想い祈り希い

雨天紅雨

火ノ章

05/15/13:00――生活の始まり

 新生活しんせいかつはじまることにたいして、不安ふあんいだくのは、だれだとてたようなものであって、おれ、ルイ・不知火しらぬいにとっても同様どうよう感情かんじょういだいていた。

 れないことはするもんじゃない、なんて教訓きょうくんることはそれなりにあったけれど、れないことをしなくてはいけない現実げんじつというのもあるわけで、だったらどういう教訓きょうくんだったんだとおもかえせば、そのとき失敗しっぱいみたくもなるが、結局けっきょくのところその悪循環あくじゅんかんこそが不安ふあん根源こんげんなのだろうとはおもう。

 ながあいだ、タクシーの後部座席こうぶざせきやすんでいたおれは、停止ていしする雰囲気ふんいきさっしてかおげる。到着とうちゃくしたとの言葉ことばに、提示ていじされた金額きんがく携帯端末けいたいたんまつ支払しはらい、ポケットからした日本円にっぽんえんさつわたせば、すこしの戸惑とまどいはあったものの、長距離ちょうきょりつかれさんとってりる。トランクにほうんであったザックを背負せおい、ふたつのおおきなケースつききのカートをれば、運転手うんてんしゅ帽子ぼうしって一礼いちれいし、ってった。

 おおきく、深呼吸しんこきゅうひとつ。

 舗装ほそうもされていない農道のうどうのようなみちつづき、周囲しゅういにはあまり家屋かおく見当みあたらない。随分ずいぶん土地とちあまっている田舎いなか風景ふうけいそのもので、であればこそ、そばにある巨大きょだいとも形容けいようすべき建物たてもの存在そんざいにつく。

 外観がいかんだければログハウスのようにもえるが、おれっている宿舎しゅくしゃよりも、よほどおおきい。定員ていいん人数にんずうや、現在げんざい住人数じゅうにんすうなどの情報じょうほうはないので推測すいそくするしかないが、それにしたって情報じょうほう不足ぶそくいなめないだろう。これからおれむことになるりょういてはいたが、なんというか冗談じょうだんたぐいかとおもいたくもなる。

 視線しせん一度いちどってそらへ――ひろい、そう、ここは日本にっぽんそらだ。

 おれ戸籍こせきについては、一応いちおう日本にっぽん帰化きかしているものの、いままではルイ・シリャーネイというアメリカ国籍こくせきっていたので、馴染なじみはうすい。うすいというより、ほとんど日本にっぽんにはったことがないのだ。さかのぼれば、おれまれた土地とちなのだろうし、それを証明しょうめいするようかがみれば黒髪こくはつくろひとみ、どこかのっぺりとした東洋人とうようじんらしいかおつきをしているのだから、そうなのだろうが、しかし、どうであれおれにとってははじめての土地とちっても過言かごんにはならないのだ。

 まあ、なるようになるだろう。いや――なるようになれ、か。

 着慣きなれたスーツの襟元えりもとただし、にわつきの玄関げんかんにまでおれは、インターホンをむ。しばらくして足音あしおとともかおせたのは、やや小柄こがらともおもえるエプロンをつけた女性じょせいだった。

「はあい」

 間延まのびしたようなこえに、おれはどんなかおをしていただろう。おそく、づいてかおにつけていたアイウェアをはずしてむねポケットへとみ、くちひらく。

「このたび、こちらにむことになったルイだが――はなしいているだろうか」

 自分じぶんとしては丁寧ていねい口調くちょう心掛こころがけたつもりだが、やや威圧的いあつてきになってしまった。反応はんのうはどうだとおもっていると、ややおどろいたかおをしてからすぐ、微笑ほほえみへとわる。どうやら、それほどこわがらせるようなことにはならなかったらしく、内心ないしんでほっとする。

「はいはい、いています。わたしはここの寮母りょうぼをしている天来てんらい穂乃花ほのかです。どうぞなかへ」

 あしれたさき玄関げんかんひろいが、なによりも靴箱くつばこ設置せっちされており、スリッパをされれば、れないおれだとてくつであることくらいはわかる。いだくつは、天来てんらいととのえていた。

