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その日はまったく、雲一つない快晴だった。
国中の誰もかれもが異国からの姫君を一目見ようと、大通りに列を作っている。
やがて王城の門が開き騎士団が汽笛を鳴らすと、人々の高まりはより一層激しいものになった。
「王女様! イーオネイア王女様万歳!」
「王太子殿下万歳! 万歳!」
街のあちこちから聞こえる声に、王太子妃イーオネイアは馬車の窓から手を振り返していた。王都大通りをゆっくり練り歩いた後に、彼女は王城にて王太子と婚儀を執り行う。美しい顔立ちに少しばかりの緊張を浮かべたイーオネイアの隣には、シンプルなドレスを着たティーナが座っていた。今日は、王太子妃イーオネイアの介添えという役目を仰せつかっている。
「凄い声援ですね、みんなアイル様を祝福しているんですよ」
「王都にこれだけの人がいるなんて、思わなかったわ。人々の笑顔も曇りない――バルレンディアはやっぱり素敵な国ね」
先んじてルブグラド王国への経済支援及び作物研究の為の研究所が創設されることが決定した。
研究所の初代所長は、名誉職としてアイザック・ロスガロノフが務めるらしい。これから一年はルブグラドで暑さや乾燥に強い穀物の研究に没頭することになると言って、先日またワイズマン邸を訪れた父は心なしか浮足立っているようだった。
「国民の中には私を供物だという人もいるでしょう? そんな声に負けないくらい、私もリィドと幸せになるのよ」
「きっとなれます。リーズバルド殿下はアイル様のこと、とても大事に思っていらっしゃいますから」
「あら、ワイズマン師団長とあなたほどじゃないわ。もう二年だったかしら? ティーナが王都にいられるのも」
人々が集まる広場には、ロイズとカインがそれぞれ青毛の馬に乗って馬車を待ち構えていた。ルブグラド側で用意された衛兵からバルレンディアの第二師団へ、ここで護衛の権利が譲渡される。そうして王城までの道のりを更に歩き、イーオネイアは入城するのだ。
普段は着ないような重い飾りのついた軍服を着ているロイズを見つけて、ティーナは苦笑した。朝からあれを着るのにかなり苦労していたのだ
「三年です。その、もう少しお時間を頂けることになりまして」
「あぁ、そうね。私もゆっくりしていってほしいもの。それまでに師団長もお勉強なさるんでしょ? お仕事も大変だろうけど、頑張ってもらわないと」
くすくすと笑うイーオネイアに、ティーナもつられて笑みをこぼした。
三年。それがロイズに、中央で与えられた期間であった。
あれから父が所領に帰るまで何日も頭を悩ませた二人だが、トーマやユリウスとあれこれ意見を交わして出した結論は「フレリック辺境伯を継承する」というものだった。
ただし、領地経営の技術や貴族としての習わしが全くわからないロイズは、三年中央で実績と勉強を重ね、三年後――辺境伯の六十の誕生日に改めて伯爵位を叙爵されることになっている。
無論、三年の間にロイズが領主たりえないと辺境伯や王太子が判断した場合は叙爵の話自体が立ち消える。この辺はロイズの努力次第ではあるが、本人は決意したからにはやり遂げると何処か吹っ切れた様子でもあった。
「あ、でもその前にティーナの赤ちゃんに挨拶もしたいし、そちらの方も頑張ってね?」
「が、頑張ることなのですか、それは……?」
「大事なことよぉ。もし私に男の子が生まれて、ティーナが女の子を産んだら絶対婚約させるわ。公爵家の血が入ってるもの、誰にも文句は言わせないわよ」
不敵に笑って言い放ったイーオネイアに、ティーナはもう乾いた笑しか出てこなかった。そればかりは天からの授かりものであるため、直ぐにどうできるようなものでもない。その辺は、ロイズとも意見が合致していた。幸いにして両親も五月蠅いことは言ってきていない。
「それにしても、ティーナがフレリック領に行ってしまったら寂しくなるわ。私の友達はこの国であなたしかいないのに」
