第55話 亀裂

「こっちにいたぞー!」

 あたりに馬蹄の轟が響き渡る。物陰から飛び出した男が、川の方へ向かって必死に逃げた。

「逃がすな!討ち取れ!」

 騎馬兵が迫って来る。もう少しで川だ。後ろを振り返りながら、駆けに駆けた男は、前方、橋の上に騎馬の影を見た。

 一騎か。かいくぐってくれよう。まだ若いその男は、身のこなしには自信があった。騎馬はこちらへ突進して来る。もう少し、ぎりぎりで躱して。男がそう思ったとき、騎馬武者が手にした槍をぶんと放り投げた。

 えっ。そう思って男は、胸から生えた槍の柄を不思議そうに見た。その瞬間、横をかけ過ぎた騎馬武者の刀が一閃し、男の頭部は宙に飛んだ。

 無表情な騎馬上の男は、刀を振って血を落とすと鞘に納め、死体の胸から槍を引き抜いた。

「相変わらず凄まじいな。手加減なしか。」

 男を追ってきた騎馬武者の一人が話しかけた。男は無言で槍の穂を拭っている。

「しかし、ここまで徹底する必要はあるのかな。二万の謀叛軍のうち、半数は攻城戦と我らが駆け付けた野戦で討ち取った。もっとも、我らが駆け付けた時、突然の天変地異の後で、奴らは魂が抜けたようになっておったがな。よほど恐ろしかったのか、正気を失い、竜を見たとか口走る者もおったようじゃ。この落ち武者狩でも、もう数千の敵を討ち取っておろう。ここまでやれば、再び立ち上がる気力などあるまい。」

 話しかけられた男は頭を振った。

「甘い、甘いぞ郷舎。謀叛人は全員死罪、徹底的にやる。こうせねば、再び謀叛を起こそうとする不届きものが現れる。」

 甘いと言われた蒲生郷舎は、大仰に肩を竦めて見せた。

「しかし左近よ。お主が夜も昼も無く落ち武者狩りをしておるのには別の理由があろう。まるで思い人でも探しておるような必死さ、京の都で会うた、あの兵法者を探しておるのではないのかな。」

 それを聞いた左近は、奥歯をギリリと噛み締めた。

「あやつか、あやつはきっと、あの時の爺と共に、この謀叛人の中に居る。この島左近、あれほどの辱めを受けたのは生まれて初めてじゃ。誰にも討ち取らせぬ。あやつはわしの獲物じゃ。」

 

 熊本の街中を、商家の旦那風の男が、馬に乗って周囲を確認しながら、ゆるゆると進んでいく。手綱を取っているのは、槍を抱えた中年の大男で、歴戦の強者らしく全身が傷跡だらけだ。人々は家から泥をかきだし、水に浸かった家具を表に出して日に乾かしている。

「凄まじい豪雨だったようですな。人死にがでなかったのが嘘のようでござる。」

 馬上で商人風の男が軽く頷く。じっと何か他のことをを考えているようだった。

「大殿!いつになったら佐敷に向かうのでござるか。先般の敵は、数が多いだけ、呆けたようになって手ごたえが無かった。久々に出陣した以上は、よき敵に巡り合いたいものでござる。」

 商人風の男は、苦笑して大男をたしなめた。

「はやるな太兵衛。いくつになってもお主は変わらぬな。喧嘩に行く餓鬼大将の様じゃ。」

 そう言われた母里太兵衛は、口を尖らせて主君に言い返した。

「はやるなと言われましても、そもそもわしは若殿と一緒に朝鮮に渡る筈が、大殿がぜひにでもと言われるので、こうして残っているのでござる。大陸での黒田勢の活躍を聞くたび、身体がうずうず、気持ちがじりじりいたしまする。このまま、熊本で落ち武者狩りを続けられるなら、どうかこの場で、わしに朝鮮渡海をお命じください。落ち武者狩りなぞ、この太兵衛のやるべき戦ではありませぬゆえ。」


