第56話 八代頂上決戦

 国兼からの書状を読み終えた島津歳久は、側近の本田四郎左衛門を呼んだ。

「状況が変わった。作戦を変更して本日佐敷城へ向かう。すぐ兵を集めよ。大野、荒尾へも、兵を集めて直ちに佐敷へ向かうよう使いを送れ。」

 四郎左衛門は顔を紅潮させて一礼すると、出陣じゃと呼ばいながら駆け出した。

歳久は天守から北を眺めぽつりと呟いた。

「八代での戦、ほどほどに戦って引ければよいが。相手が相手じゃ、そうもいかんか。」


「動かんの。」

 佐敷城に近い山中から、城内の動きを見て森山休蔵が言った。

「夜半に田尻但馬、東郷甚右衛門の兵が、北へ向けて大慌てで出て行ったが、国兼の兵は静かなもんじゃ。」

 平左衛門が、城中の遠雁の旗を見て言った。蔵人は腕組みをしたまま、じっと何かを考えている。珍しいことだが、最近この男は考え込むことが多くなった。柄にもなく何か悩んでいるのかと思ったが、平左衛門は長年の友に、それがなぜかを聞き出せずにいた。


「殿!戦が始まってしまいますぞ。このまま、手を拱いて見ているだけでいいのですか!」

 太郎次郎が意見を言った。それは、大方の兵の声を代弁したものだった。

「まあ待て。今、敵の出方を山蜘蛛が探っているところじゃ。」

 目を瞑り、何事か一心に試行錯誤している国兼に代わり次右衛門が答えた。


そのとき、ぴりりりと天守の外で鷹の声がした。国兼が窓に近づき、右手を伸ばすと、白い鷹が舞い降りてきた。脚の筒に書状がある。目を通して振り返った国兼は叫んだ。

「出陣じゃ!凪沙と権六を呼べ、今から船で兵百を率いて八代へ向かう。」


「動いた!動いたぞ!」

 休蔵が叫んだ。

「兵を半分連れて行くようじゃな。」

 手をかざして様子を見ながら平左衛門が言った。

「どこに行くのだ?」

 船で出る以上、見当がつかない。休蔵と平左衛門は首を捻った。

「北じゃ!八代。長年の勘がそう言って居る。」

 久しぶりに蔵人が口を開いた。

「で、どうする。」

 民と留守居の百で守る手薄になった城を、我ら百名の精鋭で攻めるという手もあるがと平左衛門は思った。

「留守居と百姓が相手の戦なんぞ出来るか!我らも陸路八代へ向かうのじゃ。」

 蔵人の目がぎらぎらと燃えていた。


 八代での決戦に赴くにつき、国兼は軍を二つに分けた。豊臣軍との決戦に向かうのは、国兼、猪三、喜内、甚兵衛、三郎、半左エ門率いる百名で、本領川西村と、太郎次郎率いる川東村の兵の混成部隊である。城の留守居には、家老格の次右衛門と、忠助、民部の三名に加え、五郎丸も残された。民部や五郎丸を同行させないのは、馬や大弥五郎鎧の積み込みに時間がかかるからと言った理由だったが、置いて行かれた五郎丸の荒れ様は凄かった。

 もうひとつ、出陣に際して国兼がしたことがある。不殺の定めを解いたことである。命のやり取りをする野戦では、不殺は味方の重い足かせになるからだ。ただ、出来るだけ無駄な殺生はするなとの注文は付けた。


 舳先に立ち北を見つめる国兼の所に、今度は全身真っ黒の鷹が飛来した。

「今度は何の知らせでござるか?」

 喜内の問いに、国兼は書状を示した。球磨川北岸に展開する布陣図である。菊池勢は、但馬たちから豊臣軍近づくの報を受け、中洲の麦島城攻略を一旦諦め、川を渡って球磨川北岸に背水の陣を敷いた。先鋒は一法師軍千、右備えは広野軍千、左備えに但馬と甚右衛門の五百、本陣は親泰率いる三千で、併せて五千五百の兵が鶴翼に開いている。

 それより北へ二里ほどの、古麓城址付近に陣を構えた官兵衛は、菊池勢の構えを聞いて、同じ鶴翼で陣を構成するように命じた。先鋒は石田軍・蒲生郷舎率いる五百と肥前・肥後・筑後の地侍連合軍千、右備えは加藤軍・山内甚三郎千、左備えは同じく加藤軍・庄林隼人千、本陣は官兵衛、太兵衛率いる千三百、後備えに石田軍・島左近率いる百五十、それに伊達勢五十。

