第6話

 遅い昼飯をかきこんできた十重とおじゅうは、店先に出ると早々に腰をおろした。

 近頃とみに弱くなった足腰を酷使させる気は毛頭ない。店内全てを見渡せる一角。そこを陣取っている空壺をひっくり返しただけの簡素な椅子は、いつの頃からか彼の定位置となってしまった。と言っても、ぐるりと首を巡らせなければならぬほど彼の店は広くはなく、ひょいと顔を上げ一瞥するだけでも、全体を把握するには充分に事足りる広さであった。

 けれども、窮屈そうにひしめきあう大甕の一つ一つが大切な商売道具であることには変わりない。甕の中に詰められている塩。それぞれの甕に入っている塩の価値にはピンからキリまで落差はあれど、管理のよさだけは自負していた。せめて仕入れた時と同じ品質で、塩を買い手へと受け渡す。“当然のことを当然のこととして”が、父から店を受け継いで三十余年、十重の信条としているところであった。

 通りを行き交う人々の幾人かが、愛想のよい二人の若い衆の呼びかけに答えて、足を止める。せっかく先に飯を食わせてやったのだ。他に付け合わせがないと言っても、今年とれたばかりの新米――それも、自慢の塩で結んだ握り飯の御馳走を振る舞った。このくらいの威勢はあって当り前と言うもの。

 だが、ここ最近の売り上げが上がっているのは、彼らのおかげだけではあるまい。今年も冬がやって来るのだ。全てを閉ざしこむ、寒い冬が。

 この村は、半刻で隈なく周って元の場所まで戻ってくることができるほどには小さいが、周辺の村の中では一番の大きさを誇る。秋もここまで深まってくると、道が深い雪で覆われる前にと、辺りの村からの買い付けも自然と増えるのは毎年のこと。だから別段珍しいことではない。が、逆に言うなれば、今この時期に、店先に行儀よく陳列する商売道具の数々をあらかた売り払っておかなければ、冬を越せなくなるのは十重の方になってしまう。

 近頃、すっかり馴染みとなってきた寒風が、ひゅうるりと彼の禿げあがった頭上を擦っていった。温い室内から出てきたばかりの身には、つんと鼻の奥にくる冷たさが酷く堪える。

 彼は、一度ぶるりと身を震わせると、両肩を寄せて縮こまった。威勢のよい若い衆の声を聞き流しながら、十重は手にしていた手ぬぐいをいそいそと、寒々しい頭に巻きつけ、顎の下で結び合わせる。こうしていると、頼りない日光が、それでも、頭を覆う布全面にぽかぽかと降り注いでいるように感じられて実に温かい。

 ――と、その脆弱な光さえ遮られ、影に満たされた辺りの空気が冷んやりとしたものに変わった。目の前の地面に人影が落ちたことに気付いて、十重は顔を上げる。

「おんや……」

 十重は客の顔をまじまじと見つめかけ、だが失敗だったと悟った彼は、開きっぱなしの口をごまかす為に、口元に寄せた両手へ、ふうっと呼気を吹き付けると、「いや、ほんと寒くて困りますなぁ?」と己の手をこすり合わせた。

「――本当に。こうも寒くなると手がかじかむせいか、思うように動かなくて困る」と、客の男は相槌をうった。

 少しも赤みなく、どこもかじかんでいるようには見えない彼の手は、骨が浮きたっていて大きさがある。けれど、言い表すならば武骨というよりも、隆々と言った方がそれに近い気がした。よくよく触れたわけではないので分からないが、微妙に色が違って見える五指の付け根のひらなどは、硬く厚そうである。

 見上げれば、それなりに長身であるらしい男は、肩がしっかりとしていて幅もあり、がたいはよい。

 対して、男の面はと言うと、無精も無精しすぎたのではないかという程伸びきった髭が、顔の下半分を覆い尽くしていた。髭同様、無造作に伸びた髪は、うなじの辺りでひとくくりにされている。

