第十一話

(……その言葉、そっくりそのまま返す)


 そう言いながら、ラインバッハは『鷹』に向けたネオ・シルフのマシンガン・モジュールの先端を見つめた。僅かに震動している。そしてその時、彼の実際の手も微妙に震えていた。

 ラインバッハは、あの日の出来事を龍平に話せば、日本人である彼は感情的になって無謀な攻撃を仕掛けてくることになるはずだ、と計算していた。

 そして、その作戦は途中まで上手くいっていた。砂の僅かな動きを目にした時、ラインバッハはそのことを確信していた。

 ところが、あの日本人少女の話を持ち出した途端、龍平の様子がそれまでとはがらりと変わった。感情的になるどころか、感情が抜け落ちてしまっている。

 ――そんなにあの映像は、日本人にとって屈辱的なものだったのだろうか?

 ラインバッハは考えるが、答えは出ない。ともかく、目の前の男を倒せば任務は完了である。ラインバッハは頭を切り替えた。

 それに、ラインバッハは自分が負けるはずがないと思っていた。

 龍平には話さなかったが、ネオ・シルフには学習機能が搭載されている。既存の戦闘データだけでなく、リアルタイムの画像を動きに反映することが出来る

 先程の五機のフーリガンと五機のシルフによる戦闘も、すべて『鷹』の動きをネオ・シルフに学習させるための手段である。既に過去の対戦データは登録してあったから、今回のデータが加わったことでより完璧に――


 そんなことを考えていたラインバッハの視界から、『鷹』が消えた。


(何!?)

 余計なことを考えすぎたか、とラインバッハはネオ・シルフからの映像に集中する。

 ネオ・シルフにも全方位表示システムは搭載されているから、感知した方向にジョイ・スティックを倒して、防御ないしは攻撃のコマンドをコントロールパッドで入力すれば自動的に動く。

 しかも、その反応速度は人間が認識可能なレベルを超えているから――

 

 下からの攻撃を感知して、ジョイ・スティックによる方向決定とボタン連打による防御コマンドを入力する。


 それが間に合わず、右手に取り付けた機銃の銃身が切り裂かれた。

 左腕の機銃を下に向けて、身体を回転させながら掃射するが、手ごたえはない。

 ヒットすれば金属音がするから、それで相手の損傷具合が推定可能になる。

 しかし、何も聞こえなかった。

『鷹』はまた姿を消している。

(何処にいる。シノン!)

 ラインバッハは大きな声を張り上げながら、同時にネオ・シルフのモーション・センサの感度を上げた。

 あまり感度を上げすぎると、画像処理よりも動作認識のほうにシステム・リソースが優先して割り当てられるため、近づいた相手を無差別で攻撃してしまう可能性がある。しかし、今はやむをえまい。

 それに、友軍機には手出し無用という点を徹底して――


 背中の側に動作認識あり。


 シルフの大きさ。

 機銃が反応して銃弾を叩き込む。

 今度は金属音多数。

 確実に銃弾を叩き込んだ手ごたえに、ラインバッハは思わず笑みを浮かべる。

 さすがは新型、反応速度が――


 メッセージが表示される。

「友軍機に被弾」

 よく見ると、先程の戦闘によって足を切られて無力化されたシルフが、腹部に銃弾を浴びて倒れていて――


 右後方に動作認識あり。


 機銃では間に合わない。

 肩のプレート・モジュールで防御すると、何かが当って跳ね返る。

 それは機銃だった。

 ラインバッハは一瞬、「そんなもの、つけていたか?」と疑問を感じる。

 そうではない。味方が奪われた機銃だった。

 そのことをラインバッハが認識した時――


 背中側から攻撃を受ける。


 今度は左の長距離射撃用ライフル・モジュールの銃身が削られた。

 ラインバッハは背中のスラスタを最大出力にして、その場から逃れた。

 友軍機の中央に着地する。

(……一体どういうことだ?)

