疫神騎士と田舎姫

玖田蘭

プロローグ

「聞いたわよティーナ。婚約されたんですって? おめでとう」


 友人が主催するお茶会に出席しティーナ・ロスガロノフは、馬車から降りるなりそんな言葉を贈られた。主催の侯爵令嬢レイチェルは古くからの友人で、このお茶会自体気のおけない友人同士で開くごくごく内輪のものである。バトラーのエスコートで侯爵邸の庭にやってきたティーナは、微笑むレイチェルの胸に飛び込んで大きく息を吸った。


「ありがとう! 本当は一番にレイチェルに伝えたかったんだけど、中々会いに来られなくて……ごめんなさい」

「いいのよ、ロスガロノフ公爵領は遠いもの」


 ロスガロノフ公爵家。

 血筋の古さだけを見れば、バルレンディア王国王家に次いで二番目。王国の藩屏と言われて久しい、押しも押されもせぬ大貴族がティーナの実家である。かつては宰相や軍部の総帥も多く輩出していた名家中の名家だ。

 王国の歴史千年の中で、ロスガロノフの名が出なかったことなど一度もない。もっとも、その名声もここ五十年ほどはかなりなりを潜めているのだが。


「お父様が馬を出してくださったんだけれど、ほら、そろそろ農作物の収穫が最盛期でしょう? ウチの馬じゃあ長距離は走れないし、なかなか早馬もつかまらないし……」

 繁る薔薇が美しく手入れされた庭で、ティーナはそんなことを言って肩を落とした。


 そう、悪鬼跳梁と言われた混迷の時代を生き抜いてきたロスガロノフ家が王国の大貴族として幅を利かせていたのは、既に昔の話だ。数代前の当主が愚かにも王の怒りを買ったせいで、ここ数十年は政治の表舞台はおろか裏にも登場していない。所領は王都にほど近く商業が発達した土地ではなく、広大かつ肥沃ではあるものの本当にそれくらいしか取り柄がない南の農村部に移されてしまった。



「大変ねぇ。早馬ならば言ってくれたら一頭と言わず十頭立てで送ってあげたのに」

「十頭立ては流石に事故が起きそうだけど……でも、この時期は仕方がないのよ。馬がいなければ農村は町まで荷物を運べないわ。ほら、三年前の大雨の被害があったでしょう? ウチも、それからの立ち直りがいいとは言えなくて」


 本来ならば領地の心配も政の不安もなく、王都都邸で優雅に暮らしていられるだけの身分を持っているティーナが、あろうことか早馬の一頭も持っていないとは。

 相変わらず苦労しているようだとレイチェルが心中で涙を拭いたとき、彼女のバトラーが耳打ちをする。


「そう。下がっていいわセバス。ティーナ、そんな話は置いておいて、喜びなさいな。レジーナとフィオが来てくれたわ」


 レイチェルがそう告げると、それまで少し困ったような顔をしていたティーナの表情が途端に冴えわたる。二人とも、ティーナがまだ少女の時分、王都の女学院に通っていた頃の旧友である。


「二人も呼んでくれたの? ありがとうレイチェル!」

 簡素なドレスの裾を翻したティーナは、薔薇園の中で二人の到着を待った。レイチェルに落ち着けと何度も諭されながら待つ時間は、短いようであまりに長い。



「御機嫌ようティーナ! 会いたかったわー!」

「お待ちくださいませ奥様! お体に、お腹のお子様に障ります!」


 薄い桃色のドレスをまとって走ってきたのは、一年ほど前に嫁いだレジーナだ。身重の体をおしてきてくれたのか、後ろでバトラーと思しき男性が冷や汗をかいている。


「待って、レジーナ。走っては駄目よ」

「だって、ティーナがこっちに出てくるだなんてめったにないから! もう、レイチェルから結婚のことを聞いて、私だって驚いたんだから」


 ゆったりとしたデザインのドレスは優しげな顔のレジーナに良く似合っていたが、まだどこか子供っぽさが抜けきらないのか、その姿はどこかアンバランスにも見えた。



「騒ぎすぎだレジーナ。ティーナは逃げたりしないだろう? 遅ればせながら君の婚約という話は我が領のような辺境の地まで届いてきたよ。おめでとう」


 ぴったりとした軍服を着こなしてやってきたのは、つい先日実家の伯爵家を女性の身で継いだフィオエルナである。長い黒髪をまとめ上げた姿はしなやかだがどこか鋭さを感じさせる。その芯の強さを垣間見せる深緑色の瞳に笑みをたたえて、フィオエルナはティーナを抱きしめた。


「本当におめでとう。君の幸せを心から願っている」

「うん、ありがとうフィオ――本当に」


 レジーナもフィオエルナも、決して行動するのが楽ではない時期にわざわざこうして集まってくれたということがティーナは何よりうれしかった。そして、婚約の話を聞いてすぐに人を集めてくれたレイチェルにも、何とお礼を言えばいいのかわからない。

