第6話 権謀術数

 ヴィクトリアン・スタイルの豪奢な社長室――壁一面を埋め尽くす大画面ディスプレイには、廃墟となった病院のざらついた映像が映しだされている。

 ときおり画面が途切れ、モザイク状のノイズを挟みながら、薄闇の廊下の映像が不穏に揺れる。粗い画質ではあった。だが、それがかえって息遣いまできこえそうな生々しい緊迫感を伝えていた。

 あずまとおる副社長は、緊張の面持ちでことの成り行きを見守っていた。豪腕で知られる阿藤社長とは正反対の、神経質そうな痩せた身をこわばらせながら。

「あれが――

 東副社長は新調したばかりの分厚い黒縁眼鏡の位置を指で整える。

「信じられない。あの高濃度放射線のなか、ほんとうに生存者がいるなんて――しかも、子ども! 錯覚ではありませんな、たしかに、絹木社員の視点カメラが一瞬、その姿を捉えました」

「どうにも画質が粗いな」オーク材の高級書斎デスクを挟んで座する阿藤社長が、もどかしげにぼやく。「どうにかならないのか? 東くん」

「高濃度放射線の影響で、CCDカメラにノイズが発生するのは避けられません」

「さっきは彼女の腕時計に仕込んであるGPSの反応も途絶えたぞ」

「GPS反応が一時的に途絶えたのは、彼女がいったん地下に降りたためでしょう。彼女の腕時計に仕込まれているGPSは誤差たったの数センチという精度で位置情報を確認できる最新機種です。とはいえ、いかんせん地下に降りてしまうと電波が届きませんから――」

「ふん、地下に降りたぐらいで電波が届かないなんて、まるでむかしの携帯電話みたいじゃないか」

「本来なら、彼女の持つGPSは都市圏の屋内であれば地下であろうとフロア数まで立体的に位置確認ができるすぐれものです。ですがこのインドア・メッセージング・システムはあくまで送信機が設置された建物内でなければ作動しません。廃墟となった黒草町の地下では、性能をフルに発揮できないんです」

「皮肉なものだな」阿藤社長は紫煙まじりの溜息を吐く。「どんなに高性能な機材をプロジェクトに投入しても、電気の通らない場所ではまったく不自由なものだ。われわれのように売るほど電気を持てあましている企業でも、あの呪われた黒草町では、原始人も同然じゃないか」

 東副社長は、咳払いをひとつ挟む。

「恐れ入りますが、阿藤社長――じぶんにはまだ理解できないのです。いったいなぜ、絹木カレン社員をこの任務に選んだのです?」

「たしかに彼女にとっては過酷な任務かもしれん。しかしそれ以上に、これは社の命運を左右する重大なプロジェクトなのだよ。やってもららねば、困るのだ。それはもちろん、きみに対してもいえることだ」

 阿藤社長が野性的な視線を上げる――東副社長は思わず緊張で息を呑んだ。

暗号名コード・ネーム『トリニティ』――この極秘任務に東くん、きみの協力を仰いだのだのは、気まぐれでもなければ情けからでもない。このプロジェクトを、絶対に成功させる必要があるからだ。それぐらいは、わかってくれていると思っていたがね――」

 東副社長はハンカチで汗を拭い、口ごもる。

 たしかにそうだ――東副社長は、かれの副社長という役職が名ばかりであることを知っている。経営に対する発言力はないばかりか、自由になる権限も、ほとんど与えられてはいない。それでもこの極秘任務に協力を求められたのは、技術畑出身であるその実務能力を買われてのことだ。事実、今回のプロジェクトに必要とされる一連の機材、すなわち特製の白ワゴン、放射線防護服、腕時計型の超小型ガイガーカウンター、高精度の視点CCDカメラや簡易デジタル無線機などを手配したのは、すべてほかならぬ東副社長である。

 黒縁眼鏡のブリッジを指でずり上げ、東副社長は答えた。

「むろん承知しています。しかしあの絹木カレンという社員は若く優秀であり、社命にとても忠実な社員です。それだけに酷すぎます、こんな捨石のような任務は――。たしかに彼女の人事評価表では『周囲との協調性に欠ける』とありましたが、それを差し引いても彼女の働きぶりは――」

