アメーバー吸収実験その顛末
『えー…、間もなく三番ホームに電車が参ります。危険ですので、線の内側に入りお待ち下さい』
プルルル……。甲高い効果音が建物の中に響いてすぐに俺は目を覚ました。ぱっちり開いた瞼にはまだ睡魔が残って、俺においでおいでと手招きしていた。上空には虹のように弧を描く青にび色の曲線が見え、曲線と曲線の間に出来た透明な空間に灰色の空から白い雪がはらはらと舞い、端っこを白くさせている。
息づく寒さに、ようやく頭が冴え始める。そういえば俺はどうしてここにいるんだろう。
駅にいるのだからどこか遠くへ出かけようとしていたのは違いないだろうが、それにしては手荷物らしきものがどこにもない。しかもどういう方法でここまでやって来たのかも覚えていなかった。
毎度のことながらに、俺は俺自身に溜息を吐く。本当にどうしてこうなんだろう。
ガタン、ガタン。鋼鉄製の巨躯を揺らし、電車が向こう側から駅内部に入る。あらかじめ指定されている場所には、人々が列を成して待っていた。俺もその末尾に行くべきかどうか考えていると、ごちゃついた人の中に冬日の厚い雲の中からわずかに差し込んだ光に照らされ、てらてらと輝く黒髪の少女が混じっていた。その後頭部には金色の刺繍がされた濃緑色の大きなリボンが蝶の羽ばたきのように揺れていた。
……? 小さな違和感を飲み込んだ瞬間、少女の体が倒れて速度を殺しながらも突進する電車の先頭の前へと吸い込まれた。
「――キャアアアア!」
悲鳴が場を席巻し、綺麗に作られていた列が掻き卵のごとくしっちゃかめっちゃかになる。
ある人は顔を強張らせながらも興味深げに線路を覗き込み、ある人は苛立たしそうにポケットから端末を取り出して、どこかに電話をかけている。
「そんなに叫ぶ必要ないのに、人ってどうして無駄に脚光を浴びたがるんだろう」
悩ましげな溜息と共に耳元で囁かれる声は甘く、不思議な閉塞感があった。瞬きを一回、声が聞こえた方へと向ける。と、今の今まで誰も座っていなかった席に青みがかったクリーム色の制服を着た少女が座っていた。
驚くことに、その少女は今しがた線路に落ちた少女と同じ髪型でその頭の後ろにはあの少女とまったく同じリボンがあった。少女は口を丸く開き何も言わない俺をちらっと見て、「この状況を見るに、お兄さんも一緒みたい」と笑う。
「お前、……さっき線路に」
「うん、落ちたよ」
「じゃあ、どうして生きているんだ?」
「だって私、あの子じゃないもの。一時はあの子だったけど、あの子でいるにはもう飽きちゃったから”次”を探そうと思って。ほらちょうど頃合いだったし、そろそろいいかなって落として来たの、線路に」
「落として来た……?」
腑に落ちない顔をする俺の横で、少女はぴょんと立ち上がり暢気に背伸びをしている。脱力をした腕は後ろで結び、人探しをするかのように視線をきょろきょろと動かしている。
「何か探しているのか?」
「ん? うん、次をね」
「次?」
「そう、お兄さんと一緒」ステップを踏み、少女は振り返る。「目的は違うけど私とお兄さんは同族なの」
ますます意味が分からなくなってきた。「あ、ねえ夢路お兄さん。あの子、どう?」腕組する俺の肩を掴んで、少女は人身事故が起きて停車を余儀なくされた電車近くを指さす。
彼女が指さした方には、電光掲示板を見上げるすらりとした体躯の少年……、いやスカートを穿いているから少女だろうか。繊細さとはまた異なる空気の薄さのようなものを纏ったその少女はしばらく電車が動かないことを伝える電光掲示板を眺めた後、自分の手首を見る動作をし、すこし考えて駅の階段へ歩き始めた。
「お兄さん、早く追いかけないとあの子見失っちゃう」
「見失ったっていいじゃないか。それともお前、あの子のことを探していたのか?」
「……、いいえ? ちょうど目についただけ」
「分からないな。もしあの子を追いかけてお前はどうするつもりだったんだ?」
「私があの子になるだけだよ、お兄さん」
さも悪いことじゃないと言いたげな口ぶりで少女はにこにこと微笑む。俺は冗談だろうと思い、鼻で笑った。
「どうやって? お前はお前で、あの子はあの子じゃないか」