 古馴染の部下にそう言われて、黒田官兵衛は思った。みな、おおかたそう思っているのじゃろうな。いつになったら佐敷に向かうのかと。しかし、相手はあの梅北国兼じゃ。いろいろ調べ、薩摩攻めのおりから注目しておったが、今回の佐敷攻めは見事の一言に尽きる。ただでさえ、佐敷城は難攻不落の城、しかもあ奴の部下には防備仕掛け作りの名人もおる。準備無く攻めては、足元をすくわれる恐れがある。慎重に攻めるは、豊臣のためにあらず、このわしの野心のためよ。命が無くなっては、天下取りも何もないからの。そう考えたが、口をついて出たのは別の言葉だった。

「あせるな。まずは熊本城下を落ち着かせることよ。逃げ散った謀叛人どもは、少なく見積もっても、まだ五千は残っておるのじゃ。下手に南下して挟み撃ちにあってもつまらぬ。もう少し待て、各地に走らせた細作が情報収集して来れば、どう動くべきか自ずと判断できるようになる。」


 肥前名護屋城中では、秋山浩之進が、軍装して慌ただしくどこかへ出ていく四天王・井伊直政と本多忠勝を見つけ、主君家康に食ってかかっていた。

「これは如何なることにございますか?井伊殿と本多殿は、慌ただしく一体どこへご出陣なさるので!」

 家康は苦り切った顔をしたが、あまりの浩之進の剣幕に口を開かざるを得なかった。

「太閤殿下の御命令じゃ。謀叛人の討伐に、この徳川も兵を出すことになった。」

「謀叛人とは、いったい誰のことにございますか!」

 家臣からここまで強く言われ、生来短気な家康は、思わず声を荒げた。

「知れたこと!肥後で跋扈する者どもよ。わしは豊臣家五大老筆頭として、太閤殿下に仇なすこれら謀叛人を許しておくわけにはいかん!」

 いけしゃあしゃあと、どの口が言うのだ。頭にかっと血が上った浩之進は、思わず大声を出した。

「殿は、熊野護王の誓詞まで交わして、ここに来て裏切るというのですか!」

 家康は周囲をきょろきょろし、口元に指を一本当てて声を潜めた。

「しかたなかろう。徳川のお家のためじゃ。もはや、この謀叛は失敗したのじゃ。」

 浩之進が反発した。

「まだ、佐敷城は、国兼殿は健在でござる。失敗などしておりませぬ。」

 家康は目を閉じ頭を横に振った。

「頭を冷やせ!そなたはまだ若い。これは長年戦を生き抜いたわしの判断じゃ。」

「納得できませぬ。殿が平素、侍にとって最も大切と言われる義が立ちませぬ。」

 黙って聞いていた本多佐渡が割って入った。

「無礼者!殿に対して何という口のききようか!さがれ秋山。下がりおろう。」

 浩之進はしばらく家康と佐渡を睨み付けていたが、意を決したように一礼すると部屋を出た。その背中に家康は声をかけた。

「冷静になれ!その方が知るべきことは、まだまだたくさんある。わしはそなたに期待しておるのじゃ。」


 佐敷の国兼たちの下に菊池一族の敗報が届いたのは、作戦を変え、佐敷城から一部を援兵に回すべく、大弥五郎鎧や鉄砲弾薬の準備をしている最中だった。

「あまりに早い!敵の兵糧は少ないとの確たる情報があったのに、なぜ拙速にそんな無理な力攻めをしたのだ!」

 東郷甚右衛門が、怒りの混じった叫び声をあげた。

「いや、敗北は突然の天変地異に加え、豊臣方の追討軍に後ろをつかれたためらしい。」

 書状に目を通して、田尻但馬が冷静に言った。

「運が無かったということか。しかし、それも作戦を無視した自分たちが呼び込んだようなもの。」

 吐き捨てる甚右衛門を、但馬が嗜めた。

「敗戦をいくら攻めても致し方ない。問題はこれからどうするかじゃ。熊本城奪取のこちらの意図を見抜かれた以上、城の防備は厚くなり、攻め取るのはますます困難になった。熊本と佐敷で連携して籠城するという策自体を、見直さねばならぬのではないか。どうじゃ国兼。例えば、どこか他の城を連携先に選ぶとか。」

