第一部 VRMMOG

第一話

 二〇三三年十月一日、協定世界時(UTC)の午前零時――日本時間に置き直すと、同日の午前九時。


 ある一本の動画が世界中の主要動画サイトに同時投稿され、それをめぐってしばらくの間、全世界で似たような会話が交わされることになった。

「おい、あの動画見たか?」

「ああ、見たよ。ものすごいやつが出てきたな。映画の予告編にしては随分と手間暇かけて作ってあるし、大枚をはたいて盛大に宣伝しているようだし」

「お前、知らないのか? あれは映画じゃなくて、ゲームの宣伝だよ」

「えっ!? じゃあ、あの動画はヴァーチャル・リアリティなのか? てっきり実写とCGを掛け合わせた映画の宣伝だとばかり思ってた」

 それは、いわゆるVRMMOGにカテゴライズされるゲーム、『デス・スター・クロニクル』のテスト版を、全世界で同時無料公開するという告知動画だった。


 VRMMOGとは「仮想現実の世界を舞台とした、大規模かつ多人数参加型のオンライン・ゲーム(ヴァーチャル・リアリティ・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ゲーム)」の英語略称である。

 そして、これ以降『デス・クロ』という通称で呼ばれることになるこのVRMMOGを開発したのは、マレーシアのクアラルンプールに本社を置く、設立されたばかりで実績が何もないソフトウェア会社だった。

 しかも、『デス・クロ』の全世界同時公開にあたって、業界内で事前に目立った動きは全く見られなかった。

 例えば、新興企業の急成長時にありがちな、

「業界でもその名を知られた技術者の誰それが、同社に電撃移籍した」

 という話も聞かなかった。業界関係者すら全くノーマークの、完全な独自開発プロジェクトである。

 それでも金融機関による資金援助があれば、少なくとも金の流れにさとい投資家の中にその情報が出回るはずなのだが、それすらなかった。

 ただ、その唐突な始まりにもかかわらず、出所でどころが定かではない資金は、事前に、しかも潤沢に準備されていたらしい。

 最初から膨大な広告宣伝費用が惜しげもなく投じられていたし、

「大容量の光回線を大量に配線して、複数配置した世界最高水準の高性能サーバに繋いで、同時並行処理を行なっているらしいよ」

 という噂が立つほど、設備面でも過剰な初期設備投資が行なわれていた。

 そのことは、テスト版の画質を見ればすぐに分かる。

 動画のフォーマット自体は、旧式のFMD(フェイス・マウント・ディスプレイ)でも再生可能な一般形式であるのに対して、描画速度が恐ろしく速い。

 二年落ちのパソコンでも動画再生が余裕で可能なぐらいに、プレイヤー側のマシンへの負担は小さいにもかかわらず、再生される動画は全て最高画質である。

 しかも、画面の動きの滑らかさや細部描写の鮮やかさは半端ではなく、当時最大のプレイヤー登録数を誇っていたVRMMOGが『仮想現実紙芝居』と揶揄やゆされるほど、格段の差があった。

 これは、画像処理の殆どをサーバ側で行ない、出来上がった画像をオンデマンドで配信しているから出来ることである。

 それだけの余裕が、ラインの向こう側に設置されたサーバにあることを示しており、巷の噂もあながち根拠がない訳ではなかった。


 その一方で、世界観の構築にはまだまだ至らない点が数多く見受けられる。

『デス・クロ』は、非常に荒っぽい言い方をすると、「どこか遠くにある惑星で、先住民である知的生命体と、兵器を遠隔操作しながら闘う」ゲームである。

 このような「異世界」を舞台とする場合、日系のソフトウェア会社であれば開発の初期段階で、舞台となる異星の生態系や植生、大気及び鉱物の組成、気候の変化や時間経過など、細部まで丹念に設定を行なっている。

 そうすることが多い、ではない。

 しないことは、ありえないのだ。

 ところが、テスト版公開時にオンラインで配布された『デス・クロ』のユーザー・マニュアルには、兵器の操作説明だけが無機質に列挙されており、異星に関する背景説明はどこにもなかった。

