禄坊家(その5)

 自分の『計画』を風田かぜた孝一こういちに話し終わり、禄坊ろくぼう太史ふとしは壁に掛けてあったイグニッション・キーの一つをつかんだ。

「ふむん……なるほど」

 風田はあごに手を当て、しばらく車庫ガレージゆかを見つめて考えた。

「悪くない……少々、危険を伴うが……悪くない」

 視線を上げ禄坊の顔を見て言った。

「禄坊くん、きみ、若葉マークだよな? 当然」

「はあ……」

「どうせは不得意なんだろ?」

「まあ、得意って事はないです」

「その鍵、俺に貸しなよ。俺が運転してやるから」

 風田は禄坊へ右手を差し出した。


 * * *


「ねえ、車庫に入った二人……ロープを取りに行ったにしては、ちょっと出てくるの遅くない?」

 棘乃森とげのもりれいがSUVの反対側に立つ志津倉しづくら美遥みはるに言った。

「ま、まさか、中に〈噛みつき魔〉が隠れていて……」

「ちょ、ちょっと玲、縁起でもないこと言わないで」

 その時、キャラキャラという金属のこすれる音とともに、ガレージの電動シャッターが巻き上げられ始めた。

 シャッターの向こう側から、小型のファミリー・カーが現れる。

 運転席には風田が乗っていた。

 風田の運転するファミリー・カーは、玲たちのSUVの横を迂回し、いったん屋敷の正門に通じる私道へ出て、そこから黒板塀くろいたべいに寄せるようにバックして、裏木戸の前で停まった。

 ちょうど、だった。

 ガレージの電動シャッターが再び下り、しばらくして通用口から禄坊が出てきた。

「風田さんに禄坊くん、こんどは何をやらかすつもり?」

 玲のつぶやきに、美遥が「さあ?」と首を横に振った。


 * * *


「駐車場は平らにならしてあるみたいだが……念のため、タイヤの前にブロックでも置くか」

 風田は、いったんファミリー・カーにパーキング・ブレーキを掛け、外に出て大剛原警察官の遺体を乗せた軽トラからコンクリート・ブロックを二つ持ってきて、ファミリー・カーの右前輪の前と、左後輪の後ろに置いた。

 タイヤの前にブロックを置くとき、念のため前輪が真っ直ぐに(ハンドルが中立に)なっているかを確かめる。

「まあ、これで大丈夫だろう」

 そのうえで、パーキング・ブレーキを解除し、ギアをニュートラルにして、エンジンを切った。

 禄坊がガレージから風田の所まで歩いてきた。

「うまく行きますかね?」

 心配そうにたずねる禄坊に、風田が「これは、君のアイディアだろう? 自信を持てよ」と言った。

「たいていの車には『後席チャイルド・ロック』という機構があって、な……本来は子供が勝手に車外へ飛び出さないための物だが、今回みたいな用途にも有効だろう……禄坊くん、ちょっと隼人くんを呼んできてくれないか」

「隼人くんを、この計画に巻き込むんですか?」

「ああ。彼は小学生で、しかもサッカーチームのエースだ。つまり体が軽くて運動神経も良いという事だ。彼にしか出来ないこともある」

「わ、わかりました」

 

 * * *


「やつらは、いったい何をやっているんですかね?」

 玲が誰に言うともなく、言った。

「裏木戸の真ん前に車を寄せたりなんかして」

「案外、良いアイディアかもしれない……」

 SUVの運転席の前に立って風田たちを見つめていた大剛原おおごはら結衣ゆいが、振り返って玲を見た。

「さっき、裏木戸を縛るからロープを貸せって言ってたでしょう? たぶん、何らかの事情で、裏木戸が開いて中から〈噛みつき魔〉が出てくる可能性があったんだと思う。だとすれば、ああやってピタリと塀に寄せて木戸の前に車を停めれば、〈噛みつき魔〉たちは出られなくなるかもしれない」

 再び結衣が裏木戸の方へ顔を向けると、禄坊太史がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 玲が反論する。

「いや、それはちょっと、結衣、甘すぎるんじゃない? だって、裏木戸は『内側に開く』タイプだったじゃない。いくら外からふさいでも仕方ないでしょ? それに、あの車の高さじゃ、木戸の上部を完全にふさげてないじゃないの。上部の隙間すきまから車の屋根によじ登られたらアウトでしょ?」

「……そうね……でも……分からない。何か他に考えがあるのかもしれない」

 禄坊が、速芝はやしば隼人はやとに何か言い、少年を木戸へ連れて行った。


 * * *


「隼人くん、この車の屋根に登ってくれないか?」

 風田がファミリー・カーの上を指さして言った。

「俺たちが下で支えるから、さ」

「良いですけど、いったい何のために、ですか?」

「車の屋根に乗って、塀の向こう側をのぞいて欲しいんだ。木戸のドアノブが、ガチャガチャと出鱈目でたらめに動いているのが見えるだろう? あれは塀の内側から〈噛みつき魔〉と化した禄坊くんのお母さん……もしくはお父さん……もしくはその両方が動かしているんだ。問題は、裏木戸付近に禄坊くんの両親が二人とも居るのか、それともドアノブを動かしているのはどちらか一方で、もう一人は別の場所に居るのか、って事なんだ」

「分かりました」

「それから……もし、少しでも木戸の開く気配がしたら、すぐに車から飛び降りて逃げるんだ。良いね?」

「はい」

「それから、もう一つ。車の屋根は滑るからな。靴下を脱いで裸足はだしになりなさい」

 風田と禄坊が手を組んで、それを足掛かりにして隼人は車の屋根に乗り、立ち上がって塀の上から内側をのぞいた。

 初老の太った女が、「あああああ」とうめきながら木戸のノブを出鱈目でたらめに回していた。

 その後ろで、右膝みぎひざを撃たれた男が土の上をっていた。怪我けがひどさの割には、男の膝から流れる血は、案外少なかった。

 突然、女の方が塀の上を見上げた。

 隼人と目が合った。

「うがうううう!」

 女の〈噛みつき魔〉が叫びながら塀の上に手を伸ばしてきた。

 反射的にその手を避けようとり、隼人はバランスを崩して車の屋根から傾斜のあるフロントガラス、ボンネットと滑って、コンクリートの上に落ちた。

 体の数か所がコンクリートに当たり、手のひらの皮がりむけた。しかし、それがかえって良かったのかもしれない。衝撃が数か所に分散したため、どこか一か所に重い怪我を負わずに済んだ。

「隼人くん!」

 風田が、慌てて隼人のそばへ寄った。

「大丈夫かい」

 激痛でしばらく息も出来ない。やっとの思いで「二人とも居ます」とだけ言った。


 * * *


 何とか立ち上がれるようになった隼人の肩を抱くようにして、風田と禄坊は一旦いったんハイブリッド・カーの所まで戻った。

 ハイブリッド・カーの後部座席に隼人を座らせる風田に、美遥が後ろから「大丈夫ですか?」とたずねる。

「ああ。ちょっと手の皮をりむいただけだ。それと全身の何か所かに打ち身があるだろうな……頭部や急所を強く打たなかったのが幸いだ」

 風田の答えを聞き、隼人の手のひらから出る血を見て、美遥はSUVに取って返し、ハンドバッグからポケットティッシュを持ってきて、風田に差し出しながら言った。

「あの、これで間に合いますか?」

「ああ、ありがとう。大丈夫だ。思ったより出血は軽い」

 風田は車の中に座る隼人の手のひらにティッシュを何枚か当てて「手を心臓より高く上げていろ」と言い、ハイブリッド・カーのドアを閉めた。

 その風田に、SUVの横に立つ玲が不満げに声を掛けた。

「あのー、男子だけで色々やっているみたいですけど、私たちには何にも教えてくれないんですか? せめて、いま何をやろうとしているか位、知る権利はあると思うんですけど」

 しばらく玲の顔を見返し、やがて小さくめ息をいて、風田は「そうだな……」と言った。

何時いつ、禄坊くんの両親のどちらかが偶然ツマミを回して鍵を開けてしまうか分からんから、手短に言う……俺たちは、〈噛みつき魔〉になってしまった禄坊くんのご両親を、あのファミリー・カーの中に。そして屋敷の中に閉じ込められている少女を助け、今夜の居場所を確保する」

 女子大生三人が同時に驚いた顔になった。

 玲が重ねてたずねた。

「〈噛みつき魔〉を、車の中に閉じ込めるって……そんな事、出来るんですか?」

「ああ。上手く行けば、な……しかし、リスクな無いわけでもない。もし上手く行かなかった場合は……俺たちに構うな。見捨ててくれて良い……君たち三人で協力して、俺の甥っ子と二人の少女と共に、この屋敷から逃げてくれ。ハイブリッド・カーの鍵は隼人くんが持っている」

「……そんな……」

 玲がうめいた。

 その玲に、風田が言った。

「棘乃森くん、良く聞け。これからの世の中、『危険にさらされている少数を見捨てて、多数が助かる』のは善だ。正義だ。……そして最悪なのは『少数を助けるために、多数が危険にさらされる』事だ。分かったな」

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