流れ星、青い鳥に魔法使い、あるいは神さまたちの

 チリンチリン、と涼しい音色が風に乗る。風鈴の音だ。起き上がると机に体を向けている真っ白な洋服を着たか細い背中が見えた。誰だろう。初めて見る背中に興味深々とした視線を注ぐ。

 パタンと優しく優しく本が閉じられ、相手は体を捻る。

「あ」俺は鬼ごっこの最中にうっかり見つかったような声を出す。

 振り返った相手はいかにも良家のお嬢様といった具合の少女で、かちんこちんに固まる俺を見てくすりと笑うどころか、吃驚もしなかった。いやに丸く澄んだ目を閉じて、「兄さんの馬鹿」とまず悪態を吐くのだ。

 おいおい、起きたばかりのやつにいう言葉じゃないぞ。渋い顔をすれば、少女は面食らう俺の前に座った。

「今、私と兄さんが直面している問題を説明してみて下さい」

「問題?」

 訝しむと、少女は勿体付けたような溜息を吐き出す。

「やっぱり。気持ちよさそうに寝ていらしたからもしかしたらとは思ったけど、夢の中に問題を置いて来て下さいとは私一言も言っていませんよ」

「ぐ」

 何が何だかさっぱりだが、少女はお冠らしい。だが、何も覚えていないのに手を突いて謝ったところで少女の機嫌がなおるだろうか。否こういう時、ご婦人方は自分の体裁を取り繕おうとするとその嘘を容易く見抜いて火山の様に噴火する。ああ、怖い。冷や汗がたらたらと背中を流れる。いつのまにやら正座にもなってしまっているし。

「その、…………」

 上手い言葉を探してみるものの、もともと小器用な方じゃない。困って少女に白旗を振るが、彼女のやけに澄んだ目はじっと見ていて居た堪れなさを覚えさせた。

「手間をかけて悪いが、教えて貰えないか」

 少女は一瞬怯んだような顔をし、「分かりました」と頷き、どこかすっきりしないという面持ちだ。

「四日前、姉さんが……、七宝ナタカ姉さんが家からいなくなりました」

「七宝?」

「まさか姉さんのことまで夢に置き忘れて来てしまったの?」

 その目は厳しい。だんまりになると少女は明らかに落胆した。

「すまないな。こんな兄貴で」

「そうでもありません。私だって姉さんがいなくなってからもこの部屋の中にずっといますから」

「……? それが?」

「家族なのに、姐さんを探しに外にも出ていません。これって本当に家族のすることでしょうか」

 ささやかな疑問だ。だが、ささくれだった指の皮のように剥いでしまえば、鈍痛をもたらすものだ。名誉挽回とまでは言わないが、少女の言う事も一理ある。俺はその場から立ち上がって、「七宝を探しに行かないか」と提案した。

 しかし俺を見上げる少女の目には、迷いがあった。

「さあ」

 少女の前に手を出して促してみても、彼女はその手を取らない。

 探しに行かなくてはいけないといったのは少女自身なのに、まるで探しに行きたくないというような行動を取る。おかしな話だ。……、ひょっとして少女といなくなった七宝との間で何かあったのだろうか。それならばいくらか納得できるが。簾がかかった窓に視線を侍らせ、「喧嘩でもしたのか」と一言。

