第54話 水の龍、火の龍

 「急ぐのじゃ!姫様の初陣に間に合わんとなっては、この城一要、末代までの笑われ者じゃ。」

 肥後街道を熊本へ急ぐ五千の軍勢、率いるは筑後石垣山一万石の大名、菊池一族の城一要である。一要は、少し怒っていた。隈部親泰からの挙兵の知らせが急すぎたのだ。慌てて手勢千名と、山鹿周辺でかねてから声をかけておいた菊池旧臣四千名を糾合し、軍を整えて熊本へ向かったが、おそらく、隈部率いる二万の菊地一党は、既に戦端を開いているのではと予想された。一要は額の汗をぬぐった。石垣山から駆けに駆けた軍勢は、六月の日差しに照らされて疲労困憊の極みにあるようだ。ここは田原坂、熊本まではあと一刻余りで着く。このまま行軍を続けても、疲労のあまり戦場で役に立たないのでは仕方ないので、一要は兵に小休止を指示した。馬を下り、街道沿いの松の根元に腰を下ろし汗をぬぐった。疲れてはいるが、やっと念願成就の日が来たという高揚感が、疲労すらも心地よいものにしていた。兵たちもそうであるらしく、戦場を前にして明るく談笑する余裕すらある。肥後国人一揆から三年、菊地一党は加藤家から虐げられ続けてきた。恨み重なる加藤家に、ようやく鉄槌を加えてやれる。その気持ちは、兵全ての足を、戦場へ戦場へと誘うのだ。


 遅れていた兵たちが、田原坂に到着しだした。ひとりの兵が慌てた様子で、一要の前に走りこんできた。

「後方、玉名の辺りに軍勢が見えまする。その数、およそ三千.」

「旗は?」

 一要が、落ち着き払って聞いた。

「五三の桐を中心に無数!」

 兵が振り絞る様に叫んだ。五三の桐は太閤の旗印だ。さすが秀吉、もはや軍を整えて来たか。しかし、思ったより数が少ない。しかも旗の種類が多いのは、おそらく、肥前、筑後の兵をかき集めたものだろう。九州付近の豊臣麾下の勇将は、ほとんど大陸に渡っている。太閤の軍とて怖るるに足らず。一要は、すくっと立ち上がると、軍に指示を下した。

「田原坂の頂上、街道沿いに畑が開けているところに陣を敷く。太閤の軍勢を待ち伏せるのだ。陣は鶴翼、弓隊を前面に、街道を上ってきた軍勢を狙い撃て。敵は我が方の半分程度、しかも寄せ集めじゃ。熊本の戦には後れを取ったが、太閤相手の戦の先陣は、この城一要が務めるぞ。」

 兵たちは勇ましく応と叫んで次々に立ち上がり、坂の頂上目指して駆けあがっていく。その意気、天を突くがごとし、この戦、戦う前に我らの勝ちじゃ。一要は満足そうに頷いた。


「敵は、水牛の前立てを付けた将が率いる騎馬四,五十騎を先頭に、街道を一目散にこちらへ向かってきます。」

 木に登った物見が報告する。

 簡易なものだが、馬止めの柵も設置した。備えは万全だ。一要は、弓を引き絞るよう合図を出した。

「よいか、先頭の騎馬は四,五十騎というところじゃ。我が方の弓は千余り、射れば必ず当たる。十分引き付け、合図とともに一斉に放つのじゃ。」

 先頭の一際大柄な武者が見えた。これまた大柄な黒い馬に跨り、柿渋色の兜に黒い水牛の角をはめ、黒一色の鎧に赤地に金の刺繍のある豪奢な陣羽織を着ている。九州ではまず見られない、今様、上方風のいでたちだった。

「いまだ!はなて…!?」

ズダーン、ズダーン。一要が舌打ちをしながら発射の合図を出そうとしたとき、陣の後方から轟音が響き、後陣の兵たちがばらばらと倒れた。しまった、敵は後ろに回り込んでいたか。そう思い、後方へ駆け出した一要は、信じられないものを見た。

「騎馬?馬に乗ったまま鉄砲を射つだと!」

 後方から駆け寄って来る三十騎ほどの騎馬の背には、手綱も持たず、両手で大筒を抱えた武者たちが跨っていた。先頭を行く黒一色の甲冑を着た武者の三日月の前立てが、日光を反射してキラキラ光っている。

「おのれ、おのれ!!」

 陣を立て直そうとするところへ、先程の”水牛”武者が、槍で柵を弾き飛ばしながら突っ込んできた。陣に乗り込むと、馬に乗ったまま辺り狭しと槍を振り回す。凄まじい戦いぶりだった。兵たちの頭が、まるで熟した柿か何かのように潰れてはじけ飛んだ。

