第58話 夢と渇き


パイロットになりたいと思ったのは、パイロットは空を飛べるからだった。


九州の山奥に生まれた私にとっては、佐賀市でさえも都会で、福岡は大都会。東京にいたっては見たこともない憧れの地だった。


そんな田舎にとっては、飛行機は、全てから逃げることができる羽だった。うまれた町による差別や偏見も、親からの暴力からも、全てから逃げ出してどこか遠いところに行ける乗り物がパイロットだった。


その思いから、紅の豚を知り、零戦というものを知り、飛行機のプラモデルを作り、飛行機への愛を醸成していった。空を見上げるだけには飽き足らず、佐賀空港に数時間かけて自転車にいき、夜まで飛行機を見続けていた。


町から逃げ出すだけならば、列車の車掌でも良かったのかもしれない。ただ、私はどこか遠くの場所に行きたかった。それはきっと「こちらが夜ならそちらは昼」といったような遠くの場所だった。そう考えると、私はやはり飛行機に乾きを覚えていたのだろう、と思う。


最初の挫折はお金の問題だった。航空大学校に行くお金がなかったのだ。そもそも大学や短大に行くお金さえなかった。当時は奨学金というものも知らなかった僕はお金を稼ぐために家を飛び出し、大阪で働いた。そして大学に通い、航空大学校の試験を受けた。しかし、仕事の片手間で勉強する程度では受かるハズもなく僕はその試験を落ちた。制限の25歳まであと2年あったけれど、私はそこで心が折れ、パイロットの夢を諦めた。


今、思い返せば、夢への切望が足りなかったのかもしれない。本当にパイロットになりたかったならば、何年でも試験を受け続けていたのかもしれない。あるいは、航空大学以外のルートを模索できていたかもしれない。ただ、当時の私は限界だった。パンの耳を食べながら、月2万円の部屋で寒さに震えながら勉強する日々はそれ以上耐えられなかった。睡眠時間3時間の生活は1年間が限度だった。眠気で吐き気がし、夏の太陽に痛みさえ覚えた。


そうして、私は23歳でパイロットの夢を諦めた。


そして、それから15年後、私は忘れていた夢を思い出した。雑誌に掲載されていたあるパイロットの自叙伝は、私の昔の夢を思い起こすのに十分だった。がむしゃらに働いてきた15年間、思い返さなかった夢は、やっと一息ついた私の日常にふっと立ちはだかった。


そして、いま、私はセスナのテスト飛行の順番を待っている。パイロットというものではないけれど、これの免許を取ることができれば、自分で飛行機を運転することができる。幼い頃に夢見ていた「どこかへの逃避」が実現できるのだ。


夢はきっと1つではない。夢の背景にある、自分の渇き。それがなくならない以上、夢は、形を変え、また自分の前に現れる。それはパイロットという形かもしれないし、あるいは飛行機を運転すること、あるいは、いつでも逃げれるようにパイロットの操縦を覚えることかもしれない。


あなたが諦めた夢は、心配しなくても、またあなたを追いかけてきてくれる。それをあなたが望まなくとも。

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