「喧嘩なんてしたことありません」

 少女は畳の目を追う。

「じゃあ、何があったんだ?」

「……、何もありません。何も」

 膝の上に置いた少女の両手は力なく垂れている。

「何もってことはないだろう」

「本当に何もないんです。それこそ昔は姉さんと一緒に遊びもしました。けど母さまが亡くなってから姉さんは人が変わってしまいました」

「人が変わる、というとどんな具合にだ?」

「……、鏡をずっと見るようになりました」

「鏡を? どうして?」

「分かりません。ただ姉さんは鏡に写った自分とずっと話をしていて」

「自分と?」

 静かに少女は頷いた。俺は言うか言わまいか悩み、「病院には罹らなかったのか」と尋ねる。

「父さまが放っておくように、と仰ったので」

「何だそれは」

 やや口調を荒くして言うと、少女はびくりと肩を震わせた。俺はいかり肩をおさめて、「悪い」と短く謝った。

「いいえ、慣れていますので」

「……、話を元に戻すがお前はどうしたいんだ?」

「私、ですか」

 きょとんとした顔で少女は返す。尋ねられたことが意外そうだった。俺は肩透かしを食らった気分だ。

「そうだよ」

「姉さんは私が迎えに行って喜んで下さるでしょうか」

「そりゃ喜ぶだろう。なんてったって妹が迎えに来てくれたんだから」

「…………」

「何が不安なんだ?」

「ふつう血のつながったきょうだいってどこかしら似ているものでしょう。でも私は姉さんとちっとも似ていないし要領だって、そんな味噌かすっ子が家族だと大手を振って、姉さんを迎えに行っていいものかと。姉さんを迎えに行くなら姉さんと同等か、隣に立つに相応しい人が行くべきじゃないんでしょうか」

 ぐだぐだと管を巻く少女の心情が俺にはよく分からなかった。一体、何に自分の思考を妨げられているのやら。

「例えば?」

 少女は目を丸くし、やや間を取って「センなら」という。

 俺にはその名前に聞き覚えが無く、軽く首を傾げる。と、少女は口を真一文字に結んで、「お母様がご実家で過ごしていた時におじい様がお母様の世話役として付けたミサキのおじ様の一人息子です」と説明してくれた。

 勝手知ったる人間なのかと頷きつつ、「その千て子ならお前の目から見ていいのか」と聞き返す。

「いい、とかそういうのじゃありません。今はお父様のご命令ですからしょうがなく私の護衛をしてくれていますけど、部屋で過ごすばかりの私を護るよりも姉さんの刀としてあった方が千は自分の努力を無駄にもしないし、いざっていう時は姉さんのことだってその頑張りで護ってもくれるでしょう」

 少女が出す千少年への評価は高い。会ったこともない相手に高い期待を抱くまでには。

「それに千は七宝姉さんのことが好きだから」

「……、は?」

 予期せぬ反撃を食らった。俺は少女にちょっと待てと片手を突き出して、「そうなのか」と疑わしげな眼を向ける。

「千本人に直接聞いたわけではありません」

「だったら違うんじゃないのか」

「でも……、女中の千代チシロが」

「女中が?」

「千がちょくちょく姉さんの部屋に行くところを見た、と」

 俺は自分の手で顔をぺちりと叩く。どうしてこうも女中たちは噂話が好きなんだろうか。動かすのは、仕事をする手だけでいいというのに。

 少女は違うんですかと小さく首を傾けながら問う。

「あのな女中たちなんかの噂話をいちいち間に受けていたら、身が持たないぞ」

「千代は嘘を吐きません」

「ああ、嘘は吐いていないだろうな。ただお前が伝え聞いたことが本当かどうかも分からないじゃないか」

「どういう意味ですか」

「人の心というものはな、直接聞かなくては分からないことだ。場合によっては、はぐらかされたりもするかもしれないし、根っからの嘘つきは本心なんぞ教えちゃくれんだろうが、それでも自分の目で見ず、他人の口から話されたことだけをそのまま鵜呑みにして生きてばかりみろ。それこそ盲目というものだぞ」

 辛辣な言葉を投げて寄越すと、少女は目を見開き、羞恥に耐えるかのように唇を噛んでいた。今のが堪えてくれるようなら嬉しいところだ。しかしどうしてまた姉の部屋によく行くという情報を聞いて、そう飛躍出来たのだろう。

