第31話 良い報せと悪い報せ
寝る直前になって思い出した。
そう言えば、哉太と美沙姉にはちょっと前に頼んでいたはずだ。あたしのこと呼び捨てにして欲しいって。
美沙姉からの呼び捨てはすぐに定着したけれども、哉太の奴はすぐにちゃん付けに戻しやがった。
まあ、うん。あたしが避けてたことも原因の一つだろう。そのあたし自身が今の今までそのことを忘れていたのだから、彼だけを責めることはできない。
だけど、哉太にとってはマスミと言えば倍巳のことなんだな、と強く思った。
嬉しさと寂しさを同時に感じるというのは、きっと稀有な経験だろう。この先の人生でも、滅多に味わえるものではなさそう。
『そぉんなマスターにおしらせでぇす』
「わきゃっ!」
この『声』!
もうっ、急に湧かないでよジョー。
『ジョーときたか。新鮮な渾名をどうもありがとう。私のことはこの先もそう呼んでくれたまえ』
で、今度は何の用なのよ。
『良い報せと悪い報せがある。どちらから聞くかね』
定番の問いかけね。
悪い方から聞くわ。
良い方だって期待なんかしてないけどね!
『ヤイダの動きを掴んだのでね。あやつの転校は事実だった。だが、あやつ小癪にも、転校前にマスターを罠にはめるつもりだったようだ』
鬱陶しいわね。立つ鳥跡を濁しまくりじゃない。いったいどんな罠を用意してくれたのかしら。
『その前に。まずはマスターの元の身体がある部屋に集合だ』
集合って。他に誰がいるのよ。
胸中でぶつぶつぼやきつつ、倍巳の部屋へと足を踏み入れ————
「こんばんは、マスミ様。……いや、ちがうな。この姿に相応しい態度で接することにするよ。先に謝っとく、ごめん潤美」
「————————っ」
————息を呑んだ。
短髪、刈り上げられた後頭部。中性的な顔立ちと声。
わかるよ、中身はアルガーだ。でも、彼はあたしの中から離れ、あたしに挨拶してきたのだ。
倍巳の身体と声で。
* * * * *
話はだいたいわかった。
佳織の暗躍が原因となった騒ぎについて、表沙汰になってはいない。
せいぜい、学園内で札付きの不良どもが喧嘩をして停学になったというだけだ。
倍巳については学園外での出来事であるため、学園側としては「不運な出来事があった」という扱いでしかない。
それでも、潜伏する九体のワームたちにとって、佳織というスレイブはバスター側による警戒を厳しくする役にしか立っておらず、共倒れの危険を孕む邪魔な存在として危険視されているようだ。
「そこで矢井田先輩たちは、この地からの去り際に迷惑料としてバスター退治を約束した、というわけね」
「それが違うんだ。潤美がバスターだと疑っているのは佳織だけだよ。それに、ワーム同士で意思疎通する手段なんて、少なくとも矢井田陣営にはない」
『コトはもっと偏執的でね。要するに佳織が個人的にマスターに対して嫌がらせをしたいだけということだ。そして、ヤイダはそれに賛成しただけ』
「なによそれ!」
兄である鉄男の関心を奪う存在。それが、佳織にとってのあたしへの評価。
うへぇ、あたしわかってなかった。
『ワームもそうだけど、スレイブにされた人間も、負の感情を増幅される傾向にあるからね』
「哉太の性格を利用するつもりのようだ。具体的には役者を雇い、体調を崩した老人のふりをさせて哉太の注意を引きつけるなどの形振り構わない手段を相談していた。そうして下校中の潤美を孤立させ——」
『ヤイダの舎弟にする予定だった不良ども。佳織のリストにあった連中だね。そいつらを使ってマスターを取り囲むという計画を立てていたのをキャッチしたのだ。しかもそれ、この週末に実行予定だとか』
本当にしつこい。頭きちゃう。
『そこでエリアEIMの案件を後回しにしてまで、こうして応援に来てやったのだよ』
ありがたいけど恩着せがましいわね。言い方が腹立たしいわよ。
「それもこれも潤美がマーキングしておいてくれたからこそ。上位管理者様よりもよほど仕事をこなしていると思うよ」
『や、うん。まあ、ね。だからこうして特別措置をだね』
特別措置。
互いの距離が近ければ近いほど確実なのだが、倍巳の姿をしたアルガーとあたし、互いに一キロ以内にいれば、思考加速、身体強化、移動の各コマンドが利用できるとのこと。
しかも今までのような脳内会話も有効なので、任務の期間短縮化を期待できる。
「本来ならこの身体、筋肉が落ちているはず。リハビリが必要だから、すぐには学校に通えないはずなんだけど」
「いつものアレで、なんとかしちゃったわけね」
『その通り。だから感謝をだな』
「あー、はいはい、ありがとありがと」
『うう……』
まあ、ジョーはともかく。アルガーには心から感謝だよ。
きちんと目を見て微笑んであげよう。だって、彼には今まで実体ってものがなかったんだもの。
「それじゃ、これからは一緒に登校だね。よろしくお兄ちゃん」
「お……。これは……っ」
ちょ。倍巳の顔でそこまで気持ち悪い表情つくらないでよ。
「これが中等部一年四組の男子たちが言っていた、潤美の破壊力というやつか。確かに、背中に電流が走るような衝撃だった」
ええっ!? 男子たち、いつもそんな話をしていたの!?
「済まない。潤美に対する敵意がない以上、集音の必要はないと思っていたからね」
「しなくて正解よ。そんなの聞かされたら、しょっちゅう赤面する羽目になってたわよ」
どうしよう。明日からあたし、男子たちと普通に接することができるかしら。
「ああ、登校の件だが。実は、ゴールデンウイーク明けからにしようと思っている」
「えぇっ。じゃ、罠への対処はどうするの」
「佳織の裏をかく必要がある。この週末までは学校に通うことなく護衛させてもらうよ」
「うん、ほんとにほんとによろしくね」
アルガー、じゃなくてお兄ちゃんは微笑んだ後、すこし考え込むような表情になった。
「どうしたの」
「いや、潤美は気にならないのかなと思って。僕がこの姿で哉太や敦や、美沙たちと会うことが」
「いや全然」
即答しちゃった。
むしろ、ずっと、このままで……。
いけない。短絡的すぎる。
「今のあたし、どうかしてるかもしれない。全然気にならないなんて、やっぱりおかしいよね」
『結論を急ぐ必要はない。このエリアには、ヤイダを含めて除去すべきワームがまだ十体いるのだからな』
「潤美がどんな結論を選ぼうと、僕たちは全力でバックアップするだけだ。どうか、思ったままの結論を選んでほしい」
アルガー。あなたのこと、心の中でもお兄ちゃんと呼ばせてね。……いいよね。
「あっ」
しまった、声に出さなくても伝わっちゃうんだった。
や、だからさ。その気持ち悪い顔はやめてほしいな、できれば。
『どうだ、朗報だっただろう』
「その余計な一言さえなければね。あなたにももうほんの少しくらいは感謝できたかもしれないのに」
『しゅん……』
本当に朗報だったよ。
矢井田兄妹、というか、彼らに取りついたワームとスレイブは鬱陶しいけど、それを一瞬で霧散させるに足るほどの、ね。
その夜、興奮して寝付くのが遅くなったあたしは、当然のように翌朝寝坊してしまい、哉太に雑なお弁当を渡す羽目になってしまうのだった。
スポーツテストだというのに……。
ごめんね、許して。
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