第27話 模様替え
なんてことだ。男として育ってきた十五年間に疑問を持ったことなんてなかったのに。
黙って立っていたら女の子と間違えられるのが嫌で、刈り上げまでしていたというのに。
【混乱させるようなことを言ってすみません。あくまで可能性の話です。そもそも、ミューテーション適合者が男性ということ自体、とても珍しいことなので。アツシ様といい、この地にはイレギュラーな要因があるようです】
うん、混乱した。てか、こうしてミューテーションしているのに、今更驚くことでもないよね。
「ふうっ」
部屋の床に敷いたバスタオルに滴が垂れる。拭わなかった汗が顎から落ちたのだ。
腹筋三十回。背筋三十回。腕立て伏せ十回。ヒンズースクワット二十回。
このトレーニングメニューを一セットとして、合計三セット。
この身体、身軽だし瞬発力があることはわかっている。
ただし、筋持久力なんて皆無だ。運動部のウォーミングアップにも足りないような、たったこれだけの運動で息が上がってしまう有様。
これ以上やると筋肉痛になるかも。現状、この身体のどこに筋肉があるのか疑わしいのだけれども。
父さんは、稽古の再開は再来週の月曜からと宣言した。それまでの間は、
「道場、立ち入り禁止な」
とのこと。
夕べ、晩ご飯のときに稽古再開の催促をしてみたものの、頑として聞き入れてはくれなかった。
そこで仕方なく、部屋で基礎トレーニングだけ行うことにしたのだ。
しかし、この部屋も日曜には女の子っぽく模様替えしてしまうわけで。そんな部屋の中でトレーニングのモチベーションを維持するのって、なんとなく難しいような気がする。
まあ、模様替えの後は倍巳の部屋でトレーニングすればいいか。再来週の月曜になれば、御簾又流柔術の稽古が再開されるわけだし。
稽古さえ始まれば、少しは自信がつくはずだ。どうせならそれとわかるくらいに筋肉がついてくれないかな、などと考え出したのだが。
【……すみません。そのお身体、鍛えれば鍛えるほど筋力が向上していくことは保証いたします。ですが申し上げにくいことながら……。非常に質の良い筋肉でして、残念ながらいくら鍛えても見た目の変化はほとんど期待できないのです】
ああ、そういえば。その話聞いたばかりだったね。
【ミューテーションという無理をお願いしている関係上、管理権限の上限内でできる限りの便宜を図ろうと思った次第でして】
「……シャワー浴びようっと」
朝からシャワーなんて、集合住宅だと近所迷惑だよね。隣家までそこそこ距離があるような田舎町でよかった。
……。
ごめんねアルガー、まともに反応を返せなくて。良かれと思ってやってくれたことなんだよね。わかるよ。でもこの身体、見る男が引くような見た目に肉体改造することさえままならないんだね。
まあ、それは仕方がない。しかし、稽古再開までまる一週間以上か……。
変な話ではあるのだけれど。
一刻も早く本来の自分の身体に戻りたかったはずなのに、一週間程度の期間など長いと感じなくなっているのが恐ろしい。
【そのお身体に随分とお慣れになったということでしょう。良い傾向ではないでしょうか】
やめてよアルガー。そんなはずない。そりゃ、着替えの時に下着姿どころか、鏡に映る自分の裸身を見ても赤面しなくなっちゃったけど。慣れたわけじゃない、はず。たぶん。
髪を解き、適温のシャワーで汗を流しながら、物思いにふける。
もともと男としてはまだまだ未成熟な……。
…………。
あれ?