「伊達!伊達政宗が参陣しておるのですか!」

 喜内が驚きを隠せないように言った。遠く東北の大名が、たまたま太閤の御機嫌伺に肥前名護屋を訪れているとき起きた謀叛であったが、気を見るに敏なこの武将は、少ない数とは言え、自慢の鉄砲騎馬隊を披露するために参陣を希望したのだ。太閤秀吉が手を打って喜んだのは言うまでもない。

「それにしても、鶴翼に後備えとは妙な陣形ですな。」

 半左エ門の問いに喜内が答えた。

「おそらく、この二隊は、隙を見て敵の後ろへ回り込むための備えであろう。」

「しかし、後ろは球磨川ですぞ。」

 再びの問いに今度は国兼が答えた。

「官兵衛は、伏兵の応用を使うつもりじゃろう。先鋒、右備え、左備え一気に前方へ押し出し、頃合いを見て下がる。敵は相手が引いたと見て前へ押し出すじゃろう。そこで後ろに隙間ができる。」

 喜内は頷き、国兼に提案した。

「親泰殿へすぐに知らせましょう。」

 国兼は首を横に振った。

「それでは、敵の策を一つ潰すのみで勝ちにはつながらぬ。逆に敵の策を利用するのじゃ。」

 どういうことか、半左エ門も甚兵衛も耳をそばだてた。国兼は布陣図に筆を入れた。

「敵がこう押し出すとき、元々策じゃによって本陣は動くまい。すると、敵の本陣と他の敵との間に隙間ができる。そう、本陣は一時孤立するのじゃ。」

 一同、ごくりと息をのむ。

「わしらは本陣に近いこの岸から上陸する。本陣が孤立した隙をついて、敵に奇襲をかける。狙うは大将・黒田官兵衛の首、ただひとつじゃ。」


 「陣構え、整いましてございます。」

 太兵衛の報告に、官兵衛は(法螺)貝を吹くように命じた。勇壮な音色が響き渡り、先鋒、右備え、左備えが一斉に前進を始める。後陣では島左近、伊達政宗率いる騎馬隊が、左右に分かれて包囲の準備のため出撃した。床几に腰を下ろした官兵衛は、隣に立つ太兵衛が震えているのに気づいた。

「どうした。戦の練達たるお前が。」

 太兵衛は紅潮した顔で答えた。

「武者震いにござる。やはり合戦は良い。血が沸き立つ思いにござる。」

 官兵衛は興奮する太兵衛を呆れた顔でちらと見ると、再び前へ視線を戻した。本陣は敵から半里ほど北の小高い丘に設けた。ここからなら、戦場の様子が一望できる。見渡しながら官兵衛は別のことを考えていた。


 ふふん、梅北国兼めは、麦島城を餌に佐敷の軍勢を野戦に引っ張り出すという我が策にひっかからなんだか。せっかく菊池勢の中に間者を放ち、麦島城なら攻めやすいとの噂を流したのにの。まあよい、策はひとつではない。既に放った二の矢、三の矢で、まともに攻めては落とせぬ佐敷城を落としてくれようぞ。


「来たぞ!槍隊前へ。」

 敵先鋒は長槍を先頭に猛然と進撃して来る。一法師隊は弓で迎撃する間もなく、長槍での乱戦に巻き込まれた。味方の槍をはね散らかす勢いで、一人の武者が暴れ回っている。三成三家老のひとり蒲生郷舎である。武功目覚ましきこの豪傑は、明らかに戦いを楽しんでいた。

「ええーい、たったひとりに何をしておる。取り囲んで討ち取れ!」

 その叫びを聞いて、郷舎はいっそう楽しそうに笑った。


 右備え・広野軍は、敵・加藤軍庄林隼人隊に押し込まれていた。清正が鍛え抜いた加藤軍は野戦にも強い。しかも、率いるのは若年乍ら軍才を認められた庄林隼人である。兵たちは勢いに乗って本陣の方へと敵を押し込んでいく。

