第60話 世界を救う100円


平日の夜21時、渋谷の飲み会の帰り。仕事が残っていたので、タクシーを使う。


場所は渋谷二丁目。車の通りは多いが、タクシーは少ない。何台かタクシーの空車が通るが、気づかないのか、それとも渋谷前でのピックアップは好ましくないのが通り過ぎられる。バス停でわかりにくいのか、と場所を変えて、タクシーに手を振るがタクシーはとまってくれない。工事のせいか、と思ってさらに場所を変えてもタクシーは止まらない。


そして、10分後、やっとタクシーを捕まえることができる。「電車で帰った方が早かったんじゃないか」と思い始めた矢先だった。


入って開口一番、「いやー、ここってタクシー止めれないんでしたっけ」と聞く。


- いや。都内でタクシーが止めれないのは銀座だけですよ


と、運転手は言う。そうだよね、と思う。答えが分かってても聞きたくなる質問が世の中にはあるのだ。


思わず愚痴を言う。「なぜか空車なのに、止まってくれない車があったんですよ。ああいうのって何か理由はあるんですか。たとえば渋谷前から乗る客はイマイチの客が多いとか、あるいはスーツの客は短い距離しか乗らないとか」


- いやいや。わかりません。どういうお客さんがどこまで行くかなんて何年やってもわからないですよ。先日、こういうお客さんがいらっしゃいました。新宿の渋滞で、車の間からぴょこぴょこと顔を出すおばあさんがいらっしゃったんです。齢80歳くらいかな。そして、ちょうど私がその方の横にとまったら「のれますか」と言うので、のっていただきました。その方はなんと静岡まで行く方だったんです。他にも、東京駅から載せたお客さんを山形まで送ったという同僚もいますよ。11万円したそうです。他にも、、、


と、楽しい会話を続けてくれた。思わず降りる場所を通りすぎるほど白熱したけれど、ささくれた私の心を癒やすには十分な時間だった。


思わず、900円弱のメータに「お釣り要らないです」と1000円を渡す。何より、「タクシーよ止まってくれ」と願っていた私をのせてくれた。その上に楽しい話まで。たった100円とはいえ、感謝を伝えたい。そうすると、彼はまた他のささくれだったお客さんを、たくみな話術で和らげてくれるかもしれない。そうすると彼は人々を笑顔にする。この100円がもしかすると他の人を幸せにするといいな、と思った。


タクシーから降りた私の歩みは乗る前よりも軽やかだっただろう。

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