来世信者が言うことには

 プシュッ。ガスが抜けるような音がし、頬がひんやりと冷やされる。冷たくなった方の頬におもむろに触れてみると指先が濡れた。首を傾げながら服の袖で頬の冷たさを拭い取り、重たい体を起こす。

 開けた土地だった。背後には車道が通り、目の前には形が異なる建物が三つ点々と建っている。それぞれ形や大きさ、色などは違っていたが似通った静けさを有している。とぽとぽと水が流れる音に耳を傾けて手元に視線をおろすと、西洋の器を思わせる凝った噴水の中には水が貯蓄されている。

 片側の頬より冷たくなった頬を撫でつつ空を見上げたが、空は変わらず憎たらしいほどに青い。雨が降ったという訳でもないなら頬が冷たくなった原因はひとえにこれだ。疑問が一つ解け、すっきりした。だがまだ謎はある。俺はどうしてこの場所で眠っていたのだろう。誰か待っていたのだろうか。だとしてもそれは何時から。いったい誰を。一度考え始めるとこの手の疑問はキリがなくて困る。すぐに俺は考えることを止めた。俺一人で回答を出せる気がしなかったのだ。しかしこのまま何も思いつかず、じっとしているのも苦痛だ。空の青さは深く、頭上には太陽が昇り、さんさんと輝いて辺りを焼き尽くさんばかりの暑さなのだから。

 蒸し暑いのは一向に慣れないが夏は嫌いじゃない。好きな方だ。雨がしとどに降り青や紫に色をつかせ群れとなる紫陽花を見るのも、雨が傘を叩く音も。麗しい着物が焼かれる瞬間も。

 ……。今、頭を過ぎて行った映像は何だったろう。

「ゆーめじおにいちゃーん!」

 憚るということを知らなさそうな幼い声が大声で俺の名前を呼んだ。辺りを窺うと建物の一つから少女が麦わら帽子を両手で抑え、たたっとこちらへ駆け寄って来る。

 思わず、俺は身構えた。が少女が俺の前に辿り着いた時、見せたのは眩い笑顔だった。

「えへへぇ。おにいちゃん、あつかったでしょ。まっててくれてありがとう」

 短い距離を全速力で走ったせいか、少女は小さな肩で息を切っている。「どういたしまして」とおっかな吃驚しながら俺は自分が座っていた隣を少女に勧めた。少女は「うん」と一つ返事をし、すこし高いその場所に勢いをつけて座った。上手に座れると、彼女は嬉しそうに足を交互に揺らし遊ぶ。 

「あのね、あのね。かりたかった絵本がね、今日かえってきたからかりれたんだよ」

「そうか、それはついてたな」

「うん! あとで、おにいちゃんにも絵本読んであげるね」

 無邪気な顔に肩の力を抜く。「ありがとう」とお礼を言うと少女はご機嫌な顔になり、「あっ」と思い出したような声を出した。

「どうしたんだ?」

「おかあさんがね、図書かんに行ったあとにパフェを食べて来てもいいって言ってた!」

「パフェ? 好きなのか?」

「うん、だーいすき」

 そうにこりと笑う少女の前歯は一つ欠けていた。

「歯、どうしたんだ?」

 尋ねると少女はぱっと両手で口元を隠す。

「笑わない?」

「まあ、な」

「……、このあいだご飯を食べてたらとれちゃったの。大人のはがはえてきているんだよ」

「へえ……」

 生え代わり時期に甘いものを食べても平気なものだろうか。虫歯になって永久歯が駄目になると女ごころに深い傷を負いやしないか。ううんと悩む俺の手を少女は掴んで「おにいちゃん、はやく行こうよぉ」と急かしている。

「帰ったら、ちゃんと歯を磨くんだぞ。それが約束出来なかったらこのまま帰る」

「やくそくするからー!」

 力任せに引っ張られる手が痛い。

「よし、じゃあそのパフェが食えるところに行こう」

「……っ、うん! 道あんないはわたしがする!」

「頼もしいな」

 肩を竦め、そう零すと少女はちらとこちらを振り返り、「うん」とすこし感情を落とした声で頷く。照り付ける太陽が作った一体の小柄な影法師が足元に揺らめき、その様子をくすくすと笑っているような気がした。


