第26話 光の奇跡

 次郎太は気がつくと光の中にいた。

 その光は優しく、全ての害となるものを退けて体の痛みも癒してくれているようだった。

 彼は起き上がって見る。その目に迫り来る重力の嵐からみんなをかばうように立つ背の高い少女の姿が見えた。


「みんな、あたしが守るから。だから、心配しないで」


 少女が語りかけてくる。

 その背の翼から光が広がり、それが宇宙の暗闇の中で周囲を優しく包み込む暖かい領域を作り出している。少女は沙耶に似ていた。だが、その年齢は明らかに彼女より上の大人びたものだった。


「お前は沙耶なのか」


 その声に次郎太は振り返る。そこにゼツエイに肩を貸した兵衛門が立っていた。


「暖かい光。これが沙耶ちゃんの思いなのね」


 光の中で飛鳥も立ち上がった。


「沙耶……お前はもう私の知っている沙耶とは違うのだな……」


 ゼツエイのその言葉に沙耶は静かに首を横に振った。


「ううん、博士。あたしはまだ二十年前のあの時のまま。あたしの目的はまだ達成されていない。ミザリオルを倒すまで、あたしの時間は前には進められないの」

「そうか。お前はまだあの虚無に囚われているのだな。私はもうあの時のことは気にしていないというのに。お前が無事ならそれでいい、お前ももう気にするな……と言っても無駄なのだろうな」

「ごめんなさい、博士。あたしは自らに与えられた最初の目的も達成せず、新しい道に進むことは出来ないの」

「沙耶……」

「行かせてやれ、ゼツエイ。沙耶は自分の始めたことにはきちんとけじめを付ける。そういう真面目な娘なのじゃ」

「そうか……そうだな。ならばもう私から言うことはこれしかないな。行ってこい、沙耶! そして、この二十年の戦いに決着を付けるのだ!」

「はい!」

「沙耶ちゃん」

「飛鳥ちゃん」

「わたしはあなた達に暖かい新しい世界があることを教えられたわ。でも、まだ一瞬しかそれを見ていないの。わたしがそれを見失わないように、きっと生きて帰ってきて。わたし達の世界にはあなたが必要だから」