 何かしら話を何段か飛ばす裏付けがあったのか? 気付かれないようちらっと少女を見ると、彼女はまだ顔を俯かせていた。真面目な子だ、とても。

「なあ、お前は二人にそうなって欲しかったのか」

 至極純粋な質問をして見れば、少女は「え」という顔をする。

「そう、というのは?」

「だから夫婦になるとか」

「夫婦」

 空気を吐くかのように、少女は小さく同じ言葉を繰り返し、「それは考えていませんでした」

「私はただ昔の姉さんに戻ってくれるのなら、また小さい頃みたいに三人で一緒に遊べたらと」

「……、矛盾しているんだな」

 言えば、少女は暗い顔を見せる。俺は少女の前に膝をついて、彼女に手を差し出す。

「迷う事なんかない、自分を下に見ることも。探しに行こう、家族を」

「けど姉さんが帰りたくないって、こんな家にいたくないって思っていらしたら? 私なんか家族じゃないってそう仰られたら?」

 詰問調に喋る少女はもうこれ以上聞きたくはないと言いたげに両耳を手で隠した。

「私はどうすればいいんですか、夢路ユメジ兄さん」

 助けを乞うかのような声だった。その声に俺は耳を塞いでいた少女の手を取り、こちらを向かせる。

「一緒にいればいい。一緒にいて、七宝が帰りたいと思うまでずっとずっと傍から離れないでいよう」

「兄さんも一緒に居て下さるの?」

 あっ、そうか。俺がいると水を差してしまうかもしれない。自信満々に掴んだ手が弛んだ。「いない方がいいだろうか?」

 少女は目をいっぱいに開いて離しかけた俺の手を強く握った。

「夢路兄さんも居て下さい。ずっとずっと、ずっと」   

 彼女の澄んだ目の奥で黒がひらひら揺れている。虫の翅の様に。

「ああ、もちろん」

 首を縦に振る。少女がようやくその目にかすかな光を生みだしたその時だ。遠くからどたどたと喧しい足音が近付いて来る。統率されていないそれらは閉じられた障子の前でぴたりと止まった。

「邪魔しますよ」

 断りなく開かれた障子の向こうには、今しがたお天気雨に降られたように陰鬱で、目の下に隈を作った三十路過ぎくらいに見える男が細巻きを吸いながら立っている。気配は薄いながらに異様に存在感のある男で、彼の後ろには山賊かと見まごう風体の男たちが洋服に身を包み、直立不動の体制を取っていた。カタギではなさそうだ。

 男は深々と煙草の煙を吸い込んで、ぷはあと極上の酒でも飲んだかのごとく灰色のそれを吐き出し少女に目を留めた。

「あんたが弁財ベンザイお嬢様ですか」

「……、そうですがあなた方はどちら様ですか」

 男は持っていた煙草を隣にいた男に渡して、あちこちに跳ね返った髪を苛々した様子で触っている。

「困るな、あんたのところのお父様も。こっちが説明する手間暇が食っちまうじゃねぇか……」

「お父様……? ご商談相手の方ですか」

「いいえ。商談っていうのはある意味当たっていますがね」

 俺と少女はお互い話が呑み込めないという顔を合わせた。その間に男は少女の部屋の中に足を一歩踏み入れた。

「初めまして、弁財お嬢様。此のたび、貴方のお姉様であられる七宝お嬢様とご縁がありご婚姻のお約束を頂きましたタツミ組の女川オナガワと申します」

「……、姉さんの婚姻相手?」

 少女の顔に困惑の色が浮かぶ。その様子を見る限り、姉がいったいどこに嫁ぐのかも聞かされていなかったのだろう。だが、今の問題はそこじゃない。嫁ぐ筈の七宝がいない当家に一体何の用があって婚姻相手がやって来たのか、だ。

「ああ、ほらな。だから俺はあんな文福茶釜のたぬきみたいな親爺と話を持ちたくはねえって言っただろうが」

 男は頭を掻きながら背後の若い男たちに愚痴を零す。

「すでにご存じのとおり、俺の婚約相手は婚前にとんずらをこいちまった訳で。俺としても一刻も早くお姉様が見つかって欲しいという気持ちはあるんですけどね、このままっつうのは頂けない。巽の面子が許さないんです」

