第3話 師匠と呼んで

 学食の定食では、食欲魔人の胃袋を満足させるにはやや力不足だったようだ。

 物欲しそうにこちらを見る哉太。苦笑気味に弁当箱を近づけてやると、玉子焼きとウインナーという全く手間のかかっていないおかずを一つずつ持っていった。

 バランス悪いぞ、哉太。あと、そのおかずじゃ僕の味付け、ほとんど関係ないし。というわけで、夕べから煮込んでおいたおかずをすすめる。

「腹が減ってるなら芋を食えよ。ほら、里芋。一つどうぞ」

「お、サンキュな。うん、今日もいい味だぜ。お袋もお前に料理を習えばいいのに。んで、俺に弁当を持たせてくれればな」

「おばさんに期待するより、哉太が弁当を作れるようになったほうが近道なんじゃないかな。僕の母さんと同じで、おばさんも料理に時間かけていられないんだし」

 多分、僕の母さんはその気になれば時間を捻出できる。だけどそこには触れないでおく。

 一方、哉太の母親は看護師さんだ。最近は看護師長になったとのこと。以前からそうだったけど、さらに忙しくなってしまったようで、僕はもう年単位でおばさんの顔を見ていない。

「やなこった。学食や購買にあきたら、また倍巳に頼むわ。当然のことだけど、食費は出すからさ」

「それなら買い物一緒に行こう。献立の好みも哉太に合わせることができるし」

 おっと。敦のこと放ったらかしだった。

「ごめん、敦。話があるんだったよね……ん?」


 敦は箸を止め、まじまじとこちらを見ていた。

「いや……。倍巳と田中くん、まるで夫婦だね」

「ぇ…………」

 美沙に続いて敦まで。マジでBL興味ないんで勘弁してください。

「俺は別に、倍巳なら女房でも構わないんだけどな」

「やだよこんな食欲魔人が旦那様だなんて」

「自分が奥さんポジションなのはごく自然に受け入れちゃうんだ」

「敦……。なにげにツッコミが厳しいよ」

 そりゃ、昔っから女の子扱いされてきてるからねえ。

 でも、話題の方向性がおかしいよ。何が悲しくて男の胃袋を掴む流れになってるんだ。

 環境のせいだ。僕は正常。ノーマルだっ。

「あは。でも、仲が良いのはうらやましいよ。ああもちろん、純粋な意味でね」

「付け加えた一言が気になるけど、まあいいや。僕、普通に女の子が好きなんでそこんとこよろしく」

 なにがよろしくなのか自分でもよくわかんないけど、まあ一応そう言っておいた。


「僕もね……。女の子が好きなんだ」

「そりゃ、男ならみんな——。ん?」

 敦の様子が変だ。僕は口を閉じ、哉太と視線を交わした。

 もう一度敦の様子を見てみると、頬を染め、上目遣いにこちらを見返している。

 うわ。それって、外見少女もどきの僕とは次元が違うよ。なんというか、内面から美少女っていうか。って、もしかして……。

「敦、性別偽ってる?」

「ないない。生物学的には男だよ」

 即答。しかし微妙な言い方だなぁ。それじゃまるで、女の子になりたいみたいに聞こえるんだけど。

「おお、もしかして」

 ぽん、と音が響く。なんだこの食欲魔人、いきなり手を叩いて。何か知っているのか。

「こないだネットで見た。女装男子っていうんだっけ? 質藍の外見なら普通に男の娘でも通用しそうだけどな」

 へえ、そういうことか。って、待て待て。まだ本人に確かめたわけじゃないし、教室で無口だったのも、過去にそういう目で見られたことが原因なのかも知れないじゃないか。

「もっと気を遣えよ、哉太——」

「うれしい」

 えっ。

 敦、いまうれしいって言ったのか? 聞き間違いかな。

「女の子に憧れすぎて、僕自身カマっぽくなってるって自覚はあるよ。でも、ニューハーフになりたいとかいうんじゃないんだ」

 聞き間違いじゃなかったみたい。

「ただ、休日には女の子の服を着たり、メイクしたり。そういうことをしてみたい。ネットはあんまりやってなかったんだけど、田中くんの言う通り、僕はいわゆる女装男子ってやつみたいだね」