 三年前に女学院を卒業してからも手紙のやり取りを続けていた四人の再会は、笑顔とほんの少しの涙をもって幕開けになった。



「それで、ティーナの未来の旦那様はどんな人なの?」


 お茶会が始まった途端、レジーナが目を輝かせて身を乗り出した。

 あぁ、そんなに身を乗り出しては危ないわ。そう緩やかにレジーナの体を押し戻したティーナは、父から聞いた話をそっくりそのまま三人に話して聞かせた。



「お相手は、なんでも王都で奉職なさっていらっしゃる騎士様みたいなの。なんでも、二十五歳の若さで師団長だとか」

「なんだとっ!?」


 今度身を乗り出したのはフィオエルナの方だった。一体何事だとティーナが目を白黒させるが、頼りにしているレイチェルは片目を器用に開けてフィオエルナの方を見たままお茶を飲んでいる。


「ティーナ、君、婚約者の名前は知っているのか!?」

「え、えぇと……たしか、ロイズ様? っていう名前だったと」

「ロイズ、確かにロイズと言ったんだな!」


 声高に叫びながらさらに身を乗り出したフィオエルナは、貴族の子女らしからぬ舌打ちをした後に頭を抱えてしまった。

 しかも今度はレイチェルも何やら考え込んでいる。一番子供っぽいレジーナに至っては、その大きな碧眼に涙すら浮かべていた。


「あ、あの、三人とも? 私何か、悪い事でも言ったかしら?」

「悪いことは言わない、ティーナ、今すぐに婚約を破棄するんだ! いいか、ロスガロノフ家の力をもってすれば軍人の一匹や二匹赤子の手をひねるが如くだ」


 いきなり不穏なことを言い始めたフィオエルナに、ティーナは思わず口に含んだ紅茶を思い切りぶちまけてしまうところだった。だって、折角婚約を喜んでくれた彼女が、まるで手のひらを返したかのように婚約破棄をしろだなんて。


「ティーナ、可哀想に……よりによって相手があの方なんて」

「でも、大丈夫だよね? ティーナのお父様は、この国一番の貴族なんだし、ね?」


 三人が三人とも、口々にティーナの不幸を悲しんでいるような口ぶりだ。

 先ほどまでのお祝いムードが一転、庭中が葬式のような雰囲気に包まれる。取りあえず三人の様子を見まわした後で自身についているバトラーのトーマを振り返ったが、優秀な執事は困ったように笑っているだけだ。



「本当に知らないんだな、ティーナ」

「えぇ、お名前くらいしかまだ……」

「あぁ、いいんだ。君の父上があえてそうしたのならば、私たちに口を挟む権利はないからな。ただ、その」


 普段ははきはきと喋るフィオエルナが、珍しく口ごもる。それを見かねてか、口を挟んだのはレイチェルだった。


「中央軍部のロイズ様と言えば、有名な方はただお一人。王太子殿下の覚え高き騎士、ロイズ・ワイズマン様よ」

「あぁ、そう! そのお名前よ」


 婚約者の名前が出て嬉しいのか、ティーナの瞳が明るくなる。レイチェルがどこか呆れたように肩を竦めた後、少し乱暴にティーカップを置いた。


「ロイズ様の二つ名を知らないとは言わせないわ。実力は王国一だけれど、彼の通った道にはあらゆる不幸が降りかかる――疫神騎士のロイズ・ワイズマン」

「え、えきじん?」


 初めて聞いた。

 しかも、ついたあだ名の何と不吉なことか。戦神とか覇王とかいかにもなものじゃなくて、疫神。疫病神のことか。



「そんな男と結婚すれば、君は忽ち死神に魅入られてしまうぞ!」

「今からでも遅くないよ、公爵様に言って、もっと素敵な方と婚約した方がいいと思うの」

「あなたがこれ以上苦労する様を、ここの人間は見たくないのよ。ほら、さっさと首を縦にお振りなさいな」


 三者三様の別れろコールに、ティーナはほとほと困り果ててしまった。何故なら、彼女は話題に上ったロイズという騎士に会ったことはおろか、まともな噂話も聞いてこなかったからだ。


(田舎だと、こういうことも苦労するのねぇ)


 そんなことをのんびりと考えながら、それでもはっきりとティーナは首を横に振った。


「婚約破棄はしないわ。だって、その方が本当に周りに災厄をもたらすのか、実際に見たことがないもの」


 きっぱりとそう言い放ってお茶菓子に手を付けたティーナに、三人の方がガクリと落ちる。昔から一度言えば聞かないのがティーナという人間だ。


「もう、仕方がない子ね。幸せにならなかったら承知しないわ」


 レイチェルのその言葉を皮切りに、ティーナの婚約を祝福するお茶会は再開となった。

 しかしこの時のティーナは、これから自分の身に何が降りかかるのかをこれっぽちも予測などできていなかったのである。

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