世界を優しく抱き締めた

O.Camus

第1話

時刻は六時を回った。


空は白け、貧相で痛々しい木々をぼんやりと照らしている。


優しくこの世界を包んでいる。


ー喩え世界が残酷であっても。



半刻もすると窓の端から尖った光が顔を刺し始める。


顔を顰めて西を向く。

すぐに顔を弛めた。



が、軽やかな電子音が唐突に部屋に響き渡った。

重くのし掛かってくる。


薄ら目も開かず頭を被り振る。



徐に手を伸ばし、まだ鳴り響く元凶を止めた。


ひとつ溜息を吐いて、次は眼鏡を探しにかかる。

手を机に這わせるが、手応えはない。

仕方無しという風貌でやっと糸目になる。


瞑ったままよりはマシである。


眼鏡を手にした時には、既に七時を回っていた。

もう陽が出て一刻は経っている。


やっとの事で立ち上がり、窓の許へ行き、ゆっくりと開けていく。


途端に入ってくるのは冷気。幾筋も突き刺さる。


あゝ生きている心地がする。


寒さに見開いた目も、既に眦は下がっている。


眼下にある逞しい木々は霜を纏って光輝く。祝福されていた。



一日が始まる。



最初は洗面所に向かう。

蛇口を捻って水を出し、両手で受け止める。


二、三度顔を濯ぐ。


意識は完全に覚醒した。

タオルで顔を拭き終わってから目を開ける。


鏡を前にして、直ぐに顔を顰め体を反転させる。


次に向かったのはキッチン。

キッチンとリビングは相も変わらず冷気に支配されている。


勿論床は冷たい。

爪先立ちになって、朝食の準備を進める。


左手でトースターにパンをセットし、右手にはフライパン。ベーコンエッグを作り始めた。


ほぼ同時に出来上がり、皿に盛り付ける。


リビングのテーブルに皿を置き、椅子に座りつつ合掌。


咀嚼しながら、テレビをつける。


流すのは専らニュース。

殺人事件や政治家の汚職、新たな法律などアナウンサーが真面目な顔で淡々と原稿を読み上げている。


聞き流して黙々と箸を進める。


その時、ポケットに入れた携帯から着信がきた。


表示された名前を見て、肩を落とし溜息を一つ。


ひどくゆっくりとした動作で耳に当てた。



十分ほど会話は続いた。


ボタンを押して、携帯をしまい込む。

カレンダーを見て、また肩を落とした。



赤く丸の付いた日は、五日後と迫っていた。


食器を片付け終わると、洗面所で歯磨きをする。




次に向かったのは書斎だった。

六畳部屋は本棚に囲まれている。大判の図鑑から薄く小さい洋書までぎっしりつまっている。本は床にも積んだ状態となっている。


唯一南向きに窓があり、大きな机が置いてあった。机には開いたままの図鑑や書きなぐっているB5ノート、大小様々なメモが散在している。

中央にはノートパソコンが置かれ、ワープロを開いている。


ノートパソコンの前に座ってキーボードをタイプし始める。


部屋にはカタカタという音だけが響いている。


時折ノートを捲り、机からメモを剥がす。


覗き込んでは指を動かす。

書いては消し、また書き始める。

何度も書き直すが着実に積み上げていく。



全くもって、途方もない作業である。




五、六時間して、段々進みが遅くなっていることに気づく。


溜息を吐いて、椅子から立ち上がった。


首を左右に動かし、背伸びをする。


ふと思い立って、書斎を出た。



玄関で藍色のトレンチコートを着て、鼠色のマフラーを首に巻く。


ドアノブを捻って外に出る。鍵を閉めながら、何処に行こうかと考える。


外出する用事があったわけではない。

唯の気分転換である。


行き先は近所の公園に決めた。

歩いて10分の所にある、とても小さな公園だ。


勿論歩いて行く。

まだ太陽は頭上にあった。


公園に着いた。


普段人は来ない。

ゆっくりと散策した。


ふと、足元に転がっていたドングリを拾い上げる。


青く、時季外れに思えたが、なんとも愛らしかった。




少し歩くとまた転がっていた。




もう少し歩くともう一つ。





青い線路の終点は道祖地蔵だった。


公園の奥、木陰に隠れていた。首に掛けている赤い布は擦り切れ、地蔵も翠の苔を纏っていた。

普通公園にあるものではない。




ひっそりとしていて閑かであった。



地蔵の傍にはドングリの山ができている。


誰が置いたのかわからない。

もしかしたら子供が置いてったのかもしれない。


手を胸の前で合わせ、一礼する


地蔵は笑っていた。


私は振り返って歩き出した。



既に日は落ちて、防犯灯は煌々と照らしてくる。


足取りは軽い。


そうして帰路に着いた。




-----



世界は祝福されている。

世界が祝福してくれる。



あゝ素晴らしきかな。



-----



夜空に浮かぶ幾千もの星が世界を優しく抱きしめた。

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