故郷
まーし
第1話
俺が住んでる町にサーカスが来た
なんでもアメリカで巡業していたグループらしくて
シルクドソレイユみたいな人間よりも どちらかというと動物に焦点を当てたショーが多い
即席のテントの中には体育館の観覧席のような組み立て式ベンチがステージを囲っていて
下が空洞になっている
一番の目玉はなんといってもライオンのショーだ
トレーニングされたライオンたちが ボールの上に乗ったり
人間を乗せて歩いたり 見ているだけで手に汗握る緊張の連続だ
観客の近くにライオンが来るたびに悲鳴を歓声が入り混じり テントは興奮に包まれる
そしてそれは突然起こった
ライオンが暴れ始めたのだ
トレーナーに襲い掛かり 噛みついた
突如騒然となる中 ホースを持った係員がオリの外からライオンに水をかけ
他のトレーナーは棒や鞭で興奮状態のライオンを叩いて止めさせようとする
俺は思わず握りしめていたデュポンのライターを落としてしまった
おじいちゃんから貰った大切な形見だ
肺炎で入院をしているときに
お前の肺は元気になるんだからこれで将来たばこを吸いなさい
と貰ったのだ
とても古い代物なのに 今でも石を交換し オイルを入れれば問題なく使える
足元の隙間から 遥か下へ落ちていったライターはもう見えない
観客も総立ちで もはやパニック状態なのだが
俺も別の意味でパニックになってしまった
ライオンは大人しくなり 襲われたトレーナーも軽症で済んだようだったが
ショーは早めに切り上げられ
観客は興奮冷めやらぬ様子で出口の方にぞろぞろと歩いていく
俺は足元の隙間から 体を滑り込ませ
ライターが落ちたと思われる下の方に降りて行った
地面にはフランクフルトの紙皿や
ドリンクのカップ等が散乱している
しかしどこを探してもライターは見つからない
諦めてまた階段の隙間から這い出て 出口の方に向かう
まばらになった会場からステージを見やると
生々しい血痕が見えた
ライオンを突然興奮させた要因はなんだったのだろうか
などと考えていると
お兄ちゃん
後ろから声を掛けられた
咄嗟に振り向くとそこには 少女
これ お兄ちゃんのでしょ
そういう少女の手には俺が落としたライターが握られていた
ライターの側面に刻まれた刻印を確かめながら
おー ありがとう! どこで見つけたの?と聞くと
おじいちゃんが お兄ちゃんに渡してって言ったの
え?
顔を上げると そこにはもう少女は居なかった
微かに獣の匂いが鼻を衝く
そういえば祖父は言っていた
このライターは 俺が米軍の捕虜になってマラリアで死にかけているときに
収容されていたテントのランプを灯す為にあちらさんの看護婦が使っていた物を貰ったんだ
これを貰ってから 病状がよくなったんだよ
思い出した俺は このライターを
負傷したトレーナーにあげる事にした
外には救急隊が取り巻いている小さなテントがあった
その中に入ると 包帯で腕がぐるぐる巻きになった
トレーナーが 反対の手でたばこをくわえようとしているところだった
俺は無言でその人にライターを握らせると
テントの外に出た
少し離れた場所で 母親に手を繋がれた先程の少女が手を振っている
俺は手を振り返して
帰路についた
やっぱり誰にだって 戻るべき場所がある
故郷 まーし @masism69
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