  ・

  ・


 少女の案内で込み入った道をさくさくと通り抜け、辿り着いた場所はかわいらしい赤を基調としたカフェだった。

「ここか?」

「うん」

 少女は力強く頷き、開けてもいいと尋ねて来る。いいよと二つ返事で答えると少女は嬉々としてカフェの扉を押した。かろん。柔らかな鐘の音がもどかしく鳴る。

「いらっしゃいませ」

 夏の光が店内に差し込み、中にあった影が逃げるように奥へ引いて行く。後ろ背にりぃんと扉が閉まる音が響いた。カフェ内では、西洋の楽器が楽し気に軽快な音色を作っている。これまでにあまり聞いた試しがない曲調だったせいか、ひどく新鮮だった。その曲に隠れ、からからと回る音に気付き、天井を見上げると扇風機のはねよりも大きなそれがくるくる回っていた。何の為のものなんだろう、これは。

「ゆめじおにいちゃん」

 名前を呼ばれると同時に、袖を引っ張られる。

「こっちだよ」

「あ、ああ」

 少女に連れられた先は二人掛けの椅子が机を挟んで一つずつある窓際の席だ。椅子の高さは少女の身長と同じか、すこし低いくらいだが勢いをつけなくては座れなさそうだ。

 噴水の縁に座る時も四苦八苦していたことを思い出し、「座れそうか?」と心配し声をかける。

「なれっこだからだいじょうぶ」 

 そう言って言葉通り、少女はばたつきながら椅子に座った。「ふふー」と少女は満足そうな笑みを浮かべたのを見てようやく俺は椅子に腰を落ち着けた。硝子窓越しに机の端に置かれた小さな観葉植物に光が当たる。日光を浴びる植物の先っちょには白い蕾がついていた。もうすぐ開花するのかもしれない。

「おにいちゃん、わたしがちゅうもんしてもいい?」

「いいよ、パフェにするんだろう?」

「うん! いちごとねウエハースがねとってもおいしいの」

 心底楽しそうに笑う少女につられ思わず微笑む。少女がぴんとまっすぐに手を挙げると店の奥で作業をしていた店員の女性が気付いてぱたぱたとやって来る。

「お待たせしました。ご注文ですか?」

 少女はこくりと頷いた。

「パフェをひとつお願いします」

「かしこまりました。すこしお時間を頂きますが宜しいですか」

 にぱっと晴れるような笑顔で少女が答える。足をぶらぶらと揺する少女を見て女性はにっこり笑い、厨房に消えた。傍目から見てもうきうきとしている少女を見、「パフェが好きなんだな」という。

「うん、ここのねパフェがわたしいちばん好きなの」

「どうして?」

「ずっとあるから」

 何気ない問いかけのつもりだった。が、完全に虚を突かれたのは俺の方だった。

 俺としては器に盛られたコーンフレークやチョコソース、てっぺんに乗った苺が美味しいとか、お姫様になった気分が味わえるだとかそんな言葉を無意識のうちに待っていたのだと思う。

「老舗の味ってことか? そんなことが分かるなんてお前も粋だな」

 茶化すと、少女はちがうよと優しく否定する。

「かわらないからあんしんしてなつかしいなあって食べられるの」

「変わらないからって、……この店元は別の場所にあったのか?」

「ここはずっとこのばしょだよ、おにいちゃん」

 少女は欠けた歯を見せ、背負っていたリュックサックから紫が混じる赤色の布が張られた冊子を取り出した。

「絵本を借りたんじゃなかったのか」

「これが絵本だよ」

 そう言って彼女は俺にその冊子を渡した。受け取った冊子と少女とを見比べ、俺は表紙を開く。

『せせらぎ』濃紺の文字と特段下手とも上手とも言えない子どものような絵が載っている。ぺら、と頁をめくる。

『せせらぎさまは毎日悲しまれておりました。世界にはいつも戦争があり、誰も彼もがさまざまなことで争い合っているからです』次の頁をめくる。『せせらぎさまはある日、お父さまとお母さまにお尋ねになりました。どうすれば戦いはなくなるのかと。ですがせせらぎさまのお父さまもお母さまも上手にお答えすることが出来ませんでした。せせらぎさまは考えに考えて、正しい道をお説きになろうと人々に話をして回りました。晴れの日も、雨の日も、風の日も雪の日もです』

