第11話『ボウカン』
突如、見知らぬ男に背後からナイフで刺されてしまった。
しかし、防刃スーツのおかげで刃が体まで刺さることはなく、痛みのようなものは一切感じない。
俺はすぐさまにナイフを持った男の手を掴む。
「ど、どうして刺さらねえんだ……!」
「俺の着ているスーツは普通のものは違いまして」
ドン、と男の手に膝蹴りをして、ナイフを離させる。
「痛っ! 何すんだよ!」
反発的に男からカウンター。左脇腹に右足がクリーンヒットし、その衝撃で外壁に背中を強打してしまう。
「真守!」
「お嬢様はここから離れて警察に通報してください! 彼は確実に俺達のことを狙って犯行に及んでいます! あと、何かあったら叫んでください!」
「分かった!」
お嬢様は素早く俺の元から離れる。
この男が計画的に俺達を襲ってきたのは確かだ。まさか、この男が『Cherry』なのか? それとも、単に無差別殺人をしようと考えた暴漢なのか。
「うっ!」
男に右手で首を押えられてしまう。苦しい。
俺は両手で男の右手を離そうとするけれど、ビクともしない。こいつ、見た目は華奢なのに結構な力があるぞ。
こうなったら――!
「ぐえっ!」
俺は右足で男の鳩尾の部分を全力で蹴飛ばした。
すると、男は咳き込んで、俺の首を掴む右手が離れる。さすがに鳩尾を蹴られたら力は抜けるか。予想通りだ。
「お前の好きにはさせない」
鳩尾を蹴られ、苦しんでいる男の胸元を掴み挙げる。
「俺は女性にはめっぽう弱いですけど、男には容赦しませんよ。ましてや、ナイフを使って人の命を奪おうとするお前のような男には」
「て、てめぇ!」
「無駄な抵抗は止めておいた方が身のためですよ。まあ、それでも嫌だというなら、殺さない程度に痛み付けてあげましょうか!」
さっきの俺のように、外壁に男を叩きつける。
「これはさっき、俺の背中にナイフを刺したことのお返しです。防刃スーツでしたから無傷で済みましたが、そうでなかったらどれだけの痛みが俺に襲ったでしょうね。きっと……今、あなたが味わった痛みよりもずっと痛いことでしょう!」
俺は男にそう罵声を浴びせる。こういうことはしたくないけれど、彼のような人間には精神的にダメージを与えないと。
「自らの犯行なのか、誰かからの命令なのか知りません。でも、これ以上罪を重ねない方があなたのためですよ? もし、誰かからの命令であれば、正直に話せば俺達からも警察に事情は話しておきますよ。さあ、どうでしょう?」
もし、誰かに命令されたとしたなら、そのことを伏せろと言われているはずだ。普通に訊いても答えないだろう。だから、男を窮地に追い込んで、命令されたことについて正直を明かす方がいい状況を作った。
「わ、分かった。だから、離してくれ……」
「いいでしょう。ですが、逃げたり反撃したりしたらそのときは容赦しませんよ。いいですね?」
「……分かってるよ」
俺が手を離すと、男はその場にぐったりと座り込む。
「あなたの名前は?」
「……
もちろん、聞いたことのない名前だ。
「名栗さんですか。それでは話していただきます。あなたは自ら襲うと考え、この犯行に及んだのですか。それとも、誰かに俺やお嬢様を殺せと命令されたのですか?」
「……命令されたんだよ」
「では、どうして実行したんですか。人を殺めようとすることは、もちろん罪に問われることです。しかも、かなり重い罪です。それなのに、なぜ……」
「だって、こんな大量の現金を渡されたんだぞ! やらないわけないだろ……」
ほら! と、俺は男から分厚い茶封筒を受け取る。確認してみると、封筒の中には大量の1万円札が入っていた。
「300万円入っているそうだ。俺、先月に職を失ってさ。金に困ってたんだ。職を探そうと思っても、なかなか採用されなくてよ……」
「……なるほど。そこに突然舞い込んだ300万円ですか」
そんな状況になると、違法行為をしてまでもお金を手に入れたいと思うものなのか。まあ、職を失った経験があるので、名栗さんがそう思うのも分からなくもないけど。
あと、今の彼の話を聞いて一つ気になることがある。
「どうして、先払いだったんでしょうかね。今のように、あなたが殺害を失敗するかもしれないのに」
「そんなこと言われても分からねえよ」
ちっ、と名栗さんは舌打ちをした。
名栗さんは失敗するかもしれない。それなのに、実際には300万円という大金を彼に注ぎ込んで殺害してもらおうと考えた。