「殺せ、殺せ!謀叛人どもを皆殺しにせよ。」

 その声は腹から響く、まるで戦場にこだまする割れ鐘のようだ。

その様を見ていた一要の心中に、ふつふつと怒りがたぎった。槍を手に馬に跨る。一要は、そのまま”水牛”武者に突進しながら叫んだ。

「我は菊地一党、筑後の城一要なり。名のある武者とお見受けする。名を、名を名乗れ!」

 ”水牛”武者は、一要の問いに答えず、猛然と馬を走らせてきた。一要も槍を抱え馬を走らせる。交錯する両将、一要の槍を軽くいなした敵は、馬の勢いそのままに、その胴に向けて、痛烈な槍の一突きを放った。槍は一要の甲冑を突き抜け、落馬したその胴体を、そのまま地面に縫い付けた。

「あっ、がっ…。」

 一要は敵に向け何事か言葉を放つが、口中にあふれだす血で何を言っているか聞き取れなかった。敵はそのまま馬を下り、太刀を抜き放つと、手を上げ何事か話そうとする一要を無視して、振りかぶった刀をそのまま一閃させた。城一要の首が、地面にごろんと転がった。一瞬の、まさに鬼神がごとき所業だった。男は一要の首を掴むと、刀を振りかざして辺り構わず叫んだ。

 「さあ、次はどいつだ、この島左近の槍にかかりたい馬鹿者は!!」

 菊地の兵たちは、思わず後ずさった。


 これより少し前、熊本城代・中村将監は、天守閣から城を取り囲む大軍を見ていた。突然、これほどの大軍が現れるとは、定石通り城の四方を囲んでおるこの軍は、天から降ったか地から沸いたか。

 実は、隈部親泰の策によるものだった。あらかじめ、甲冑や武具を運んでおき、菊地一党二万は、平服で三々五々参集して、今朝の突然の出現となったのだ。三年前の一揆の経験が活きた奇襲作戦だった。しかし、問題はこれからだ。

 「旗は並び鷹の羽ですな。菊池の一党か。」

 横で庄林隼人が呑気なことを言った。この若者は優秀な将だが、こういう人を食ったところが、主君清正に好かれず、朝鮮出兵の置いてけぼりを食っている。

 「呑気なことを言うな。これほどの人数を集められるのは、肥後において菊池一族しかおるまい。旗を見ずともわかるというもの。」

 老将・山内甚三郎が嗜めた。そして将監に向けて問うた。

 「ご城代、敵に向かわねばなりますまい。防御策のご指示を。」

 将監もそのくらいのことは分かっている。しかし、敵の出方を見極めねば動きようがない。このまま包囲し、兵糧攻めにするのか。それとも、四方から力攻めに出るのか。実は朝鮮派兵の無理がたたり、城内には三千の城兵が三日で食い切るほどの兵糧しかない。敵が兵糧攻めに出るなら、思い切って野戦に駆けるしか生き残る道はなさそうだった。いずれ太閤殿下からの援軍が来るだろうが、佐敷城のこともあり、謀叛の全貌が見えぬ以上、間に合うかどうかは不確実だった。

 敵が力攻めに出てくれればしめたものだ。この城は十万の敵にも耐えうるよう、築城の名人清正公が縄張りしたものだ。三千も城兵がいれば、その機能をいかんなく発揮してくれるだろう。ある種、祈るような気持ちで、将監は敵を見ていた。


「おっ!動きますな。」

 甚三郎が叫んだ。四方の敵が急に活発になった。どうやら力攻めに出るらしい。しめた!将監は叫びたい気持ちを抑えて、隼人と甚三郎に指示を下した。

「隼人、お主はこのまま南西の古城出丸に急行し、五百の兵を率いて白川口を守れ。甚三郎、そちは北東じゃ。千葉城出丸で千の兵を率いて、段山口を死守せよ。わしは、二の丸、三の丸目指して進軍してくる敵を掃討する。」

 両将は、おうと叫んで駆け出していった。将監も鞭を手に天守を出ようとして、もう一度敵の軍勢を見た。

「来よるわ、わらわらと何も知らずに。佐々様が治めていた三年前とは違うのだ。清正公が造りし熊本城の恐ろしさ、存分に味わうがいい。」


「姫、兵の配置は完了しました。城殿や阿蘇殿もおっつけ参陣されるでしょう。このまま、城を包囲し、大陸に送った為少なくなっていると思しき兵糧が切れるのをゆるゆると待ちましょう。」