「それぐらいにしておきたまえ。それ以上は反原発――退廃思想と受け止められかねん」

 ドア近くに佇む若い守衛にちらりと眼をやり――守衛は眠そうにあくびをしていた――東副社長は言葉を呑んだ。

 原発推進愛国者法――反原発を口にした者を弾圧するこの法律は、適用基準が曖昧なため、官憲側が如何様にも都合よく解釈して逮捕に踏みきれるという凶悪な一面を持っている。この密告社会では、すこしでも原発推進にそむくととられるような発言は口にできない。

 ふっふ、と阿藤社長は頬に深い皺を刻む。

「東くん――そうか、きみにも。彼女ぐらいの歳の娘さんがいたね」

「はい」重苦しい口調で、東副社長は答える。「今年で二十七になります」

「もうじき孫も生まれるときいているよ。心苦しく思うきみの気持ちはわからんでもない。しかし、経営に私情は禁物だ――」

 含みのある物言いをする――東副社長は、ゴクリと唾をのむ。

 しかし阿藤社長の眼光を前にすると、東副社長は躰も心も硬直して、動けなくなってしまう。財経界の暴君とも渾名されるその先天的な威圧感は、まさに生まれついての王の威風といえた。

 強引だが精力的で発言力も強く、権謀術数にも長けた阿藤社長。

 知的ではあるものの実直でまじめ一本槍、肝心なところで押しが弱い東副社長。

 なにからなにまで、対照的なふたりである。それは東副社長の劣等感を映しだす、合わせ鏡のようなものだ。社員たちが陰でじぶんをどうあげつらっているか、東副社長も知らぬわけではない。所詮、東は阿藤の腰巾着だと――社員たちの敬意を欠いた態度を見抜けないほど、彼の神経は図太くはなかった。

「東くん――きみはわたしをあまり好きではないだろう?」

「いえ、社長、わたしはそんな――」

「そういった私情も禁物だ。なにせ、いまは非常時だからね。すべては大東亜電力のためだ。きみのお父上も、おそらくそれを望まれている」

 額に汗がにじむ。

「心得ています――阿藤社長」

 答える東副社長の声は、幽かにふるえていた。


 アーァ……


 空気の張り詰めた社長室に、ふいに間の抜けたあくびが響いた。

ふり返ると、あろうことか、ドア近くに佇んでいた守衛が、両手をひろげて伸びをしている。

「おい! きさま、なんだその態度は!」

 東副社長の叱責を意にも介さないようすで、守衛はその場に佇みつづける。

よれよれの蒼い制服、だらしない着こなし。目深にかぶった制帽のために眼もとはみえないが、その表情はどこか爬虫類か能面のようで、いっさいの覇気や気概といったものが感じられない。

「阿藤社長、いったいなんです、あの男は? 社の命運を賭けた一大プロジェクトの場に、なぜ守衛などを同室させるのです? 外に立たせておけば――」

「彼が『PLTプルート』だ、東くん」

 その呼び名に、東副社長は言葉を失った。

 ふり返り、守衛の姿をみやる。

 相も変わらず意識が飛んだように立ち尽くしているだけだが――いわれてみれば、修羅場をいくつもくぐり抜けてきたようなただならぬ雰囲気がなくもない。

――彼らが関わっているとなると……」

「そのとおり」阿藤社長はニヤリと嗤った。「暗号名『トリニティ』――このプロジェクトがを持つということさ」

「つまり」ゴクリと東副社長は唾をのむ。「――?」

「それをいまから説明しようというわけだ。まずはそうだな、きみのさっきの質問――あれはなかなか核心に迫るいい質問だったよ。この計画になぜ彼女、絹木カレン社員を選んだか――」

 阿藤社長は書斎デスクにファイルを並べる。

 履歴書や人事評価表、人事観察者アセッサーによる調査結果報告など――すべて、絹木カレンについての資料である。

 手にとった東副社長は、呻きにも似た声を漏らす。

「これは…………!」

 阿藤社長はソファーにゆったりと背なかを預けた。

「わかったかね? 彼女こそがもっとも適任なのだ――いや、彼女でなければ、務まらないのだよ。彼女なら、あの呪われた黒草町で、きっとすべてをうまくまとめてくれるだろう――」

 阿藤社長は鼻から紫煙を吐きだし、その浅黒い頬に意味深な笑みをにじませる――。

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