「……きっと、あなたを確実に動かすためでしょう。殺人は違法行為です。それをやらせるには事前に、現金という形であなたの手に渡す必要があった。この大量の金を掴まなければ、こんな命令は聞かなかったでしょう?」
「……ああ」
どうやら、名栗さんは根っからの悪人ではなさそうだ。彼はただ、金という魔力にかかってしまった操り人形だったんだ。
名栗さんへ命令した人間は、300万円という額を平気で渡せるような大金持ちかもしれないな。仮に命令したのがCherryだと考えると、宝月学院の関係者がCherryである可能性がより高くなってきた。あそこには財閥の子息が通っているから。
「あと一つ、あなたに聞きたいことがあります」
「何だ?」
「あなたに命令した人間のことです。あなたは誰にこのことを命令されたのですか?」
名栗さんに俺を殺害せよと命令したのは誰か。Cherryかそうでないか。
「……灰色のスーツを着た男だった。サングラスをしてマスクをしていたけどな。そいつが急に俺に話しかけてきたんだ。300万円あげるから要求を呑んでくれないかと。それで、この写真を見せられたんだよ」
名栗さんは着ていた服のポケットから、1枚の写真を取り出して俺に渡す。その写真に写っていたのは、休み時間に教室でお嬢様と話していた俺の姿だった。
「こ、この写真を渡されたんですか!」
「ああ、そうだ。この写真に写っているお前を殺せって言われたんだ。それで、300万円とそこに落ちているナイフを渡されたんだよ」
「そうだったんですか……」
この写真からすると、おそらく宝月学院関係者がスマートフォンなどで写真を撮って、名栗さんが出会った灰色のスーツの男にデータを送ったんだな。灰色のスーツの男なんて宝月学院では見かけなかったから。
そうなると、今回の黒幕は、
「その灰色のスーツの男はCherryと名乗っていませんでしたか?」
きっと、その男がCherryである可能性が非常に高い。それは名栗さんが渡された写真が物語っている。Cherryだとしたら、きっと、お嬢様にSPがついたことに慌てたんだ。今まではSPなんてつけていなかったから。
「どうですか。思い出してください!」
「……Cherryなんて一言も聞いてない。ただ、俺は写真と金とナイフを渡されて、お前を殺そうとしただけさ」
そう言って名栗さんは俯く。
命令した人物は最悪の事態も考えていたみたいだ。
万が一、今みたいに俺に倒されたり、警察に逮捕されたりしても、Cherryという名前を出さないことで、自分のところまで俺達が辿り着かないようにしたんだ。
「なるほど、分かりました」
「……すまなかったな」
「あなたのしたことは許されることではありません。俺のすべきことは全てやったんで、あとは警察に任せますよ」
「……そうか」
とりあえず、この件については一件落着したかな。
気付けば、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえていた。
「真守! 警察に通報したよ!」
「急いで様子を見に来たのですが、真守さん、大丈夫ですか?」
お嬢様とくるみさんが俺達のところにやってくる。お嬢様は名栗さんを鋭い視線を向ける。
「そいつ、縛り付けてないけど大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。何かしたら容赦しないと釘を刺しておきましたし。それに、彼は誰かに命令されただけですから」
俺は名栗さんから受け取った例の写真をお嬢様に渡す。その写真を見てお嬢様やくるみさんも驚いている。
「まさか、命令したのって……」
「おそらく、Cherryだと思いますが、彼は誰なのか分からないそうです。灰色のスーツの男にその写真と現金、ナイフを渡されたそうです。Cherry自身が学校でその写真を撮り、スマホでスーツの男にデータを送ったんだと思います」
「なるほど。自分のところまで捜査の手が及ばないようにするってわけね」
お嬢様も同じように考えてくれたか。
Cherryは様々な手を使ってお嬢様のことを殺そうと考えているんだな。そのために見ず知らずの男を使って、まずはお嬢様の防壁である俺を殺そうとした。
「俺だけを殺せと命令されたそうです」
「なるほど。私のことは自らの手で、と考えているのかもね」
「その可能性もありそうですね」
ただ、Cherryが動き始めているのは確かだ。この一件で、これからはより一層注意を払わなければならない。
「真守さんを殺す必要なんてあるのでしょうか……」
くるみさんはそう声を漏らす。