「だめだ、だめだ下手くそ!こう勢いに乗っては、官兵衛さまの策が成らぬわ!」

 隼人はひとり嘆くと、部隊に少しだけ下がるよう命令を下した。


 山内甚三郎率いる千は、田尻但馬と東郷甚右衛門率いる五百に押されまくっていた。田尻但馬は陣の先頭で、味方を督戦しながら槍を振るい、次々に敵を倒していった。

「踏みとどまれ!敵は我が方の半分ではないか。加藤軍の誇りはどうした。ここで踏みとどまらねば、策は成らぬぞ。」

 甚三郎の悲痛な叫びが戦場にこだました。


「敵が激しく押し込んできましたが、味方が押し返しつつあります。」

 親泰の報告にも、うつろな目をした龍姫は馬上で力なく頷くだけだった。

まったく、熊本攻めの敗戦がよっぽど堪えたのか、あれ以来姫は人が変わったようになってしまわれた。いつも、呆けたようにされているかと思うと、時折おびえた鼠のような顔をしてガタガタと震えなさる。すっかり、自信を無くされてしまったかのようにも見える。姫を元に戻すには、やはり勝つことじゃ。勝って自信を取り戻せば、以前のような姫に、菊池の当主らしくなられるじゃろう。

「勝ちましょう、ぜひ!!」

 親泰の力強い呼びかけに龍姫は、一瞬だが口の端を歪めて、たしかに笑った。


 ごんと荒々しく船が岸に付けられると、待ちかねたように兵たちがわらわらと上陸していく。目指すは、黒田官兵衛のいる本陣である。梅北軍は、甚兵衛抜刀隊十名を先頭に突撃していく。続くは喜内槍隊三十名、半左エ門槍隊三十名、三郎鉄砲隊十名、太郎次郎を中心とする国兼本隊二十名である。国兼は襤褸に跨り、降魔の槍を掲げた猪三を伴って、陣の最後列を進む。


「後方より、勢いよく近づく軍有り!」

物見の急報にも官兵衛は動ぜずに尋ねた。

「敵か?味方か?」

「旗は遠雁!敵襲と思われます!」

「梅北軍か。敵は少数じゃ落ち着け。本陣より太兵衛に千を割いて後陣に回せ。」

官兵衛は、にやりとした顔を軍配で隠した。こう来たか、こうでなければ面白くない。


「梅北勢が現れました。敵本陣を奇襲する模様!」

 伝令を聞いて親泰は奮い立った。

「よーし!反撃の機会到来じゃ。ものども、本陣も前線へ押し出すぞ。一法師隊と 共に敵中央を押し戻し、一気に本陣を突くのじゃ。」

 本陣は前進し、苦戦する一法師隊は勢いを取り戻した。蒲生郷舎を中心とする敵先鋒隊をじりじり押し戻していく。

「殿、本陣が奇襲を受けております!」

 郷舎の下に伝令が走った。

「わかっておる!何とかしたいが、敵は攻勢を強めてきた。今はそれを支えるだけで手一杯じゃ。」

 郷舎は、槍で突っ込んできた敵を殴り倒しながら怒鳴った。

 豊臣軍の右翼左翼も同様だった。中央同様に、梅北軍参戦に勢いづく敵を支えるだけで手一杯だったのだ。

「はやく左近殿に後ろを突いてもらわんと、このままでは前線が持たんぞ。」

 普段ひょうひょうとしている庄林隼人が、珍しく愚痴を言った。


「慌てるな!田舎武者どもに黒田武士の恐ろしさを教えてやれ!」

 母里太兵衛が槍を片手に、金剛力士像のように佇立して敵に立ちはだかった。母里勢千は、槍隊を前面に三列に縦深陣を為し、本陣へ敵を寄せ付けない構えである。

「寅!槍のかいくぐり方を覚えているか。」

「おおよ!言われるまでも無い。」

 隊の先頭を行く辰二と寅は、敵陣に躍り込みながら会話を交わす余裕があった。敵の槍を刀の嶺ですりあげると、返す刀ですれ違いざまに敵の胴を払っていく。胴で守られた敵の腹は斬れないが、打撃の衝撃に気を失う兵までいた。続いて他の甚兵衛隊士も同じように槍をかいくぐり、敵陣の真っただ中へ斬りこんでいく。その勢いに、敵陣が氷が砕けるように割れていった。最後に現れた甚兵衛は、踊るように軽やかに進み、群がる敵兵に当身を食らわせていった。