「ようこそ、ナナネりょうへ。えっと、まずは部屋へや案内あんないしますね」

「そうしてくれ」

 両手りょうて荷物にもつったままでは、いてはなしもできない。

 内部ないぶもまた木造もくぞう建築けんちく様子ようすられる。木造もくぞうというだけでおれとしてはこのましくおもうが、ログハウス以外いがいではこしけたおぼえはない。おとることにはけなければと、先導せんどうしたがって階段かいだんがって二階にかいへ。

二階にかい男子だんしりょう三階さんかい女子じょしりょうになっています。洗面所せんめんじょ付属ふぞくしてますが、お風呂ふろ一階いっかいにあるので、そちらの案内あんないはまたあとにしますね。ここが不知火しらぬいくんの部屋へやです」

 使つかったかぎをそのままわたされたので、一度いちど視線しせんとしてから、とびらひらいてなかる。二十にじゅうじょうほどの洋室ようしつになっており、ベッドやテーブルなどの調度品ちょうどひんそろえられている。掃除そうじもされているようだった。

「どうでしょうか?」

「これから、ここでごすとおもえば感慨かんがいもあるか……」

 感想かんそうごしてからもとめてしいものだと、遠回とおまわしにつたえたつもりだが、たしてづいただろうか。まあ、どうでもいいはなしだから、づかなくてもいけれど。

 荷物にもついたおれは、すぐに部屋へやる。

「ところで、おれかよ学校がっこうというのは、ここからちかいのだろうか」

気楽きらくはなしていいですよー。そうですね、徒歩とほだとちょっと時間じかんがかかります。フライングボードがあればらくなんですけどね」

「フライングボード?」

「この近辺きんぺんではよく使つかわれる移動いどう手段しゅだんで、地表ちひょうから三十さんじゅうセンチほどいて移動いどうできるものですね。わかはみんな使つかってます」

「……、天来てんらいもまだわか部類ぶるいだろう?」

「あはは、ありがとうございます」

世辞せじったんじゃない。方角ほうがくはどちらだ?」

りょうまえみちあるいてけば、まち到着とうちゃくするんですが、そこをけたさきですね」

「そうか。なら、さきにそちらへの挨拶あいさつませる。そのあとで説明せつめいこうとおもうが、かまわないか?」

「はい、いいですよー」

 階段かいだんりて、ひろいリビングをければ玄関げんかんがある。そこで一旦いったんわかれ――いや。

 玄関げんかんまえかえったおれは、アイウェアをかけながらう。

天来てんらい

「はあい、なんですか?」

「――女狐めぎつねばれたことは?」

「へ?」

「なんでもない、わすれろ」

 余計よけいなことをったと、身軽みがるになってそとおれは、おおきくびをひとつ。あえて意識いしきしてのんびりとみちあるす。

 ――のんびりと。

 時間じかんそのものがゆっくりとながれているような錯覚さっかくがある。現実げんじつ逃避とうひてき意味合いみあいではなく、そらながめながらながれるくもをぼうっとたくなるような気持きもちだ。

 おれが。

 いや……おれとものぞんでいた光景こうけいが、ここにある。

 あいつのぶんまでいききてやろうと、そうおもったことはあるけれど、あいつのわりにきようとかんがえているわけではない。そんなことをしだしたら、おれ人生じんせい最低さいていでも五回ごかい以上いじょうかえさないといけなくなる。

 だから、あくまでも指針ししん程度ていどのもの。そういえば、そんなことをっていたなとおもし、かんじてみるだけのスパイス。

 まあ、わるくない。あいつが冗談じょうだんじりにわらいながらうだけのことはある。

 田園でんえん風景ふうけいひろがっているわけではないが、雑木林ぞうきばやし草原そうげんのようなおおくあった。それだけ視界しかいひらけているが、しばらくあるいていると、建造物けんぞうぶつおお場所ばしょえてくる。ちかくにけば舗装路ほそうろになっており、みせならんでいた。

 まち――というより、まちなのか。商店街しょうてんがいにもおもえるし、住居じゅうきょのようなもある。とはいえ、都会とかいほどひとがいない――けれど、だからこそぎゃくに、ひとがいないのにこの規模きぼ商店しょうてんがあるとなると、採算さいさんうのかどうか疑問ぎもんだ。

