六月ノ雨

空っぽの夜

六月ノ雨

『裏切り者』


かぼそく、しかし強くつぶやく少女。その少女は確実に時計塔の上を目指していた。

「まって!」

 あとを追う、私。

 少女が最上部にたどりつく。病気のためか、呼吸が荒れている。ぐらりと揺れる少女の身体。支えようと一歩前に出たところで少女が言った。

 一喝した、病気の者とは思えないくらいの鋭く重い、叫び。

『来ないで!もう遅いよ。……嫌嫌嫌! 嫌い! 大っきらい! 茜ちゃんなんて大っ嫌い!』

 ふっと消える少女の身体。慌てて駆け寄り手を伸ばすがわずかに届かず、その手は虚しく空を握った。その下を音もなく堕ちる、天使のような少女。


 そこで目が覚めた。まだ暑い季節ではないけれど、気持ち悪いくらいに汗をかいている。身を乗り出して枕もとの目覚まし時計に手をのばす。

 時刻は午前四時二十分。ふーっと大きく息を吐く。今の夢は一年前にも見たことがあった。夢の中の少女が、この世を去った直後。

(あー……)

 ぐしゃぐしゃと髪をかき、汗だくの身体を洗うため、風呂場へ行く。

 昨晩パジャマとして使用したワイシャツを乱暴に洗濯機へ放り込む。

 風呂場はひんやりとしていた。乾いたタイルに足をおとす。蛇口をひねり、頭から水をかぶる。

「…………」

 全身が水に濡れる中、ぼんやりと考える。

 あんな夢を見たのは、そうきっと六月に入ったからだ。                           

「ふっきれたと思ったんだけどなぁ……」

 私の頬を何かが伝う。それが水だったのか、涙だったのか、私には分からなかった。



 中二の春の、桜が散り始めた頃、幼稚園からの親友・甘夏柚希が突然入院した。 最初はただの風邪だったはずが、二週間しても治らないので大きい病院で診てもらうことにしたらしい。

 検査の結果、体内の器官が衰退し、最後には消滅するという、病名もないほどの未知の病であることがわかった。

 薬も治療法もないが、とにかく体内にある病気のもとを取り出してみないことにはどうにもならんということで、柚希は、「救う」ためではなく、「実験」のため、身体にメスを入れることになった。


「茜ちゃん、心配しないで。私、大丈夫だよ? だからそんな顔しないで」

 私がお見舞いに行くと柚希はいつも笑顔で迎えてくれた。大丈夫なはずないのは見ればわかる。けれど柚希はいつも笑ってた。

「私、死ぬのかなぁ……」

 手術の前の日、柚希がぽつりといった。

「そんなこと……」

 ないよ、といいかけて口を閉じる。

「私、わかるの。私の体の中のいろんなところが壊れてくのが」

「…………」

私は何もいえない。

「命ってどうして続かないんだろうね」

 思わず口にしてしまった私はハッとする。これではまるで柚希が死ぬのが前提ではないか。

「うん。続けばいいよね。……でもダメなの。命がずっと続いたら、人は命を無駄にしちゃうから」

 今にも消えそうな声で呟いてから、柚希は窓の外を見上げた。つられて私も顔を上げる。窓の外で、静かに雨が降り始めた。

「――あのね茜ちゃん、お願いがあるの」

 沈黙を破るように、柚希がいった。

「お願い? 何でもいって」

 その言葉に嘘はなかった。彼女のためにできることがあるなら、なんだってするつもりだった。

「……明日、手術が始まる前に会いにきてほしいの」

 そんなことでいいのかと思った。でも柚希は、「それがいいの」と笑った。


 次の日も雨だった。

 一刻も早く病院に行かなきゃと思っていた私は、雨で視界の悪い道を小走りに進む。そこで事故に遭った。幸いかすり傷だけで済んだものの、大幅に時間をロスしてしまった。

 時間になっても来ない私に、手術前で不安定だった柚希の心が壊れた。

 止める医者や両親を振り払い、柚希は雨の中悲鳴を上げる身体を無理矢理引きずって走った。そして時計塔に入る。

「茜ちゃん……。何で約束……守ってくれなかったの……? うそつき……バイバイ茜ちゃん。――……大好きだよ」

 私が病院の敷地に入り、ふと時計塔を見上げたのと、柚希が堕ちたのと、

同時だった。



 あれ以来、私は雨が嫌いになった。雨が降ると、空の上にいる柚希が泣いているような気がしたからだ。

 そして雨を傘でしのぐのは柚希を拒んでいるようにも思えた。

 雨の中、傘を閉じて歩き出す。大粒の雨が制服を濡らしたが、私は足を止めることなく歩き続けた。いつか雨が止んで、空へと虹が架かることを祈って。



     降り止まぬ六月の雨


        あなたはいつになったら


             泣きやんでくれるの?




                            END

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六月ノ雨 空っぽの夜 @emptynight

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