 また、地球外知的生命体のデザインこそ、昆虫をベースとした人間とは異質なものになっていたものの、舞台となる異星の景色や植生は、どことなく地球環境をそのままそこに移植したような印象を受ける。

 つまり、「どことなく馴染み深い風景の中で、見た目が異様な生命体と戦闘を行う」ことになるのだ。

 画像の見事さに比べると何ともお粗末な設定で、他にも舞台の細部設定に関する詰めの甘さが随所に見られた。それらがネタとしてオンラインをにぎすほどである。

「無名企業の、処女作の、しかもテスト版なんだから、このぐらいでも仕方がないんじゃないの」

 と、その状況を許容する者が大半だったが、

「まるで実在する軍隊の兵器操作マニュアルのようだな」

 と、ユーザー・マニュアルの素っ気なさを揶揄する声もある。さらには、

「むしろ、この味気なさが堪らない。見知らぬ最前線に突然放り込まれた気分になる」

 と、マゾヒスティックな意味で肯定的に捉える者すらいた。 


 ともかく、現実と区別がつかないほど鮮明に形作られた仮想現実の異星で、地球外知的生命体と高速戦闘を行なうゲームは、それだけで十分に魅力的である。

 テスト版の公開から一ヶ月経過した時点であるにもかかわらず、『デス・クロ』は全世界で百万人を超えるプレイヤーを集めていた。

 そして、さらにそれを加速させたのが、同年十一月一日、UTC(協定世界時)午前零時以降に、ゲームのトップ画面にある通知領域に表示された英語のメッセージである。

 そこには運営発表として、次のことが書かれていた。

「十二月一日の午後十五時に正式版の公開を行なう。なお、当日は三時間限定の特別ステージが準備されている」

 世界の一部は、この宣言によりさらに加熱していった。


 *


 二〇三三年十一月三十日、協定世界時(UTC)の午前八時――日本時間に置き直すと同日午後五時。


「これのどこがそんなに面白いの?」

 その当時、まだ中学一年生だった東雲しののめ龍平りゅうへいは、大学生の兄、東雲しののめ浩一こういちにそう訊ねた。

 龍平の目の前にあるディスプレイには、浩一がプレイしている『デス・クロ』が表示されている。

「まだ子供のお前には分からないよ」

 浩一はそんな身も蓋もない言葉を、笑いをにじませながら言った。

 画面上には巨大なカマキリに似た、それでも柔らかそうな皮膚をした地球外知的生命体――名前も見た目通りの『蟷螂マンティス』が大写しされている。

 近接戦闘中なのだ。

「なんだか現実感がないなあ」

「そりゃあ、お前から見たらそうかもしれないけどな」

 そう言いながら浩一は、複数のボタンが並んだコントロール・パッドを左手で、ジョイスティックを右手で、激しく操作する。

「しかも、そんな旧式なものを使ってさあ。三次元マウスのほうが反応が早いんじゃないの?」

 浩一が使っているスティックは、数年前にある部品メーカーが復刻したものである。

 しかし、古くからのゲーマーにとっては、空間認識センサーによって手の動きを読み取る三次元マウスよりもしっくりとくるらしい。

「あれは自分が操作しているという手応えがないから、嫌いなんだよ」

 と、浩一はいつもと同じぼやきを繰り返した。

 浩一が操っているのは、『イーグル』と呼ばれる兵器である。

 戦闘機の翼の部分が鋭い刃になっているもので、それが前後左右に稼働するようになっていた。

 空を飛ぶほうの機能は、機体中央にあるドローンに似たプロペラで行われるらしい。

 今、『イーグル』は『蟷螂マンティス』の前に静止しながら、剣をしきりに振っている。つまり、姿勢制御に翼は必要ないということだ。

蟷螂マンティス』が身じろぎをする。

「右上段」

 龍平が短く答えると、『蟷螂マンティス』は左腕を振りかぶってから、斬りつけてきた。

 浩一は『イーグル』を左へと瞬時に移動させる。

「左下段」

蟷螂マンティス』は右腕をすくい上げるようにして、間合いを詰めてくる。

 浩一は後方に緊急退避した。

「なんで太刀筋が分かるんだよ」

 浩一が激しくスティックを動かして、『蟷螂マンティス』の攻撃をかわしながら訊ねたので、龍平はつまらなさそうに言った。

「だって、攻撃の前に筋肉の動きが見えるんだもの」

「さっき、自分で現実感がないって言わなかったか」

「なんだかそこだけ変にリアルなんだよね。作った人が、格闘技経験があるんじゃないかなと思うくらい」

「プログラマーなんて運動不足の肥満体か、逆に骨だけで稼動しているやつか、そのどっちかというのがお約束じゃないか」

「そうかなあ。それにしても、もっとトリッキーな動きに出来なかったのかな」

「一般人にはこれでも難易度高いの」

 浩一は汗を流しながら、『蟷螂マンティス』の連続攻撃を躱していた。

 兄がその筋では名の知れたゲーマーであることを龍平は知っていたが、

「僕なら、あと一呼吸分ぐらい前に余裕で動けるのに」

 と、思わず素直な感想を口にしてしまう。

「何だと、じゃあ見てろよ」

 浩一は強引に『蟷螂マンティス』の間合に入り込むと、右の刃を一閃いっせんした。

「遠いよ」

 龍平は落ち着いた声で言う。

 刃は宙を斬った。

「右下段からの掬い上げで終り」

 龍平が呟くやいなや、『蟷螂マンティス』の左腕が、下から『イーグル』を両断した。

「あちゃあ!」

 浩一は両手で頭を抱える。そして、そのままFMDを外し、机の上に置いた。

「お前もやってみれば」

 そう言いながら浩一は煙草に火をつける。

「こんなのFMDで見たら、剣の感覚が鈍るから嫌だ」

 龍平は小学校の低学年から近所の体育館で剣道を修練していた。

 生まれ持った身体の敏捷さに、これも生まれ持った動体視力の良さから、小学生大会では全国でも上位に食い込むほどの腕前である。

 そして、画質が鮮明で細部まで正確に作られている『デス・クロ』だからこそ、逆に龍平の先読みが可能となっていた。

 しかも、それがご丁寧にも例外なく繰り返されるため、現実の剣道での勝負を知っている龍平からすると物足りない。

「可愛くないなあ」

 浩一は苦笑すると、煙草の煙を深々と吸い込んだ。

 彼の机の上にはいつものようにデスクトップパソコンのフルセットとFMD、操作ボタン付きコントロール・パッドとジョイ・スティックのセットが並んでいる。

 しかし、今日はその隣りに黒光りする物体が置かれていた。

 前面にカメラが設置されており、丸い胴体に寄り添うように、左右に冷たい輝きを放つナイフが取り付けられている。

 胴体中央部と後部にはプロペラによる推進装置が設置されていて、胴体下部から給電およびデータ送受信用のケーブルが伸びていた。


 昨日、何の予告もなく兄宛に宅配便で届けられたものである。


 龍平はその物体を見ながら言った。

「なんだか物騒なものだね」

「ただのフィギュアだよ。まあ、よく出来ているけどな。翼だって良く見ると、危なくないようにコーティングがされているよ」

 それは、『デス・クロ』の日本人ユーザー限定で配布された、ゲームに登場する兵器のフィギュアである。ちょうど、浩一の愛機である『イーグル』だ。

「これ、重そうに見えるけど結構軽いんだぜ。空を飛ぶんだから重量に制限があるんだろうな。世界観はおざなりなのに兵器のフィギュアはリアルに表現するって、どこまで偏ったマニアだよって思うけど」

 浩一は愛機を撫でながら言った。

「だから、その手のマニアの間じゃ既に高い評価を得ているが、まあ、玩具だね。それに、これをパソコンに接続して給電状態にしておくと、正式オープン時に特殊兵器の割り当てが受けられるんだ」

「特殊兵器って?」

「さあ、その辺の説明は何もなかった。説明責任とか考えないのかね、メーカーは」

 そう言うと、浩一は煙草の煙を天井に向かって盛大に吹き上げる。

 龍平は浩一の色素の薄い目を見つめた。長めの黒髪を後ろでまとめ、肌理きめの細かい肌に不精髭が浮かんでいる。ちゃんと手を入れれば女性が放っておかないほどの美形なのに、本人はまったく自覚がない。

 それは龍平のほうも同じで、剣道の面を付けた時に鬱陶うっとうしいから、髪を長く伸ばしたことはないし、着替えるのが面倒な服は買ったことがない。ほぼ一年中、Tシャツとジーパンで過ごしていた。

 顔も良く似ていると言われる。性格も似ている。

 兄弟というより双子のような存在で、変に気を使うことがない一方で、とても気が合った。

 浩一は、ゲーム好きが高じて、大学では工学部の情報工学科に所属している。

「明日の深夜零時になれば分かるけどね。『デス・クロ』正式版のオープンだから」

「前の時は朝九時オープンじゃなかったの」

 龍平は、浩一が朝から大騒ぎしていた日のことを思い出す。

「そうだよ。ネットでもその点は話題になっていたな。これまでは、新しい動きがある時はUTCの午前零時解禁がお約束だったんだけどな。今回は急にUTCの午後十五時だからな。大人の事情だろうけど」

 浩一は事もなげに言った。

「じゃあ、今日から明日にかけては徹夜なんだ」

「そのつもりだよ。やっぱりお祭り騒ぎはリアルタイムでないとね」

「大人の事情と言い切る大学生が、ゲームで徹夜するとはね」

「あ、言ったな」

 浩一に柔らかくヘッドロックを決められながら、龍平は考える。

 ――それにしても、今回はどうして日本時間の深夜零時なんだろう。


 *


 その後、龍平が素振り用の木刀を持って庭に出ると、頭の上の方から、

「あ、龍平ちゃん。こんばんわ」

 という声が降ってきた。

 龍平が頭を上げると、隣の家の窓からたちばなあおいの顔が覗いている。

 彼は顔を赤らめながら言った

「ちゃん付けはやめてくれよ。もう中学生なんだからさ」

「あ、ごめん。つい、いつもの癖で」

 葵が慌ててそう言ったので、龍平は、

「まあ、仕方ないけどさ」

 と、ぶっきらぼうに言った。

 本心では龍平も「ちゃん」付けの距離感が気に入っているのだが、中学校でその呼び方をされるのは気恥ずかしかった。

「今日も素振り? いつもご苦労様」

 葵から穏やかな声でそう言われると、龍平は急に気合いが入る。

「試合が近いからな」

「今度のは関東地区予選だったっけ」

「そうだよ」

 そう言いながら、龍平は木刀を正眼に構える。

 背筋が自然に伸び、腰が据わって、足の指が地面を捉えた。

 上段に振りかぶり、そのまま一気に振り下ろす。

 太刀風がうなった。

「すごいね」

 葵の感心した声。

 思わず龍平の腕がきゅっとしまる。

「まだまだ」

 そして、龍平は葵に見守られながら、黙々と素振りを続けた。


 葵は、次第に汗をしたたらせてゆく龍平の姿を見つめながら、

 ――龍平ちゃん、凄いな。見る度に強くなっているのが分かる。

 と考えていた。

 葵が龍平と初めて出会ったのは、十年前に龍平の両親が隣りの一軒家を購入し、転居してきた翌日のことだった。龍平の一家が揃って近所に挨拶に出かけ、最初に訪れたのが葵の家だった。

「あ、なんだか気があいそう」

 玄関に硬い表情で立っていた龍平の顔を見て、即座にそう思ったことを葵は覚えている。

 それまで近所にいた同じ年代の男の子は、乱暴で口が悪かったから葵は苦手だったが、その時、複雑な表情を浮かべて葵のほうを見ていた龍平の表情には、そのような粗野なものはなかった。

 真面目で、気が優しくて、素直そうな姿――彼に言ったことはないが、葵の初恋である。

 しかも、一緒に兄の浩一もいたはずなのだが、そちらは記憶に残っていないから、完全なピンポイントだ。

 似たような建売住宅で、購買層も似たような首都圏のサラリーマン世帯であったから、葵の家族と龍平の家族が親密に付き合い始めるまでにそう時間はかからなかった。

 龍平と葵は同じ年だったから、幼稚園から小学校にかけては一緒に通学していた。それが、龍平が中学校の剣道部に入部し、早朝練習に出るようになってからは、流石に一緒に登校出来なくなる。