「そうだね。けどお兄さん、コインの入れ替えマジックを思い出しても見て。観客の前であざ笑うみたいに、手品師はコインを別のコップに入れ替えることが出来るじゃない」
「あれはコインだろう。人格を入れ替えるなんて芸当が人間に出来てたまるか」
それを聞いて、少女はゆっくりと振り返る。
「じゃあそれが出来てしまう人間はなあに?」
問いを投げかけた少女の目は驚くほど、暗く淀んでいた。
「まさか本当にそんなことが出来るのか」
「出来るよ、さっきからそう言っているのに。ねえお兄さん、それよりも答えて。そんなことが出来てしまう私は人間じゃなかったら、何になるの?」
「それは」口の端を噛むと少女がぷっと噴き出す。俺は呆気に取られた。彼女は笑い涙を掬いながら、呆然面した俺にこう言った。
「化け物でしょう、お兄さん。私だってそれくらい知ってるよ。自分のことなんだから」
「俺はそんなことが言いたかった訳じゃ」
「それも知ってる、だってお兄さんだもの」
よく分かっていると感じるべきか、馬鹿にされていると思うべきか。難しい顔をする俺の耳に「お揃いよ」と寂しげな声が届く。彼女の白さが際立った輪郭が俺の目には何故か二重に見えた。
少女は先ほどいた少女のように電光掲示板を見上げ、ふうと小さく溜息を吐き出した。
「さっきの子は諦めるから外に出ましょう。どうせ電車もしばらく動かないみたいだし」
「怒っていないのか」
「何を?」
彼女は黙り込む俺を見て、悪人面を浮かべる。
「私、お兄さんのそういうところがとても好きよ。泣き出したいくらいに」
俺は何も言い返せなかった。
「迷子にならないようにね」
そう告げて、少女は階段に雪崩のように進む人々の中に混じった。俺も上手いこと、その流れに入ろうと思ったのだが、外へと押し退けられるばかりだった。難しいもんだな、こういうのも。
「はい、退いて退いて。野次馬なんかしなくていいから」
俺に言われたのかと思って後ろを向くと、柿茶色のコートを着た四十代くらいの男が中腰になって線路の中を覗いている。何を見ているのか気になり、男の背後に回り一緒になって線路の中を確認した。
制服姿の人が何人か線路に降り立ち、電車の下に頭を突っ込んでいる。「大丈夫そうか」「ああ、今行く」そんな会話が聞こえて、鋼鉄仕掛けの腹の下から人が一人頬っぺたの辺りを汚くさせて出て来た。「そっち持ってくれ」「ああ、分かった」声をかけていた一人が応じて、一緒に電車の下から何かを引っ張っている。大きなカブの一幕のようだった。
が、出て来たのはそれとはまったく異なるものだった。赤黒く汚れてしまった濃緑のリボン、遠目にもじっとりと濡れた黒髪、青くくすんだクリーム色の制服は赤を吸い上げ所々まだら模様になっている。
ああ、あの子だ。線路に落ちた。あの少女。
納得すると同時に、俺は変なものを見てしまった。汚れた制服の袖から覗く手からは赤藤色の茎とうっすら銀色に輝く蕾を咲かせた植物が生えているのだ。あたかも御印のように。
「またか」と男は呟き、紺色の制服と帽子を被った一人に尋ねる。
「ホトケさんの死因は?」
「は。詳細なところは先生が来てから見て頂く予定ですが、電車と接触しての衝突死ではないかと」
「だろうな。車掌の話じゃ、ブレーキは間に合わなかったそうだが上手いこと線路の溝の中に落ちていたそうだ」
「となると、またでしょうか」
男は苛々とした様子でコートの内側に手を突っ込み、箱の中から煙草を一本抜き取り口に咥える。
「たく、どうなっていやがる。ここ最近の連続死は」
「報告だと、被害者はすべて十代後半の少女たちばかりだというところも引っかかりますね。自殺、なんでしょうか?」
「自殺にしちゃあ変だし、若い嬢ちゃんたちばかりっていう辺りが妙だろう」
二人の男の話と担架に乗せられ運ばれる少女の亡骸に生えた植物が目と耳から焼き付いて離れなかった。俺は男たちに気付かれないようそっとその場から離れた。階段を入れ違いで上り下りする人の数は相変わらず絶えていなかったので、流れの激しくなさそうな端に寄る。