 さておき、ちかくのみせはいって学校がっこう位置いちたずね、あるく。ここからはそうとおくない距離きょりで、学校がっこう発見はっけんできた。

 なんというか、想像そうぞうしていたよりもおおきい。ぐちもんひらいていたので、一度いちどまって校舎こうしゃあおぐが、一望いちぼうすることがむずかしいくらいだ。まようことはないだろうが、移動いどうには時間じかんようしそうである。これからかようことになるので、はやめに校内こうない施設しせつくらいはおぼえておきたいものだ。

 はいってすぐの場所ばしょ案内板あんないばんがあったので、ざっとておく。それから職員室しょくいんしつ場所ばしょ確認確認し、正面しょうめんから迂回うかいして迎賓用げいひんようぐちからなかはいる。客用きゃくよういている場所ばしょくつれ、なかはいっていたスリッパをしてはく。

 ――と、ここでおもして、アイウェアをはずした。あかみがかった偏光へんこうのもので、おれ愛用あいようしているスポーツタイプのものだ。運動時うんどうじにもはずれにくいことを優先ゆうせんした結果けっかであって、使つかれるとごろから使つかってしまうのである。

 腕時計うでどけいはしていないので、学校がっこうそなけの時計とけいると、十四時じゅうよじまわった頃合ころあいだった。ひとこえがあまりこえないのは、授業中じゅぎょうちゅうだからだろうか。そういえば日本にっぽん学校がっこうおこな授業じゅぎょうなんてものも、おれにはまったく経験けいけんがないわけだが。

 職員室しょくいんしつとびらはスライドしきで、まどがついていてなかえる。おれ姿すがた内部ないぶからえるわけで、必要ひつようかどうかまよったが、とりあえずノックをしてからなかはいった。

失礼しつれいする。――こちらへ転入てんにゅう予定よていになっているルイ・不知火しらぬいだ。校長室こうちょうしつへの案内あんないたのみたいのだが、どなたかすきではないだろうか」

「ああ、いている。となりにあるから、一人ひとりたずねてくれ」

「そうか、わかった。邪魔じゃまをしたな」

「っと、わたしがおまえ担任たんにんになる金代かなしろ二代ふたよだ。おぼえておきな」

「……ああ。担任たんにんというのは担当たんとうまかされたものという意味合いみあいでいいか?」

「そうだよ。いちクラスに二十人にじゅうにん程度ていど、それをまかされているのがわたしってわけだ」

諒解りょうかいした。では失礼しつれいする」

 つまり、担当たんとう教官きょうかんのようなものか……そのうちに実感じっかんくのだろうが、いまいちつかみにくいな、日本にっぽん学校がっこうというものは。

 となりには校長室こうちょうしつのプレートととびらがあり、ここはとおぎたのでおぼえている。おれ遠慮えんりょなくノックをして、返事へんじがあったのでなかはいった。

失礼しつれい

 まず、とびらめてから、正面しょうめん事務じむづくえすわった初老しょろうおとこて、その表情ひょうじょうみであることを認識にんしきしてから、手前てまえにある応接おうせつようのソファにすわったスーツ姿すがたおんなをやる。

「――来客中らいきゃくちゅうなら出直でなおすが?」

「いやかまわないよ」

「そうか。転入てんにゅう予定よていになっているルイ・不知火しらぬいだ。挨拶あいさつにきた」

「ようこそ、ナナネへ。まずは謝罪しゃざいをしておこう、不知火しらぬいくん。きみ転入てんにゅう一ヶ月いっかげつ先延さきのばしにしてしまった」

「そちらにも事情じじょうがあったのだろう、おれとしてはたいしてにしていない」

「その事情じじょうというのが、彼女かのじょのことだ。転入生てんにゅうせい二人ふたり、それ自体じたい問題もんだいないが、いかんせん時期じきがずれるとこちらの手間てまえる。できるのならばおな時期じきに、そして、おなじクラスへの転入てんにゅうのぞましい――そういう事情じじょうだ」