 落ち着いているのか無感情なのか分からぬ静謐な細長い目が、彼のちぐはぐとした印象をさらに深めた。

 はて。

「この村は、規模の割に活気があるんだな」

 客の男の細い目が、店から去っていく女の背を追う。ちょうど今しがた塩の小壺を買い終えたばかりなのだろう。若い衆の男が、通りまで出て、客であった女を見送っている。

 首を捻りかけていた十重は、男の言葉でようやく『ああ』と密かに得心した。

「なんだお前さん。見ない顔だと思ったら、やっぱり知らん顔だったか。てっきり近くの町に遊楽に行ってたどっかのせがれが久方ぶりに帰って来たんじゃないかと思ったよ。にしても、まるっきり見覚えがないもんだから、はて誰だったか、と必死で頭を絞っておった。とうとうおれの頭もいかれちまったかと思ってたが、いやはや、よかったよかった」

 かかかっ、と十重は笑って、こすり合わせていた両手で、膝を叩いた。

「見ての通りの狭苦しい村だからな。見知らぬ顔があることの方が珍しいくらいだ」

「気を悪くしたのなら申し訳ない。そういうつもりで言ったわけではなかったんだが」

「いんやいんや。村の狭さは、まさにその通りだから、気を悪くするも何もない。逆に狭さこそがここのいいところよ。家族とまではいかんが、でっかい親戚一族が集まっとるようなもんだからな。それでも、見かけによらず人の行き来が多いのは、あれだな。店もないような小じんまりとした村々に、ここが囲まれてるからっていう単純な理由だ。――ああ、ほら、あいつもそうだ」

 十重は、客の男が目で追っていた若い衆とはまた別に、せわしなく小壺に塩を詰めている青年を指差した。

「あれも、元はここの村のもんじゃねぇ。二つ離れた村から奉公に来てんだ」

「へぇ」

「あとは、お前さんと同じ。どこもかしこも冬に備えなきゃならんから、入用のものをこれでもかってくらい買ってくんだよ。この村に住んどらんもんはみんなそうだ。近くとは言っても雪ん中を泳いでまで来る物好きな奴はさすがにおらんしな。……まぁ、あんまり活気がありすぎるこの時期も、困りもんさ。砂埃がすごくってなーあ。こっちは自慢の塩に、砂が混じりはしないかとひやひやしとるよ」

 十重は、近くにある塩壺に指の腹を滑らせ、土埃を掬いとってみせると、滑稽に口をへの字に歪めた。「一刻ごとに、壺を全部布で拭かせてはいるんだが、この通りだ。まぁ、うちに限っては、万が一でも砂の混じった塩なんて売りつけたりしねぇから、安心してくれな」

 ぱんぱんと、十重は手を打って土埃を払う。それから、彼は、客へと両手を広げてみせた。

「塩を買いに来たんだろう。何にするかね?」

「ああ。一壺分、塩をくれ。塩ならばどれでもいい」

 それはそれは、と十重はおどけたように言う。

「お前さん、そんなこと言ってると、そこそこの塩を、けた外れの額で売りつけられちまうよ」

「その時はその時さ。とにかく塩でさえあれば何でもいいんだ。一応、金はあるにはある。ただ、今手持ちが少ないだけで。後ででよいのなら、足りない分以上に、いくらでも払ってやるさ」

「こりゃあ、参ったなぁ……」

 十重は手ぬぐいで覆った頭の後ろを軽くかいた。

「そういうのが一番信用ならねぇ」

「…………」

 調子よく笑う塩屋の店主を相手に、客の男は言葉なく微苦笑する。

「まぁ、これからお得意さんになってもらわんと困るからな」と、十重が提示した塩の種と値段に、男は一つ返事で承諾した。店主は、若い衆の一人に声をかけ、客に告げた安価な値段の割には、良質な塩が入った大甕を持ってこさせた。その間に十重自身は、塩を詰め替える為の小壺を用意する。