 国兼は、静かに頭を横に振った。

「千や二千の敵ならともかく、天下の軍勢を相手に籠城しうる城は、九州の地では、この佐敷城、熊本城、それに敵の本拠・肥前名護屋城の三つのみじゃ。熊本城を盗れぬなら、この策自体を大胆に見直さねばならぬ。ただ、まだ熊本城を奪取できる策が無くなったわけではない。」

 但馬が疑わしげな眼を向ける。

「常識的な判断なら、もはや熊本城は落とせぬと考えるべきじゃろう。一体、この上、どんな手があるというのじゃ。」

 甚右衛門も、そうじゃそうじゃと言う顔で見ている。

「これは相手の動きによる。このまま勢いに乗って、熊本城内の軍勢まで割いてこの佐敷を攻めに来るようなら、その隙をついて、歳久さまの軍勢で、密かに熊本城に侵入し、これお奪うことは可能じゃ。」

 山蜘蛛の調べで、城外と城内をつなぐ複数の隠し通路の存在は把握していた。もちろん、菊地一党にも情報提供されていたが、城攻めに活かされることはなかった。ということは、この手段はまだ使える可能性がある。

「しかし、敵将黒田官兵衛は、熊本城に入ったきり、一向に腰を上げぬではないか。熊本に到る道の監視も厳しくなっているじゃろう、歳久さまの軍が、たとえ山越えとは言え、無事に熊本に着くことは難しくなったと考えるべきではないか。」

 国兼は、そういう但馬に反論した。

「歳久さまの軍と言うのは、あくまで一つの策じゃ。敗北した菊地一党も、少なくとも五千の軍がまだ残っておるらしい。これを使うという手もある。」

 甚右衛門が割って入った。

「作戦を無視して失敗したのだぞ。信用して良いのか。そもそも、連絡は取れておるのか。」

 国兼は甚右衛門を見て頷いた。

「当方の手長足長を通して連絡はついておる。今、親泰殿たちは惟光殿を頼って阿蘇に潜伏しておるらしい。勝手をした龍姫も、反省したのか、憑きものが落ちたようにおとなしくなっておるそうな。失敗はしたが、その兵力は未だ頼りになるもの。大丈夫じゃろう。」


 軍議は、なかなか終わりそうになかった。そこへ、足長が惟光からの書状を携えてやって来た。熊本の情勢に関する報告は、足長を使った親泰や惟光からのものと、鷹を使った山蜘蛛からのものが全てである。書状を読み終わった国兼は、思わず天を仰いだ。

「どうした?また良くない報せか?」

 そういう甚右衛門に、黙って書状が渡された。読んだ甚右衛門も、無言で書状を但馬に渡した。それに目を通した但馬は、怒りにわなわなと震えた。

「勝手じゃ!勝手が過ぎるぞ!何を考えておるのじゃ菊池党は!」

 甚右衛門も同調した。

「それも、よりにもよって八代の麦島城じゃと。あんな中洲の平城、万の軍勢に囲まれたらすぐ干上がってしまうわ。とても、天下を相手に連携する戦をできる城ではないというに。ちょっと考えたらわかりそうなもんじゃが、わしらはこんなこともわからん奴らと組んできたのか!」