「人々は聞く耳を持たず、悲しみに包まれるせせらぎは病に伏してしまう。そして看取る父と母に約束する。『この世界が平和になるまで私は帰って参ります、何度でも』と」

 次の頁を捲ろうとしていた指が止まる。面を上げた先にいる少女は唇をきゅっと結び顔を俯けた。

「”くだらないでしょう”」

 机に向かって呟かれたその言葉を聞き、俺ははたと少女を見つめる。耳元で鐘が突かれたように少女の言葉がブレて聞こえた。昔、聞いたことをもう一度聞いているような気分だ。

 俺は少女から目を離さず、問いかける。

「お前は誰なんだ?」

 巨大なプロペラが頭の上でからから回る。少女の垂れた目の奥を覗くと水の流れを感じた。けして停滞することがなく、また止まることを知らないもの。

 少女が瞼を閉じ、次に瞳を覆う薄い皮膚を上げるその時、彼女の表情は深刻げに張りつめていた。

「わたしは……、ふつうの人だよ。少なくとも自分ではそう思っていた。だけど」

「けど?」

「何時からか、『せせらぎ』だなんておかしな名前を貰うまでになってしまった」

「せせらぎ?」

 少女と冊子を交互に見比べていると、少女ははあと溜息をついた。

「せせらぎは何十回も前のわたしだよ、夢路兄さん」

「待て、お前が言うその何十回っていうのはいったい何の回数なんだ?」

 少女はひた、と視線を俺に合わせ、時間をかけて俺を意識の外に移した。

「もう何度目かな、このやり取りするの。兄さんは……、やっぱり覚えてないんだね」

「何を?」

「いろんなことだよ。兄さんにまつわるいろんなこと」

 まるで自分自身のことを何も知らないように言われてしまったことが俺には恥ずかしくもあり腹立たしくもあり、そして事実でもあると言えた。現に俺がはっきりとしていることというのは自分の名前だけであって、それ以外は襖に何枚も隔てられ、ぼんやりとした灯を見つめている状態に近しい。が、そのことに不安を感じないのもまた不思議な話だった。

「……、俺は俺じゃないのか?」

「兄さんは兄さんだよ」

 すっぱりとした回答に俺はほっと息を吐いた。

「兄さんは変わらない。変わらず兄さんのままでいてくれるから私は兄さんとこうして心置きなく話すことが出来て、それがたまらなく嬉しいけれどほんのちょっぴり悲しいし、息をするのが苦しくても目を開けたらまた同じやり取りが出来るんじゃないかって安心してしまう」

「どうして?」

「兄さんが兄さんでいてくれるから」

 静かに目を見開いた俺の頭に『因果』と、味気ない文字がよぎり去って行く。でろでろと流れ出る目に痛すぎるほど赤く濃ゆい桃の色と黒色の泡沫と共に。

 「ふう」、と少女は吐息を零した。

「夢路兄さん、私は一回死んできり、私を持ったまま何度も違う人に生まれ変わっているんだよ」

 『ホッホー』どこからか聞こえた鳩の鳴き声が頭をつつく。そうしてようやく少女が先にやり取りを何度したか分からないといった意味を理解できた。出来はしたが、これは一体どういうことなんだろうか。

 大きな疑問が二つ俺の頭を埋める。一つは、少女が生まれ変わっても記憶を持ったままでいること。二つ目は当然ながら性別も年齢も言語だって違うだろう少女の人生に俺はどうやって毎回関わっているのかということ。目玉がぐるぐると回りそうだ。