階段を下りながら頭に浮かぶのはあの少女のことだった。推測だが、ある種の確実性を持って言える。
俺のことをお兄さんと呼ぶ少女が語ったように、あの子は線路で息絶え手足に植物を実らせていた少女のような存在を一人量産し続けているのではないか。
いや、だけどどうしてあの子はそんな理不尽な真似をしなくてはいけないのだろう。
ふっと前を向くと、壁に背を預ける少女を見つけた。彼女もすぐに俺に気付き、「お兄さん」と駆け寄って来る。
「悪い、待たせたな」
「いいよ。ちゃんと見つけられたから」
こそばゆそうに少女は微笑み、俺の手を掴み改札口を出た。周囲は制服の異なる学生とスーツ姿の大人たちで溢れている。少女は何処へ行くのかも言わず、その中を突き進んで行く。
「何処へ行くんだ?」
「次の子を探しに」
即答だった。
「どうして探すんだ?」
「どうしてって今のままじゃ私はただの抜け殻のままなんだもの]
「抜け殻」
「そう。誰の目にも止まらないし、誰の耳にだって声が聞こえないの。それは困るでしょう」
「……? 俺は見えてるし、聞こえてるけど」
「だって
「変な納得の仕方だな」
「事実だよ。この世界での、たった一つ信じていい事実」
口をへの字に曲げて、顔を顰める。
「知らない内に俺も大層なものになったんだな」
「そうね、お兄さんが忘れちゃうだけでいろんなことがもうとっくの昔に決まっているよ」
はにかむこともなく前だけを見つめ、そう言い切る少女にどきりとした。ばつが悪くなり、俺は頭を掻いたその時だ。
「どうしてお前は抜け殻になったんだ?」
口から転がり出て行ったそれにはっとする。そうだ、そもそもどうして彼女は今の状態になったのだろう。少女は落胆したように首を傾けこちらに背を向けていた。
「どういう理由だったらお兄さんは私の味方になってくれる?」
「……、俺の顔をちゃんと見れたら」
大きな溜め息を吐き、少女は恨めしげに俺に顔を見せた。
「俺はお前の味方のつもりだよ、最初から」
「こんな私でも?」
「ぐうすか寝てばかりの俺にも、お前は愛想をつかしていないじゃないか」
少女は臍を噛んだ風に、悲痛な面持ちを浮かべる。
「お兄さんが寝ているのと、私とじゃ訳が違うよ」
「じゃあその訳を教えてくれないか」
「……、嫌われる自覚があるから言いたくない」
「寝てばかりの俺に?」
「問題じゃないわ、そんなの」
切れ口よく言われ、俺はそんなものなのだろうかと一人ごちた。その傍らで少女は悩ましげに、弓形の眉根を寄せて「私は探してるの」
「次の子を?」
少女は力なく首を左右に振る。
「自分を、なりたい自分を探してる」
ナリタイジブン。舌の根で転がすと、それは不思議な響きを持つ言葉だった。なんとも魅力的で、けれどどこか残忍さすら感じ、放っておけばすぐに飽和してしまう。そんな類のもの。
「見つからないのか」
「そう簡単に見つかるものじゃないよ。じっくり時間をかけて、探さないと見つかりっこなんかない。それによく見なきゃ、なりたい自分にそれは必要でこれは必要ないって判断する目が必要なの」
少女は自分に言い聞かせるようにいった後、ゆっくりと顔を上げ、「神さまって残酷よ、お兄さん」と漏らす。
その一言で、俺は自分の腹に刀を柔らかく押し当てられているような気持ちになった。
「お前は、お前じゃないか」
「そうだよ。だからたまらなく嫌なんだよ。あんな自分なんか」
「……? 今のお前はお前じゃないのか?」
少女の目がこちらを向いたかと思うと、白い顔が皮肉気に歪んだ。
「それって、外面の話? それとも中身の話?」
鼻白んだ俺から視線を逸らして、少女は呟く。「私は私」、と。そして狂信者もさながらの冷え冷えとして眼でちかちかと眩しい天井を仰ぐ。
「お兄さん、私ね何もなかったの。本当に何もよ。いつも指さされて石を投げつけられて、横を通り過ぎただけでくすくす笑われて堂々と外を歩くことも許されなかった。それでも大きくなればなるほど、外に出なくちゃいけないことは増えて行って毎日うんざりして監獄みたいな部屋の隅っこで神さまに愚痴を零していたわ」
くるりと少女が振り返る。熟れたすももの皮のように透き通った唇がぱくりと開く。