「うん、きっと帰ってくるから。その時は戦いなんかじゃなく、もっと楽しいことをして遊ぼうね」


 そう言って彼女達は微笑み合った。


「沙耶姉……」

「次郎太」

「僕に出来ることは何もないの? 僕は沙耶姉を守りたい! ずっとそう思ってきたのに。いざとなったらこの力を使ってだって!」


 沙耶はそっと震える次郎太の右手を抑えた。


「沙耶姉?」

「次郎太、あたしはあなたにその力を使って欲しくない。もしあなたがそれを使うようになったら、あなたは三大脅威に取り込まれてしまうかもしれない。あたしはそれが怖い」

「沙耶姉。でも!」

「お姉ちゃんの言うことよ。ちゃんと聞きなさい」

「うん……分かったよ……」


 渋々と引き下がる次郎太を沙耶はそっと優しく抱きしめた。


「大丈夫、お姉ちゃんに任せておいて。どうか見守っていて。きっとそれだけでお姉ちゃんは戦えるから。じゃあ、行ってくるね」


 そして、沙耶は飛び立っていった。ミザリオルの待つ闇の空間へ向かって。




 光の翼を広げ、星空を越え、沙耶はミザリオルの前へと相対した。


「別れの挨拶は済んだんでちゅか? 感謝することでちゅね。あたちが空気の読める神様であったことに」


 沙耶は凛とした顔でその神の姿を睨みつけた。


「別れなんてあたしは言ってないよ」

「あん?」

「あたしはお前を倒して帰ってくる。そう約束してここへ来たんだー!」

「この、こざかしい、ハエがああ!」


 戦いの火蓋が切って落とされる。 

 それは次郎太達の場所からは遠く光が飛び交っているようにしか見えなかった。


「ゼツエイ、いったい何がどうなっているのだ。状況を説明しろ」

「静かにしろ。今、沙耶が戦っているのだ」


 背後からのその声にゼツエイは取り合わない。次郎太はその声の人物に驚いた。


「君は! 良かった。気がついたんだね」


 それは沙耶に似たあの少女だった。声を掛けてきた次郎太へと矛先を変えた彼女は駄々をこねるようにわめいた。


「良いことなどあるか! いきなり変な力に飛ばされて、慌ててまたこっちに来てしまったんだぞ! わらわの体はいったいどこに行ってしまったのだ~!」

「え、そこじゃないの?」

「わらわの体がこんな物であってたまるか~!」

「痛い痛い! 殴らないで!」

「次郎太、沙耶の戦いを見守っていてあげなさい」

「はい」


 祖父に注意され、次郎太は見上げる。


「沙耶、あの娘が戦っているというのか」


 ベルゼエグゼスもそれを見上げた。

 沙耶とミザリオルが戦う。その場所を。




 星空を揺るがすような戦いが続けられていく。

 光の翼を広げて沙耶が飛ぶ。その速度は神であるミザリオルをも驚愕させるほどのものだった。

 大人の姿となり新たな覚醒を遂げた沙耶の能力は、その全てが今までとは全く別次元と言えるほどに急激な成長を遂げていた。


「お前はいったいなんなんでちゅか! この神に成り代わろうとでもいうつもりなんでちゅか!?」

「あたしはお前を倒す! それだけのために今のあたしはここにいる! そして、それを成し遂げ、みんなの所へ帰るのよ!」

「生意気な小娘が! くらえ、グラヴィティストライク!」


 沙耶に向かって叩きつける重力が掛けられる。沙耶はそれをかわさずまともに受けた。翼を広げたその姿が押さえつけられていく。


「少し姿が変わったぐらいで、いい気になって! こけおどしなんでちゅよ! チミのやることなんかはねえ! どのように変わったところで所詮ハエはハエ! このままおとなしく潰れておけええ!」

「そうか。重力ってこんなものなんだ」


 余りにも意外な沙耶の平静な声に、ミザリオルの顔に衝撃が走った。片手だけで掛けた重力が持ち上げられていく。


「こんな物、耐えれば何ともないただ重いだけの力じゃないの」


 そして、沙耶の手はいとも容易くその重圧を跳ね除けた。


「な、な、な、チミはいったい今何を」

「重力を押しのけた。それが何か?」

「クっ、生意気なあ! そこまで死にたいのなら今度は本気で叩き潰してあげるまで!」


 ミザリオルが手を振り上げようとする。その手を沙耶は一瞬のうちに間合いを詰めて掴んだ。


「なにをするんでちゅか! 離しなしゃい! 殺しまちゅよ!」

「あたしは死なない! 死ぬのはお前だけだ!」

「お前が死ねえ!」


 ミザリオル自身をも巻き込み、沙耶の体へ重力が襲いかかっていく。


「この! 生意気なガキが! 我慢比べなど神の流儀などではないのでちゅよ!」


 沙耶があきらめないと見て、ミザリオルは重力で押しつぶすのをあきらめ、手を振り切って距離をとって離れた。


「神の裁きをくらえ! アークサンダーボルト!」


 ミザリオルの周囲の空間から雷がほとばしり、沙耶に向かって幾筋もの光線となって伸びていく。


「こんなもので!」


 沙耶はその手で次々とその光線を弾き返していった。宇宙のあちこちへ向かって雷の光が流れていく。


「馬鹿な! このう……おとなしく当たれえ!」


 ミザリオルはさらに怒りのままに雷の光線を繰り出していく。そのスピードと威力がどんどんと増していく。沙耶は次々とそれを弾いていくが、ついにはそのうちの一本を受け損なって顔面に食らってしまった。


「ハッ、当たりまちたね。余裕など見せているからそうなるんでちゅよ。この馬鹿ちんがあ!」


 ミザリオルは勝ち誇る。だが、平然とした顔を向けた沙耶を見て、その表情が驚愕に凍りついた。


「こんなものが当たったからって何だって言うの。飛鳥ちゃんの銃弾の方があたしにとってはよっぽど痛かった! 痛かったんだーーー!」

「馬鹿な。この神の雷を受けて平然と? ハッ」


 動揺を隠せないミザリオルの視界から、沙耶の姿が不意に消えた。


「ど、どこへ逃げた?」

「あたしは逃げない! お前を倒すまでは! ミザリオルーーー!」

「くっ」


 彼女が気が付いた時には沙耶の蹴りがすぐ頭上へと迫ってきていた。ミザリオルはそれを手で受け止める。だが、止めきれない。その腕に予期せぬ痛みが走る。


「くっ、あの時マテリアルリフレクターで受けたダメージが……はぎゃああ!」


 そのまま蹴り飛ばされ、ミザリオルは宇宙を漂っていた小隕石の一つへと叩きつけられていった。


「神を足蹴にするとは……貴様ああああ!」


 すぐに立ち上がり、宇宙を飛ぶ憎む敵の姿を睨み上げる。沙耶は見下ろす。この戦いの運命に幕を下ろすために。そして、元の生活に戻るために。


「あたし達の二十年の戦いの歴史。これで終わらせる! くらえええええ!」


 沙耶はその両手からありったけの光を放った。自分の力、自分の思い、その全てを出し尽くすかのように。

 それは宇宙を走る彗星のような光。光が闇の空間を飛び越えて、ミザリオルを飲み込んでいく。


「馬鹿な! こんなもので……この神が! な、なぜこんな小娘ごときにいいいい!」


 光が走り、消えていく。

 全ての力を出し切り、沙耶の姿が元の少女のものへと戻っていく。

 そして、ほっと安堵の吐息をついた。その体に感じるのは全てをやり遂げた疲労感。その目で見る光景は、沙耶とゼツエイの戦いで始まった二十年が終わり、新たな歴史が始まった瞬間のようだった。

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