「お待たせしました」

 頭上に降る声と共に、机の上に分厚くひやりとした空気を纏った白く赤い蕩けそうなパフェが置かれた。

「わあ! ありがとうございます」

 少女は微塵の疑いも抱けないほど完璧に自らを装った。「おにいちゃん食べてもいい?」店員がテーブルから離れない内に少女は愛らしく尋ねる。去り際、店員は背後で微笑ましい光景が広がっていることが分かってか楽しそうに小さく肩を揺らしていた。

「どうぞ」断ると、少女は柄が細長いスプーンを取り、パフェの頂上を飾るチョコレートソースがかかった生クリームを掬って口に入れ幸せをぎゅうっと噛み締めている。

「……、美味いか」口を突いて出たのはパフェが来るまでの話の続きではなく、単純に目の前の幸福が山盛りにされた西洋の菓子の話だった。

「変わらず美味しいよ」

「そうか」

 窓の外を眺める。夏の光を浴びる緑葉が宝石を思わせるきらめきを放っていた。麗しき夏の日々から目を反らし、少女に顔を合わせると彼女はウエハースをぱりぱりと食べているところだった。

「何度目になるか分からないけれど聞いてもいいか」

「どうぞ」

 ごくりと粉々に砕かれただろうウエハースが少女の喉元から下って行く。

「どうしてお前は生まれ変わっても記憶を持っているんだ?」

「本物の神さまが怒っているからじゃない? 神さまを気取って同じ人に物を申して、その挙句自分は命を粗末にして自殺なんてしたから」

「っお前、自殺したのか?!」

 少女は何食わぬ顔でそうだよと答える。勢いで立ち上がってしまった俺はすとんと力を失くしてソファに落ちた。中間に詰められたアイスクリームが溶け、底に埋められたコンフレークに被さる。

「……、何でまた自殺なんかしたんだ」

「取り返しのつかないことになりそうだったから」

「取り返しのつかないこと?」

「私はどうしたって人間でしょう」

「そうだな」

「なのに、あの人たちは私が神さまに取って代われると本気で思いこんでいたんだもの。可笑しいったらなかった。いい大人たちがこぞって自分の半分も生きていない娘の家までわざわざやって来て、身内に相談出来ないからってひどい話をしてどうしたらいいでしょうってお伺いを立てるんだから」

「お前はその人たちに何て?」

「家族でも言うようなことを言うだけ。……たまに家族の人も一緒にやって来る時があってね、その人も私と同じことを言ったんでしょう。『ほら、やっぱり』って呆れた顔をして、もう帰ろうって促すの。けど相談した当人は違う。何度も何度もありがとうございますって頭を床にこすりつけてお礼を言うの。欲しかった言葉はそれだった、そんな風にね」

「他人から言われたかったんじゃないのか?」

「どうして?」

「家族は……贔屓目になるというか、他人だったら客観的な意見として出されたように思えるんじゃないか?」

「それでも言葉は同じよ、兄さん。言う人が違うだけ。問題は聞く人間の聞き取り方にあって、私のところに来た人たちはちょうどいい存在を探していたのよ」

「ちょうどいい存在」

「困っている時には、ありがたい言葉が貰える。自分の意志を丸投げして預けても順調に人生が進んで行ける。そういうのって都合がいい存在って言わない?」

 歯に衣を着せた言い方をしなければ確かにそうなんだろうが、いささか可愛げがない。

「相談をしに来る人は絶えなかった。それどころか、先に来た人たちの話をどこで聞いたのか、増えて行った。その内、誰かが言い始めるの。私は生き神さまに違いない。これまでに私の言葉でまっとうになれた人たちできちんとした会を作って私を祀ろう、って」

 ことり、と少女はスプーンを机に置いた。

「私はそんなのごめんだった。誰でも言えることを私は言っただけなのに、どうして祀られなきゃいけないのか分からなかった。母さんも父さんもそんなこと百も承知だった。だって私はあの人たちに育てられたんだもの。あの人たちがいたから生まれたんだもの」