 段山に設けられた本陣に、そう報告に来た親泰を、青き甲冑に身を固めた龍姫は怒鳴り飛ばした。

「なに、兵糧攻めじゃと。何を悠長なことを。愚図愚図していたら、太閤の大軍に後ろを突かれるわ。このような小城ひとつ、さっさと落として見せよ。元々、お主の居城だったこともあり、三年前は簡単に落としたのじゃろう。そもそも、薩摩の兵どもは、佐敷城を簡単に落として見せたというに、わが肥後菊池の兵が、この程度の城におびえて囲むことしか出来ぬとは言わせぬぞ。こんな城、一気に叩き潰してしまえ。お主らは龍神が守る菊池の兵ぞ。」

 親泰は珍しく反論した。

「しかし、そもそも、熊本城攻めは敵が佐敷を囲んでからという、一味の戦略を無視して我らはここにおります。これ以上、独断専行を続けると、歳久殿、国兼殿に申し訳ないだけでなく、一味の結束すら危うくしかねません。熊本城を攻めるとの知らせは、歳久殿にも国兼殿にも送ってありますので、力攻めはその返事が届いてからでも遅くはないのではございませぬか。」

 龍姫のこめかみに青筋が立った。

「親泰!そちは島津の家臣か?菊池の家臣か?」

 親泰は平伏して言った。

「もちろん、菊池の家臣にございます。」

 龍姫は平伏した親泰の頭を踏みつけて言った。

「ならば!わらわの言うことのみを聞け!総攻めじゃ。全軍に指示を出せ、よいな。」

 親泰は地面に額を擦り付け、全軍に総攻めの命令を下した。

菊地一党二万は、喚声を上げ乍ら熊本城に攻めかかっていった。


 南西、白川口を担当する菊地一党の武将・広野無二斎は、白川、坪井川など天然の河川と、人口の堀、空堀を巧みに利用した城の防備を攻めあぐねていた。五千の兵を二手に分けて進軍したが、川や堀に足を取られ、行軍が鈍ったところを、庄林隼人率いる防御部隊に、城内から弓や鉄砲で狙い撃たれた。菊池軍南西部隊は、一刻のうちにその半数近くを失った。

 一方、北東千葉城口から攻め入ろうとした菊池家旧臣・一法師禅定は、まるで迷路のような複雑な空堀に惑わされ、右往左往しているところが、山内甚三郎率いる防御部隊の良い的になった。城内から雨のように降り注ぐ矢に、五千の菊地一党の兵たちは、次々と倒れていった。こちらの被害は南西より激しく、死傷者が量産され、あっという間に兵数は二千人を割り込んだ。

 なだらかな二の丸口を狙って攻め寄せた、隈部親泰率いる五千も同じであった。敵が、矢倉や銃眼の良い的になるよう、巧みに設計された城外の通路を、それと知らず突進した菊地一党は死体の山を築いた。親泰自身も足に銃弾を受け、後退を余儀なくされたほどだった。時間の経過と共に、二万の菊池勢は、本陣を守る五千が無傷なだけで、ほぼ壊滅状態に陥っていった。

「みな、何をやっておるのじゃ!しょうもない城にあくせくしおって。こうなれば、わらわ自ら攻めてくれよう。ついてまいれ!」

 龍姫は馬に跨り段山を進みだした。本陣を守る兵たちが慌てて後に続く。


 「ほほ、まったく予想通りの展開だねえ。」

石神山の山上から戦況を見つめていた覇王太夫が、面白そうに笑った。

 「いいのかい?このままだと負けちまうよ。」

茨木童子がちらっと覇王太夫を見て言った。

 「負けるだろうねえ。もっとも、最初から勝たせる気なんてこれっぽっちもないけどさ。こっちの計画に利用するため、もっと多くの血を流し、もっと多くの命が必要なんだ。」

いつの間にか、覇王太夫は印を組んでいる。

 「龍たる力を解き放ち、敵も味方も、もっと大勢を殺してもらわなきゃ、計画も時間がかかるし、何より楽しくないだろう。さあ、菊池川の水底に何千年も閉じ込められていた水龍よ。その本性を現し、熊本を、人という人を殺しつくすんだ。」


 遠く段山を馬で進む、か細い武将の姿を見とがめた将監は、あれが菊池一党の首魁・龍姫に他ならぬだろうと考えた。そして、銃の名手二名を呼び出し、密かに城を出て狙撃するよう命じた。二名は隠し通路から城を出て、段山の沢づたいに龍姫に接近し、狙いをつけて銃を放った。弾の一発は、兜を被らぬ龍姫のこめかみを射抜いたかに見えた。

 「やった!」

 喚声を上げる狙撃手たちは、この世のものならぬ恐ろしいものを目にすることになる。

 「やったな。わらわの美しい顔に。傷をつけたな。」

 馬上でこめかみから噴き出す血を抑え、そう言った龍姫の目は、鮮血より赤く光っていた。

ボォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!