「おお、本陣への道が開いたぞ。」

「さすがは甚兵衛様じゃ。」

 後続の梅北軍で歓声が上がる。梅北軍は一団となって、母里軍に開いた割れ目に向かって突き進んでいく。


「敵の勢い凄まじく、止まりませぬ。」

 本陣への報告を、官兵衛は苦り切って聞いていた。初めて戦うが、ここまで強いのか。ただの島津の一部隊と軽んじたが誤りよ。

ふん、わしでも誤るか。口惜しいが、そろそろ本陣を移動せねば我が身が危うい。

 そのとき、新たな報告が入った。

「後方に新たな軍、騎馬百騎ほどが本陣目がけて突撃してきます。」

「敵の新手でしょうか?」

 近習が不安そうに聞いてきたのを、官兵衛は即座に否定した。

「敵にもはや兵力はあるまい。旗は?」

 物見が答えた。

「三つ葉葵にてそうろう。」


 その報告は、国兼にも届いていた。

「徳川さまが援軍に駆け付けられたのでしょうか?」

 少しうれしげに太郎次郎が聞いてくる。しかし、国兼は頭を振った。

「いや、そうではなかろう。」

そう言う国兼の所に、喜内と半左エ門が馬を寄せてきた。

「内府、やはり裏切りましたな。」

「まさに機を見るに敏、褒めた方が良いのかな。」

 少しふざけた半左エ門の言葉に国兼は頷いた。

「冗談はさておき、我ら二隊が徳川勢を足止めします。殿は甚兵衛隊に引き続き、黒田官兵衛めの首のみを狙ってくだされ。」

 国兼は喜内と半左エ門の顔をじっと見て言った。

「わかった。だが死ぬでないぞ。まだ早い。まだ戦いの序盤じゃ。」


 援兵に駆け付けた本多忠勝、井伊直政には、なんの後ろ暗いところも無かった。彼らは、この謀叛に我が主人が加担していようことなど、知りもしなかったのだ。

「黒田様の本陣が攻め込まれておる。直政、二列をなして騎馬ごと一気に敵に突っ込むぞ。」

「おお!!」

 忠勝の声に直政が応じた。徳川四天王最強を争う二将は、先陣を争うように敵目がけて突っ込んで行った。そこへ、敵の一部が命知らずにも立ち塞がって来た。百に満たぬ兵が、槍衾を並べ、騎馬の突入を防ぐ構えだ。

「こしゃくな!」

「忠勝殿、わしが先に出て槍衾を弾き飛ばし道をこじ開けるぞ。」

直政が速度を上げた。忠勝も遅れまいと馬に鞭を入れた。

 朱の甲冑で身を固めた直政の方が、一足先に梅北軍の所へ到達した。馬上で朱槍をぶんぶん回すと、勢いに任せて横に薙ぎ払い、並べられた兵たちの槍衾を崩していく。

「戦場に聞こえたる井伊の赤鬼!冥途の土産にしっかり見てまいれ!」

 今度は兵に向けて振り下ろした槍が、がきっと受け止められた。

平服に胴丸を着けただけの、驚くべき軽装の武士が、直政の朱槍を己が槍で受け止めていた。ふざけたことに、腰に徳利までぶら下げている。

「何者か。名を名のれい!」

 半左エ門は、面倒くさそうに頭をがりがり掻いた。

「鬼、鬼、鬼、鬼!俺の周りは鬼ばかりか!名などどうでもよい。好きに決めてくれ。」

 そう言うと、直政の槍をがちんと弾いた。思わぬ剛力に、直政は馬から落ちそうになってしがみついた。

「どこまでもふざけた奴、そのふざけぶりを、あの世で後悔するがいい。」

 直政は馬を走らせ、一旦半左エ門から離れた。

 騎馬で突撃して来る気か。

 半左エ門はゆっくり腰を落とした。


 その頃、本多忠勝も思わぬ大敵に遭遇していた。


何という剛力!この蜻蛉斬りが折れようとしおったわ。


 目の前の大男は、体格で忠勝に劣らぬばかりか、その剛力においては、おそらく忠勝をはるかに凌駕していた。化け物じみた怪力に加え、巨大な独古杵による変則攻撃は、戦ったことのない忠勝を戸惑わせた。負けるわけにはいかぬ。殿が天下をお取りになるまで。蜻蛉斬りを構えなおした忠勝は、獣のような咆哮を上げた。

 喜内は強敵と戦いながら喜びに震えていた。これだ、わしの生きたかった世界は。この戦場でこそ、生きている実感がする。この場で死んでもいいと思えるほどにな。喜内は忠勝の咆哮に、独古杵の猛烈な一撃で応えた。受け止める蜻蛉斬りがたわむ。人間離れした両雄の戦いは、いつ果てるともなく続いた。