 そう言うと、敦はスマホを取り出して、僕らに画像を見せてくれた。

 長い髪をアップにまとめた少女が映っている。メイクのことはよくわからないけど、頬と唇のピンク色がきれいだ。いわゆるゴスロリ服をキュートに着こなし、ややうつむき加減の姿勢でカメラを見上げている。

「へえ、可愛いな。僕、アイドルに疎くて、これが誰だかわかんないけど。こういうアイドルに近付くようなメイクを目指す、ってこと?」

「いやこれ自撮り画像。……僕自身だよ」

 大声を出しそうになり、あわてて口を塞いだ。横を見ると、哉太の奴は意外と冷静。ただ、目は見開いていたけれども。

 気持ちを落ち着けて、敦に聞いてみた。

「てことは、矢井田先輩はそのことを知ってたのか。それで、『女が男の格好してる』みたいなことを言ってたんだな」

「マジか。ぴゃっ先輩、質藍のことをみんなの前で晒し者にしようとしたってわけか。俺が行って、一発お見舞いしてやる。年中空腹感に襲われる食欲魔人パンチをな」

 やめてくれ。これ以上食欲魔人が増えたら世界の食糧事情に影響するから。多分。

「むしろよかったよ。二人に僕のことを知ってもらえて。僕の話を聞いて、引かない人の方が珍しいから」

 ああ、それが教室で無口だった理由なのか。

「引かないよ。それはいいんだけど、一つ気になることがある」

 敦は小首を傾げた。いちいち可愛らしいんだよちくしょう。あれ、何を悔しがってるんだ僕は。そうじゃなくて。

「敦ってさ。僕のことも、そういう……、女装男子だとか思ってる?」

「違うの?」

 ああ、やっぱり。悪いけど、ここはきっぱりと。

「断じて。僕は女の子と間違えられるのが嫌で、こうして刈り上げしてるくらいなんだから」

「……そっか。勿体ないな」

 教室で無口だった理由はわかった。仲間が欲しいという気持ちもわかる。

 でもごめん、女装は無理。

「無理強いはしない。でも倍巳には、僕の考えだけでも知っておいてほしいな」

「考え? 聞かせて」

「なりたい自分と、持って生まれた資質との間に隔たりがあるのは仕方がないんだけれど。せっかく持って生まれたものを捨ててしまうのって、とても勿体ないことだと思うんだ。倍巳くらい可愛く生まれてきたのなら——」

 あう。

「——それを磨くべきだと思う。よく、本来の自分を捨てるような無理をして、傷ついてのたうちまわることを努力だと言う人がいるけれど。もちろんそれを完全に否定できるほど人生経験を積んだわけではないけれど。でもね」

 凄い熱弁だ。僕は口を開けたまま聞き入ってしまう。

「せっかく持っているものを捨ててしまうのって、持っていない人たちへの侮辱なんじゃないかな。倍巳をそういう容姿に生んでくれたご両親への裏切りなんじゃないかな」

 ええと、なんか違うんだけど。父さんは僕に謎格闘技を教えたがっているだけだし、母さんは基本、放任主義だし。だけど、なんか説得力があるというか。

「おお。倍巳が押されている。がんばれ質藍」

「どっちの味方してんだよ、哉太」

「え、味方というなら両方の、かな。考えてみろ、かわいいは正義だ。倍巳はかわいい。なら、倍巳は正義だ。うん、見事な三段論法」

 だめだこりゃ。

 そんなことより、僕、可愛いって言われ慣れてきた? 僕もだめだこりゃ。

「持って生まれたものを磨く。これって、誰に迷惑をかけるわけでもないし」

 哉太め、変なスイッチが入ったのか。敦の真似して何かを熱く語ろうというのか。

「むしろ、見苦しいものを晒すのに比べればずっと世の中のためになるじゃないか」

「田中くん、わかってるね!」

「哉太と呼べ、敦」

「哉太師匠!」

 もう、わけわかんないよ。


 * * * * *


 明日の昼飯は購買のメニューを試すと哉太が言うので、僕らは買い物することなくまっすぐに帰宅した。

 そういえば、学食から教室に戻った時、一部の女子の視線が少し気になった。

 あの目は、たまに母さんが見せる感じのものにとても似てる。

 母さんははっきりと言わないけど、おそらくBLものの構想を練っている時の目だ。

 ちょっと大きめの声で「薄い本のネタになるわぁ」などとうっとりとつぶやいていた女子もいたけど、僕らとは無関係だ。時折こちらに視線を投げてきたけど、無関係に決まってる。