「二人は信者の人たちに何か言ってくれたのか?」

「言えなかった、言えるわけがなかった」少女は口の端を噛む。「二人とも優しかったから何も言えなかった」恨み言に近しくて、泣き言から一等遠いつぶやきだった。

「私や父さん母さんを置いてけぼりにして、話はあの人たちの間でとんとん拍子に進んだ。私はただの人間から『せせらぎ』に、母さんと父さんは私を産んだ聖母と聖父に変わって毎日遠くから色々な人がわざわざ足を運んでやって来たわ。聞いたこともないような訛りの人もいたし、うんと寒いところから来た人もいた。それでうんざりするほど、話をする内に一つ気付いたの。みんなね、話す前は目が海の底みたいに暗いの。だけど私が話を聞いて回答すると涙を零して、目の中に星がいっぱい砕け散った空を映すんだ。綺麗なんだよ。綺麗なんだけど、私はあの目が怖かったよ」

「綺麗だったんだろう?」

 少女は微笑んだまま、細い首を横に振る。

「あれは盲信する目だよ、兄さん」

 ごくりと酸素の塊を飲む。ただの人を自分を救ってくれた神と信じて見る目を少女は生きながら見たのか。

「毎日、話を聞けば聞くほど私が神さまになる日が近づいて信者の人たちは嬉しそうにそのことを話すんだ。私は腹の底で何度あの人たちに馬鹿みたい、くだらないって笑ってたか分からないよ。けど駄目だね。いざ目の前にすると、肝心のことが言えないんだよ。笑って馬鹿にして、私は神さまなんかじゃないってその一言も言えなかった。自分自身に腹が立って悔しくて情けなくて仕様がなかった時に、私は兄さんと会えた」

「…………、俺と会った?」

 彼女が悩んでいただろうその時に初めて、しかも意図せずに出会ったような口ぶりに俺は少女を見据える。少女は俺を瞳の中に入れ、ふ、と笑った。

「きっと今の兄さんには分からないことだらけなんだろうね」

「教えてはくれないのか?」

 甘えていると思いこそすれ、俺一人では分からないことがそびえたっているのだ。少女はチョコレートソースの衣装に身を包んだバナナを味わっている。

 大人しく彼女が咀嚼し終えるのを待っていると、彼女はこう続けた。

「私は知らない方が兄さんの幸せだと思うから」

「俺の、幸せ?」

 予想外だった返答に俺は彼女の言葉を繰り返す。

「そう。ただ分かって欲しいのはこれは同時に私のわがままでもあるってこと。ほかの人は兄さんが知ることが幸せだって思う人だっていると思う」

「……、お前はどうして俺が知らない方が幸せだと思うんだ?」

「兄さんは優しいから。傷ついて欲しくないの、私は」

「傷つくって、何に?」

「兄さんが見ているものに」

 ますます分からなくなったと、ソファの背もたれに首を預ける。

「私は兄さんとのお喋りは好きよ。分かっているのに、私も最初に戻った気がしてやり直すことが出来るんじゃないかって思えるもの」

 顔を戻す。パフェの器はすっかり汗を掻いていた。分厚い硝子の器を見つめていた少女と視線が合う。

「何度も?」

「何度でも、だよ。私はそれがあるけど、でもだからこそ一人ぼっちになる。変わらずそのままでいてくれるのは、兄さんとこのパフェだけ。だから兄さんとパフェ両方とも変わった時が私が本当に孤独になる時だね」