 ラインバッハは思わず龍平に問いかけた。

(いくらなんでも早すぎるぞ)

 ネオ・シルフだからかろうじて有効打にならなかっただけで、シルフ同士ならば確実に仕留められていた。

 あんな馬鹿げた速度は見たことがない。

 ネオ・シルフならばともかく、リミッター付きのシルフでは――


(馬鹿な、リミッターを切っただと!?)

「ああ……気づかれたか……」

 龍平の擦(かす)れた声が、ライバッハの耳に届く。

「……流石は新型……致命傷にならなかったな」

(馬鹿か、お前は? 理論上は確かにリミッター切れば速度が上がるだろうよ。しかし、それでも普通は最後の手段として、足の駆動系のリミッターを部分的に外すぐらいだ。お前、今、全部のリミッターを解除しただろ?)

「ああ……切った……だからどうした」

(どうした、ってお前。そんなものに人間の頭が耐えられるわけがないだろう?)

「……だから、どうした」

 ラインバッハは龍平の返事に唖然(あぜん)とした。

 もう理屈ではない。龍平は純粋にラインバッハを狙っている。

 ネオ・シルフはまだそれに対応できるほど、学習を終えていなかった。

 こうなれば、ラインバッハが取りうる作戦は一つである。

 そして彼はその通りにした。


(全機、一斉攻撃準備。目標は『鷹』だ!)


「……ここで急に……いつもの自分に……戻るかね。案外につまらない……男だな」

 ラインバッハの命令を聞いた龍平は、苦笑した。

「しかし……流石にこの数を……一人で相手するのは……ちょっと無謀だよな……」

 先程のリミッター解除による無理な高速機動で、項(うなじ)には熱が籠(こも)っていた。頭の右側がずきずきと痛んでいるものの、それがどの程度のダメージによるものなのか龍平には見当もつかない。

 左腕が僅(わず)かに痺(しび)れているのを感じるので、もしかしたら脳内で出血が起きているかもしれなかったが、しかし、今はそれに構っていられる状況ではなかった。

 敵の光学照準が自分に向いていることを警告する黄色いメッセージで、視界全体が埋まっている。いくつかは既にロック・オンを示す赤いメッセージに変わっており、それは刻一刻と増えてゆく。

 この照準の群れの隙間を縫(ぬ)ってラインバッハに接近しなければならない。本当に出来るのかどうか怪しいところだったが、それでもやらなければならない。

 いくら全リミッターを解除したといっても、弾幕まで躱(かわ)せるわけではない。どうにか致命傷にならないところにだけ銃弾を喰らって、それでやっと切り抜けられるかもしれないが、それでもやらなければならない。

 ――後は運次第、それがなければ、砂漠の上で前のめりになって倒れてお仕舞いだ。

 どうせラインバッハのことだから、『鷹』が機動できなくなった時の龍平の処分方法も検討済みだろう。

 それでも龍平は、ラインバッハ本人に物理的な制裁を加えるまで決して死ぬ気はなかったし、かといって今ここで退くつもりもなかった。

 誰も死なないはずのお手軽な戦場で、無駄に命を賭けている自分に自分でも呆れるものの、今はそうでもしないと生き残ることすら難しかった。

 割れるように痛む頭の中に葵の笑顔が浮かんだが、それで命を惜しむ気持ちが沸き起こるわけではなかった。むしろ、この状況を覆したい衝動がさらに燃え上がる。

 矛盾しているが、生き残る可能性が殆どない状況下でも、死ぬつもりは毛頭なかったし、降伏以外に生きて窮地を脱する手段はないように思える状況でも、降伏するつもりはさらさらなかった。

 何より、誰かの悪意で誰かが蹂躙(じゅうりん)されるのを何もせずに見過ごすことが、龍平には出来なかった。

 遊牧民に思い入れは何もないし、利害関係もない。

 それでも、ここで彼らを見殺しにしたならば、龍平は日本人を虐殺した無名の人々と同じ過ちを犯すことになる。

 ラインバッハのネオ・シルフを破壊したところで、ラインバッハ本人に物理的な制裁を加えられるわけではない。せいぜい、任務失敗のペナルティをスポンサーから請求される程度の痛手に留まるだろう。