「悪いが、壺の方は別料金だ。今度からは、忘れんように持ってきてくれな」

 素焼きの小壺を客に示してから、十重は再び腰をおろした。重い蓋を用心して取り外し、甕の側面に立てかける。

 日光を吸いこんで反射する白い結晶。彼が、ざくりと椀で掬いとれば、塩独特のえぐみを含んだ香が、辺りに立ち上がった。

「そんで? お前さんは、どこから来なすった? 今はどこに住んでなさる?」

 十重は手慣れた手つきで、塩を椀で掬っては、せっせと小壺へと移していく。手元には全く注意を払っていないというのに、一粒たりとも塩が地面に転がり落ちることはない。

「今は、山のすぐ入口に住んでいる。すぐそこの川の上流だ」

「へっえー。そりゃまた、辺鄙なところに越して来たなぁ。この村を狭いと見るくらいだ。元は大きな町にでもいたんだろう。川に山近くと言ったら、安倶あぐ村か、それとも逗迂ずう村か」

「悪いが、まだこの辺の名はよく分からなくてな。他に家も見当たらないから、村ではないとは思うんだが……」

 切れた言葉の先を、男は紡ぎ繋げるように「姉がな」と言い淀んだ。

「……姉がつい先日死んでな、十にも満たない娘が一人残ったんだ。父も早くに亡くして、他に頼れる身寄りが俺しかいなかったから。俺の方も所帯を持っているわけでもなかったしな。今は、その姉の忘れ形見と共に暮らしている」

「はぁ……それは知らんかった。近頃、そんな話はとんと耳にしていなかったと思ったんだがなぁ。そりゃあ大変だったなぁ。いんや子どもを引き取ったんなら、今も、大変なのか?」

「まぁ、それなりにやってるさ。元は、ほら……もう、こう呼んでよいのか分からないが、谷津牙やつがとの国境くにざかいにいたんだ。けど、どうにもこうにも治安が悪くなってきて仕方がない。よい機会だったと、あちらを売り払って、こっちに越して来たというわけだ」

「ああ、谷津牙か……。どうも急な戦だったらしいなぁ。あそこも小さい割にしっかりした国だと思っとたんだが、滅びる時はあっという間に滅びるもんだな。聞いた話じゃあ、双日ふたひにたてついたんだって? あんなでけぇ国に睨まれちゃ、ひとたまりもなかろうに。お偉方の考えることはとんと分からんよ。おれらみたいなのは巻き込まれぬことを願うばっかりだ」

 なぁ? と十重は故意に愁いを含ませた溜息をついて、ざっざと塩を詰め続ける。しかし、彼は「そういや」と、急に塩を移す手を止めた。

「谷津牙と双日といやぁ、何ヶ月か前に双日の兵がここらをうろついとったよ。なんでも、谷津牙の奥方が、供人と一緒に逃げまわっとるらしい。もしかしなくとも谷津牙の子でも宿しとったのかねぇ。厳つい顔をした男らに、『行方を知らぬか』と聞かれてな? 年甲斐もなく、縮みあがっちまったよ。こちとら、そんなこと知るはずもないのに。……あっりゃあ、おったまげたね。なんせ、双日からここは随分と離れとるし、こんな田舎村だろう。あんな甲冑をつけた仰々しい奴らは始めて見た」

 あんたは見かけたことがあるかい、と客に問うた十重は、けれど、次の瞬間にはぎょろりと零れ落ちそうな目つきで、探るように国境から来たという男を見据える。

「まさか、とは思うが……お前さんが、その奥方の供人なんてことはないよな?」

「だとしたらどうするか?」と一笑した客に、店主もまた「そうだったらお前さんを突き出してたんと褒美をもらえたのになぁ」と冗談めかして言う。

「まぁ、客にこう言っちゃなんだが、仮にも一国の主たる奥方様の供人がお前さんみたいにひなびた格好の若造だったら笑うしかないわな」

 宣言通り、十重はカカカッと景気よく笑うと、機嫌よさそうに客の右腕を二三度叩いた。

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