「見えた!本陣じゃ!」

叫ぶ辰二と寅の前に、大きな影が立ち塞がった。

「下郎!ここは通さぬ。」

 母里太兵衛が自慢の槍を、ぐいぐいと突き入れてくる。あまりのその迫力に、槍をすり上げる技が使えない。辰二と寅はじりじりと下がった。

「ここは任せて行け!」

 師匠・甚兵衛の声が聞こえた。二人は目配せし、太兵衛の両脇を転がりながらすり抜けると本陣へと走った。

「おのれ、行かせぬ。」

 踵を返そうとする太兵衛の前に、両刀を手に甚兵衛が立ち塞がった。一目で、今までの相手とは力量が違うことが分かる。

「よかろう。」

 太兵衛は、名槍「日本号」を甚兵衛に向けた。


 その頃、本陣を目がけて突き進む国兼の頬を銃弾が掠めた。

周囲の兵数名が銃弾を受けて蹲る。彼方より馬蹄の轟が聞こえてきた。先頭には黒一色の甲冑に黄金の陣羽織を着て、三日月の大前立てをキラキラ光らせた騎馬武者の姿が見える。疾走する一団は、手綱を持たず、蔵の上で大筒を構えたままだ。

「伊達勢か。」

 国兼が呟いた。厄介な敵が引き返してきたと感じた。

「わしらが引き付けます。殿は敵本陣へ。」

 そう言うと三郎は、鉄砲隊を引き連れて伊達勢へ向かった。


 政宗は十名ほどの敵が、鉄砲を担いでこちらにやって来るのを見た。

「こしゃくな。鉄砲に鉄砲で対抗しようというのか。よかろう、我が伊達の騎馬鉄砲隊の恐ろしさ、この九州に十分知らしめてくれる。」

 そう言うと後続の部隊に指示を下す。

「敵も鉄砲で対抗するようじゃ。動き回ってかく乱し、座って狙いをつける敵を馬上から狙い撃て。」

 おうと叫んだ騎馬隊は、停止した政宗を追い抜き、鉄砲を構えながら馬を疾走させていく。敵の鉄砲隊は走りながら左右に開き、散りじりになった。なるほど、散開して狙いを絞らせぬ気か。しかし、馬の速度と人の速度は違う。狙いをつけようと止まれば追いつかれ、騎馬鉄砲の射程に入るぞ。逃げ回っていても、いずれ疲れて追いつかれ、どうせ騎馬鉄砲の餌食となる運命じゃ。

 しかし、三郎の鉄砲隊は、政宗の予想を飛び越えてきた。三郎は疾走しながら、追い縋る騎馬隊を射撃していく。背負った二丁の鉄砲を交互に冷やしながら、足を止めず弾込めまで見事に行っている。他の鉄砲隊も一丁ながら、足を止めずに射撃し、逃げ回りながら砲身を冷やして、また撃って来る。動きながらの至近距離になると、小回りの利く人間の方が有利だった。山野で猟師として熊や猪と戦った、三郎隊ならではの戦術である。


「はははは、やるではないか。」

 後方で見ていた政宗が、愉快そうに笑った。

「しかし、このままやられては伊達の名折れよ。」

 そう言うと馬を走らせ、家臣たちに叫んだ。

「何をやっている。敵は少数じゃ。数騎で取り囲んで一人ずつ討ち取れ!」

 聞いた三郎のこめかみに、冷たい汗が一筋流れた。


 本陣の陣幕が目前に迫った。

「辰二よ。悪いが、官兵衛の首はわしが貰った。」

「なにを!」

 足を速める寅に負けまいと辰二の足も速くなる。

陣幕の奥に黒田官兵衛らしい人影が見えた。よし!届いた。そう同時に思った二人の前に、大柄、小柄の二人の武者が立ち塞がった。

「寅!わしは大きい方を倒す。」

 今度は辰二が先に叫んだ。

「なにを!」

 先程とは逆になった。槍を構える二人の武者に向かって、寅は下段、辰二は左上段と、各々得意な構えでかかっていく。

 伸びる槍を下から跳ね上げ、隙だらけとなった上体に斬りつけるのが寅の得意技だった。今日の戦も、この剣術で何人も倒してきたのだ。案の定、小柄な武将は槍で猛然と突いてきた。刀で跳ね上げ、返す刀で上段から斬り下げる。この得意技が今回も決まる筈だった。しかし、この敵は跳ね上げられた槍の勢いを利用して、くるりと一回転すると、斬り下げる刀を躱し、上段から虎の喉笛の辺りを突いてきた。

