第8話『都築凛』
1時間目の授業の間、本来ならお嬢様の方を見るべきなのに、俺は青髪のポニーテールの女の子ばかりを見てしまった。
彼女の名前は
どうして、都築さんが俺のことを知っているかというと、彼女こそ俺の女性恐怖症を発症させた張本人だからだ。俺と同い年くらいだとは思っていたけれど、まさかこんな場所で再会してしまうとは。唯一、俺が二度と会いたくないと思う人だ。
1時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、予想通り、意地悪そうな笑みを浮かべた都築さんが俺の方へとやってきた。
「授業中、私のことをずっと見てたでしょ」
目の前に立ち、上目遣いをして興味津々に訊いてくる都築さんはあのときと一緒だった。生きた心地がしない。
「……あなたのことなんて、見てませんよ」
「嘘が下手ね。分かっているんだから」
都築さんはクスクスと笑う。
女性恐怖症の症状を表に出さないためにも、俺は都築さんから視線を逸らす。
「真守、朝礼のときから様子が変だけど、大丈夫?」
「え、ええ……このくらいの症状が出るとは思っていたので。大丈夫です」
都築さんと再会してしまったのは想定外だったけど。
「ねえ、由衣。実は彼、私の知り合いで久しぶりに会ったの。2人きりで話したいから、彼のことをちょっと借りてもいい?」
「えっ……」
思わず声を漏らしてしまった。
都築さんと2人きりなるなんてまっぴらごめんだ。あのときと同じような状況になってしまうじゃないか。2人きりで話したいなんて嘘に決まっている。
勇気を振り絞って、都築さんに断ろうとしたときだった。
「……いいわよ。話したいこともあるわよね」
「そう。胸は小さいけど心は大きいのね」
「なっ! 胸の大きさはあなたとさほど変わりないじゃない! ていうか、胸の大きさと心の大きさは何にも関係ないし!」
お嬢様は顔を赤くして怒っている。そんなお嬢様を見て都築さんが嘲笑う。
というか、胸の大きさのことを俺の近くで堂々と話さないでくれませんか。そういうことでも体に震えが来ちゃうんで。
「真守と話してもいいけれど、私も同伴させてもらうから。彼、私のSPなの。どんなときも私の側にいてくれないと困るから」
「……まあ、それでもいいけれど」
と言いながらも、都築さんは不満そうな表情を見せる。
2人きりになるよりかはよっぽどマシだけど、相手は都築さんだ。この先何があるのかを想像するだけで身の毛がよだつ。彼女の不満な表情からして、何か良からぬことを企んでいそうだし。
俺とお嬢様は都築さんについていく形で教室を出て、人気のほとんどないパブリックスペースに向かう。
「ここなら大丈夫そうね」
「……それで、真守に話したいことって何なのかしら? 知り合いだといっても、立花さんのときとは違って、真守はあなたのことをとても怖がっているようだけど」
お嬢様はそこまで考えて俺を都築さんと2人きりにさせなかったのか。
「へえ、長瀬君って立花さんとも知り合いなの」
「……彼女は俺の従妹なんです」
「あぁ、そういえば同級生の従妹がいるって言っていたっけ。それが長瀬君だったんだ。ということは、長瀬君と彼女は血の繋がりがあるのね……」
都築さんはそう呟く。
今、彼女は何を考えているんだ? 全く読めない。
「まあ、そんなことはどうでもいいわ。ねえ、長瀬君。お願いがあるの。私の執事になってほしいんだけど」
「執事、ですって……?」
一瞬、耳を疑ってしまった。
都築さんの執事になってたまるか。それは俺を自分の手中に収めるための口実に決まっている。彼女は単に、俺のことを束縛したいだけだろう。
「どういうこと? 真守は私のSPなのよ。契約はしっかりと結んでいるわ」
「由衣は口を挟まないでくれる? 私は長瀬君と話しているのよ」
「真守があなたの執事になるってことは、それは私のSPという仕事に多大な影響を及ぼすの。私にも関係のあることじゃない」
「面倒臭いな、本当に。言っておくけど、決めるのは長瀬君よ。あなただって長瀬君の気持ちは尊重するでしょう?」
なるほど、だから都築さんはお嬢様も同伴すると言ったとき、不満そうな表情をしたんだ。お嬢様がいることで、自分の思い通りにならなくなりそうだから。
「真守があなたの執事になりたいなら、私だって受け入れるわよ。でも、今の真守を見れば、あなたの執事になるのが嫌だっていうのは一目瞭然じゃない!」
「長瀬君が私の執事になることに嫌がっている? そんなわけないわ。いえ、そんなことが言えるわけないでしょ?」
形勢逆転したと思っているのか、都築さんはニヤリと口角を上げる。
「どういうこと?」
お嬢様は複雑な表情をしながら、俺と都築さんのことを交互に見る。
俺は今の都築さんの言葉の真意がどこから来ているのか知っている。だから、何も言うことができない。
「由衣、教えてあげようか? 私と長瀬君の関係」
そう言って、都築さんは恍惚な表情を浮かべる。そんな彼女を見ると、あの時のことを思い出してしまう。
まさか、都築さん……あの時のことをお嬢様に話すつもりなのか。止めてくれ、それをお嬢様に言ったら……!