「SPという人間を排除すると考えているかもしれませんね」
注意深いCherryなら、俺のことをよく見ているはずだ。それなら、女性相手にはおかしくなることに気付いているかもしれない。Cherry自身が女性なら、俺のことなんて簡単に倒せると思うだろう。
「Cherryは男なのか……?」
まあ、そういう経験のない男性のことをチェリーボーイと言うからな。Cherryが男性なら、俺のことを邪魔に思うことは必至だ。だから、自分で手を下さずに名栗さんを使って俺を殺そうとしたと考えることができる。
「Cherryは宝月学院の関係者ある可能性が非常に高いです。もっと言えば、生徒だと思います。ただ、男性か女性か……分からなくなりましたね」
「そう、ね。こんな男を使ってまであなたを殺そうとしたんだから」
「ですが、彼に現金で300万円を平気で渡していますから、Cherryは相当なお金持ちである可能性は高そうです」
「そうかもしれないわね」
そんなことを話していると、パトカーが到着する。中から警察官が2人出てきた。
「九条由衣さんのSPが男に襲われていると通報があってきました。あなたを襲った男というのはこの座り込んでいる男でよろしいでしょうか」
「はい」
「それでは、この男を傷害容疑で現行犯逮捕します」
「いえ、彼はそこに落ちているナイフで俺を殺そうとしたことを認めています。殺人未遂容疑でお願いします」
「……なるほど、分かりました。そのことについては、これから署でお話しいただけますか。この男にも取り調べをしますが」
「分かりました」
「ご協力感謝します。すみませんが、お名前を」
「長瀬真守といいます。九条家のSPをしております」
SP、いい響きだな。あと、俺もちゃんと職に就いているんだと実感できて。
「真守……」
「……Cherryはあなたを殺そうと考えている。警察にもその事実を伝えるべきです。Cherryが例え、あなたの友人だとしても」
俺がそう言うと、お嬢様は悲しそうな表情をして黙り込んでしまう。
もし、Cherryが友人だとしたら、庇いたいのかもしれない。俺もそうしたいのは山々だけれど、名栗さんを使って俺を殺そうとした。命令したのがCherryなら、Cherryにも罪を償ってもらう。
「仮に俺が死んでしまったら、Cherryは殺人教唆の罪を償う必要がありました。それでもお嬢様は庇おうとするんですか?」
「……そんなこと、ないわよ。罪はきちんと償うべきだわ」
「その通りです。現に俺の殺害を命令したということで、Cherryは何らかの罪に問われるでしょうね。お嬢様には辛いことだと思いますが、これはあなたを守るためでもありますし、Cherryを守るためでもあります。それを分かって頂けると嬉しいです」
これ以上、一つでもCherryに間違ったことをしてほしくないから。それに、大切な人をもう誰一人として失いたくないから。
お嬢様は俺から視線を逸らしていたが、しっかりと俺の目を見て、
「警察に行って、きちんと説明してきなさい。私はくるみと一緒にお屋敷にいるから安心して」
力強い声でそう言った。
「分かりました、お嬢様」
「それでは、署へ同行願えますか」
「分かりました。それでは、行ってきます」
「いってらっしゃい、真守」
「いってらっしゃいませ、真守さん」
お嬢様とくるみさんに見送られながら、パトカーに乗ろうとしたときだった。
「あっ……」
道路を挟んだ向かい側に制服姿の都築さんがいたのだ。自分の姿が見えないようにするためか、街路樹の後ろから顔を出しているのが見える。
「あれって……」
「凛様ですよね……」
お嬢様とくるみさんも都築さんがいることに気付いたようだ。
しかし、都築さんも俺達が自分のことを見ていることに気付いたようで、慌てた表情をして走って逃げてしまった。
「まさか、Cherryって……凛、なの?」
お嬢様はそう呟いた。
名栗さんのことに気を回していたせいで気付かなかったけれど、彼女がずっと今の一部始終を見ていた可能性は十分にある。もし、彼女がCherryだったら、名栗さんがちゃんと命令通りに実行できたかどうか見届けていた、と考えることもできる。
Cherryが都築さんである。この可能性も考えておいた方が良さそうだな。
「長瀬さん、こちらのパトカーに乗って警察署へ行きましょう」
「分かりました」
俺はパトカーに乗って金原警察署に向かうのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます