毒虫ゲンタ(その6)
「奴らの血で汚れちまったな」
ゲンタが手にした剣の刃を見て言った。
「しかし……あれだけの人数を切った割には汚れが少ない。頸動脈を切った時にも大した出血量じゃなかった……何か奇妙だな。血圧が無い? 心臓が動いていない? ……って、んな訳ねぇか……」
「そんなことより、その先端に付着してる、なんか白いドロッとしたものは何ですか?」善忠が気色悪そうな顔でゲンタの剣を指さした。
「んん? ああ、これか……さっき、キンタマ串刺しにしたからな。中身が、漏れ出したんだろ」
「おえええ」
「そんなことより、これからの戦術だ」ゲンタのが真顔になって善忠に言った。「これから一台ずつ前へ進む。俺が先に歩道へ出て、いったん後へ下がる。お前は俺を追い越して前へ行け。俺はその後について行く」
「何でそんな面倒くさい事するんですか? 見つかる確率だって上がるだろうに……」善忠が
「俺とお前の役割分担のためだ。歩道側にいる少数のバケモノのうち俺らに気づいて近づいてくる奴がいた場合、その対処は俺の役割だ。お前は車道側のバケモノどもを見張れ」
「なるほど、移動途中で前後を入れ替えれば、ゲンタさんが常に歩道側、僕が常に車道側のポジションになる、ってわけか」
「そういうことだ。行くぞ」
歩道へ飛び出し、車道にいる〈噛みつき魔〉どもに見つからないよう姿勢を低くして前へ進み、軽自動車とその前に駐車している軽トラックの間に入った。
「どうですか? 歩道側は」軽トラックの荷台の陰に身を潜めた直後、善忠が横にいるゲンタに聞いた。
「大丈夫。見つかっていない。そっちはどうだ?」
「大丈夫です。車道側にいる連中からは死角になってるみたいです」
「よし。上出来だ。もう一台分、前へ進むぞ」
言いながら、ゲンタが歩道へ飛び出した。
善忠もゲンタを追って歩道へ飛び出し、しゃがんで待っているゲンタを追い越して軽トラックの前へ回り込む。ゲンタがそれに続く。
一台分の距離を進んで車と車の間の
二回、歩道側にいる〈噛みつき魔〉に発見されたが、どちらの場合も、気づいたのは一人だけだったから、剣を使えば対処は簡単だった。
運転席のドアを開けっ放しにしたまま放置されたミニバンの陰から、ゲンタと善忠は反対側の歩道にあるコンビニ周辺を
「けっこう居ますね」
「ああ……このまま車のかげに隠れて近くまで行けたとしても、コンビニに入る直前は身をさらす事になるからな。あれだけの奴らが同時に襲ってきたら、このシャーク・デス・セーバーでも対処しきれるかどうか……」
「ちょっと聞いていいですか?」善忠が横目でゲンタを見た。「仮に無事コンビニの中へ入れたとして……当然、追いかけてきた奴らも中に入ろうとするでしょうけど、その対策はどうするんですか?」
「そのことか……あのコンビニの入り口は自動ドアじゃなくて両開きのスイングドアだ。取っ手にこのシャーク・デス・セーバーを
「店内に奴らがいたら、どうするんですか?