 少女はスプーンを弄びながら、こう漏らす。

「私、願掛けしてるの」

「どんな?」

「夢路兄さんとこのパフェが変わらないでいてくれる限り、私もふつうに人生を送れる日が来るって」

 ささやかな願い事だ。一つ目の人生で教団の教祖に祀り上げられてしまったとは考えられないくらいに野望から最も遠い夢を抱いている。

「お前は今、幸せか?」

「……、もちろん。大好きな兄さんとまた会えて、大好きなパフェを食べることが出来て私一等に幸せ」

「そうか、……それなら良かった」

 一言一言を噛み締めるように口にすると、「かろん」と軽い音色が店内に鳴る。

 新しい客人だろう。そう予測し見た出入り口の扉に立っていたのは二着の喪服だった。本来そこに収まっているはずの体は透明で見えない。おかしいな、と目をこすっても見たのだが、どうしても扉の前にあるのは服だけなのだ。俺は驚きで、あんぐりと口を開けた。こちらのことなど気にも留めず、喪服の一着がまるで辺りを窺うかのように喪服の上服に皺を入れている。そうして端を発した。

「あ、ご歓談中失礼。私たちはせせらぎの会中央支部のもの。本日こちらに参ったのは我らが教祖たるせせらぎ様が再誕なされたとの情報を受けてのこと。世界平和の為である。ご協力をお願いしたい!」

 俺は彼らを視野に入れながら少女に話しかけた。

「なあ、あれ」

「知らんぷりよ、兄さん」

 少女はぼそりと喋り、黙々とパフェーを口に運ぶ。俺は呆けた顔を見せ、喪服たちに視線を戻す。喪服は二着揃って行動をしている。端の席から順繰りに話を聞いている様子だ。

 彼らは自分たちのことをせせらぎの会中央支部と名乗っていた。せせらぎが再誕したとも。ということは彼らの探し人は俺の目の前にいるこの少女に違いない。だが、勝手に祀り上げられ、その果てに自ら命を絶つことを決断した彼女が自分がせせらぎですと名乗り出るとは到底思えない。

 会に所属する彼らが少女の死をどう捉えているのかは不明だが、『あなたがせせらぎ様ですか?』『はい、そうです』と尋ねてすんなりいくと考えているのだろうか。もし彼らがそうなると信じているのであれば、彼らの頭は俺が考えている以上に破滅しているとしか思えないが。隠れるように彼ら二人を眺め見ていると喪服の片割れの頭にあたる部分が橙色に点滅し始めた。何だろう、あの光は。

 しかしその眩い光からは目が逸らせない。と、光る頭の喪服はもう一着の喪服の袖を引き、なかば強引に引きずるようにして俺と少女が座る席までやって来た。光はだんだんと冴える青に変貌していく。

 少女は喪服二着が席に来たところで溶けたバニラアイスやチョコレートソースでべたべたになった顔を彼らに向け軽く首を傾いだ。あたかも幼い子がするような動作で。

「おじちゃん、だあれ?」

 頭が光っていない方の喪服が腰をかがめ、少女に目線を合わせる。

「お食事中失礼を致します。そして初めまして、せせらぎ様」

「せせらぎってなあに?」

 少女はスプーンを握ったまま、きょとんとする。頭の光る喪服は少女をじっと見つめ、「間違いない」と呟く。その声は想像していたよりも若く、少年と青年の中間くらいを思わせる。