 それでも、葵をあんな姿にした男の作戦が成功するのを黙って見過ごす気は、龍平にはなかった。

 龍平は『鷹』の腰を落とすと、長剣を左下段に構える。

 視野の中では最後に残っていた黄色が、赤へと変わった。


 それと同時に、殻の中に置いてあった端末(ターミナル)から「コン」という着信音が鳴り響く。


(遅くなって済まなかった)

 と、浩一の声がヘッドホンから流れ出たので、龍平は驚いた。

「兄さん、どうやって接続を――」

(いやなに、シルフの遠隔操作回線に割り込んで、端末に繋(つな)いだだけだ。シルフの画像中継ユニットのほうが、発信専用で使えなかったのでね)

 いつもの浩一の声。龍平は思わず安堵する。

「兄さん、葵の仇を見つけたよ」

(ああ、聞いていた。ラインバッハだったとはね。世界は狭いもんだな)

 浩一がそう即答したので、龍平は驚いた。

「どうして兄さんがそのことを――聞いていたって?」

(だからさっき言ったじゃないか、シルフの画像中継ユニットは発信専用だと――)

 浩一が楽しそうに言う。

(――お前のシルフを経由して、すべての音声と映像を最初からお前の会社のメイン・サーバに送り込んである。だから、そろそろ騎兵隊が到着するはずだ)

 その言葉と同時に、全方位表示システムの情報が緑色に染まった。


 友軍表示。その数、四十九。


(遅くなって済まなかった)

 と、今度はベルイマンの声が響く。

(北極まで飛ばされたので、折り返すのに時間がかかってしまった。事情はすべて把握している。会社の整備員も身柄確保済みだ。今、殻のプロテクトを解除する手続きに入っているから安心しろ)

(なんだと? それでは殻の遠隔操作プログラムは――)

(その声はラインバッハだな。お前のことだから、どうせそんなものを準備しているだろうとは思っていたよ。残念ながら、お前の遠隔操作プログラムだけでなく、会社の外部から送り込まれてくるコマンドは全て無効にした)

 ベルイマンは落ち着いた声で、子供に道理を言い聞かせるように言った。


 敵の対空砲火を掻い潜りながら、龍平の友軍機は遊牧民の村を守るように着地してゆく。

 数の上では劣勢だったが、それでも先程までの悲惨な状況に比べれば遥かにましである。

 特に、ラインバッハの部隊は『鷹』を攻撃目標として、大半が中距離用のマシンガン・モジュールか、あるいは近距離用のハンドガン・モジュールを装備している。

 そのため、ベルイマン率いる部隊の長距離ライフル・モジュールに手も足も出なかった。

(よう、シノン。生きてるか?)

 シモンの『ホワイト・デス』が、着陸すると同時にライフルを連射する。

(生きててくれないと困るんだよ。なにしろ、あの変態双子が後でお前に直接謝りたいと言ってきかないんだ。この会話も奴らに聞こえてるけどな。俺から事前に伝えておく)

「謝るって……何を?」

(そんなことは本人達に直接聞けよ。そうそう、奴らの名前はトーマスとマイケルだから、ちゃんと覚えておけよ)

「ああ、分かった」

 そう言いながら龍平は、岩場の陰に隠れて射撃を行っているベルイマンの『バッカス』の隣に『鷹』を移動させ、『バッカス』の左腕に『鷹』の右腕を接触させた。

 直接接触による個別強制通信である。

「ベルイマン、君だけに聞いたいことがある」

(……分かっている。どうして嘘をついたのか、ということだろう?)