「とりあえず、剣で扉を動かなくしておいて、店の雑貨売り場から
「危険だなぁ……短時間であれ、剣が使えなくなって僕たち無防備じゃないですか……まあ、仮に運良くクリアできたとしましょう……トンカツ弁当を手に入れたあとは、どうするんですか? 帰るときは? どうやってコンビニから出るんですか?」
「ほとぼりが冷めるまで待つしかねぇだろうな……奴らは『飽きっぽい』」
「飽きっぽい?」
「俺の寝ぐらでの経験だ。俺らが鍵のかかった工場に
「
「早ければ数時間。しかし確信はない。場合によっちゃ半日でも一日でも、二日でも三日でも待つしかない。コンビニの中なら水も食料も
「う〜ん……何だか頼りない帰還作戦だなぁ……」
善忠はしばらく考えたあと「帰還作戦は僕に立案させてくれませんか」と言った。
「何か良い方法でもあるってのか?」ゲンタが聞き返す。
「僕、しばらくあのコンビニでバイトしてたんですよね」
「へええ……どこかで見た顔のような気がしてたんだが……」
「だから、店内の間取りやら備品の置き場所は知っています……あのコンビニのトイレ、窓があるんですよ」
「ほう?」
「人がやっと通り抜けられるほどの小さな窓ですけどね……で、窓の外は隣の学校のフェンスなんですが、こちらも、どうにか人が通れる程度の隙間があるんです」
「なるほど、その隙間を通って県道に戻るか、あるいはフェンスをよじ登って
「そういう事です」
「フムン……悪くない……悪くないぜ、善忠さんよ」
「とりあえず、あの歩道橋で向こう側に渡りませんか?」善忠が、十メートルほど先にある歩道橋の昇り階段を見て言った。「幸い、橋の上には奴らは居ないようだ」
「そうだな。しかし、見つかったらアウトだぞ。逃げ場の無い歩道橋の上で
「見つからなけりゃ良いんでしょう? 奴らの気を他へ
「それが出来るなら苦労はしないだろ」
「出来ますよ……あれを使えば」
善忠が、後部ウィンドウ越しにミニバンの中を指さした。
ミニバンの荷室には、テント、折りたたみ式テーブル、その他キャンプ用品が幾つも積んであった。
「この車の持ち主、動画配信してたみたいですよ……タイトルは『キャンプに行ったので、大自然を大空から撮影してみた』ってところかな」
善忠の指さす先には、リモコン式の小型マルチ・プロペラ・ホバー……いわゆるドローンがあった。
「なるほど……お前、操縦できるのか?」
「大学の友人に何度か操縦させてもらったのと同じ機種みたいです……ゲンタさん、ここで見張っていてください」
善忠は、もう一度周囲を見回し、素早く車道側から開けっ放しの運転席へ潜り込んだ。
「あいつ、急にクソ度胸が出てきたな。車道側はリスクが高いってのに」
幸い、開け放たれた運転席のドアが目隠しになり、車道にいる〈噛みつき魔〉に気づかれず車内に入ることができた。
ゲンタは車内を
(あいつ、何やってんだ? ドローン持ってさっさと出て来いよ)
善忠がドローンを持って後部助手席側のスライドドアから出てきたのは、さらにしばらく経過してからの事だった。
ドローンとコントローラーの他に、キャンプ用品から抜いたらしい金属の棒の束と紐を持っていた。
「コンビニの中に入ったら、これを
「ほう、良いもん見つけて来たじゃねぇか」
「それから、僕の携帯をドローンのボディに貼り付けました」
そう言って、義忠はドローン中央上面を指さした。
キャンプ用の救急セットから拝借したらしい救急絆創膏を何枚も使って、ボディの上にスマートフォンが貼り付けてあった。
「大音量めざましアプリっていうのを入れてあるんです。それを起動して大音量で音を鳴らしながら飛行させれば……」
「奴らの気を
「自分でも意外ですよ……スリルを求めていた所があるのかな。こんなのゲームじゃ絶対に味わえない緊迫感だ。VRゲームなんて目じゃないですよ……アラームの設定は一分後で良いですか?」
「一分? ちょっと短くねぇか?」
「じゃあ、二分。それ以上は待てません。十メートル先の歩道橋を駆け上るだけじゃないですか。待ち時間を長く取り過ぎるのは危険だ」
「そりゃそうだが」
善忠はスマートフォンを操作して二分後にアラームが鳴るようセットした。
ドローンをミニバンの屋根にそっと置いて、ゲンタを見返し「じゃあ、行きますよ」と言うなり、義忠は、金属棒と紐とコントローラーを手にミニバンの陰から飛び出し歩道橋へ走り出した。
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