5 猫塚の調査

 校門前に巨体を置き、口笛拭きながらざわつきの中央にいるシャケを無視しようと思っても、昨日のこともあるので桐沢は挨拶抜きに声をかけた。

「おはよう、桐沢君」

「シャケ、こんなところで何してるの。猫塚を調べるんじゃなかったの?」

「勿論調べるさ。桐沢君も一緒だ」さも当然と言わんばかりに、シャケは答えた。「昨日は眠れたか? 変なことはなかったか?」

「ご親切にどうも……おかげさまで。たった今、げっそりしたよ」

 シャケを引っ張って校門から離れようとするが、何を考えているのか、この巨体はビクともせずその場に踏ん張っている。

「シャケ! こっち来て!」

「五時から待っているが、菊田君が姿を見せんのだ。あれにも聞きたいことがあるし、朝のうちに会っておきたい」

 三日月の浮かんだ顔にはいやらしい思惑が漏れ出ている。心なしか、組まれた腕に力が溢れているようにも見えた。

 しかし、菊田の今後を考えてしまうシャケのやる気よりも、今朝の行動報告そのものが桐沢には衝撃だった。

「五時から待ってたの!? ここで、ずっと?」

「俺は早起きでね。ちゃんと散歩している男のフリをしていたから職質だって受けなかったし教師も怪しんじゃいねぇよ」

「学生でも教師でもない坊主頭の大男が校門前をうろうろしていて職質を受けなかったのは端的に奇跡だよ。せっかく昨日はもっと危ない姿でも無事だったんだから、変なことしちゃだめでしょ。捕まったらどうするの?」

 まくしたてる桐沢を、分かった、分かったとなだめ、シャケは引っ張られるがままにした。

 最も目立つ校門前から少し離れただけで、まだ学校はすぐ真横にあった。

「シャケ、まさか今すぐ始めるつもりなの? 僕はてっきり、学校が終わってからと……」

「そんな時間はない」表情を強張らせ、巨漢は常に出ている威圧感を強めた。「また誰かが行方不明になってからでは遅いからな。昨日一晩が最後の休みだと思ってくれ。場合によっては校内に入るだろうが……今は猫塚を調べなきゃならん。第一、桐沢君だって教室に入った途端、また誰もいない学校に一人なんてことになったら嫌だろう? もう少し俺といた方が君の身のためだ。安心しろ、憎い野郎をどう殴れば顔の形を変えられるかぐらいは教えられるから」

 シャドーボクシングをしてみせるが、あまりの速さに桐沢には拳の軌道が全く見えなかった。空を切る音が戯れで行うそれとは全く違う。空気が後から爆ぜているようにも思えた。シャケには特に力みがあるようには思えず、とてもリラックスしている。

 これが、拳を振るうということなのか――少年は不意に理解し、感心した。そして、自衛しろと言われている事実に疲れがドッと出る。

「シャケが守ってくれるんじゃないの?」

「いざって時のためさ。大事なのは力を抜いて、自分を相手にぶつけることよ。あとで詳しく教えてやるからな」

 項垂れた桐沢の肩に手を回し、シャケは猫塚への案内を頼んだ。


 * * *


 校舎正面から西、柵に仕切られた先に木々が並び立ち、小道ができていた。猫塚はひっそりと、緑に埋もれるように立っている。削られた黒岩の周囲には石が乱雑に積み重ねられていた。

 猫塚に辿り着くと、シャケは周囲を歩き回って何かを警戒し始めた。昨日の今日である。また襲われるかもしれない。桐沢も注意を向け、シャケを常に視界に入れていた。

 やがて、シャケは黒岩に触り始めた。撫で回し、軽く小突く。これを繰り返していった。五分ほど過ぎると胡坐をかいて悩みだし、猫塚の土を少し掴み、口に含んだ。

「シャケ!」突飛な行動を止めようと肩に手をかけた桐沢だが、平手を見せられて制止し、見守ることにした。

 決して噛んだりはせず、数秒してシャケは土を吐き出した。すると、今度はもう少し土を掘り出し、深部のものを再び口に運んだ。これもまた同じように吐き出し、シャケは学校に入り近場の水道で口をゆすいだ。

 再び猫塚に戻ったシャケは、ジッと猫塚を睨んでいる。

「シャケ、何か分かったの?」沈黙に耐えられず、桐沢はシャケに尋ねた。

「ああ。最近堀ったらしいということが分かった。土の味がバラバラだったからな。それに、桐沢君が言うところのお化けの気配もない。だが浅いところでは少し味がした。ここには何かが埋まってたなぁ。おかしな力を持った何かだ。それを掘り出した際に土をうまく戻せなかったんだろう」少し間を置き、巨漢は表情を曇らせて続けた。「人の味はしなかったから安心しろ」

 ぞくりと背筋が冷たくなる、淡々とした報告だった。額面通り受け取るのなら、この男は人の味を知っているということになる。桐沢は、改めて目の前の巨漢が尋常ならざる者であると知った。

 聞けば、これ以上の怖さがあるかもしれない。しかし、場の異様な空気がそうさせたのか、桐沢の唇が自然と動いた。

「シャケは、人を食べたことでもあるの?」

「ないよ。人骨に囲まれて生活していたことがあるだけだ。その時に、骨が埋まった土の味を覚えさせられた。骨を元通りの位置に戻せなんて言われたこともあったな」

 しみじみと、巨漢は懐かしむように天を向いた。

「それって、シャケの師匠っていう人がやらせたの?」あまりにも突飛な思い出話である。桐沢もしみじみと聞いた。

「師匠は俺のため、俺のためと言ってたな。ありゃあ嘘だった」

「ひどい人だね」

「いいや。そうでもないさ」フッと、シャケは笑い、「他人のためだった」少し、師を誇った。

 猫塚を離れた二人は、学校周辺を軽く歩き回った。桐沢が知る重間司津子の行方不明時の記録と照らし合わせながら、調査は続いた。

 昼になる頃には、二人は何度も猫塚の前を通り過ぎていた。

「ここじゃあないな」シャケは静かに語りだした。「もっと離れたところか、あの中だ」

 男子高校生は自らが通う高校を見た。シャケは言う……あそこで重間司津子が消えた可能性があると。

「桐沢君、菊田君を探そうじゃないか。こうなりゃあれが一番の手掛かりだ」

「昨日、シャケが散々ボコボコにしちゃったじゃないか。警戒してるんじゃない?」

「そうかもしれんな。だがまだ状況を甘く見ているはずだ。あんな誇りを隠そうともしないやり方しおって。カモもいいところだ」

 腕まくりしながら、シャケは歩き出した。桐沢が続く。

「自分の力に自信があるからってこと?」

「その通りだ。俺だって自信はあるが……。奴のそれは、きっと突然手に入れたもんだ。棚ぼたは信じたかろうよ」

「学校に来ていなかったら?」桐沢の問いに、

「なぁに、大丈夫さ」シャケはあっさりと答えた。「住所ぐらい手に入るだろ」

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