第10話 彼が海外でみていたもの

彼がなぜ旅行ばかり行くのか理解できなかった。学生の頃から、お金が貯まれば旅行に出ていた。当時はちょうどバックパッカーが市民権を得てきた頃で、彼はバンコクを基点にアジアのほうぼうを旅をしていた。社会人になるとお金が溜まって、南米やアフリカにもでかけるようになった。有給をうまく活用し、年末とゴールデンウィークには必ず旅行に出掛けていた。


私が彼と付き合い始めたのは、彼がアジアはバングラディッシュなどの数国を残して行き尽くした頃で、つまりは大学生活の最後だった。私は彼と真逆で旅に興味を持たない人間だったので、今、思い返すと、付き合ったのも不思議な感はある。とはいえ、人は趣味によって寄り添うものでもないので、あまりそこは彼にとって重要ではなかったかもしれない。そもそも彼自身は旅行は1人で行こうが何人で行こうが気にしない人で、私も最初のうちは何回か誘われたけど、気のない返事をしているうちに、誘わなくなった。数回は一緒に行ったけれど、それでも、彼のアクティブな活用と、私のホテルでゴロゴロしたい嗜好性は異なり、あまり旅行の相性もよくなかった。エジプトからケニアまで一週間で移動するのはさすがに体が悲鳴を揚げた。


社会人になってから尚更、私はせっかくの休みを海外旅行という疲れる行為に使いたくなかったし、また、ゴールデンウィークのわざわざチケット代が高い時期にボーナスを使うこともないと思っていた。それなら箱根でも行けばいいじゃないか、と思っていたけれど、彼は海外旅行の方が好きなようだった。お土産にはいつもよくわからない現地の民芸品を買ってきてくれて、嬉しさも悲しさもなかったけれど、溜まっていくそれには何かしらぬくもりを感じていた。


結局、彼は海外旅行に何を求めていたのだろう、と思う。アルケミストの少年のようにただ、そこに何かがあるのではないかと可能性にいざなわれていただけなんじゃないかと思っていた。「海外にいっている俺はすごい」という自己顕示のために行っているんじゃないかとも思ったことはある。


ただ、普段の生活で、彼がいかに海外に身をおいているのかを気づいた時があった。それは、パレスチナやスーダンのなんとかという地域や、あるいはウクライナなどの紛争などをみて、彼は心から憤りを感じ、そして、心を痛めているようだった。彼は日本での震災を悲しむのと同じ粒度で世界各国の人々の悲しさを感じているようだった。彼は世界を見ることによって、世界を自分事化していたのかもしれない。


そんな彼が海外ではなく日本で事故にあってしまったのは、世の中の不条理さを感じるけれど、その分、私は彼の思いを少し引き継いだ。勝手に。彼が世界で見ていたものを少しだけでも見たくて、私はまた成田に向かう。

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