第25話 いつまでも
だるい。夕べはご飯を食べた後、体調が回復したと思っていた。しかし、突然学校を休むことになった今日、あたしはベッドから出る気力さえ沸かない状態だ。
身体強化コマンドの代償、さすがに半端ない。
【いえ、そちらに関しては私の想定をはるかに上回る回復力です。夕べの回復コマンド一回で、消耗した体力を五十パーセントほど取り戻しました。折り悪く、生理と重なったことでそちらの症状が重くなってしまったのでしょう】
このだるさ、もしかして毎月来るの?
【推測ですが、身体強化コマンドを時間制限いっぱいまで使わない限り、マスミ様の
ならいいけどさ。ホントに何もしたくない状態だもん、今。
【実際のところ、本日は身体強化コマンドによる疲労だけでさえ、寝返り一つ打てないほど衰弱なさるものと予測しておりました。ミューテーション適合率が高いと、歴代マスターと比べて回復力も段違いなのですね。さすがです】
さすがと言われてもあんまり嬉しくない。あたし以外のマスターのことなんて知らないし、このだるさがスッキリなくなってくれるわけでもないし。
目を閉じても眠気が襲ってこないので、朝からぼうっとしているといつの間にやら昼になっていた。
ノックに続けて母さんが声をかけてきたので、返事をして半身を起こした。
「体調はどう? 気持ち悪いとか、痛むところとかない?」
「ん、それは全然ないよ。ただ、だるいだけ」
「食べられそう? お赤飯炊いたんだけど」
母さんはトレーに昼ご飯を乗せ、部屋まで運んできてくれたのだ。
でもなんで赤飯……あ、そうか。それってたしか初潮おめでとうの意味だっけ。だから母さん、あたしを病院に連れて行かずに寝かせてくれてたんだね。
そう言えば母さんには言ってなかったな。
「ごめん、母さん。あたし言ってなかったね。美沙姉から聞いたの?」
「そうよ。謝らなくていいわ。父さんには知られたくなかったんでしょ?」
ううむ。やはり、夕べのあれが初潮という設定なのか。これだけ胸が育っているから、てっきり寝たきり期間中に初潮を迎えた設定なんだと思ってた。
「おめでとう、潤美」
「あ、ありがと……」
そんな嬉しそうにしないでよ。あたし、ミッションコンプリートしたら倍巳に戻るのに。胸が痛いよ。
「食べられるだけ食べて。残していいからね」
「ねえ母さん。時間ある? もしよかったら、しばらくここに居て欲しいな」
なんて素敵な笑顔。困ったな、胸がチクチクしちゃう。
落ち着いて、まずは一口頂きましょう。
「ん、おいし」
「ごま塩あるわよ」
「うん。でも、かけずに食べる方が好きかも」
さて。倍巳の時には遠慮して聞けなかったことを聞いてみよう。
「母さん。父さんのどこが良くて再婚したの?」
「え? うふふ。不器用なところ、かな」
「不器用?」
予想外。いや、父さんってたしかに不器用なところあるけれど。それのどこがいいんだろう。
首を捻っていると、続きをぽつぽつと語り出す。
「なんだかほっとけなくなるのよ」
ああ。ちょっとわかる。父さん、道場のこと以外は基本的に何もしない人だし。
「初めての出会いは、道場の前だったわ……」
にわか雨に降られ、雨宿りしていたところ父さんが出てきたという。その手には傘が握られていて、無言で差し出されたのだとか。
ありがたく借りて用事を済ませた母が傘を返しに来た時、お互いの手が触れた際に二人同時に頬を染めたらしい。
「今思えば、その時点からお互いに意識していたんじゃないかと思うの」
ぐはっ、想定外の純愛物語だよ。話を聞いてるこっちがドキドキだよ。
でも……もっと聞きたい。
「それでそれで?」
母さんの名を訊ねようともしない父さんに対し、こちらから名乗って積極的にアプローチをかけるようになったのだとか。