 頭の光っていない方の喪服の頭をどこから現れたのか、薄汚い包帯がぐるり、ぐるりと巻いて行く。

「と、いうことです。せせらぎ様、私があなたにお会いするのは初めてですが、あなたは我々信者がどうやってあなたを見つけられるかよくご存じのはずです」

 少女はすっかり頭を包帯でぐるぐる巻きにされ、鼻も目にもあたる位置を完全に塞がれた喪服を睨んだ。

「だからといって、私が素直に従う理由がどこに?」

 「おお」と包帯の喪服が感嘆の息を吐く。

「せせらぎ様、あなたが再誕されるまでに今回はすこし時間を要しました。そのため、あなたのお言葉を待っている信者の数が増えています。どうか彼らに救済の御手を」

 少女は露骨に顔を顰め、鼻で笑った。

「救済? なにそれ。自分の道くらいひとの言葉じゃなく、自分自身の言葉で切り開いてみたらどうなの。自分の人生でしょう。自分で切り開かずにいったい何の命なの」

 包帯の喪服は息巻く少女の言葉に圧倒されてか口ごもる。

「それなら最初から全部捨て置けばよかったじゃないか」

 横から投げかけられた声に少女はもう片方の喪服を見上げる。明滅する光は少女を見つけた時から青く白い。

「すべてに目を瞑って、何にも聞こえないふりをしていれば良かったんだ。ろくでなしの神さまになっていればさ、あんたはらしく生きられていたよ」

「そんなのごめん被るわ。私は神さまじゃない、人間よ」

 やれやれと言いたげに光る頭を持つ喪服は首を振る。

「これだけ救っておいてなに言ってんのさ、せせらぎ様。あんたは自分で自分が上る舞台を仕立てたんだよ。客も席に座ってる。それを今更降りることなんて出来ねえよ」

「赤の他人が私のことを断言しないで。私はあなたちに助言を与え続ける為に生まれた訳じゃない。この命は私が人として生きる為に得た命だ」

 そうだな、自分の生まれた意味は自分で探さないといけない。俺の面倒は俺でしなければ、誰もしてくれはしないのだ。

 少女は光る頭の喪服に視線を注ぐ。意思のはっきりとした双眸に睨まれて喪服ははあと溜息を吐き、服の懐を漁る。瞬く間に喪服が取り出したのは安っぽい光線銃だった。なんだと胸を撫で下ろしたのもつかの間で光線銃の先が少女の額にこつり、と当たる。

「なら、選べよ。ここで犬みたいに死ぬか、あんたを待っていた羊に夢を見せる聖人になるか」

「猶予をくれたつもりだったらおあいにく様。意味がないのよ」

 小さな少女の指が銃の引き金に指をかける。

「私は私だ。誰に何を言われても、私はせせらぎなんかじゃない」

「……、後悔先に立たずってな」

「自分の言葉も素直に飲み込めなくなったあなたたちに言われる筋合いなんてないわ」

 そう啖呵をきる少女の額に当たった光線銃にどこから入って来たのか、黒い翅の蝶が止まっている。

「次の人生に、兄さんが来てくれなかったらどうしよう」

 少女は引き金に指をかけたまま、見た目にあいつつもその性格らしくはない弱音を漏らした。

「周りに大好きだったひとが誰もいないことだけが……、一人ぼっちになることが怖いよ、兄さん」

 俺は勇ましくも喪服から顔を逸らさない少女の背に手を当てた。この手にある熱が彼女の中で少しでも勇気に変われば、と思いながら。

「一人ぼっちにはならないよ。探しに行くから」

「……、無理だよ。兄さんは忘れちゃうから。ううん、忘れてくれないと私は兄さんを置いて行けない。夢路兄さん、忘れて。忘れていいけどまたこうやって偶然みたいに会ってお話して、パフェを食べて一瞬だけ幸せだって思いたい。それで私、何百年って長生きしたような気分になれるんだよ」

 俺は言葉で返す代わりに、少女の背に当てた手にぐっと力を込めた。少女は何も言わず、これが決意だと言わんばかりに真っ直ぐに前を向き、喪服に言い放った。

「これは私の人生だ、ほかの誰にも渡すもんか」

 刹那ぴかりと辺りが眩く光る。強烈な光の塊に目を閉じ開いた時、少女が座っていた場所にはぺちゃんこになった人型のゴムが空気が抜けた状態で落ちていた。

「カノウ!」と布でぐるぐる巻きにされた喪服が叫ぶ。喪服は包帯頭をぐしゃぐしゃと掻き毟りながら「ああ、また探し直しだ。今度はいったいどこのリンネに加われたのか」と嘆いている。「あの方がこれだから私たちはまだ認められないのだ」と地面にへたりこんだ喪服の隣で光る頭の喪服はぺしゃんこになったゴムの少女を見やり、呟く。

「俺たちは何度だってあんたを探し出しますよ、せせらぎ様」

 喪服は光線銃を自らの眉間に当てた。蝶はそこにいない。

「また来世で」

 ホッホー。時計が三時を告げる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る