 叫び声すら出せなかった。恐るべき槍術に完敗した寅は、喉を貫かれ絶命した。

 辰二は、友の死を見届けることはできなかった。辰二の得意技は、左上段から敵の伸びる槍を斬り下げ、勢いでつんのめった敵の上半身を突くというものだった。これは敵が大きく、力が強いほど有効な技だった。今回もこの要領で、敵の大男を仕留めにかかったが、何と敵の剛力は、辰二の斬り下げをものともしなかった。何の抵抗も無く伸びた槍は、そのまま辰二の胴体を貫いた。辰二は天を見上げ、何事か呟いたが、そのままがっくりとうな垂れ動かなくなった。

「又兵衛さま、お見事!」

 小柄な武者が、槍を構えたまま声をかけた。又兵衛は遠くから駆けてくる武者に覚えがあった。

「源三郎、油断するな新手だ。俺は知っている。こいつらとは格の違う敵だ。命を捨ててかかれ!我らが大殿の最後の盾だ。」


 甚兵衛が駆け付け、血を流し、眠るように倒れる弟子二人をちらと見た。一瞬の黙とうの後、甚兵衛は両刀を構え腰を落とした。

「いつぞやは。

いつか、お主とやりあえる日を夢に見ておったぞ。わしは又兵衛、後藤又兵衛じゃ。」

「私は太閤殿下の馬廻りを務める真田源三郎。いざ、お相手いたす。」

 甚兵衛の目がスーッと細くなった。


 ひたすら本陣を目指す国兼は、母里太兵衛の軍勢の中を進んでいた。甚兵衛ら抜刀隊の活躍はすさまじく、敵の死体が累々と転がっている。敵の十分の一ほどは、抜刀隊の突撃で死傷したようだ。中には、抜刀隊士の亡骸もあった。やはり黒田勢強し、実は激戦の結果、太兵衛の陣を抜け出たのは、甚兵衛と辰二、寅の三名だけだったのだ。雪辱に燃える黒田勢が群がる中、太郎次郎らに守られながら国兼はひたすら敵本陣を目指した。

「お館様危ない!」

 乱戦を行く国兼の、右から猛然と伸びた槍の前に、太郎次郎が立ち塞がった。槍は太郎次郎の腿を貫いて止まった。太郎次郎は、槍の柄をしっかりと握り、引き抜かれまいと踏ん張っている。

「太郎次郎!」

「お館、前へ。黒田官兵衛の首を!」

苦悶の表情を浮かべながら叫ぶ太郎次郎に一礼すると、国兼は更に敵本陣の方へと進んで行く。

「放せ雑兵!さもなくば足がちぎれるぞ!」

母里太兵衛の言葉を聞いて、太郎次郎は脂汗を流しながらにやりと笑った。

「雑兵には雑兵の意地がござる。たとえ足がちぎれても、この槍は放さぬ。」

「よう言うた!」

太兵衛は渾身の力を入れて、今度は太郎次郎の腿深く槍をこじりいれて入った。


「お館様、敵の主力が母里勢を突破しそうです。ここは危ない、お引きのきを!」

近習の言葉に官兵衛が舌打ちしたそのとき、突然山側から鬨の声が上がった。現れた軍勢は二千ほど、これほどの軍の参戦は、一揆軍にとって全くの想定外だった。


「どこの軍か?」

 官兵衛が近習に尋ねた。確認から戻った近習は、ニコリとして答えた。

「相良勢にそうろう。お味方にござる。」

 南肥後人吉の相良勢が満を持して参戦した。

「二の矢、成ったか。」


 国兼の奇襲で混戦となったこの戦いの勝敗は決したようだった。

 相良勢と呼応するように、回り込んだ島左近の軍勢が、ついに後ろから菊池本陣を奇襲した。阿修羅のように暴れ回る左近の前に、親泰率いる菊池本隊はあっという間に潰走した。左近の奇襲を機に、押されていた豊臣軍は反転攻勢に転じた。後ろの島左近勢と、前からの攻撃に包囲されるように集中攻撃を受けた先鋒一法師隊は壊滅し、次いで右備え広野隊も全滅した。最後に残った左備え田尻但馬、東郷甚右衛門の隊は、劣勢の中勇ましく戦ったが、十倍近い敵に包囲され、まず甚右衛門が銃弾に倒れ、但馬も島左近と激しく打ち合った末に首を取られた。相良勢来援から半刻経たずして、戦場に梅北軍のみが残される事態となった。