 だからこその謝罪しゃざいか。

「さて、二人ふたり転入てんにゅう六月ろくがつあたまからとなっているが、あくまでも正式せいしきに――書類しょるいじょうでは、ということでしかない。こちらとしては明日あすからの登校とうこうでもかまわないよ。うちには制服せいふくはないが、ジャージの支給しきゅうがある。数日中すうじつちゅうには、テキストのたぐいそろうだろう」

「いわばこころ準備じゅんび期間きかんというわけか、諒解りょうかいした。こまかいことはさきほどった、金代かなしろという人物じんぶつけばいいんだろう?」

「そうだ」

 うなずきながらも、校長こうちょう微笑びしょうえない。

「わかった。今日きょう挨拶あいさつだけだ、これで失礼しつれいしよう」

「これから学内がくないまわるのならば、担任たんにん金代かなしろこえをかけるといい」

「それは明日あしたにでもっておく。気遣きづかいだけはっておこう」

「――、では校長こうちょう殿どの自分じぶん失礼しつれいするのであります」

「ああ、めてわるかったね。たのしい時間じかんだったよ」

「は、ありがとうございます」

 ふん……めて、ねえ。

 とびらひらき、やはりおれなにかにづいたようにかえり、校長こうちょうて。

「そういえば名前なまえいていなかった」

おれは、前崎まえざきかんなぎだ。学校がっこう案内あんない書類しょるいにあったはずだね」

「――あんた、タヌキってわれたことはないか?」

 えば、こえおおきくげてのわらいが発生はっせいした。寮母りょうぼよりもよっぽど反応はんのうだなとおもいながら廊下ろうかて、吐息といきひとつ。すぐにアイウェアをつける。

「おい」

「……、なんだ、おれのことか?」

「そうだ。おまえ目上めうえ人間にんげんには敬語けいご使つかえとおそわらなかったのか?」

 ちらりとよこれば、うっすらとあかかみに、ルビーアイのおんなは、にらむような視線しせんおれけている。いわゆるおかっぱあたま、というやつだろうが――。

「だったら、あんたには使つかわなくてもさそうだ」

「そういうことをっているんじゃない」

「だったらいちいちくな。いつ前崎まえざきが、目上めうえ人間にんげんだと説明せつめいしてくれたのかをさきおしえてくれ。はなし全部ぜんぶいていたはずだ」

「……ふん、くちらないおとこだ」

「あんたみたいにぼけていない」

「なに?」

 かかとそろえるような直立ちょくりつでの挨拶あいさつ両手りょうてこぶしにしてこしうらそろえる態度たいど退室たいしつうごき――まったく。

 どうして軍人ぐんじんというやつは、そういうくせかくそうとしないんだか。ことそれをほこっているヤツや、椅子いすすわっているえらそうな軍人ぐんじんによくある傾向けいこうだ。くせになるのは仕方しかたないにせよ、であればこそ、かくすことをおぼえろとおれいたい。

 ――その威圧いあつかんたものを、こちらにけられるだけで、迷惑めいわくだ。

「おい、どこへく」

「そんなのはおれ勝手かってだ。名前なまえらないおんな主導権しゅどうけんにぎられるおぼえはない」

「――カゴメだ。カゴメ・風祭かざまつり

「そうかい。おれ名前なまえはさっきいていたので十分じゅうぶんだろう。ルイでいい」

 賓客ひんきゃくよう玄関げんかんからそとおれは、やはりその、のどかな雰囲気ふんいきいきとす。おちゃみたい気分きぶんだった。

てとっているだろう」

「ん……? 便所べんじょ位置いちおれいてもらない」

皮肉ひにくこのみか、おまえは。どうせもどさき一緒いっしょなんだ、別別べつべつでの移動いどうをせずともいだろうにと、そうこうとしただけだ」

一緒いっしょ?」

「ナナネりょうはいひとというのは、ルイのことじゃないのか?」

 あのクソおんな、やっぱり女狐めぎつねじゃないか。

「そうだったのか、おれいていない」

「この学校がっこうにも付属ふぞくりょうがあるそうだ。わたし紹介しょうかいされるがまま、あのりょうむことになったんだが」

「ふうん。今日きょうたのか?」

「そうだ」

「だったら案内役あんないやくには不足ふそくだな。それはこっちもおなじだが」

本当ほんとうくちらんな、おまえは」

「よくわれるから、つぎべつ口説くど文句もんく用意よういしておいてくれ」

 そこからは、たいした会話かいわもなくまちまであるいた。このおんなは、おれ歩幅ほはばわせていることにも無自覚むじかくだろうが、まあいい。

 しかし、呑気のんきともおもえるような雰囲気ふんいきだ。まだ時間じかんもあるようだし、しばらくまちなかまわってみようとはおもっていたが、それこそおもわぬびとができた気分きぶんで、どうしたものか。

「ん? おお、ここか。おいルイ、ちょっとはいってみないか」

「ホストの相手あいてをするつもりはない」

馬鹿ばかまえに、ちゃんとたらどうなんだ……?」

土屋つちやボードてんか。うみちかいしな」

「おい、まともに会話かいわをするつもりがないのか貴様きさま

皮肉ひにく冗談じょうだんに、いちいちつっかかるな。面倒めんどうおんなだな」

わたしわるいのか⁉」

らん。いいからはいるぞ、みせまえさわ趣味しゅみはない」

「だったら最初さいしょからそうえばよかろう!」

 いちいち反応はんのうせずに、最初さいしょからとっととなかはいればいいんだ。

 なかはいれば、ちいさな音楽おんがくながれていた。アップテンポのもので、さわがしいものではない。ところせましとものかれているなか、どちらかといえば形状けいじょうはスノーボードにたものが主役しゅやくとしてあつかってあった。

「フライングボード、なんて名前なまえになったのか……」

「――ん? なにがだ?」

 ちいさなつぶやきまでひろわなくていいと、おれ視線しせんげて。

「あんたを不愉快ふゆかいにさせるために、いるわけじゃないからな、にするな」

「……なんかもうこれは、れたほうらくかもしれんとおもはじめたぞ、わたしは」

「そうしてくれ」

 ぱたぱたと足音あしおとおくからこえ、そちらをけば、やや小柄こがら女性じょせいかおせた。みじかかみに、ふたつばかりみがえる。いや、みというよりも、くるりとひねっているのかもしれないが、おれにはよくわからない。というか本当ほんとうちいさいな、おれかたくらいまでか……? ああ、そうか、カゴメがたかいというのも比較ひかく対象たいしょうになってしまっているのか。

「はいはい、いらっしゃいまし。いやあ、こちらからしかけ……じゃない、説明せつめいこうとおもっていたら、これはまたんでる……じゃない、ご足労そくろうねがえるとは、ありがたいはなしです。どうもどうも、店長てんちょうのすずっス」

「なんだ、わたしたちをっているのか?」

「そりゃもう! いカモ……じゃない、あたらしいひとるなんてめずらしいですからねえ。そうとなれば、フライングボードなんてめずらしいものも、れるんじゃないかと期待きたいしたいじゃないですか。これでもあたし商人しょうにんなんで。どうですかおにいさん、おねえさん、おひとつ」

商魂しょうこんたくましいのはわかったから、商品しょうひん説明せつめいをしたらどうなんだ? そうじゃないなら、外見がいけんからの推定すいてい年齢ねんれい披露ひろうしてやるが、どっちがいんだチビスケ」

「おっとおにいさん、容赦ようしゃないですね」

「おまえ商売しょうばい方法ほうほうとどっちがマシだ?」

「……おい、だからなんでそう、おまえは、そうなんだ」

「よくろ、こいつはにこにこわらってる。上手うまながしている証拠しょうこだ。おまえみたいにけてないんだよ。わかるか? わかったならだまって説明せつめいでもいてろ」

「なんなんだこのおとこは……ああ、すまん、ええと」

「すずでいいっスよ」

「わかった。わたしはカゴメでいい。そもそもフライングボードは初見しょけんなんだ、一体いったいどういうものなんだ?」

「そうっスね、どおり、スノーボードってばれるものとそうわりはないです。フライングボードは交通こうつう補助ほじょとしてのあつかいで、地表物ちひょうぶつからおおよそ三十さんじゅうセンチほどいて移動いどうする器具きぐになります」