「稽古中に何を考えている。そんなことでは怪我をするぞ」

 その言葉に我に返る。しかし、次の瞬間にはすでに浮遊感に襲われていた。

 ——背中から落ちる。

 身に染み付いた経験により、一刹那で受け身の動作に。

 腰の後ろへ振り抜いた掌が床を叩き、直後に訪れるべき衝撃を緩和——。

 だん、というさほど大きくない音が耳に届いた。

 目の前に星が乱舞し、肺の空気が絞り出される。

「か……はっ」

 ダメージは——大丈夫。腰は守った。

 立ち上がった僕に、冷たい声がかけられた。

「修行が足らんのだ、未熟者め」

 声の主は目の前に仁王立ちする中肉中背の——と言っても僕よりずっと肩幅の広い——男性。四角い顔に厳つい眼差し、割れた顎が強面の印象を引き立てている。この人が御簾又流柔術の師匠にして僕の父なのだ。

 他人から見れば、血縁関係を疑いたくなるレベルで似ていないらしい。うん、僕は母さん似なんだ。

「時間オーバーだよ、父さん」

「師匠と呼べ」

「父さん。もうすぐ七時だもん。今日の稽古は終わり」

「弟子の分際で稽古を切り上げようとは嘆かわしい……」

 ブツブツ言い始めたけど無視。本日の師匠と弟子としての時間は終了なのだ。

「急いで夕飯の支度をしなきゃだよ」

「お前がそうやって甘やかさなければ、母さんが——」

「やると思う?」

「むう。それにしても育て方を間違えたか。もっとこう、男っぽく育ってほしかったんだが」

 またその話か。

「環境のせいでしょ。今さら変えられるものじゃないんだし、そこは慣れてもらうしか。僕はもう慣れたよ」

 父さんの格闘技を習うことについて、僕が小学生の間は母さんが大反対していたのだ。

 今にして思えば、母さんは僕から勇ましいこと、男っぽいことを極力遠ざけようとしていた節がある。

 僕的には、それに賛同した記憶はない。それどころか、現在進行形で絶賛反抗中、のつもりなのだけれど。

「ここは一つ、稽古の時間を延長し、この父を超えることで真の男として目覚めてみせよ」

「やめておくよ。ご飯作る人がいなくなる」

「そこは“うるせぇクソ親父”だろうが」

「息子にわざわざ反抗期を求めないでよ……」

「反抗こそ漢のコミュニケーション! お前は容姿が母さんに似てしまった分、私の精神を受け継がねばならん」

「その考え方にこそ反抗するよ。だったら、炊事担当を当番制にしようか。そしたら道場での精神修養の時間を今より増やせるから、僕だって少しはお父さんに近づけるかも――」

「さあ、今日はこれで上がりにしよう。ここは片付けておくから、晩飯の支度にかかってくれ。今夜は何かな」

 めんどくさい親である。


【マスター。ワーム憑依個体、ヤイダ・テツオの奇声は、ワーム憑依を看破したことによると思われます。ミューテーション完了前でありながら、マスターにはすでにワーム識別視力が備わっているのです】


「…………」


【しかしながら、ワーム除去能力についてはミューテーション完了が必要条件です。完了まで残り三十五時間。管理者権限レベル1を発動。ヤイダからの護身用に、御簾又流柔術の応用を組み込みます】


 嫌だな。なんか、だんだん幻聴がはっきりしてくる気がするんだけど。

「じゃ、僕はご飯の用意するから。片付けはよろしくね」

 軽く頭を振り、道場を後にした。

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