「アイル様ならすぐにお友達が出来ますよ。それに、私もすぐいなくなるわけではないですし」
「師団長も中央より地方の方が好きみたいだし、安心できないわ。リィドに言いつけてでも、年に一度は顔を出してもらって……あぁ、まだティーナの作った朝露柑のジャムを食べていないわ。時期になったらそれも作ってもらって、それから……」
三年なんてすぐだと指折り数えてやりたいことを数えるイーオネイアから、既に緊張の色は立ち消えていた。
四頭立ての馬車は護衛の塀に囲まれながら、ゆっくり王城の門を潜り抜けていく。
正門に入った途端に民衆の声は多くなり、次第にそれは町全体に広がっていくようだった。
やがて馬車が止まると、真っ直ぐにしかれた赤い絨毯の上に階段が用意される。
先んじて馬車を降りたティーナの手を取ったのは、それまで護衛としてついてきていたカインだ。
「ごめんね、団長じゃなくてさ。すぐにつくから、それまで我慢してね」
お茶目っぽく片目をつぶったカインが、ティーナに笑いかける。ロイズのものよりは装飾が華美ではないが、彼もまた式典用の軍服を着用していた。
後ろではロイズも同じようにイーオネイアに茶化されているようだ。
「ティーナの旦那様に手を引いてもらうなんて、なんだか悪いわ」
「小官もこれが仕事ですので……」
「そうね。手なんて、家に帰ればきっとすぐ繋いでもらえますもの」
コロコロ笑うイーオネイアには、ロイズも何も言えないようだった。ヒーストレイア女公爵といい、彼はこうしたはっきりした女性に弱いのかもしれない。
横で笑いを必死にこらえているカインに付き添われて、ティーナは王太子の元へ向かう赤絨毯から脇にそれた。介添えの役目はここまでである。
あとはイーオネイアがロイズと共に王太子の元まで歩くことになっている。
それが終わればロイズの方もティーナと合流し、共に婚儀に列席する手はずだ。
聖職者と王太子が待つ祭壇までイーオネイアを送り届けてきたロイズは、ややしばらくしてティーナの隣で息をついた。うっすらと、額には汗をかいている。
「結局最後までからかわれました……王太子殿下も、あの方相手だとそのうち尻に敷かれそうです」
ややぐったりしているロイズを見て、ティーナは思わず吹き出してしまった。
ムッとしてティーナを軽く小突く彼の目に、もう迷いは存在しない。いつも後ろめたそうに伏せられていた漆黒の視線は、今はまっすぐ自分の妻に向かって注がれている。
「でも、思い出します。私とロイズ様の結婚式、なんだか一騒動あって」
「あれはまったく、俺の指示が行き届かなかったせいですね。今度はそうはさせません。万全の態勢で、何があってもあなたを守り抜く」
「王太子殿下とイーオネイア様は?」
「あの二人のことも無論お守りしますが、アラテアナ伯爵や第一師団の精鋭が周囲を固めていますからね。俺が出ていったところで、邪魔だと怒鳴られて終わりでしょう」
そこで言葉を切って、ロイズは何も言わずにティーナの右手を軽く握った。手袋越しでもわかる体温に、ティーナは少し高い位置のその顔を仰ぎ見る。
「……口実です。ここにいる限りはただ純粋に、あなたを守りたい。この三年は、少なくともあなただけを」
穏やかに笑いあう二人の鼓膜に、鐘の音が届く。
つられて二人で祭壇を見ると、純白のドレスを着たイーオネイアが大輪の花のような笑顔を列席者にふりまいている。傍らには、太陽の祝福を受けた王太子が、次に待つ戴冠式を見据えて少しばかり固い面持ちで唇の端を吊り上げていた。
それを少しばかり遠くから眺めながら、ティーナとロイズは互いの手を強く握り合った。
日差しの強い夏の日、全身黒づくめの騎士と藤色のドレスを着たその妻は、国王リーズバルド一世の誕生を寄り添って眺めていた。
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