お互い、配偶者に先立たれて子供が一人。近所に住んでいたこともあって保育園の行事などで一緒に行動する機会が増えていったらしい。
あたしという存在は母さんの記憶に割り込んだだけなので、専ら
そういえば、小学校入学前、よく家に顔を出すようになった母さんのことを、新しい母になる人だとは知らないものの身内の一人として認識していたように思う。
どうしよう、興味が止まらない。
根掘り葉掘り聞こうとしたんだけれど、母さんそのあたりで照れ始めたみたい。
「父さんとは対照的に、倍巳くんは器用な子でね」
うはは、話題が変わっちゃった。
「母さんが少しお料理を教えたら、あっという間にあたしより上手になっちゃったの。そういえば、潤美もお兄ちゃんから少しだけしか教わっていないはずなのに、あたしより上手よね」
「ええ? そんなことないでしょ」
「いいえ、美沙ちゃんに教えてあげられるくらいだもの。凄いわよ」
料理の話題に移ってしまったけれど、それはそれで楽しいな。
おしゃべりの合間に少しずつ食べていたけれど、気付くと完食していた。
「ごちそうさま」
「よろしゅうおあがり」
あ、その言葉ひさびさに聞いたな。
「ね、母さん。気になってたんだけど。それ、この辺の地域の言葉じゃないよね」
「そうね。この辺の人たちって、ごちそうさまへの返事としてはお粗末さまって言うわね。これ、関西弁なの。母さん、もともと兵庫に住んでいたのよ。あなたが生まれる前の話だけれどもね」
ええと。寝たきりになる前の潤美の年齢って七歳くらいだよね。こういう基本的な情報を知らないのって不自然じゃないかな。
微妙な表情をしていると、母さんに気付かれてしまった。
「あ、大丈夫よ。あなたの記憶がなくなった、というわけじゃないから。あたし、話してなかったのよ」
ちょっと違う方向に察してくれたようで、助かった。やばいやばい。ふとした拍子に顔に出てしまうようではいけないね。お芝居の稽古を積まなきゃ。
【マスミ様。稽古というのは、表情を豊かに表現する方向で進むものです。むしろ、より顔に出るようになるのではないでしょうか】
え、あれっ。ど、どうしよう。
【そうお気になさらず。ポーカーフェイスを演じるためには、表情の訓練は有効かもしれません。何事も経験かと】
むう。より短期に結果を得たいと思って行動していたんだけどな。なんだか、どんどん長期戦の構えに移行している気がする。いや、気がするなんて言ってる場合じゃないかも。
「哉太くんって、ちょっといいわね」
「…………へ?」
不意打ちのような母さんの言葉に、口をあんぐりと開けてしまった。
まるで同世代の女子のようなノリ。唐突に話題に上った固有名詞が混乱を誘う。
「いいって、どの意味で?」
「うふ。人間として、よ」
「あ、うん。まあ、ね」
違う違う、動揺なんかしてない。落ち着け、あたしの視線。
あれ? なんで天井向いたところで落ち着いてんのさ、あたしの眼。
「ちょっと不器用なんだけど誠実で。まるで父さんの若い頃みたい」
「なんの話よ、なんの」
「別にぃ。ただ、ちょっとね。なかなかいないタイプの男の子だから、今のうちに胃袋掴んでおくのもアリかな、なんてね」
語尾に音符マークでも付きそうな調子で言わないでよ母さん。可愛いと思っちゃうじゃない。いや、それどころじゃなくて。
「やめてよ母さん。そもそも哉太兄、中学生の、それも一年生なんか相手にしないって」
「あーら、そうかしら? うふ、ごめんなさい。この話題はこのくらいにしておくわね。じゃ、母さん食器片付けるから」
母さんと話しているうちに、だるさは随分解消されたみたい。
「なんか退屈になってきた。洗い物くらいさせて」
