必然
「君、紅茶のお代わりは?」
「あ、いただきます!」
「任せたまえ、私の特技の1つさ」
こぽこぽと可愛らしい音をさせて、湯をティーポットの中に入る。ポットを温めるとその湯を流しに捨て、今度は茶葉をセットしてからゆっくりと淹れ始める。
林檎の甘くさわやかな香りが部屋いっぱいに広がる。
スクナは差し出されたそれをお礼を言って受け取った。濃い香りの割には薄い色の水面にスクナの顔がうつる。
「これ、いい香りですね」
「頂きものでねぇ、いいものなのさ。だから特別な時にしか飲まないんだよ」
今日は君が来てくれた記念だと繊細な美貌にウインクされて、スクナは照れた。両手でティーカップを持って、照れ隠しに口に含む。
部屋に広がるほどの甘い匂いとは反対に、若干の渋みが残ったかすかな甘さは舌に心地よかった。
「そういえば君。高校の健康診断で見つかったらしいが、高校はどうなったのかね?」
「あ、えっと。中退扱いらしいです。入学式の次の日だったので。その分就職をって」
「それは……何とも災難だったね」
「いや、まあ……あはははは」
気遣うように上目に見てくるチナミに、スクナは苦笑で返すことしかできなかった。スクナは特別出来がいいわけでも悪いわけでもない。
ただ、その孤独な身の上故に学費を少しでも抑えるため、自分のレベルよりも若干高いけれど奨学金制度の豊富な高校を選んでいたため、中学3年生の冬は必死だった。
その時の苦労を思うと、今でも少しだけ釈然としない思いがあるのは確かだが、今後の生活を考えると就職で良かったのだろうとも思う。ようは複雑なのだった。
「まあ、魔法師は国家職だからね。肉体的な労働は少ないし、給料もいい。どうしてもいやだと言わなければ……もちろん適性があることが大前提だが、ぜひおすすめしたいものだ」
「ちゃんと保険とかも整備されてて、業務には危険手当がつくんですよね」
「おや、知ってるのかね」
「そこら辺は説明してくれた方に聞きました。就職するならきちんとしたところでないといけないってユティーに言われましたから」
「素晴らしいことだな」
紅茶をすすりながらチナミが褒める。スクナの照れ笑う姿は独特の幼さを放っていて、それがまた愛嬌となってチナミの口元を緩めた。高校に入っていたとしても、絶対に女子や先輩に可愛がられるタイプの少年だった。
「そういえば、質問良いですか?」
「いいとも、何かね?」
「なんで今日は午後からなんですか?」
ふと、紅茶を飲む手を止めたスクナがチナミに尋ねる。
あーと視線を宙に漂わせながら、チナミは困ったように笑ったあと。内緒なんだがと付け加えてからスクナの質問に答えた。
「昨日遊子による襲撃を受けたところがあってね。そこの片づけの手伝いに皆追われているのさ」
「大変じゃないですか! あ、だから昨日連絡があったんですか?」
「ああ、知らない新人が早く来てしまわないようにという配慮のつもりだったんだが……」
ちらりと苦笑いとともに視線をよこされ、スクナはがっくりと肩を落とす。
その配慮を忘れていた新人がいるのだ。今ここに。
初出勤の緊張のあまりに、自分で手帳に15時から! と書いたことなんてすぽんと忘れて。揚々と魔法省に来ては誰もいないなどと首を傾げていたアホが、今ここに。
「せっかくの配慮、申し訳ありませんでした……」
「先ほども言ったが気にすることじゃない。誰にも迷惑はかかっていないのだから」
「でも……チナミ班長に……」
「私はな。早々に担当区域の片づけが終わったから茶でも飲もうと思ってこちらに来ただけなんだ。目的も行動も予定通りだとも。君が気にすることじゃないさ」
むしろ君と親睦が深められているし、君が部下でよかったと思える人材だと知ることが出来てうれしいよ。
華やぐ顔でチナミはスクナに微笑みを浮かべ、掬い取ったティーカップで喉を一口潤した。
「いえ……その……自分、何もしてないですし。よかっただなんて……」
「何もしていない。まあ、確かに。しかし、君は出会ってから今までずっと私に敬語を崩さなかっただろう。」
「それは……だって班長ですし。それに、ブローチの鎖が……」
「それでもだ。恥ずかしながらね、この容貌だけを見て勝手に判断する者も少なくはないんだ」
だからこそ、とチナミはスクナに向かってにっこりと笑った。
「よろしくねと言いたいんだよ。スクナ・イクルミ君」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。チナミ班長!」
もごもごと照れて口ごもっているスクナの言葉にかぶせるようにチナミは言った。
新人とはこんなにも可愛らしいものなのかと、チナミは内心スクナの初々しさに癒されながら。空になってしまったカップに、ティーポッドから爽やかな林檎の香りを注いだ。
ほのぼのした空気に、早く来すぎるのも悪くないなぁスクナが和んでいると。
「おや?」
「ふぇあ!?」
どおおおおぉぉぉんっ!
チナミから爆発音が聞こえてきた。
正確には、チナミのフリルあふれるロリータファッションの、ポケットと思わしき部分から。
思わずソファーの端まで脱兎の勢いで逃げたスクナ。それにちらりと視線をやってから、チナミはスマホを取り出した。
「はい、こちらチナミ・テルヌマだが。何かあったのかね?」
「こちら中央管理室です。中央大広場で
「おや……わかった。すぐに向かうとしよう」
「それでは現場に向かってください」
「ああ、わかった。……なんだ、君が早く来たのも必然だったということかな?」
にっこりと美麗な顔がスクナに向かって微笑む。完全に理解しきれていないスクナはきょとんと幼い顔をさらしていたが。
チナミは扉に向かって足を進め、外套かけにかけておいた黒いローブを羽織る。ばさりと目の前で広がったそれに、はっと気が付いたようにスクナは言った。
「チナミ班長、自分も! 行っていいでしょうか?」
「何を言っているんだ?」
意味がわかないものを見る目で見られて、スクナは身がすくむ。美しい顔はこういう時に怖くなるから、スクナはあまり好きじゃなかった。
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