さきったが、はじめてくものだ」

「まあ、利便性りべんせいはあるんですけど、使用しよう可能かのう場所ばしょすくないんですよ。日本にっぽんでも、うちをふくめて三ヵ所さんかしょくらいじゃないですかね……? えてなけりゃ、そんなもんです」

「しかし、ここには障害物しょうがいぶつおおいだろう」

障害物しょうがいぶつよりもひとかず問題もんだいなんですよ。ここらは街中まちなかでも、事故じこはめったにきないくらいすくないですし、くるまもほとんどありません。というか、ぎゃくにボードの安全あんぜん装置そうちそのものの設計せっけいが、こういう場所ばしょ前提ぜんていとしてつくられているってのが、一番いちばん理由りゆうかもしんないですね」

「なるほどな」

「さて、まずはためしにってみますか?」

「それはいな、ならうよりもれろだ。ぶものならば制御せいぎょしてやろうじゃないか」

 ぶものなら――か。

 まったく、本当ほんとうにどうして、このおんなは……これで潜入せんにゅう作戦さくせんだったらはらかかえて大笑おおわらいしてやる。

店内てんないではぶだけで、すすまない設定せっていなんですけどね、感覚かんかくつかめますから。はい、こちらになります」

「――チビスケ」

「すずっス」

「すず、どこの製品せいひんだ、それは」

「ん? これなら芹沢せりざわ製品せいひんです」

「そうか」

 あそこの製品せいひんなら、しっかりしたものをつくっているだろう。ぎゃくとがったものもつくるので、一概いちがいしとえない部分ぶぶんもあるが。ちなみに芹沢せりざわ企業きぎょうというのは、技術屋ぎじゅつや集団しゅうだんであって、商人しょうにんはいない。採算さいさん度外視どがいしきなものをきなようにつく連中れんちゅうあつまった企業きぎょうだ。

「はいどうぞ、両足りょうあしをここにいてください」

「おお、特定とくていのシューズでなくてもかまわないんだな」

あしのサイズもボードがわ簡単かんたんわせられるんで、使つか勝手かっていんですよ。こうしてうごかないように固定こていして――っと、基本的きほんてきにはこれで完了かんりょうっス」

簡単かんたんだな。しかし、ボードをよこにしてるのならば、進行しんこう方向ほうこう右肩みぎかたか、左肩ひだりかたさきになるのか」

かおもそっちにけてってかんじですね。じゃ、始動しどうしますよー。できるだけ直立ちょくりつ姿勢しせいたもってくださいね」

諒解りょうかいだ」

 スイッチをれれば、カウントからはじまる。ややおおきめの電子音でんしおんだった。

『カウント3、2、1、レディ』

 そして、ボードはふわりとがる。

「おお!」

 おれっているころよりも、随分ずいぶん反応はんのうい。まああのころは、そもそもフライングボードなんて名前なまえもなかったし、テスターをけたとはいえ、あそ道具どうぐでしかなかったのだが。

「お見事みごとはじめてなのにバランスをくずさないひとめずらしいんですよ」

くずすもなにも、うごいてはないだろう? ただいただけじゃないか。どうやればすすむんだ?」

「ここじゃすす機能きのうはカットしてありますが、実際じっさいには重心じゅうしんきたい方向ほうこうたおすと速度そくどます。停止ていし場合ばあいは、進行しんこう方向ほうこうぎゃくからだたおすのが基本きほんですね。うごきがまった状態じょうたいで、かかと固定こていしている部分ぶぶんにあるスイッチで、地面じめんります」

「これか」

 スイッチをってやれば、そのまま自然しぜん地面じめんりる。バランスもくずさない。

おもったほどでもないが?」

「そりゃバランサーも安全あんぜん装置そうち両方りょうほうはたらいてますからね、わざとからだたおしたりしないかぎりは、初心者しょしんしゃ以外いがい、そうころばないもんです。からだかたむきにわせて、ボードがうごいて補助ほじょしてくれるんですね」