哉太の隣に立つ自分を想像してみる。
ずっと顔を眺めていようと思ったら首が疲れてしまうほどの身長差があって。
バッグを持ち替える拍子に偶然を装って腕に胸を当てたとき、わからない程度に顔を逸らす彼。その頬に赤みが差すのを見て、可愛いと感じて微笑んでしまう自分がいて。
まてまて、そうじゃないっ。
少し背伸びすれば目の高さが同じになる程度の身長差だったはずだ。
たとえ美沙と並んで三人で歩いていても、お構いなしにエッチな話をして笑い合っていたはずだ。
……………………。
なんでだよ。
その関係に戻りたい。そのために早くワームの件を片付けたい。
そのはずなのに。
この件が片付けば、潤美として彼の隣を歩くことがなくなる。
その未来を想像した途端、胸にトゲが刺さったような錯角に見舞われてしまう。
【マスミ様】
今は黙ってて、アルガー。
ワームの退治さえ終われば、人格の統合、最適化が可能。そしてその後は。
倍巳としての自分に戻る道。
潤美としての自分を確定させる道。
この二つを等価の選択肢として悩み始めていることを自覚し、頭を抱えてしまった。
「まったく……。ことが終わらない内から考えることじゃないっていうのに」
胸元に手を当てた。
普段より動悸が早い。きっと、さっき運動していたせいだ。
【マスミ様の持久力も回復力も、急速に向上しつつありますよ】
だから黙っててってば、アルガー。
ドライヤーで髪を乾かしながら、鏡を見た。
この姿に慣れ始めている。
うん、否定しても仕方がない。そのことは認めなきゃね。
でも、ついつい忘れがちなんだけどさ。
哉太って、ちょっと美沙のこと気にしてた節があるんだよ。あいつ、
あいつにとってのタイプって、美沙のような女の子なんだろうな。
いくらこの身体が年齢の割にプロポーションがいいとは言え、美沙の比ではないわけで。彼女のような、身長もスリーサイズも雰囲気も、ほぼ完成した美少女の隣に立つとお子ちゃまに過ぎない。
そんなお子ちゃま、哉太のストライクゾーンなわけがないじゃないか。
どうしたんだろう。
さっきよりずっと、胸が痛いよ。
きっと、まだ朝ご飯食べてないからだ。食べたら治る。治るに違いない。
その日あたしは、消えない痛みを押し隠し、哉太の隣でうつむきがちにして登校するのだった。
哉太の隣を歩くときは、なるべく笑顔でいたいと思っているのに……。あたしのバカ。
* * * * *
アルガーに警戒してもらいつつ、学校生活を送った。
中学生が話題にすることを考えたら、男の子たちの方が話しやすい。けれども、女の子たちとの距離はぐんぐん縮まっていくのに対し、男の子たちとの距離は微妙な間隔を保ったままだ。
それは菜摘と加奈というアクティブな二人のお陰でもあるし、あたし自身が女の子の話題に詳しくなりつつあるためでもある。
——後戻りできなくなる。
その自覚は、焦りの感情を生むものだとばかり思っていたのだけれども。
菜摘や加奈、それにクラスの女子たちと笑い合う日々を楽しいと感じるあたしは、少し感覚が麻痺しているのかもしれない。
ワームのこともあるし、気を引き締めなきゃね。
週末は、あっという間に訪れた。
「よーし! 潤美のお部屋、おもいーっきり可愛くしてみせるぞおっ!」
「加奈さん」
「わ、わかってるわよ菜摘。潤美が嫌がることは絶対にしないから」
「それは当然ですが、今日はあたしも。思いっきりがんばりますっ」
「……ふ、ふえぇ……」
気、気を、引き締めなきゃ……。
「まずはテーマを決めないと、だね。そうそう、その前に」
加奈はそう言うと腰に手を当てて堂々と宣言する姿勢をとる。なにこの娘、人の部屋の模様替えで無駄に情熱燃やしてんのよ。
「潤美とキャラかぶると思って、僕っ娘を封印してたけど。この娘が晴れてあたし女子にバージョンアップした以上、僕は我慢する必要がなくなったのだっ。ここに加奈ちゃん、僕っ娘への返り咲きを宣言するっ!」
「はあ。好きにしなさいな。あなたがそうしてレベルダウンするのも構わないと言うのなら」
「加奈、僕っ娘だったの?」
「うん。小六までずーっとね。菜摘、自然な自分に戻ることをレベルダウンとは言わないよ。えっと何だっけ、最適化? って言うの。たぶん」
ぴくり、と眉毛が動くのを自覚してしまった。
「笑っていいんですよ、潤美さん。むしろ、笑い飛ばしてあげましょう」
「ありがとう菜摘。僕は冷たい友達を持ってどMに目覚めそうだよ」
「あは、はは……」
まあ、うん。これはこれで楽しい友人達だ。でも、模様替えの方は是非ともお手柔らかに、ね。
そんな願いも空しく、あたしの部屋はやたら明るくてガーリーな内装へと様変わりしてしまうのだった。
だって、母さんまでがすっごく乗り気で、予算内で抑えようとしてくれた菜摘たちを焚き付けるようにして予算の上限を超える意見を吐き出させてくれやがったのだ。
ぎりぎりの引き際は心得ていたようで、「あとはあなたたちで決めて頂戴。予算のことは全く気にしなくていいのよっ」と言ってハイテンションで手を振りながら部屋を出て行った。
さすがの加奈でさえ、最後は引き気味で手を振っていたほどだ。もっとも、菜摘は相変わらずのふんわりした笑顔でお辞儀をしてみせたけれども。
カーテンや布団など、後日の配達に頼る家具も多く、今日は主に掃除に終始する日ではあったけれども……。お店やカタログで見たふりふりひらひらな家具の数々……。
楽しみ、と思ってしまうあたしは、ただ雰囲気にのまれているだけ。そうに違いない。
ただまあ、この部屋でのトレーニングはやっぱり、あまり身が入らなくなりそうだ。
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