「撤退じゃ!全軍、船へ。」

 国兼の決断は、手長足長によって全軍に伝えられた。かろうじて、今なら球磨川へ向かう経路は確保されている。


「おい、なぜ受けるばかりで攻めてこなかった。」

 馬を下り、肩で息をしながら直政は、退却する半左エ門の背中に言葉をかけた。

半左エ門はニコリと手を振って、走りながら叫んだ。

「無駄な殺生はせぬようにとの殿のお達しじゃからの。」

無駄な殺生じゃと、このわしに対して?不思議と笑いが込み上げた。

「はは、負けた負けた。この井伊直政、生まれて初めて負けを認めるぞ。」

見上げれば青空が広がっている。

 そこへ、本多忠勝が足を引きずり乍らやって来た。

「どうした。やられたか。」

「大したことはない。捻っただけじゃ。」

 忠勝は直政の隣に腰を下ろして呟いた。

「不思議な敵じゃったな。普通、謀叛を起こした者にある後ろ暗さが微塵も感じられぬ。わしは戦いながら、どちらが謀叛を起こした方か、わからなくなった。」


 裂帛の気合と共に放つ信繁の槍が、いとも簡単に躱された。そこへ、横から又兵衛の豪槍が伸びてくる。甚兵衛はこれも躱すと、一目散に球磨川目指して駆けだした。

「待て!」

 叫んだ又兵衛だが、二三歩進んで、へなへなと尻餅をついた。

「又兵衛殿、情けない話ですが、私も一歩も動けません。」

 信繁も座り込んで叫んだ。

「くそっ!あやつは化け物か!」

 又兵衛は走り去る甚兵衛の背中に叫んだ。その顔は、戦場と思えぬほど爽やかだった。


 政宗は焦っていた。敵の鉄砲隊は全滅させたが、まだ隊長と思しき男が残っている。しかも、この手練れは、味方の騎馬鉄砲隊を走り回りながら次々と仕留めているのだ。もはや伊達家自慢の鉄砲騎馬隊五十騎は、半数ほどに減っている。ほとんど、この猿のように素早い、敵の隊長が仕留めたものだ。

「ええーい、不甲斐ない。敵もからくり仕掛けではない。疲れてきておるはずじゃ。四方に展開し、包囲の輪を縮めていけ。必ず討ち取るのじゃ!」

 伊達騎馬隊は命令通り四方に展開し、徐々に包囲の輪を縮めていった。追い込まれたかに見えた三郎は、突然、政宗目がけて突進を始めた。

「!」

 一瞬驚いた政宗だったが、冷静に大筒を構えると、狙いを定めて放った。しかし敵は弾丸をぎりぎりで躱し、猛然と政宗目がけて、猪のように突進して来る。

「おのれ!」

 政宗は太刀を抜き放った。振りかぶって、突進する三郎を斬りつけようとする。相手の顔が見えた。技量に反比例してまだ若い、少年のような顔だ。政宗は意外な感じがした。ぶんと振り下ろした太刀を転がって躱し、馬の股の間をすりぬけた三郎は、一目散に球磨川目指して駆けて行った。

 政宗は追撃しようとする部隊を止めた。あいつを、こんなところで死なせたくはないと思った。説明がつかない不思議な気持ちだった。


「逃がすか!一人残らず首を刎ねてくれる。」

 敵の中で、島左近のみが騎馬隊を率い、国兼の行く手を塞ぐべく軍勢を率いて走った。


「どうする。国兼めは袋のネズミじゃ。このまま山を下りて、島隊の前に退路を塞げば一巻の終わり。われら伊集院勢の手柄も大きく、殿もお喜びになるじゃろう。」

球磨馬川沿いの小山の上で、戦況を見守っていた平左衛門が言った。

「殿も運がお強い。こんな手柄の機会が待っているとは。いや、我らの運と言うべきか。」

休蔵もうずうずしているようだ。しかし、蔵人は腕組みをしたまま動かない。

「どうした、お主にとっても、恨み重なる梅北国兼を討ち取れるのだ。こんな機会を待っていたのじゃろう。」

しかし、蔵人はじっと何かを考えている。

「もうよい。わしらだけでも出撃する。」

そう言った平左衛門を止めるように、蔵人は天高く手を挙げた。

「わしは決めた!」

「何を決めたのじゃ?」

蔵人は、背負った伊集院家の旗を抜き、藪に放り投げた。

「わしは今から自由気ままに生きる。もう、伊集院の人間ではない。」

「戦場から出奔する気か!正気なのか蔵人。」

 平左衛門が蔵人の裾を掴んだ。

「正気だ。わしはこの謀叛を見ながらずっと考えてきた。侍とは何か、伊集院家一筋に生きたわしの生き方は正しかったのかをな。なあ平左衛門、休蔵、お家を富ませ、大きくする手助けをすることのみが武士の道か。」