「そうだ」

 ベルイマンが大きく息を吐く音がした。

(お前には悪かったと思っている。会社からお前を外す計画を聞かされた時、俺は確かにその計画に同意した。ただ、それはお前が邪魔だったからではなく、このままだとお前は自滅するだろうと考えてのことだった。ここで引退すれば少なくとも生き残ることが出来るだろうと考えていた。まあ、実際は逆の方向に手を貸したわけだから、これ以上の言い訳はしない。本当にすまなかった)

 ベルイマンが機銃を掃射しながら謝罪する。龍平は『鷹』で『バッカス』の腕を軽く叩いて、言った。

「来てくれて本当に助かった。礼を言うよ。有り難う」


 機動性能に劣るフーリガンから順に、敵の残機数が削られてゆく。そんな中で、ラインバッハが叫んだ。

(シノン、どこにいる? 出てこい! お前だけは絶対に生きて帰さん!!)

「その言葉、そっくりそのまま返す」

 援軍の到着により、体力が幾分回復していた龍平は、『鷹』を岩場の影から出す。

(シノン、奴の挑発に乗るな)

 ベルイマンの声が殻の中に響いたが、龍平は聞かなかった。

「やつは俺が倒す」

 龍平は『鷹』の右腰から左手で短剣を抜き、『鷹』に前傾姿勢を取らせる。

「行くよ、全制限解除(オール・リミッター・リリース)!」


 そして、『鷹』は駆け出した。


 途端に、龍平の視界から色が失われる。

 機体の速度にカメラ画像の補正が間に合わない。

 色彩が後回しにされる。

 本来は赤いはずの警告表示(アラーム・メッセージ)が黒く表示される。

 そこにはこう書かれていた。

「アラーム・メッセージ――リンケージレベル・ゼロ」

 今まで誰も経験したことのない世界に龍平は突入していた。

 項が燃えるように熱い。

 脳に針が差し込まれるような違和感を覚える。

 それでも、シルフやフーリガンの間を抜けて、ネオ・シルフに迫る。

 さすがは新型。

 機銃の先を『鷹』に向けている。

 龍平は右に避けた。

 鼻から何か出たのを感じたが、構っていられない。

 右手の長剣を振る。

 ネオ・シルフは左腕のシールド・モジュールで防御したが、それを弾き飛ばす。

 ネオ・シルフの体勢が崩れたので、左腕の短剣を真っ直ぐに伸ばす。

 ネオ・シルフは身をよじって躱した。

 剣はネオ・シルフの重装甲表面を僅かに切り裂く。

 龍平は『鷹』を反転させる。

 全方位表示画面の前方右側だけが赤くなった。

 いや、画面ではない。

 右目の毛細血管が破裂したのだ。

 それに構わず、長剣を上からネオ・シルフに叩きつける。

 ネオ・シルフの右腕機銃が銃弾を撒き散らしながら、『鷹』のほうに向かってくる。

 左に機体を流した。

 項が耐え難いほど熱い。

 ネオ・シルフの反応が速くなっていることに気づく。

 龍平の攻撃が読まれているのだ。

 それに気づくやいなや、龍平は両手の剣を左右上方からネオ・シルフに叩きつける。

 ネオ・シルフの両腕もそれに反応して防御に入る。

 龍平は小さく笑い――


 剣を捨てた。


(何だと?)

 ラインバッハの驚く声。

 それに構わず、龍平は『鷹』の両拳をネオ・シルフの胸に押し当てる。

 そして、残量のニ十パーセントに当たる電流を両拳から放出した。

 ネオ・シルフの機体が白く輝く。

 電子制御系に深刻な断線が起こり、動力系へのアウトプットを不能にした。

『鷹』は拳を押し当てたまま、ネオ・シルフを砂の上に押し付ける。

「これで終わりだ。残念だったな、ラインバッハ」

 龍平がそう言うと、

(いや、お前の負けだよ、シノン)

 ラインバッハは笑った。

 龍平の背筋に言い知れない寒気が走る。

 そして、ラインバッハは勝ち誇ったように言った。

(直接接続による社内回線経由で、殻の遠隔操作コマンドを実行するとどうなるのか、見ものだな)


 次の瞬間、龍平の意識は消し飛ぶ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る