第二部 RMMOB

第二話

 二〇三八年十二月十八日、協定世界時(UTC)の午後六時――日本時間に置き直すと同日午前三時。


「今日も勝って下さいよ」

 盛大に笑いながらそう言うと、南米出身の若い整備員はシェルの蓋を閉めた。

 彼に苦笑いする暇すら与えないほどの、手際の良さである。

 ただ、彼は苦笑いする気がなかったから、無表情のまま座席に横たわった。

 うなじの部分を座席の所定の位置に押し当てると、彼は感情の抜け落ちた声で言った。

接続リンケージ

 途端に何かが項に差し込まれるような鈍い感覚がして、続いて項から肩にかけてのところがじわりと温かくなる。

 ――着衣のまま失禁すると、これに似たような感じを受けるだろうか。

 と、彼は愚にもつかないことを一瞬だけ考える。無論、このような余裕が持てるのは今のうちだけである。

 彼を認識した殻が、息を吹き返す。

 内部照明が灯り、FMDに彼の愛機である『たか』の現在状況が表示された。それを眺めて、彼は整備班か彼の指示通り仕事をしていることを確認する。

 いつもの近接格闘用のブレード・モジュールに加えて、今回は炭素繊維製のプレート・モジュールと、長距離射撃用のライフル・モジュールが装備されている。

 そのせいで重量がかなり増しているものの、どうせ最初の一瞬しか追加モジュールは使わないので、問題はない。

 プレートとライフルは彼の流儀に反しているのだが、今回の相手はどうやらラインバッハらしいから、彼の裏をかく必要がある。

 それに、流儀にこだわって負けることに意味は全くない。

 その後、彼が前回の戦闘で破損したところを重点的にチェックしていると、頭の中に「ポン」という着信音が響いた。

(こちら管制ターミナル、全プレイヤーに伝達)

 続いて、女性オペレーターによる英語の骨伝導通信が、彼の頭の中に流れ込む。

 戦闘中は外部の音を聞き取ることが優先されるため、友軍機間の意思伝達や管制からの指示は、鼓膜とは別ルートの骨伝導でもたらされるようになっている。慣れれば両方の音を別々に聞き取ることも可能だ。

 前回の戦闘終了後、設定をそのままにしていたのだろう。

 ――この声はロレインだな。

 彼は反射的に相手を認識する。

 ロレインは言葉を続けた。 

(作戦行動開始まで二時間。各機、状況報告)

 続いて、年配の男性の落ち着いた渋い声が伝わってきた。

(こちら『バッカス』、異常なし)

 今回の部隊編成で隊長を務めることになったベルイマンが、機体名称である『バッカス』で答える。

(『バッカス』、了解)

 ロレインが落ち着いた声で答える。二人とも必要以上の言葉は決して使わない。

 しかし、ベルイマンとロレインが付き合っているというのは周知の事実であり、いまさら二人が声だけで動揺するわけもなかった。

 続いて彼が答える。

「こちら『鷹』、異常なし」

(……『タッカ』、了解)

 微妙な間の後、ロレインはいつもの微妙な発音で彼の機体名称を復唱した。「たか」という発音が外国人には難しいらしく、どうしても「タッカ」と聞こえてしまうのは彼女のせいではない。

 しかし、その前にあった微妙な間は、明らかに彼女自身の動揺によるものだった。

 別に彼女は発音がおかしいのを躊躇ためらったわけではない。彼がベルイマンと同じ部隊で出撃するのを危ぶんでいるのだ。

 その後も各機のプレイヤーによる状況報告が続く。

 副隊長である彼は、それを聴きながら接続強度リンケージ・レベルのチェックを行なった。

 彼と、『鷹』の基本ユニットである汎用人型兵器――プロダクト名称『シルフ』は、項部分に埋め込まれた量子結合用のコネクタで結ばれている。

 大脳から送り出される運動信号は、埋め込まれた感覚器によって外部に出力される。

 逆に、『鷹』の装甲表面に埋め込まれた各種センサーが機体の状況を拾い集め、かなり弱められた皮膚感覚としてフィードバックしてくる。

 そのため、殻の内部に操縦用の装置はない。彼イコール『鷹』なのだから、その必要はなかった。

 ただ、プレイヤーとシルフの接続強度は決して一定ではない。プレイヤーの心理状態に左右されて、たやすく上下動してしまう。

 接続強度は、上はレベルゼロ、下はレベルテンとなっている。現在の彼の接続強度は、上から三番目のレベルツーだった。

 戦闘中の彼の接続強度はレベルワンと飛び抜けて高い。隊長のベルイマンですらレベルツーが限界で、彼には及ばない。なにしろ、レベルワンを実際に達成できたのは、今までに五人しかいないのだ。