「……、私たちにどうしろと」

「なに、簡単な話です。弁財お嬢様、貴方が七宝お嬢様の代わりに巽組に嫁げば良いのです」

 少女は寝耳に水だったらしく目を丸くして驚いている。

「貴方のお父様とも何度かお話を重ねさせて頂いていましたが、先ほどようやくご承諾を頂けました。こうも骨が折れる商談は久々でしたな。どうもあのたぬき親爺はお姉様よりも貴方の方を渡したくないようで」

「私には、……何もありません」

 男は眉間に皺を寄せ、「もうちっと大きな声で喋ってくれませんかね。そうぼそぼそとぶんぶん飛び回る蚊の方がまだよく聞こえますよ」

「……、私は! 確かに姉ほど頭が回る訳でもありません。容姿もご覧のとおりです。けども私が代わりに嫁ぐことで姉のことやお父様のことをお許し頂けるのであれば」

 その先を言ってはいけない。首を何度も降る俺を一瞥してから少女は畳に両手をつき頭を下げようとしていた。男は自分より一回りも二回りも年が下の子どもの行動を冷ややかに見ている。為す術がない俺は来る当てもない「誰か」を心の中で呼び続けた。

 すう、と息を吸う音が隣で聞こえる。ああ、もうすぐその言葉が出される。少女が鎖に繋がれるその言葉が。

「おい、手前何して」

「馬鹿! 何やってんだ……、ぎゃっ」

 外が騒がしい。男がまどろっこしそうに背後を振り返り、少女もまた顔を上げた。羽交い絞めにしようとする大人たちを跳ねのけ、新たに部屋に闖入したのは俺より頭一つ分背が高く、短く整えられた髪とやや灰がかった黒目の青年だった。

 誰だろうか、彼は。「千」

 よく響く名前は少女の口から出た。そしてその目は青年へと向けられている。彼がそうなのか。俺は一人納得していると青年は表面上は静かにだが、今にも食い掛かりそうな勢いを持って男を睨みつけた。

「誰の許しがあってこの場に踏み込んでいる」

「もちろん、当主様からです。俺は先代とは違って、周りに迷惑をかけずにきちんとしたい方なのでね」

 千という青年は「七宝お嬢様の次は弁財お嬢様か」と憎々しげに漏らした。

「商談相手の威厳を傷つけない為に申し上げておきますが、抵抗はされましたよ。お姉様の時以上には」

「飲めば同じこと」

 青年は言葉をばっさりと斬り捨て、少女を護るかのように男の前に立ちはだかった。

「お嬢様、このような縁談話受けてはいけません。やくざ者の約束なんてその場限りで何時てのひらを返すか」

「随分と言ってくれるじゃないですか。でもそれじゃこちらも困る。弁財お嬢様はご存知か分かりませんが貴方のお父様はここ最近ことごとく商談に失敗なさっていらっしゃる」

「お父様が?」

 これも少女には聞かされていなかったらしい。

「ええ。一代でなした事業にも首が回らないほどにはね」

「そんな。だってこの間、七福シチフクさんからあんなにお金を受け取っていたのに」

「ああ、あのはした金。あれでは一日の利息を払うだけで二日と持ちませんな」

 少女は唖然とし、額に手を当てる。

「お父様はいったいあなた方から幾らお金を借り受けたのですか」

「貴方とそこの坊ちゃん二人分の人生足しても足りないような額ですよ。……さ、無駄話もここまでで良いでしょう。おい、お前ら」

 後ろに控えていた男たちが合図で部屋の中へと入り、青年を羽交い絞めにした後、少女を立たせる。

「行きましょうか、弁財お嬢様」

 少女は反論する気を削がれてしまい、悔やんだ顔で「お父様や姉さんの役に立てるのであれば」と答えるのがやっとの様子だった。が、それを聞いた男は何が気にくわなかったのか、男に負けず劣らずの陰気くささで応える少女の頬を片手で掴む。

「立てるのであれば、じゃねえよ。立たなきゃお前みたいなのに『生きる価値』はねえんだよ」

 冷ややかな言葉が少女に浴びせかけられたと同時に、男が目の前から消えた。いや、正しくは庭に滑り落ちていた。青年が頑強な男たちの手から逃れ、男に体当たりを決めていたのだった。