安全性あんぜんせいたかめか、これは面白おもしろいな。ルイ! わたしうことをめたぞ!」

「ああそうかい。その報告ほうこくおれにわざわざしなければ、もっといから、つぎにするときおぼえておけ」

「え、おにいさんはわないんですか?」

「……、必要ひつようになったらここでってやる。それでいいだろう。まだおもちゃをってあそひまがあるかどうかすらさだかじゃない」

「むう、絶対ぜったいですよおにいさん。うちでってくださいね!」

「ここ以外いがいみせがあるなら、丁重ていちょうにおことわりしておくから期待きたいしておけ。ちっこい店長てんちょうくちっぱくして、うちのきゃく他所よそにはやらんとってかないんだと、ためいきじりにはなしておいてやる」

「あたしが悪者わるものじゃないですかそれ!」

「いいからきゃく相手あいてをしろ」

「おっと、そうでした。って、自分じぶんあしはずしてますね」

逆手順ぎゃくてじゅんくらいはおぼえられる。しかし、種類しゅるいおおいな、どうなんだ?」

「そうですねえ、メーカーはさん種類しゅるいです。日本にっぽんせい芹沢せりざわ、アメリカせいのイリノイ、ドイツせいのケイヴァ。おおきくはどのメーカーも、速度そくどよう一般いっぱんよう種類しゅるいしてます。スピードとオールラウンドですね」

「アメリカがえりのわたしとしては、イリノイを選択せんたくしたくもなるが、実際じっさいにメーカーのちがいというのは、どの程度ていどのものだ?」

「フィーリングの部分ぶぶんもありますが、芹沢せりざわのはバランスがいです。あ、身体しんたいバランスではなく、くせすくないって部分ぶぶんですね。イリノイは芹沢せりざわつぎしたところなので、ちょっととがってる部分ぶぶんがあって、店側うちとしては、おかねはかかりますが試用しようひん最低さいてい二日ふつか使つかってみてからのおすすめになりますね。ケイヴァは、とにかく繊細せんさいです。過重かじゅう移動いどうによる加速かそくが、なめらかすぎてスタートがわからないくらいに」

「なるほど」

「あと、重量じゅうりょうてき一番いちばんかるいのがケイヴァです。ぎゃくおもいのはイリノイですね。停止ていし手荷物てにもつになりますし、学校がっこうにはもありますけど、そこまではってかないといけないですしね」

「ということは、そのは、そもそもボードに使つかわれている素材そざいなのか?」

「そうです。そこらをくわしく説明せつめいすると、やや専門せんもんてきながくなるんで詳細しょうさいはぶきますが、芹沢せりざわ一番いちばんやわらかいフィーリングです。ケイヴァはかたい。イリノイはおもい」

性能せいのうだけでそれだけちがうのか……」

大差たいさはない、というのがいまのところの見解けんかいですけどね」

「ボードの形状けいじょうはどうなんだ?」

「それも、さまざまです。先端せんたんとがってたり、まるかったり、角形かくけいだったり――そこらになると、デザインの問題もんだいですね。表面ひょうめん塗装とそう、というか、アートにかんしても、結構けっこう種類しゅるいがありますよ」

「それはこまった」

 こまったのはおれだ。まったくおんなものなんかにうものじゃない。まだこのおんなは、あれこれ意見いけんもとめてこないし、慎重しんちょうさからのまよいなのでほうだが。

「よし、すず。カタログをくれ。そして試用しようひんしてくれ、代金だいきん支払しはらおう。とりあえずはイリノイでたのむ」

「はいはい、わかりました。準備じゅんびするのでちょっとっててくださいね」

 おれ初心者しょしんしゃようのマニュアルしょ片手かたてながしていたが、これでひとまずはわりそうだ。個人こじんてきにも興味きょうみがない、なんてことはないので、こうしてっているが、ここが呉服ごふくならば、とっととりょうもどっているところである。

退屈たいくつか、ルイ」

「そうえるのなら、世話せわになってる眼科がんか感謝かんしゃしておけ」

「……」

「そうにらむな、ながせとっているだろう。ここにあるほんによれば、転倒てんとう事故じこなどもないそうだ。高速こうそくにはそもそも、たおれるようにできていないし、きゅうブレーキもない。障害物しょうがいぶつ一時的いちじてきに〝える〟こともあるそうだな」