 平左衛門も休蔵も黙り込んだ。実は、この謀叛を見ながら、自分でもずっと考えてきたことだったからだ。民と共に、自分の信じることに従い、活き活きと謀叛を実行する国兼たちと、伊集院家のため、罵倒され、馬鹿にされ続けてもへりくだり、ひたすら伊集院一族を肥え太らすために生きてきた自分たち、比べるまでも無いが、どちらが武士としての正しい道だろう。

「で、伊集院の人間でなくなって、どうするんじゃ蔵人?」

休蔵が聞いた。

「わしは、あ奴に一つ貸しがある。」

疾走する島左近の方を顎でしゃくって、蔵人は言った。

「ここを死に場所として、最後に本当の一騎当千とは何か、ひとつあ奴に教えてやるつもりじゃ。」

蔵人の言葉を聞いて、休蔵も背中の旗を投げ捨てた。

「お主とは長い付き合いじゃ。わしも付き合うてやろう。」

笑いあう二人は茂みに入り下へ降りようとした。

「待て!」

平左衛門の声が響いた。

「わしも行く。それに兵をこのままにしては行けんぞ。」

そう言って平左衛門は兵たちに語り掛けた。

「聞いての通りじゃ。わしら三人は伊集院家を捨てる。そなたたちは無関係じゃ、ここから庄内に帰り、事の次第を説明するがよい。」

聞いていた兵たちは、突然背中の旗を抜き始めた。

「ちょ、ど、どうしたのじゃ!」

平左衛門に兵の一人が応じた。

「わしらも今回の謀叛を見ていろいろ考えたのでさあ。出来れば、今からでも謀叛に参加したいくらいで。しかし、あなたたちが、これからやろうとなさることは、謀叛の助けにもなること。ぜひお手伝いさせて下せえ。」

蔵人たち三名は顔を見合わせて笑った。

「さてさて、我らも相当な馬鹿じゃと思うたが、我が兵たちも相当じゃな。」


 国兼の行く手を塞ごうとした島左近隊は、小山から駆け下りてきた所属不明の軍に横っ腹を奇襲された。槍を手に暴れ回る蔵人を見て、左近は確かに見たことがあると思ったが思い出さなかった。

「お主、なかなかの腕じゃが、名を名乗れ。」

 そう左近に聞かれた蔵人は、まるで国兼のごとくにかっと笑って叫んだ。

「冥途の土産に聞いておけ。薩摩一のぼっけもん、一騎当千の長迫蔵人とはわしのことじゃ!」

 振り回す槍が、左近の槍に当たりへし折れた。蔵人は太刀を抜き放ち、気勢を上げると左近に打ちかかっていった。その横では、平左衛門と休蔵が、太刀を振り回して大暴れしている。その様子は、どこか楽しげですらあった。


 国兼たちは、すんでのところで追撃を逃れ船にたどり着いた。激戦を表すように、百名いた兵は二十名ほどに減っていた。その二十名も、片足を失った太郎次郎をはじめ、ほとんど手傷を負い、無事な者はいなかった。

「本当に危ないところでやしたね。しかし、突然現れた援軍は何者で?」

 権六が聞いたが、誰も覚えが無い。半左エ門は遠目に長迫たちではないかと思ったが、まさかなと否定した。伊集院が国兼たちを助けるはずが無いのである。


 船は重苦しい空気のまま、一路佐敷へと引き上げていった。


「梅北国兼は取り逃がしたか。」

 官兵衛が陣幕の中で言った。母里太兵衛が申し訳なさそうにうな垂れた。

「我が軍の被害も馬鹿になりません。激戦で、軍の半分ほどが死傷してしまいました。このまま、佐敷進撃は無謀かと。」

 官兵衛は頷いた。一度熊本に引き上げ、体勢を立て直すしかあるまい。

「よい、敵がせっかく帰っても今頃は。」

 官兵衛は、軍配で顔を隠して薄く笑った。

 三の矢が放たれている頃じゃ。国兼よ、お主の帰る城はもう無いぞ。





















 









 


 

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