 その上のレベルゼロというのは「計測値を超えました」という意味で、分類上設定されたものだから実際は実現不可能、と言われていた。

 レベルテンは逆に「計測する価値もない」という意味である。

 基本的には、接続強度が高ければ高いほど機体の操縦精度や反応速度は高くなるから、能力順ならば今回の部隊編成において、彼が隊長になってもおかしくはなかった。

 しかし、そこには能力以外の要因があり、今まで彼は隊長として隊をひきいたことがない。せいぜいが今回と同じく副隊長止まりである。

 そのことが彼には大いに不満だったが、文句を言ったところで始まらない。

 接続強度のチェックを終えると、彼は目を閉じて身体をすっかりと座席に預ける。

 出撃まで結合強度が高い状態を維持することは、逆にストレスの増加につながるので、彼は確認後すぐにそれを忘れることにしているのだ。

 座席は僅かに頭のほうが持ち上げられた状態で傾斜しており、腰、手首、足首に巻かれた金属がマグネットでゆるやかに固定されている。

 既に各機の状況報告は終わっており、彼の頭の中は元通りの静けさに戻っていた。

 そこで彼は、殻に標準装備されている音楽デバイスに手を触れずに、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『マタイ受難曲』を再生した。その操作も量子結合経由で行なわれるのだ。

 大昔の兵器は重量をどれだけそぎ落とすかが重要だったから、そんな気の利いたものを取り付けておく余裕はなかったらしいが、殻が使われるようになってからはそんな心配は無用である。

 殻の中に大音量で、陰鬱いんうつな曲を流す。

 彼はこの曲のその陰鬱さがとても好きだった。いや、好きというのは少々違う。自分よりも悲惨な人間のうたを聞くことで慰められた、と言ったほうが近い。

 そのまま目を閉じていると、友軍機からの着信を伝える「コン」という音が伝わってきた。殻に乗り込んでいる時、通信は拒否できない。

(よう、シノン。さっきはすまなかったな)

 ベルイマンだった。

 同僚達は彼のことをシノンと呼ぶ。「東雲しののめ」という発音が難しいからだ。

「すまないって、何がだ?」

(ロレインだよ。一瞬、躊躇ちゅうちょしただろう?)

「ああ、そのことか」

 ベルイマンは続ける。

(悪く思わんでくれ。彼女はお前のことが嫌いなわけじゃない)

「そんなことは分かっているよ。ついでに愛しているわけではないことも知っている」

(ああ、その役目をゆずる気にはなれんな)

「ともかく気にするな。俺はなんとも思っちゃいないから」

(そう言ってもらえると嬉しい。じゃあ、今日はよろしくな)

 そう言い残してベルイマンは通信を切った。

 ――まったく、隊長というのは疲れる役目だな。

 ベルイマンは歴戦のつわものだったが、配下の者に気配りを忘れないことで有名である。だから、その人となりを悪くいうものはいない。

 陰で何を言われているか分からないほど無愛想な東雲とは真逆である。今のも東雲に対する配慮に違いない。

 しかし、実のところ彼はロレインのことなどすっかり忘れていた。彼女が示したような躊躇い――もっと正確に言えば嫌悪感は、彼にとって日常茶飯事のことだった。

 この稼業をやっている者で、彼の別名である「生還者サヴァイヴァー」を知らない者はいない。これには様々な意味が込められているが、特に悪い意味ではこう使われていた。

「仲間を見捨ててでも、必ず戦場から機体を生還させる男」

 それを聞く度に東雲は内心思っていた。

「当たり前だ。今の戦争で機体を失うことがどれだけ高くつくか分っているのか」


 *


 作戦開始時刻の一時間前となった。

 当然、作戦は現地到着以降に開始されるわけであるから、シルフは順次、そこまで移動することになる。

 現在、シルフは太平洋上に浮かぶ空母に搭載されており、発艦はカタパルトによる押し出しとなる。しかし、基本的な挙動は全自動で行われるからプレイヤーがやることは何もない。