「それほどの無茶むちゃをするつもりはない」

「そうか」

「おまえは、こういうもの興味きょうみがないのか?」

「いや、そうでもない。っただろう、いまはそれほど優先ゆうせん順位じゅんいたかくはないと。あそ道具どうぐかねをかけることを否定ひていはしない。だがおれは、あそぶよりもまず、のんびりしたい。とくいまはおちゃみたくて仕方しかたがないからおぼえておけ」

「む……わせたことはわるおもっている」

文句もんくってるわけじゃない。たばかりでやすもなく、りょうから学校がっこうったかえりなんだ。そのくらいの事情じじょう理解りかいしてくれとっている」

「そうだったのか」

っておくが、つかれているわけじゃない。まだりょう規則きそくすらいていない現状げんじょうかないだけだ。おまえにすることでもないな」

「ふん、いけすかない野郎やろうだ」

「そうかい」

 かれようなんておもっちゃいないさ。

「おたせしました、こちらが試用しようひんのボードで、こっちがカタログとマニュアルです。料金りょうきん一日いちにちまいに――っと、えんですか? ラミルのが良いですか?」

「ラミル換算かんさんでいい。といっても、いま相場そうばならえん十分じゅうぶんいちくらいなものだろう」

 ぜん世界せかい共通きょうつう通貨つうか単位たんい通称つうしょうラミル。いまのご時世じせいではどこでも使つかえる電子でんしじょうかねだ。どんな田舎いなかでもまず使つかえる。おれのように、あちこちまわ仕事しごとをしていると、ラミルのほう馴染なじむものだ。

「そうです。とりあえず今日きょうのぶんは無料むりょうで、明日あしたからは一日いちにちまいひゃくラミルです」

「なんだ、そんなものか?」

「まあ商品しょうひんじゃないんで。さすがにこわされると別途べっと要求ようきゅうもありますが、契約けいやくしょわしましょうか?」

「いや、そこまではもとめない。ちなみにこのカードは使つかえるか?」

 おいおい、軍部ぐんぶ用達ようたつのバンク、しかもくろか。こいつが馬鹿ばかなのか、上官じょうかんいてないのかはさだかじゃないが、どっちにしたって部下ぶか間抜まぬけなら上官じょうかんもクズだというのが定説ていせつだ。うんがないのはこいつか、おれか。

 というか、いくつかのバンクにけておいて、カードを使つかけるなんてのは初歩しょほじゃないのか……? かねうごきで身元みもとれる心配しんぱいをしてないクソか、もと生活せいかつもどりたいとねが馬鹿ばかのどっちかだな、まったく。

「はい使つかえますよ」

「ならば、支払しはらいのさいには使つかうことにしよう。これからも世話せわになりそうだな、すず。よろしくたのむ」

「ご贔屓ひいきに。おにいさんもっスよ」

「ああ、かんがえておこう」

「といっても、学校がっこうおなじだし、お二人ふたりはあたしの先輩せんぱいになるとおもいますけどね」

 なんだ、本当ほんとうどおりのチビスケか。……いや、どおりだと、もっとおさなえるが。

「できれば街中まちなかでの使用しようれてからにしてください」

「ああ、ナナネりょうみち使つかおうとおもっている。障害物しょうがいぶつすくないからな」

となりおれがいることをわすれなけりゃ、障害物しょうがいぶつはないとおもっていい」

貴様きさま障害しょうがいになるのか」

「こっちにかってたらばすからおぼえておけ」

「……こうってはなんですが、じつはお二人ふたりなかいんですか?」

「そのとおりだ」

「ルイ! 一体いったい貴様きさまわたしのどこになか要素ようそがあるというんだ? っておくがわたし貴様きさまのことがきらいだからな!」

いたか? 要素ようそなんてものをさがさなけりゃひといもできないおんなだと、自分じぶん証明しょうめいしやがった。すずは、きっとうで眼科がんかをカゴメがってるからおしえてもらったほうがいいな」

貴様きさま……!」

「あはははは、面白おもしろひとっスねえ」

 やれやれ。

 本当ほんとうおれは、ここできちんと生活せいかつおくれるのだろうか、すこ心配しんぱいになってきた。


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