 青年は再び男たちの手に捕まり、拳を振るわれようとしていたが男がそれを止めた。何故か、面白おかしそうに。

「坊ちゃんよ、お嬢様が家族の不始末つけようと決心固めてんだ。水差すなや」

「いけしゃあしゃあと、そうなるようお前が誘導しているんだろうが! 第一に旦那様の不始末を何故お嬢様がたが払わなくてはいけない!」

「おいおい、この嬢ちゃんたちはこれまでずっと父親の甘い汁だけ吸ってここまで育ったんだぜ。そのツケを払うのは娘として、いい暮らしをしてきた令嬢として当然だろう。なぁ?」

 少女は彼らの会話の中ではっとし、おそるおそるに口を開いた。

「姉さんもそうなのですか? 姉さんも私と同じように、いいえそもそもこの縁談の始まりはお父様が貴方がたから借りたお金が原因なのですか」

「そうですよ。加えていうなら、貴方のお父様は巽組の後ろ盾も欲しい様子でしたけど」

 がっくりと少女は項垂れる。「七宝姉さん」耳に届く声は涙声だった。男は顎を無言でしゃくり、部下である男たちに少女を連れて行くよう命じている。

「待て」

 静かに、しかし有無を言わさない圧を持った声が上がる。そう言ったのはあの青年だった。男は青年を振り返らないまま、「この期に及んで一体何だ?」と七面倒くさそうに聞く。

「……、お前たちは本当に巽組なんだな?」

「ええ、そうですよ。巽組で間違いありません」

 青年はそれを聞き、目を細めた。

「分かった。なら、俺のどこでもいい。お嬢様と旦那様の肩代わりに好きな場所を持って行ってくれ」

 俺は目を点にした。少女も泣き面を隠さず上げて、青年を見つめた。男は青年をまじまじと見た後、「ああ、お前が千か」と得心がいったように何度も頷いている。

「ははっ、お前ならうちの親父と坊ちゃんもお気に召すだろうよ。おい、てめえら準備しろ」

 ドスの低い相槌が出されたかと思うと、青年は引きずられるように部屋の外に連れ出された。外で青年は屈強な男たちに押さえつけられ、玉砂利が敷き詰められた上に沈んだ。その内一人が鞄の中からおもむろに鉈を取り出し、「どこにしましょうか」と今日の夕飯を決めるような口調で男に尋ねる。

「そうだな……」

 男が青年の体のどこかを決めているその時、俺の視界が湿気で曇った窓ガラスのようにぼやけ、青年の片腕が赤く大きく膨れあがって見えた。絵巻に出て来る鬼の腕のようだった。

「こっちの腕だな」男は俺が見た鬼の腕を指した。それからふっと顔を上げて、「おい、嬢ちゃんも連れて来い」と指示した。

 少女は逞しい男に片腕を引っ張られ、抗う事も出来ず庭へと連れて行かれ、玉砂利の上に座らされた。力弱く見返す少女に向かって、「坊ちゃんが男張ろうってんだ。お嬢ちゃんは特等席で見てやんないといけないよな」と男は笑った。男たちに押さえつけられた青年はいくつもの手の下でもがき、「ふざけるな!」と声を荒げる。

「ふざけちゃいないさ。俺ァ、餓鬼の頃から巽の親父にそう習って来たし、坊ちゃんには……」

 男が言葉を失くすと周りの男たちは変なものを食った顔をする。「ま、いいんだ。俺の話は。なあ、嬢ちゃん。あの坊ちゃんはあんたやあんたの姉さん、あんたの馬鹿親父が拵えたものを一人で肩代わりするっつうんだ。それならたかだか男の腕一本削ぎ落とされる様見るのなんて訳ねえだろ?」

 支離滅裂だ。現に少女の顔は青ざめ、最初から日に焼けていない肌が白さを通り越して青く見える。そう、どこかで見た青の一つに。……、あれこの色はどこで見たものだっけか。