「どうしてこんなにも私の人生は地獄なんですか、って。当然、神さまは答えをくれなかったけど私はどこかで神さまが笑っているような気がしたわ」
俺は考えた。何故、神が少女のことを指さし笑うのか。少女の人生があんまりにも惨めだからか。それとも激励 のつもりでだろうか。……いや、そうは言っても笑う必要性は感じない。むしろ逆効果と言っていい。どうして俺はこう頓珍漢なことを思うんだろう。
「お兄さん、私一つだけ嘘を吐いたわ」
「嘘?」
「さっき私は私のことについて、コインの入れ替えマジックみたいって言ったでしょう」
「ああ……、言ってたな」
「あれ、本当は違うわ。私は他人の美味しい汁だけ啜れるの。寄生生物みたいに。一方的に気付かれない内に奪って、要らなくなったら何もなかったみたいに捨てる。私が神さまに貰えたのはそんな身の丈に合わないものよ」
その説明で俺の中にあった疑問が綺麗に消えた。険しい顔をした男がその顔をさらに厳しくする少女の死体の理由も。何故、捨てる必要があるのかということも。
「お前は知っていてやったのか」
少女は俺が向けた視線を真正面から受けた。
「そうだよ」
「なりたい自分を探すために?」
「……、そう。あのねお兄さん、なりたい自分って個体として出来上がってるんじゃないんだよ。人それぞれ一個一個いいなあと思うところがあって、私はその一個ずつを拾い上げてる……っていうのは理由にならないね」
彼女は笑わなかった。ただ口を閉じた俺を見据えた。
「私が最初にいいなって思ったのは同じ級 《クラス》の子だった。春が来て溶け出す雪水みたいに涼しげな雰囲気がよくて、石膏像みたいに真っ白な肌がとても羨ましかった。けど奪おうなんて思わなかった。それはその子のだから。それに私がその子のものを奪ったらどうなるか、私うすうす分かってたもの。だから絶対にそんな真似しようとしなかった」
「じゃあ、どうして」
「夏の日よ。外は雨が降ってたのだけど私、傘を忘れてしまったの。雨が止んでくれたらいいなあって教室でぼんやりしていたら、あの子が教室に入って来て『あなたも雨が止むのを待っているの?』って初めて話したの。変だよね、初めてなんて。もう級が同じになって半年が過ぎていたのに」
「機会がなかったのか?」
「私、今まで視界に入れて貰えてもいなかったから」
呆気なくそんなことをいう少女を俺はまじまじと見る。
「きっと周りに誰もいなくて、あの子の目には雨が上がるのを待つ私が無様に濡れる犬みたいで惨めに映って、話してもいいかなって思ってくれたんだと思う。すこし話を続けていたらその子が言うの。『今まで言ったことなかったけど、私はあなたのその茶色の髪とビー玉みたいな水色の目がとても好きなの』って」
言われて少女の姿を見るも、「もう私は持っていないものよ、お兄さん」と返される。
「初めてだった。自分が嫌だって思っていた部分が羨ましいって言われるのは。しかもそう言ってくれた子は私も欲しいと思っていたものを持ってた。お兄さんだったらどうする? 交換はしない?」
「その交換は平等じゃない、そうお前が言ったんじゃないか」
「言ったね」
「だったらどうして」
「どうしてだろう。……嬉しかったからなのかな。私のものでも欲しいって言ってくれる奇特な人がいて。すごくうれしかった。最初は本当にそんな気分だった。すっかり自分がよく知っていたことも忘れて、『……じゃあ、交換する?』って、私は教典に登場する悪魔みたいににやけるのを堪えてあの子に一人しか得をしない話を持ち掛けてた」
少女の顔に影がかかる。暗い影だ。
「きっと断るだろうって、そうあってほしいって。そうでなくても可笑しそうに笑って、『冗談でしょう』って言うんだろうなって少なくともその時の私は思っていた。だけどあの子は私が羨んだあの綺麗なそばかす一つ散ってない顔で、『いいよ』って頷いたの。吃驚したけど、その時はもう目の前に吊るされた宝物を逃さないよう必死だった。声は上ずっていないか、表情はぎこちなくないか。一個一個確認しながら冗談めかして、けど手離さないって強く願いながらあの子を盗ったわ」