「由衣は私よりも深い関係があると思っているけどね、それは大間違いよ」
「何ですって?」
「私はね、長瀬君とキスだってしたことあるし、彼と……したことだってあるんだから。繋がったこと……あるんだから」
「えっ……」
お嬢様にあのときのことを知られてしまった。あの時、都築さんにされたことを。俺が女性恐怖症になった原因を。
お嬢様は何も言わず俯いている。
「だから、由衣とは比べものにならないくらいに長瀬君と確かな関係があるの。そんな私が執事になって言ったら、口を挟むことなんてできないでしょ?」
「お嬢様、違います! 俺は……」
「私としたこと、忘れちゃったの? 私ね、あのときの気持ち良さは昨日のことのように覚えているよ。それに、あなたが私の言うことに断れる立場にあると思ってるわけ? そんなことできるわけがないでしょ」
俺の耳元でそう言うため、都築さんの生温かい吐息が耳にかかる。そのせいで女性恐怖症の症状が悪化し、過呼吸になってしまう。物凄く息苦しい。
あのときも都築さんの吐息が幾度となく俺の顔にかかった。当時は好き勝手に口づけもされた。
「ど、どうしたの?」
都築さんは俺を見てとまどった表情を見せる。そうだ、彼女は俺が女性恐怖症であることを知らないんだ。
「……真守は女性恐怖症なの」
「女性恐怖症……」
「どうやら、今の話を聞く限り……彼がそうなった理由にあなたが絡んでいるみたいね。真守とキスやその先のことをしたことがある? それだけを聞けば、凛とは深い関係があると思って頷くかもしれないけど、今の真守を見れば到底あなたの執事にすることはできない。SPの嫌がるようなことはさせない。それが主の務め」
お嬢様は凛とした表情をしながら都築さんにそう言った。どうやら、お嬢様は都築さんの言葉や態度に惑わされなかったようだ。
俺もちゃんと自分で言わなきゃ。お嬢様が味方でいてくれているんだから。
「……俺はあなたの執事になるつもりは全くありません。九条由衣お嬢様のSPであることに決めたんです。だから、もう二度とこの話はしないでください」
もっと、他にも言いたいことがあったが、今の俺にはこれが精一杯だった。けれど、体が熱くて、息苦しくて……近くにあったベンチに座り込んでしまう。
半ば悔しがっている都築さんは下唇を噛んでいた。
「……それでも私は諦めないから。由衣よりも私の方がいいに決まってる……」
捨て台詞のようにそう言い、都築さんは教室の方に戻っていった。そのことで少し体調が楽になった。
「真守……」
「……申し訳ありません。SPなのに、守るべき人に守られてしまいましたね……」
「気にしないでよ。それよりも、凛と色々とあったのね」
「……はい」
都築さんには執事にはさせないと俺を味方するような発言をしていたけど、本当のところはどう思っているんだろう。お嬢様の顔を見ることができない。
「真守の過去がどうであろうとも、私は真守のことを大切なSPだと思ってるから」
「……ありがとうございます」
「だけど、一度聞いてしまったことは気になる。女性恐怖症になった原因と、凛との関係について。落ち着いてからでいいから、私に話してくれないかな?」
「……分かりました」
中途半端に都築さんとの関係を知られてしまった今、お嬢様に女性恐怖症になってしまった時のことを話さないわけにはいかない。
「辛かっただろうけど、よく頑張ったわね」
そう言うお嬢様は優しい目つきで俺のことを見て、俺の頭を撫でる。お嬢様も俺のことを守ってくれるとは言ったものの、俺の頭には情けないという言葉しか浮かばなかった。本当に情けない。
「真守、2時間目も教室で授業だから私は大丈夫よ。だから、気分が落ち着くまでここでゆっくりと休みなさい」
「……はい」
お嬢様の優しさに心が痛む。チクリと刺さり、じわりと広がっていく。SPなのに本当に何やっているんだろう。
教室に戻っていくお嬢様の後ろ姿が歪んで見えてしまうのであった。
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