 学校でもなんとなく話しづらくなってきたものの、それでも龍平が夕方に素振りをする時間にはこうやって話をして、龍平が素振りを終えるまで見守る日々が続いていた。

 兄妹のように身近な存在として育ち、今では多くを語らなくてもなんとなく相手の考えが分かるようになっている。

 これも口にこそ出さなかったが、お互いに「大切な存在」と思っていることが、葵にはちゃんと分かっていた。

 ――だから、焦ることは何もない。

 その時点で、葵はそう考えていた。


 *


「さて、そろそろだな」

 浩一は指の関節を鳴らしながら呟く。

 同じ時間、日本国中、いや世界中の『デス・クロ』ユーザーが同じような気分で時間になるのを待ち構えているに違いない。

 机の上にはフル充電状態になった『イーグル』のフィギュアが乗っている。

 それをぼんやりと見つめながら、浩一は午後に龍平と交わした会話を思い出していた。

「大人の事情と言い切る大学生が、ゲームで徹夜するとはね、か」

 浩一にも、龍平の感覚のほうが正常だと分かっている。

 仮想現実の世界は、決して現実ではない。

 それに没頭している自分も、現実的ではない。

 仮想現実と現実の区別がつかなくなっている訳ではなかったが、ともすると仮想現実世界にリアルを重ねあわせる自分がいることも、彼は自覚していた。

 今の自分を象徴しているのが目の前に置かれた『イーグル』である。仮想現実の中ではリアルだが、現実の中ではフィギュアに過ぎない兵器。

 現実世界でこのような兵器を使い、異星人とはいえ生物を殺戮することは、自分には出来ない。知り合いにはそれすらもこだわりなくやってしまいそうな人間がいたが、自分はそこまで現実感を失っていないと思う。

 ――本当にそうか?

 浩一は自問した。

 ――『デス・クロ』という、限りなくリアルに近い仮想現実は、その境界線を危うくするものではないのか。

 目の前のディスプレイには『デス・クロ』のログイン画面が表示されている。

 ――これが世界観の変革を強いる、地獄の門の入口でないと言い切れるのか。

 世界の歴史は、想定外の出来事によって頻繁に世界観の書き換えを余儀なくされてきた。

 地下鉄テロ事件以前、日本人は自分達が無差別テロの標的になることなど、想像してもいなかった。

 米国同時多発テロ以前、民間旅客機が破壊兵器として利用可能であると、誰も考えてはいなかった。

 東日本大震災以前、日本を大津波が襲い、しかもそれで原子力発電所が壊滅するとは想定されていなかった。津波は想定されていたが、自然はその想定を易々と越えて、人間を襲ってきた。

 歴史の中では繰り返し同じような出来事が起こっているというのに、誰もその先まで想像することができない。『デス・クロ』がその一つでないと誰が言い切れるのか。

 今日まで誰もが思いもよらなかった事態が、明日にはリスク管理上避けて通れない問題に変わることだってある。

 ――いやいや、ちょっと待て。流石に論理が飛躍しすぎている。

 浩一はそこで自制すると、時計を見た。

 深夜零時まではあと三十秒。世界中で同じように時計を見つめている人々の息遣いを感じる。

 それが現実だ。

 そして、たかがゲームの仮想現実世界に現実感を左右されてしまうほど、人間の認識は甘くはない。

 ――そうであってほしい。

 浩一は何故か祈るような気分になった。


 デジタル表示が深夜零時を伝える。


 浩一はすっかり慣れた手つきでプレイヤーナンバーとパスワードを入力して、トップ画面に移動した。

 正式版オープンの挨拶が上部に表示されているが、それは後で読むことにして、本日限りの特別ステージへと移動する。

 データリンクの間にFMDを装着して、目の前に広がる風景を凝視した時、彼の口から思わず声が漏れた。

「何だよ、これは!?」

 彼は自分が見ている世界が信じられなかった。

 それは、仮想現実の異星には存在するはずのない光景だった。


 同時刻。


 日本各地で『デス・クロ』フィギュアに内蔵されていたモータが一斉にうなりを上げる。

 それはまるで、世界の終末を告げる天使達の羽ばたきの音のようだった。

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