 惟光の書状には、菊池一族が五千の兵を再編成し、山伝いに八代麦島城へ向かったこと。小西勢百が籠るこの城を落として、近距離の佐敷と連携する策に変えたいという隈部親泰の意向が記してあった。しかし、この策は国兼の描いた作戦の代案にはなり得ぬものだった。一定の距離に割拠して連携し、攻め手を分断しつつ籠城を続け、敵の疲弊を待つのが国兼の策の概略である。佐敷と八代では近すぎ、万の軍勢では分断と言えぬ距離だった。例えば熊本と佐敷なら二方面への補給が必要で、経費もかさむし、護衛が分断されるため奇襲などの不安要素も大きくなるが、佐敷と八代の距離では、その中間に補給基地さえ設ければ、ほぼ一方面への作戦と同じことになってしまう。残念ながら、国兼と歳久が精緻に描いた作戦の真意を、親泰は理解する能力に乏しかった。そればかりでなく、理解していないことすら気づいていないほどだったのだ。


「どうする国兼?」

但馬が聞いてきた。

「親泰殿に書状を送ろう。今は阿蘇で隠れておる方がよい。すぐ引き返せと。引き返せぬ距離に来ておる場合はやむを得ぬ。作戦変更を前提に、この佐敷に入ってもらう他あるまい。」

もはや、その手しかない。甚右衛門と但馬も頷いた。国兼は急いで親泰宛と歳久宛の書状を書きあげ、手長足長に託した。


 山蜘蛛からの急を知らせる報告と、親泰からの返書が届いたのは、佐敷陥落から五日後の、その日の夜中のことだった。

 山蜘蛛からの報告は、菊地一党の動きを感知した黒田官兵衛が、名護屋から連れてきた三千に、加藤家の庄林隼人率いる千、山内甚三郎率いる千、併せて五千で、八代に向けて熊本城を進発したというものだった。これだけでも大事なのに、親泰からの返書はさらに驚くべき内容だった。菊地一党五千は既に坂本村にいたり、明朝、麦島城を総攻撃するという。背後の豊臣軍の動きには、無頓着なほど能天気な返書だった。

「このままでは、菊地一党は全滅を免れぬ。国兼、援軍を出そう。」

 但馬の提案に国兼は頭を横に振った。

「今から佐敷の軍を割いて、防備を弱めたことを敵が知ったら、どのような動きに出るか予想がつかぬ。相手はあの黒田官兵衛じゃ。うかつには動けぬ。」

 甚右衛門が叫んだ。

「それでは、味方を見殺しにするのか!」

 国兼はそれにも頭を振った。

「もう一度使いを出す。この佐敷に入るようにと。」

 国兼の策を但馬が否定した。

「菊地一党には、すでにその話をしたのじゃろう。聞き入れるとは思えぬ。使いのみだすのは見捨てるのと一緒じゃ。」

 そう言って立ち上がる但馬を国兼は止めた。

「どこへ行く!まさか援軍に行くのか。」

 甚右衛門も立ち上がった。

「但馬だけではない。わしも行く。」

 国兼は珍しく必死で止めた。

「お主らが居らぬでは、この城の防備にほころびが生ずる。な、頼む。

考え直してくれ。」

 但馬はふふんと薄く笑った。

「佐敷の民と、お主らで防備すればよいではないか。そもそも、民のための謀叛じゃ、一揆じゃと。身分を無くし、民と治める世の中じゃと。そんな話、わしは聞いておらぬし、納得もしかねる。わしは百姓から必死で槍働きをして、今の地頭にまで登りつめたのじゃ。元々地頭の子であったお主なんぞに、この気持ちはわからん。好き勝手に今後のことを語りおって、わしは前から面白くなかった。これで別れじゃ。さらば、あとは勝手にせよ。」

そう言うと、但馬は国兼を振り切って出て行った。

「わしも気に食わぬは同じじゃ。我が家は由緒正しき渋谷一族、その血に誇りを持っておる。百姓などと同列に扱われてたまるか。さらばじゃ。」

甚右衛門も退出し、天守には珍しくうなだれた国兼だけが残された。


 ここまで一枚岩だったように見えた謀叛の一味に、既に生じていた小さな亀裂は、熊本の敗戦で大きくなり、もはや取り返しがつかないように感じられた。






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