれよりずっと多くて楽しい。あたしも是非みんなで行きたいよ。
「あたしも! 菜摘と加奈さえよければ、みんなで予定合わせて行きましょ?」
「いいですよ」
「僕ならいつでも」
早速予定をチェック。
「児童館公演の後だから、期末試験の試験期間に入る直前あたりかしらね」
「その時期なら俺も都合がいい」
「それってちょうど、屋外プール解禁の時期じゃん。ギガスパーなら水着のままアトラクションも楽しめるよっ」
嬉しそうだね、加奈。
こうして、潤美としては三度目となるプール行きが決まった。
「絶対行くっ!」
放課後、美沙姉に連絡した途端の返事だ。
あまりの声量に、あたしは携帯をいったん耳から離した。
「うちのクラスの男子も、二人参加するよ」
「大丈夫。洋介に相手させるわ。潤美はあたしが独り占めよ」
美沙姉、キャラ変わってきた?
「あ、あはは。じゃ、哉太には黙っておこうか?」
「いいわ。潤美が言わなくても菜摘ちゃんや加奈ちゃんから伝わるでしょうから。藍ちゃんも詩奈も誘うから、総勢十人よ。たしかギガスパー、十人から団体割引じゃなかったかしら」
「そっか。あたしたちは年間パスポートあるけど、他の人たちにとっては安くない入場料だもんね」
ワームの件もあるし、部活だって真剣に取り組まなきゃ。
だから本当は遊ぶことにかまけてる場合じゃないんだけど、それでも友達がいてこその学校生活だもんね。大いに楽しもう。
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