「だーめ。無理やりにでも身体を休める日を作るために、わざわざ学校を欠席させたんだから。いくら退屈でも今日くらいゆっくりしてなさいな」
仕方ない。お言葉に甘えよう。
「でもまさか、潤美とこんなお話ができる日が来るなんて。母さん、嬉しいわ」
去り際に告げられた言葉が、じんわりと胸に沁み渡る。今のあたし、母さんの娘……なんだよね。
母さんの中で、潤美が息づいている。そしてあたしは——
お茶目にウインクをし、部屋から出て行く。彼女が閉じたドアからなかなか目を離す気になれず、長いこと見つめたままでいた。
* * * * *
夕方になると、菜摘と加奈が訪ねてきた。彼女らを案内した美沙姉は帰ったようだ。
「母さんったら部屋まで入れちゃうなんて。二人に風邪がうつったらどうすんのよ、ねえ」
「ふふ、来栖先輩から聞いていますから。風邪ではないことは承知していますよ」
あ、やっぱりね。
「潤美ぃ、寂しかったよぅ——いたっ」
加奈が伸ばした手を、菜摘がすかさずはたき落とす。
「あは、加奈ったら。寂しかったのはあたしがいなかったから、というよりあたしの胸に触れなかったからでしょ」
そう言ってやると、彼女はなぜか腰に手を当てて立ち上がった。
「決めつけないで欲しいわね。そんなの、両方に決まってるじゃない」
「き、決まってんだ」
仁王立ちする加奈の隣で、菜摘がこめかみを押さえている。
しかし気を取り直し、あたしの机にノートを置いてくれた。
「え、それ今日の授業内容? わざわざありがとう!」
「宿題もありますよ。先生は、無理しなくてもいいけれど、できたらやっておいてくださいって」
「やあね。そういう言い方されて堂々とサボれるほど、神経太くないわよ」
「潤美って真面目なのねえ」
あのさ、加奈。宿題をすることくらいで真面目なのだとしたら、世の中真面目な人だらけになりそうだよ。
ただまあ、二度目の中学生だから宿題の内容なんて楽勝なんだけどね。
「あーっ。潤美ってば、宿題なんて楽勝って顔してるぅ」
なんでわかるの、加奈。あなたテレパスなのっ。
「ひゃう」
はい、結局胸揉まれましたよ、もう。
「いててて、わかったわかりました離すからっ」
無表情で加奈の手を抓る菜摘、気のせいかレベルアップの効果音が聞こえたような。対加奈レベルが上がったのかな。あたしのそれも上げてよね。
「それにしても……」
「加奈さん」
何かを言いかけてあたしの部屋を見回す加奈を、即座に菜摘が制した。うん、何を言いたいのかわかるよ。
「いいよ、気を遣わなくて。あたしの部屋、殺風景でしょ」
「ごめんなさい。実はあたしもそう思ってました」
「少女漫画もないもんねえ」
「漫画はともかく。潤美さんのイメージで、少し模様替えしてみたいですね」
「さんせーい!」
「え」
「じゃ、アイデア出すわ。カラオケの翌日に、できる範囲でやりましょー」
いや、まあ、うん。女の子の部屋って言ってもあたしがわかんないし。正直、相談に乗ってもらえるだけじゃなくて一緒にやってくれるのならかなりありがたいかも。
「長々とお邪魔してすみませんでした。では、お大事に」
「突然おしかけてごめんねえ。おばさま、お邪魔しました。じゃ、潤美」
「またあした、学校で!」
玄関からおりようとするあたしを押しとどめ、二人は手を振って帰って行った。
「礼儀正しくて可愛らしいお嬢さんたちね。一緒に部屋の模様替えしてくださるなんて素敵じゃない。よかったわね、いいお友達に恵まれて」
母さんの言う通りだ。
いつまでも彼女たちと友達でいたい。
いつまでも潤美で——
だめ、その先は。今はまだ考えないようにしないと。ワームはまだ十体もいるのだから。
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