その美しい唇から、この世のものとも思えぬ恐ろしい声が発せられた。

姫の首はどんどん伸び、着物を破った裸身は青い鱗をまとっていく。

口は耳まで裂け、額からは日本の角、鼻は牛のように広がり、なまずのような髭をたくわえる。その体はどこまでも大きく、どこまでも伸び、百尺はゆうに超える大きさになった。

狙撃手たちは、腰を抜かし大小便を漏らした。

「り、り、竜!!!」

もはや、竜の本性を現した龍姫は咆哮を続けた。空に黒い雲がむくむくと現れ、叩き付けるような大雨と共に、激しい雷が町中を焦がした。

その雨は、城下を流れる緑川、白川、坪井川を見る見る氾濫させ、山を崩し、人々を溺れさせた。

「何をやった。」

 酒呑童子が聞いた。覇王太夫は、唄うように踊るように、豪雨の中をふわふわ漂いながら笑い続けた。

「あの娘、竜の依代とする前に、蠱を仕込んであったのさ。身体に何がしかの攻撃が当たれば、怒りに我を忘れるようにね。竜も神とはいえ、依代に依存する部分が残っている。当然、蠱の影響を受けるはずさ。まんまと思惑通りいったけどね。」

 雷神の娘、茨木童子も雷をかいくぐって楽しそうに飛び回っている。

「はははは、このままいけば、あと一刻もせずに、ここ熊本の民人は死に絶える。菊地一党も同じさ。城は無事だが、民のいない城で、一体何を治めるって言うんだい。」


 菊地一党の呼びかけに応じ、出陣しようとしていた阿蘇惟光は、異変を感じ取った家臣から呼び止められた。

 「殿、殿、こちらへ、こちらへ早く!」

 物見櫓に案内された惟光は、異様な光景に言葉を失った。晴天の中、遠く、熊本あたりのみを、どす黒い雲が覆っている。赤い稲光が走っているのも見えた。

 「わしも長年生きてきましたが、こんな光景は見たことがござらぬ。一体何が起きているのでしょう。」

 横で老臣が呟いた。惟光もわけが分からなかった。こんなときは姉上だ。しかし、宮のどこを探しても姉の姿は見つからなかった。必死に探す惟光を見て、長年巫女を務めてきた老女が、堪えられぬと言った風に口を開いた。

「これは、きっつく口止めされていたことですが、火弥呼様は今日が来るのを随分前からご存知でした。そして、ご自分が肥後を、いや日の本を救うために、何をせねばならぬかも。」

 惟光に嫌な予感が走った。

「姉上はどこじゃ!教えてくれ、頼む。」

 地面に額をこすりつけんばかりにして頼む幼い主君に、我慢ならなくなった老女は咎めを承知で口を開いた。

「阿蘇神宮の祭神・健磐龍命(たけいわたつのみこと)様のおわす場所です。」

 阿蘇山か、阿蘇山で何を、嫌な予感はますます大きくなっていった。


 阿蘇中岳の噴火口近く、整えられた祭壇に向かい、火弥呼は一心に祈りを捧げていた。付き従う巫女たちは、祈るでもなく、少女のその姿を、涙を称えて見つめているばかりであった。祈りを終えた火弥呼は、巫女たちに向き直った。

 「ここまで世話になりました。ここは危険です。一刻も早く、この地を離れなさい。私は、健磐龍命様の下へ参ります。」

 巫女たちは泣き叫び、お供しますと口々に叫んだ。しかし、火弥呼はきっぱりと頭を振った。

 「健磐龍命様にお仕えできるのは私だけ、遠き過去から定められたことです。肥後は、いや、この国は今、滅びの時を迎えようとしています。もはや、神のお力にすがるより助かる道はありません。これが、定められた私の御役目なのです。」

 遠くから、複数の駒音が近づいてきた。はっとした火弥呼は、火口へと向かう。

 「姉上ー。姉上!お待ちください!」

 幼い弟の声が背中から聞こえてくる。惟光、聞き分けなさい。人には定めがあるのです。自分の定めを知り、いい主君になるのですよ。

 弟の声に、一度振り返り、にこりと微笑んだ火弥呼は、そのまま火口へと吸い込まれていった。火口へ走るとする惟光を、巫女と付き従う家臣が必死に止める。姉上、姉上と泣きじゃくる声が辺りに響いていた。

