第3話
ルプレギナの足が地面に着地する。そこは先ほどの位置から10歩以上後ろだった。跳躍してそこまで下がったのだ。武器を前面に盾のように構え、感覚を研ぎ澄ます。
「ここだよ」
そう言ってローズブドゥが現れたのは消えた位置とまったく一緒だった。どこかへ移動したわけではなかったのだ。
「不可視化……」
「お前の独占販売ってわけじゃないだろ?」
ローズブドゥは少し笑い、馬小屋の方を向く。
「俺の馬は蹄鉄をいじるとすぐ機嫌が悪くなるんだ。いつもああやって嘶く」
「それを待ってたわけっすか」
ルプスレギナが構えを解いた。その表情は笑いながらもしてやられた不快感を隠せていない。
「幻術系に絞ってここまで覚えた。本当なら見せるのは殺す相手だけなんだがな」
これは至極当然のことだ。剣士と見せかけて実は魔法も使えるというのは誰も知らないからこそ切り札として効果がある。知られてしまえば敵も対策をとってしまい、奇襲や脱出は難しくなる。それでも通りすがりの女に切り札を見せてしまったのは背後を取られたことが腹に据えかねたからだった。
「これのせいで剣の鍛錬をかなり犠牲にしたが、その甲斐はあったらしいな」
けっけっけ、とローズブドゥは笑う。
「……むかつくっすね」
ルプスレギナが危険な笑みを浮かべた。
「でも、それで攻撃しても私は倒せないっすよ。敵意がないから気付かなかっただけで、始めから殺す気なら……」
「近づいた時点で気付くんだろ?」
ローズブドゥは先を言った。
「それはこっちも同じだ。どうだ?不可視化なしでどっちができるか試さないか?」
ローズブドゥは森のほうを指差す。
「んーー」
ルプスレギナは面倒臭そうな顔をするが、しばらくして言った。
「まあ、乗せられてる感あるけど、いいっすよ」
森に入ると二人の体は木々の隙間から差す陽光でまだらに染まった。ローズブドゥは荷物と剣を降ろすと近くの木から枝を一本折り、持っていた短剣で小枝を落とし、あっという間に即席の木剣を作り出した。
「普通の剣でいいっすよ?」
「俺が良くねえ。殺し合いじゃないしな。といっても木製だって打ち方次第で死ぬからな。ポーションか治癒魔法は使えるか?」
「大丈夫っす。そっちが上下二つに分かれても治せるっすよ」
ルプスレギナはけらけらと笑う。それは冗談だとローズブドゥは思った。失われた四肢を治せるレベルの魔法を彼女の若さで使えるとは思えない。
「まあ、とにかくやるぞ。体の不可視化はなし。体に武器が当たったら一点。戦闘不能になるか3点先取りで勝利。これでいいか?」
「せっかくだから何か賭けるっすか?」
ルプスレギナが妖しく微笑み、ローズブドゥは誘惑を堪える。相手の狙いが見え見えだ。
「そいつは邪道だろ。勝者が得るのは栄光のみだ」
「またまた我慢しちゃってー。ルプーちゃんの裸、見たいっすか?」
スカートを振り振りさせるルプスレギナ。こいつはまずいとローズブドゥは思った。常に魅了を使っているような女だ。勝てるものも勝てなくなる。ローズブドゥは丹田を行う。腹に力を入れて息を吸い、強く吐く。全ての空気を吐き出し、体の中心に塊を感じる。ローズブドゥは正眼の構えをとり、精神を戦闘状態に切り替える。先ほどの背後を取られた状態を思い出すことで戦闘欲と生存欲が満ちてゆく。生命の危機にある生き物は性欲など消し飛ぶ。全身から鬼気が放たれ、先ほどまで周囲から聞こえていた鳥の鳴き声がとまった。
「それじゃあ、いつでもどーぞっす」
ルプスレギナは構えをとらない。腕をだらんと下げた棒立ちである。肉体強化の魔法をかける気はないのか。それとも無詠唱でかけているのか。(どちらでもいい)ローズブドゥは足をじりじりと動かし、間合いをつめる。静かな森に土のこすれる音だけが僅かに響く。一瞬とも永遠ともいえる時間が流れ、ローズブドゥの姿が翳んだ。
武技・疾風走破
硬いものが折れる音が森に響いた。続いて、何かが落ちる音。ローズブドゥの持った木剣の先であった。
「ほら、普通の剣でいいって言ったじゃないっすか」
ルプスレギナは呆れたように言い、武器を下げる。最速の一撃を防御されたローズブドゥは絶句した。武器がいつもより軽いことを考えれば本来より速い一撃だっただろう。肩を狙い、完全に折るつもりで振ったのだ。3点先取りで勝利など戯言だった。彼の木剣は適当に作ったわけではない。広葉樹の中でも強度の高い薔薇樹と呼ばれる樹木を選び、切り出した。そこらの剣と打ち合っても簡単には折れないはずだ。(それに、あの感触と音)ルプスレギナの持つ武器は間違いなく金属だ。どんなに軽い金属でもサイズから考えて片手で振り回せるような重さではない。重さを変えた魔法武器であったとしても、それを小枝のように動かすなど信じがたい。肉体強化の魔法を使っているにせよ、恐ろしい膂力だった。
「次はその剣でどうぞ」
ルプスレギナは子供をあやす母親のように優しく言った。ローズブドゥは体が急に重くなった気がした。しかし、彼は重い体を鋼の精神で動かす。
「本気で行くぜ?」
「どーぞー」
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