「それとも、二束三文の値札ぶら下げて売られる方がいいか?」

「……、あなたは人ではありません」

 歯噛みする少女の反撃を男は笑って許した。

「そうだよ、俺は巽の子だよ」

 青年の腕は板の上に出され、まな板の鯉の状態だ。年嵩の男は持っていた注射器の中身を青年の腕に注入し、「で、腕はどうするんですか」

「親父と坊ちゃんに差し上げる」間を置かず返ってきた男の返答に、それ以上の問はない。年嵩の男は人知れず溜息を吐いて、青年の口に布を詰め込んでいる。

「いつでもいい」

 その言葉を聞き、男は犬歯を見せた。本気なのか、この男は。

「にいさん」か細い声が飛び振り返る。少女が情けなさでいっぱいの顔を何度も上げ下げを繰り返している。そうしてやっと言うべき言葉を探し当てれたのか、「……っ、……、たすけて」

 『誰』を、が抜けた哀願だった。きっと彼女が助けたいのは自分以外の誰かであって、自分のことは初めから勘定に入れていない。彼女に悪気はない。見ようにもよれば尊い選択ですらあった。

 が結果として誰かを泣かせる。そして尊ばれる選択をした本人は台風の目のごとく無自覚に周りを巻き込んで、なお犠牲になろうとする。腕を切られようとしている、彼の様に。

 庭に散り散りになった大人たちの位置を把握し、この場にいる荒くれ者たち相手にどう立ち向かおうかと考える。若いながらに護衛として任された青年でも、いや彼の場合は少女を護らなくてはという理由があったからだとは思うが兎に角、めっぽう強そうな連中だ。腕に覚えがない俺に勝ち目はほぼない。むしろ返り討ちにあうだけだろう。

 だが、少女があんな顔をしてまで頼むのだし、あの子の厄介な性分もなおさなくてはいけない。彼女が七宝や千ときちんと話をする、その為にだ。

 そっと部屋から抜け出し気付かれぬよう庭に植えられた椿の生け垣の後ろへと身を潜めた。そのまま青年の腕を斬り落とそうとしている男の後ろへと回る。内心、気付かれてしまった時に起こることが目に見えてひやひやとした。陰気な男が短くなった煙草から煙を吸い取り、「ふー」と蝋燭でも吹き消すかのように長く息を吐いている。

「やれ」

 掛け声と同時に、俺は高く鉈を翳した男の背中へと走った。が俺の体は男の体を綺麗に

「え?」

 短い疑問符が他でもない俺の口から出た。俺は受け身すらまともに取れず、角が削られた玉砂利の上に派手に転んだ。だがそれでも誰一人俺のことを見るものはいない。最初から何もなかったかのようだ。

 呆然としたまま少女に顔を合わせると、彼女は唇を噛み締めくたりと項垂れた。「ごめんなさい、ごめんなさい夢路兄さん」

 どうして少女が俺に謝るんだろう。謝ることは何一つとしてないのに。

「   」

 誰かに呼ばれて声を追うと、あと何秒かの内に腕を斬り落とされる青年と目が合った。

「    」空白だった。言葉としての形を持たないまま、音でもない。

 何を言っているんだと聞き返すことだって出来た。でも青年が何を言いたかったのか、俺は何故か分かってしまった。俺はその場に座り込んだ体を反転させ、少女の元に走る。青年の腕に凶器が振り落されるその一秒前へと。

 悲愴の色が濃く浮き出る少女の顔に向けて、手を伸ばす。澄んだ瞳が大きく開く。映ったもの全てをその身に宿す鏡のような目に赤が噴く様が映った。筋骨隆々とした鬼の腕はだらだらと血を腕に這わせながら男の手に掴まれぶら下がっている。彼だ、千の腕だ。

 悟る俺の目の前で、少女の瞳の奥から「ぱりん」と砕ける音が響いた。澄みきっていたその目は硝子玉のごとくひび割れ、割れ目から赤い液体を伝わせた。

 少女は瞼を閉じ、か細い声で問う。

「兄さん、どうしてみんな不幸にならなくてはいけないの」

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