第82話 しゃべりかけない美容室


※前回の続きです


「美容院ナビ」の登場は洗髪ブームを起こしただけにとどまらなかった。


ユーザは洗髪以外にも多くのものを望んでいたのだ。それを明らかにした。


その1つが「喋りかけない美容院」である。美容院には、「客にしゃべりかけること」が、美容師のアイデンティティーかのように、やおら、話しかけてくる。やれ「今日はどこか行くんですか」「このあたりにお住まいなんですか」「それどこで買ったんですか」など。


会話が好きな人にとっては、この投げかけは温かかろう、心温まろう。しかし、会話が苦手な人にはこれは苦行でしかない。某村上春樹は、引っ越しして遠くになっても、行き慣れた美容院にずっと通っている。なぜならそこの店の美容師は喋りかけてこないからだ。そんな話を読んだことがある。


そのように特定の人には「喋りかけてこないこと」がとても重要なのである。しかも、雑な喋りかけだと、こちらがむしろ話を膨らましてしゃべる必要がある。たとえば「これからどこいくんですか」と聞かれると、実際はどこにもいかなくても「どこにもいきません」というと、質問してくれた美容師に申し訳ないので、「これから友達とのみにでもいく予定で」と言ってしまう。いもしない友達をでっち上げて空想の飲み会を開くことになる。エアワタミである。しかも、そんな時に限って美容師は「へー。どこで飲むんですか」と返してくる。空気をよめよ、と。今時、そこらのAIロボットりんなでも、もう少しましな返しをするよ、と。


そのニーズが爆発し、美容院は空前の「無言カット」ブームになった。「無言カット+0円」と、マクドナルドの「スマイル+0円」を彷彿する波が押し寄せた。


「喋らない、喋りかけない、喋らせない」と非会話3原則を打ち出す店があり、「空前絶後の無言」と静かな店をPRする店ができた。あるいは、「耳栓をしていただきます」という店まで登場した。


なお、このブームは、飛び火し「視覚も消した真っ暗美容院」まで誕生した。なお、その店は、髪がどれくらい切れているかわからないという問題があり、すぐに潰れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る