俺は項垂れた。「その子は?」
「秋の日に大烏の羽みたいに黒々した髪を持った子と出会ったから、お別れしたの」
「その子には、話したのか?」
「話さなかった。もう話そうと思わなかった。嵐みたいに奪って行けばいいとそう思ったから」
「……、今のお前はいったい何人なんだ」
少女は自分の両頬に手を当てる。「九人……、かな」
九人の欠片をたった一人の少女のもとに寄せ集め、出来上がった目の前の少女はもういない少女の自慢であったろう墨色の髪をさらさらと揺らした。
「夢路お兄さん、私のこと嫌いになった?」
「嫌いにはならない。ただ」
「ただ?」
「もっとやり方が無かったかとそう思うだけだ」
「そっか、やっぱりそうだよね」
首を落す少女の体が二重に見える。目がおかしくなったのだろうかと思い、瞼を擦っていると「どうしたの」と少女から声がかかる。顔を上げて見た少女の顔は透過された人の顔が幾つも重なり、瞳は色が混じりあい濁り汚れて、髪の毛は針を捻じ曲げられた山嵐の如く荒れていた。
「……、お前は誰になったんだ?」
「意地悪な夢路お兄さん」
奪って来た少女たちに自分を贄のように与えながら、少女は他人からの借り物の細い指先で俺の額を弾く。
「私は、もう誰でもないよ」
達観した台詞は胸にやけに響いた。「そんなことない。まだ間に合うはずだ」口惜しみのような言葉を吐く。
「無理だよ、そんなの」
「無理じゃない。だって……、お前はお前なんだから、元の抜け殻にしてきた体があるはずだろう」
なあ、と問いかけると少女は顔を背ける。嫌な想像が頭をよぎった。
「嘘だろう」
問いかけた相手は答えない。「あー、まっくん。もうすぐそいつ進化するんじゃね?」「へへーん、いいだろー!」子どもたちの騒がしい声がする。
「私が盗ると、いつもそうなの。みんなまともに生きれなかった。それは私も一緒」
掠れた声に、線路に落ちた少女の体に生えた植物が思い出される。
「それにお兄さん、今更だよ。こんなに取り込んじゃってるのに、私はどんな顔で捨てた自分に戻ればいいの?」
「げぇっ、変なのに進化しちゃった」子どもが落胆する声に少女の声が追従する。
「そうだよ。私に後戻りなんて許されないよ。散々人のものを盗って来たのに、反省するって子どもっぽい理由でゲームみたいに簡単にBボタンでこれまでをキャンセルは出来ないし、主電源を落とすことなんかもっと出来ないよ」
体を震わせる少女は揺れる水面を真似て、一つに収束する。その姿はかつての「少女」ではなく、今までに出会った少女たちでもなく、「なりたい自分」に必要な素材を集め出来上がった合成体だ。
が、その美しい顔にもパリッと亀裂が入った。小さなひびは彼女の全身をあっという間にめぐる。そうして隈なく不格好な割れ目が出来ると少女を作っていたものが端から削げて落ちた。
「お前はやっぱりお前だよ。そしてほかの子もお前と同じように、その子なんだ。他人が奪う事なんて出来ない、あっちゃいけない唯一無二なんだ」
ひび割れた奥にあった浅黒い肌に茶色の髪の毛がかかる。が、そこにもひびは届いていた。少女はそのことに気付いているだろうか。
「もし……、もしもお前が嫌だと思っていたお前の頃には大切に持っていてくれていたものを今度は忘れずに、手離さず大切にするってその子たちに誓って許して貰えるのなら、お前は後戻りをしたっていいんだよ」
ぐっと拳を握りしめ、「俺も謝る。お前が許して貰えるまで、汚い言葉を吐かれたってめげないし、折れないから」
少女は水色の目を瞼で隠し、誰かに語り掛けるようにぽそりという。
「どうしてもっと早くに気付かなかったんだろう」
開いた瞼に収まった瞳はぐるぐる揺れる。
「きっと神さまはそのことを笑っていたんだね、お兄さん」
と、少女の体に矢が落ちた。いや、正確には矢のような形をした稲妻だ。その証拠に「ぴかっ」と雷音が遅れて鳴った。それはまるで神の鉄槌が下されたかのごとく――あるいは、誰かの罰が雷となり降ったかのようだった。
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