 姿勢制御にしてもそうである。「地面に対して垂直になれ」と思っただけで、オートジャイロが働く。

 地面や建物との距離はレーダーで常に計測されており、過剰な速度で衝突しそうになると防止装置が強制的に働くから、その心配はなかった。

 つまり、プレイヤーは敵の攻撃をかわしつつ自ら攻撃することにだけ専念すれば良く、だからこそ操縦者パイロットではなく攻撃者プレイヤーと呼ばれていた。

「そこまで機体を制御できるのであれば、全自動の無人機を飛ばせば良いじゃないか」

 という者はいまだにいたが、戦争はそんなに簡単なものではない。確かに相手が全くの素人であれば、無人機で容易たやす蹂躙じゅうりんできるだろう。

 しかし、相手が戦場を駆けめぐる百戦錬磨の狼となると、機械のアルゴリズムでは対応不能な挙動を平気でやってのけるから、相手にならなかった。

(『タッカ』、発艦準備)

「了解」

 ロレインの短い言葉に、東雲は短く答える。

 FMDは外部モニターモードに切り替わっており、シルフの頭部から見た世界を映し出していた。

 シルフは全高四メートルほどの人型兵器である。プレイヤーの操作性の問題からそうなった。戦闘機のような形状にリンクするのは、心理的に難しいのだ。

 基本ユニットは、一般的に「デッサン人形」と呼ばれる丸みを帯びた形をしている。それにプレイヤーが必要な装備をモジュールで後付する仕様になっていた。

 今回の出撃では、まず必要最低限のモジュールが標準で組み込まれた。

 まず、空母から現地への飛行モジュール。単純に言うと飛行機を背負った形になる。これは現地でシルフを切り離した後、全自動で空母に帰投するようになっていた。

 続いて、現地から空母への帰還モジュール。空母は沖合三百キロまでしか接近できないので、そこまで海中を潜航するためのものである。飛行モジュールから切り離された後の着地用でもある。その形状からバックパックと呼ばれていた。

 これは現地到着後に一か所にまとめて置いておくことになる。機体識別コードによる使用制限があるから、他の機体用のものは使えない。それに、故意にこれを破壊すると重いペナルティが課せられる。

 更に、軽装甲モジュール。これは趣味によって重装甲モジュールを選択しても良いのだが、今回、東雲は敏捷性を重視した。軽装甲モジュールは、西洋の甲冑に似た細身の装甲である。

 ここまでが標準で、以降がプレイヤー別のモジュールとなる。

 東雲は、まず近接戦闘用のブレード・モジュールを加える。刃渡り二メートルの炭素繊維製で、左腰の部分に鞘に納めて固定されていた。

 同じく炭素繊維製のプレート・モジュールは、左腕に固定されていた。座った姿勢でシルフの身体が隠せるタイプである。

 長距離射撃用のライフル・モジュールは右腕に装着されており、腕を伸ばした状態で照準がつけられるようになっていた。

 空母の格納庫から上部甲板への移動は現地送迎用の飛行モジュールの役目である。シルフは下につるされたままで、空母上部甲板後部のカタパルト・デッキに移動した。

 夜明け前の暗闇だったが、殆ど雲のない快晴であることが分かる。星が水平線ぎりぎりまで見えた。

「カタパルト・リンク確認。いつでもどうぞ」

 東雲は管制に伝える。向こうでも確認できているはずであり、黙って放り出しても全自動だから問題はないのだが、この辺は昔風に本人の了承を絶対条件としていた。

(カウント・ダウン)

 ロレインの声と共に、FMDに数字がが表示される。東雲は視界の中央で移り変わってゆく数字を、無表情のまま見つめた。


 五、機体の振動がセンサーを通じて、皮膚感覚として伝わってくる。

 四、飛行モジュールがエンジンの回転数を徐々に上げてゆく。

 三、僅かに機体後部が持ち上がるのを感じる。

 二、エンジンの回転数がさらに上がる。

 一、カタパルトが軋む音がする。


 そしてゼロになる。


 モジュールのエンジンが吠えた。

 シルフは凶暴な力で前に押し出される。

 視野が狭まり、あらゆるものが後方に流れる。

 不意に甲板が途切れ、シルフは洋上に投げ出される。

 しかし、機体は軽々と空気に乗り、そのまま高度を上げた。

 星の見え方が微妙に変わる。空気が薄くなり、瞬きが減るのだ。

 そのまま一定高度まで急上昇すると、そこで出力を絞り込んだ。

 後続機を待つためである。

 東雲の目の前に先行していたベルイマンの『バッカス』がいる。

 東雲はその吊るされた姿を、相変らず無表情のままで見つめた。


 *


 東雲が空母から発艦して、現地に到着するまでの飛行時間は、二十分未満だった。

 飛行モジュールは高度一千メートル付近で速度を落とすと、配達荷物のようにシルフを切り離す。

 同時にバックパックが稼働して、そのままゆっくりとシルフを地面に全自動で軟着陸させた。

 着地後、バックパックはシルフから切り離して地面に置く。

 そこまでが発艦後三十分以内で、残りは二十分程度。

 空を見ると、既に国際紛争調停委員会の判定機プローブが四つ、交戦指定地域を均等に捕捉していた。

 それ以外にも、各国の放送局が送り込んだものや、ブックメーカーが雇った調査会社のものと思われる探査機ピーパーが、合計で五十機近く上空に浮かんでいた。

 骨伝導通信に友軍機の着信音があり、

(告げる。こちら『バッカス』)

 と、ベルイマンの声が伝わってくる。

(これより班編成のデータを送るから、各自で参照せよ)

 いちいち本人からの直接報告を求めることがあるかと思えば、このようにデータ送信で終わらせることもある。

 ただ、班編成についてはチームを組む友軍機の装備を頭に叩き込んでおく必要があるため、データのほうが有り難い。

 今回の戦闘に参加する友軍機の総数は、五十機となっている。ということは、相手方も同数の五十機編成だ。

 副隊長である東雲には、長距離狙撃用のライフル・モジュールを装備した隊員が四名割り当てられていた。合計で五名編成。これは事前にベルイマンに依頼した通りである。

 東雲の配下となったシルフ四機が、彼の周囲に集まってくる。いずれも右腕装着型のライフルではなく、据付型のライフル・モジュールと弾薬収納用の箱を抱えている。重装甲で固めているのも共通していた。

 東雲は最初の射撃が完了した時点でライフル・モジュールを切り離すつもりであったから、補充の弾薬を準備しなかった。それを怪訝に思ったのだろう。四機のうちの一機から通信が入る。

(シノン、ベルイマンからはお前が立案した作戦だと聞いているんだが、そのお前が軽装というのはどういうことかね)

 前に別な案件で組んだことがあるシモンだった。東雲は彼の機体名称でその問いに答える。

「知っているだろう、『ホワイト・デス』。俺に後方支援が似合わないことぐらい」

(ああ、承知している。すると、いつものように近接戦闘を想定しているのだな。ならば、どうして他の機体は遠距離射撃に特化した連中なんだ? これじゃあ、お前の背中を守るやつがいないじゃないか?)

 シモンは、銃座を楔で地面に固定しながら訊ねる。

「それは俺には必要ない。それに俺についてこられるやつがいない」

 東雲は、数学の方程式を説明するような声で答えた。

(確かにそうだが、じゃあ俺達は一体どうなる。お前の指揮下に入れとベルイマンに言われているんだぞ)

「それについては作戦がある」

 そう言うと、東雲は彼の配下となった友軍機に対して、データリンクの要請を行なった。


(これ、交戦規定違反じゃないんですか)

 作戦計画書を一読したエレナ――機体名称『ヘブンズ・ゲート』の音声が伝わってきた。

(武器以外の使用可能な器物および建築物については、意図的な破壊を禁止する――そのはずですよね)

 教科書に記載された言葉をそのまま使う人間に碌な奴はいない、と東雲は思う。ベルイマンが東雲の配下につけるぐらいだから腕は確かなのだろうが、頭の堅い人間に戦場は似合わない。

(確かに規定にはそう書いてある)

 シモンは僅かに堅い声で伝達した。彼もエレナの扱いには日頃から手を焼いていたのだろう。

 同じ長距離狙撃を得意とするタイプだから、隊が重なることも少なくないに違いない。

(しかし、使用可能な、という文言がちゃんとついているだろう?)

