【第一部】すべての始り
第1話【藤紫が春を伝える】
1-1
クラクションの音が、門をすり抜け石畳のパティオに響く。
牛乳に浸されたシリアルを気怠げに口へと運んでいた少女は、その音を聞いてスプーンを置いた。
じんわりと重い首をさすり、ついでに肩の下まで伸びた濡羽色の髪の毛を梳く。
「琴子、早くしなさい!」
母親の言葉に生返事をして足元に置いてあったカバンを掴み、琴子と呼ばれた少女は目を擦りながらのろのろと玄関に足を運んだ。
(昨日遅くまで本読んでるんじゃなかった……)
ぼんやりと頭の隅で思いながら運転手に挨拶をし、スクールバスに乗り込む。
すでに何人かが乗り込んでいるバスの中は独特の匂いがして、それが彼女の鼻を少し刺激した。
窓際の席が空いていないかと中を見渡すが生憎どこも埋まっていて、内心で溜息を吐きながら琴子は空いている手近な席に腰を下ろした。
バスは動き出し、窓の外の景色が移っていく。
ぼうっとそれを眺めている琴子の目に、春の訪れを告げる花の青さが爽やかに映えた。
琴子が住んでいるのは、メキシコの中部に位置する小さな都市である。
3年ほど前、中学入学と同時に父親の仕事の都合で引っ越してきた。
メキシコでは、春の花は青い。
世界三大花木と名高いハカランダは、日本でいう桜のようなものだ。
琴子はこの花木をとても気に入っていた。
桜ほどの派手さはないが、控え目でありつつ上品で。長い期間楽しめる所もいい。
ただその花の美しさも、バスの揺れとともに襲い来る睡魔を追い払うには何の役にもたたなかった。
「琴子、おいてくぞ」
こつん、と頭を小突かれ、彼女ははっと目を覚ました。
寝ぼけ眼で、起こしてくれたクラスメイトの大きな背中を眺める。
いたた、と呻きながら、琴子は無理な姿勢で固まった背中を伸ばした。
覚束ない足取りでタラップを降り、横で手を貸してくれた運転手に礼を言った。
サッカーでもやっているのだろうか。
楽しそうな笑い声と地面を蹴るようなたくさん音が、朝の空気と混ざり合い響いていた。
(朝から元気だなあ…)
大きなあくびをひとつして、琴子は学校にしてはこぢんまりとした門扉をゆっくり押し開けた。
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