 その泣き声に導かれるように、ごごごと阿蘇山が鳴動した。

「まずい、すぐこの場を離れよ!噴火するぞ!」

 老臣の叫びで、家臣と巫女たちは惟光を抱えて走った。しばらく走ると、大轟音と共に噴煙が上がり、辺りに噴石が降り注いだ。

 

「このあたりまで来れば、ひとまず。」

 せえせえ息をしながら、老臣が言った。みんな不安そうに阿蘇山を眺めた。高く高く火柱が上がっている。その火柱の中で、身をくねらせながら天に上がる何ものかを見つけたのは惟光だけだった。炎を身にまとった赤き竜、その背には、間違いなく姉・火弥呼の姿があった。


 青き竜の顔が、くいと北東へ向いた。豪雨をついて、猛然と迫る赤い竜が視界に入った。竜の顔が笑みを浮かべたように見えた。

「キタカ。」

 まるで予測していたかのように、青い竜は赤い竜の方へ身をくねらせつつ向かった。空中で対峙する二匹の竜、お互いを見知っているかのようだった。赤き竜の上の火弥呼の魂が語りかける。

「古き竜よ、人間を苦しめて何をしようと言うのです。無益なことは、どうかやめてください。定められた住むべき場所、水底へとお帰りください。」

 青き竜はカカと笑った。人間ごときが何を言うかと、言わんばかりの態度だった。

「ワガオトウトヨ、フカキカザンノソコヨリ、ナンノタメニアラワレイデタ?」

「カヨワキ、オトメノ、イノチヲカケタネガイヲ、カナエンガタメダ。ワガアニヨ。」

 青き竜と赤い竜が会話した。なんとこの二匹は兄弟であるらしい。赤い竜の言葉を聞いて、青い竜は面白そうに再び笑った。

「ドウスルトイウノダ。ワレヲタオストデモ。火ハ水ニカナワヌ。コレガ天ノ理ダ。ツマリ、ウヌハワレニカナワヌ。」

 そこへ、面白そうに笑いながら、茨木童子が割って入った。

「楽しいねえ、竜同士の兄弟げんかかい。なるほど、火は水に逆立ちしても敵わない道理だ。ましてや、こんな豪雨の中じゃ。お得意の炎も消えちまうだろうよ。」

 赤き竜が茨木童子を睨み付ける。

「ゲセンナオニヨ、サガルガヨイ。コレイジョウ、ワレラノタタカイヲジャマスレバ、イノチハナイゾ。」

 下賤と言われて、茨木童子がかっとなった。

「何様だい、好き勝手言ってくれるじゃないか。いくら神様だって、火の神だろう。こんな豪雨の中ならあたしだって勝てるよ。」

 そう言うと、雷をまとい、赤き竜に向かっていった。

「やめろ!茨木!」

 頭に来た茨木童子には、酒呑童子の声は届かなかったようだ。稲妻を放とうとした茨木童子を、赤き竜が吐いた紅蓮の炎が包んだ。

「う…そ?」

 その声を残し、茨木童子は一瞬で燃え尽きた。

「神竜の吐く炎は、どんな雨にも影響されない。知らないってことは、何でも命取りになるね。」

 どこか楽しそうな覇王太夫を、酒呑童子は睨み付けた。

「フン、ソノホノオ、ワレニハキカヌゾ。」

 興味なさげに青き竜が言った。

「ショウチノウエダ。アニヨ。」

 そう言うと、赤き竜は青き竜に飛びかかり、身をよじって、ぐるぐると締め上げた。

「ハハ、コンナコトデ、ワシヲタオセルトオモッテイルノカ。」

「オモッテオラヌ。」

 赤き竜はそのまま、青き竜を引っ張って阿蘇の方に移動し始めた。

「ナニヲスルキダ。マサカ、マサカ、ヤメヨ。オマエモブジデハスマヌゾ。」

「ショウチノウエダ。キョウダイナカヨク、エイゴウノネムリニツコウデハナイカ。」

「ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ…。」

 赤き竜は青き竜に巻き付いたまま、阿蘇の火口深く潜っていく。竜の悲鳴に似た叫び声を残し、辺りは嘘のように平静を取り戻した。


「一体、何が起きたのだ。」

 龍姫を抱きかかえ、親泰はぽつりと呟いた。嘘のような晴天が広がる。

「良かった。息はある。」

 親泰がほっとしたとき、家臣から報告が入った。

「健軍付近に敵影、その数は三千、一目散にこちらを目指して進んできます。」

 親泰のこめかみ辺りを、すーっと一筋汗が流れた。 



 


 








 


 






 

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