(十分に使用可能と考えられますが)

(じゃあ、お前。今すぐあそこに住むか?)

(……それは出来ません)

(どうしてだ? 使用可能なんだろう? 全館がら空きの豪勢な屋敷だ。それに今なら格安でレンタル可能だぞ。優良物件じゃないか?)

(分かりました。指示には従います)

(いいや、お前は何も分っていないね。『指示には』って何だ? 交戦規定違反じゃなかったのか? どうして簡単に意見をくつがえすんだ?)

(……)

(どうした? 何故黙る? 最初に言い出したのはお前じゃ――)

「シモン、そこまでにしておけ。交戦前だ、これ以上の無駄話は禁止する。作戦の内容を理解したのであれば承認してくれ」

 東雲は話に割り込んだ。

 シモンの悪いところは、気に入らない相手を執拗しつような質問攻めにして際限なく追い込むところだ。逃げ場のない怒りが底にこもるといつ爆発するか分からないのに、それが理解できない。

 日頃の鬱憤うっぷんまっていたのかもしれないが、今ここでやることではない。

(『ホワイト・デス』、了解。副隊長に従います)

(……『ヘブンズ・ゲート』、了解しました)

(『イーグル・アイ』、了解)

(『ホーク・アイ』、了解)

『イーグル・アイ』と『ホーク・アイ』は、双子の兄弟である。

 まだ新兵扱いだが、最近よく名前を見かけるようになってきた。

 何か事情があって近接戦闘が苦手で、長距離からの狙撃以外に関心を示さない変態野郎だという噂が、それには必ず付け加えられていたが、腕が確かで無口であれば問題はない。

「全機の承認を確認した。それでは準備を始めてくれ」


 今回の主戦場は繁華街の跡地である。ラインバッハは複雑な地形を最大限に利用したゲリラ戦を得意としていたから、もってこいの状況シチュエーションに違いない。

 東雲は右腕を伸ばしてライフルモジュールを目標物に向ける。

 そういえば昔のアニメにはロボットが照準を覗き込む表現があったが、意味が分からない。ライフル自体に照準があれば、後はそれにあわせて打ち込むだけのことだ。覗き込む必要はない。

 他の四機はごつい装備をたずさえていたから、今頃は架台を地面に打ち付けているところだろう。今回は的が大きいので、そこまでの精度は最初から求めていないのだが、狙撃手は妙に装備にこだわる。

 東雲は再び『マタイ受難曲』を大音量で流した。周囲の殺伐とした光景が実に似合っていた。

 人間がいた頃から殺伐とした場所だったが、誰もいなくなって余計に空虚さが増している。

 作戦開始時間まで三十秒を切ったところで、音楽を切った。隊員達の準備が完了していることを確認する。


 二十秒前。

「告げる。こちら、『鷹』。作戦開始と共に、指定した目標物に対して最大火力で砲撃を開始せよ。その後、各自で防御体勢に入れ」

 十秒前。

「お前達の仕事は基本的にそこまでだ。後は各自の幸運を祈る」

 五秒前。

「前髪しかない女神というのは、俺の審美眼には合わないがな」

 ゼロ。


 上空の判定機が信号弾を発射――作戦開始の合図。


 東雲の部隊はJR「新今宮」駅前の路上から、JR「天王子」駅前にある目標物に向かって、派手にぶちかました。

 目標物から新今宮駅は緩やかな坂の下になる。

 周囲には他の建物があるので直接目視することは出来ない。

 しかし、砲弾は湾曲した軌道を飛んで、正確に目標物の北側下層部分に集中した。

 大雑把おおざっぱでも構わないと言ってはみたものの、隊員達の正確な狙撃に東雲は感謝せざるをえない。

 お陰で予定の半分の砲弾数で、巨大な建築物はかしいでゆく。


 阿倍野ヘリオス――ある時期、日本最高層の名をほしいままにしたビルは、地響きを上げながらゆっくりと倒壊を始めた。

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